太平洋のさざ波 20(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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「そうでしたな、ついつい脱線して申し訳ない。
 わしが漁師になる前の話ですが、東京オリンピックが開催される直前の日本は捕鯨の最盛期前夜でした。



 戦後、食料事情の悪かった日本を心配したのかどうか、
 戦時中に抑えられていた捕鯨をGHGの親分のマッカーサーが許可した。
 日本近海に続いて南氷洋でも許可されて、ようやく日本の鯨漁がようやく復活したのです。

 


 和田浦の捕鯨は沿岸捕鯨といって、岸から二百キロ程度の沖でミンク鯨などの10メートル足らずの鯨の捕獲が主でした。

 


 わしも中学を出て見習い漁師になってから十数年、
 主に鯨を追って生きてきましたが、ばあさんと所帯を持って息子が生まれ、日本の経済がぐっと上向きになった70年代、昭和で言えば45年からの10年間、ヨーロッパやアメリカから日本は鯨を捕りすぎという横やりが入るようになりました。



 当時、わしも若かったし、先輩達について仕事を覚えるのが精一杯でした。
 悪い頭ながら、少しは漁師以外の世間の事も知ろうと、
 漁師にとって必要な天気予報に加え、NHKニュースを見つつ、新聞を読むようになってはいましが、とても世界経済や世界の状況なんて知りもしなかった。

 


 今から想えば、あれは欧米先進国というか、戦勝国クラブというのですか、彼らの焦りというか嫉妬だったのでしょう。



 敗戦国で焼け野原だった日本が誰のおかげで飯が食えるようになったのか、まして鯨が捕れるようになったのかと、
 今で言う、上から目線で論じ始めた。

 


 その頃にはすでに、わしら海で生きる漁師は魚や鯨だけを見ているも訳にもいかない世の中で、陸の上では安かろう悪かろと、
 さんざん馬鹿にされた日本の車や家電が世界を席巻する勢いで、アメリカやヨーロッパで捕鯨と同じように叩かれるようになっていました」
「鯨の歴史も経済が絡んで、いろいろとあるんですね」


「それはそうと、吉田さん、
 この和田浦で鯨を捕るようになったのはいつ頃だと想いますか?」

 


「江戸時代ですか?」

 


「いい線ついています。
 仏教の教えでしょうか、
 動物の肉を積極的に食べなかった日本でも、
 北から南まで、地域性もあるかもしれませんが、
 猪や鹿など例外的な獣を食べることはあったようです。

 


 許されていたというより、お上からお咎めがなかったのか、
 鯨も例外の一種にされていたのかはともかく、
 この地に根付いたわしらの先祖は鯨を捕っていたようです。

 


 というより、房総に限ったことなのかどうか、日本全体では定かではないのですが、学のないわしに大した事は言えませんが、
 江戸時代のずっと前の昔から、縄文時代か弥生時代からこの土地の住む人々は鯨を捕っていた、というより食べていたらしい。


 
 吉田さん、今でも日本各地で、あるいは世界各地で鯨が狭い湾に迷い込んだ、浜に打ち上がったというニースを耳に目にされることがあるでしょう。

 


 時化なのか、鯨のリーダーのコンピューターが狂ったのか、
 世界中の海を泳いで回る鯨が群れからはぐれたのか自ら外れたのか、わしら漁師でも、偉い学者さんでも解らないそうですが、
 何十年海で生きたとして、経験を重ねたとして、時に理解不能なことが起こる。


 
 鯨は謎ですな。
 鯨は種類も多いですし、鯨の生態と言うんですか、海遊ですか、世界の海での動きも、科学が魚群探知機が発達した今なら、
 ある程度のことは解るようになったとはいえ、海に住みながら、人間の十倍も百倍も大きな体で地球上最大の哺乳類で尚且つ、わしらの人間の仲間だという。


 
 元を辿れば、わしらも人間も海の中の生物の一つが地上に上がり、 信じらないほどの年月を経て、人間へと進化した。
 哺乳類の象徴のような鯨を残虐に殺す、それが日本を叩く、
 捕鯨を叩く、急先鋒な反捕鯨団体の根拠になっているそうですが、そんなものんは、あいつらの屁理屈でしかない。
 あいつらは、あいつらの先祖は鯨の脂が目的で世界中の海を、
 日本近海の海を荒らし回っていたんです。



 幕末、ペリーの黒船が浦賀沖に現れた。
 それまで鎖国していた幕府に開国を迫ったのも、
 元を正せば、鯨油船の寄港地と休息地を求めの事です。
 ただ、その後の動きを見ると、どうやら、ペリーの親分のアメリカ政府はそれ以上の成果を求めていた気がしないでもない。

 


 インディアンから土地や命を奪ったのに飽き足らず、
 太平洋を荒らし、ハワイを我が物にすると、小笠原、琉球を経て、黒船が日本全土に現れ、幕府を脅し、揺さぶった。
 幕府が開国すると、自分達に都合のいいような貿易交渉を押し付けた。

 


 それが、あいつらの真の狙いだったのでしょう。
 幕府が倒れ、明治政府になっても、不平等条約は日本を苦しめました。


 
 やがて、世界で石油が量産できるようになると、
 海に出て、危険を冒してまで鯨から脂を捕るのが割に合わなくなった。
 やつらは鯨の肉を食べないし、脂だけを捕って、海に投げ捨てていたので、捕鯨がなくてなっても痛くも痒くもありません」



「捕鯨が盛んだったハワイのマウイ島で捕鯨が廃れるようになったのも、そのせいですね」

 


「その通りでしょう。
 ペリーの黒船も開国も鎖国した豊かな日本を世界市場に引き摺込んだ末の利権や金儲けが目的でしょう。
 鯨も戦争も、宗教ですら、金儲けの手段です。

 


 戦争の善し悪しはともかく、
 日本が世界の一等国と認められるようになったのは不平等条約から約半世紀後の日露戦争に勝利してからです」



「日本政府が日露戦争の戦費を払い終えたのが、バブルを終えた頃だと知って、驚きました。
 ほぼ、一世紀に渡り、日本は日露戦争の借金を払っていた。
 その間に、有史以来の大戦争、大東亜戦争を挟んで、
 敗戦後、奇跡の復興を果たしたのです」

 


「吉田さんはお若いのに世界的な視野で物事を見ておられる。
 お仕事は何をされているのですか?」
「インターネットを中心に書き物をしているのですが」



「そうですか。それでですか?
 わしも一介の漁師に過ぎないですが、
 プロレスを観るようになって、世界が広がったといえば大袈裟ですが、物事は何事も表と裏があると想うになりました。

 


 よく、スポートは筋書きのないドラマといいますが、
 プロレスに限っては筋書きのある演劇です。
 それが面白いのか、つならないのか。
 八百長か、八百長じゃないかの議論はありますが、
 プロレスにブックという筋書きがあるのをご存じでしょう?」



 俺は小さく首を垂れた。



「ブックというくらいだから、本とか脚本とか予約とかいろいろと意味があるようですが、プロレスでいえば筋書き、取り決めです。

 


 ショーナイズされたアメリカのプロレスはスポーツ、格闘技を通り過ごし、映画や音楽と同じくエンターテイメントの分野でしょう。
 そうしたほうが税金が安いという笑い話もありますが、
 ユダヤ人の弁護士や税理士が飛んで来て知恵でも付けたのでしょう。


 というより、政治、経済と同じにように映画界やショービジネス、エンターテイメントを牛耳る彼らがプロレスも仕切っている。

 


 切磋琢磨というのか、お得意のM&Aとでもいうのでしょうか、いくつもの全米の団体を統廃合して、
 今や世界一のプロレス団体にのし上がった、
 WWE、ワールド・レスリング・エンターテイメントと名乗る、全米プロレス界の雄を、吉田さんもご存じでしょう。

 


 実質、世界ナンバー2だった新日本プロレスのエース格だった中邑選手がWWEに移籍したのは記憶に新しい。



 その本場アメリカのプロレスはブックという決め事が勝ち負けは当然として、ゴングが鳴る前に1から10まで決まっているというから、驚きです。

 


 わしから見たら、アメリカのプロレスは面白いを通り越し、
 臭い芝居です。
 洗練された本場のミュージカルどころか、日本の旅芝居以下の猿芝居です。

 


 一方、日本ではどうでしょう。
 政治、経済、文化に及ばす、何から何までアメリカの影響下にあった戦後の日本のプロレスはアメリカを猿真似して始まった。
 
 アメリカのベースボールと日本の野球に例えるならば、
 プロレスと同じくアメリカの影響を強く受けた日本の野球はルールは同じなれど、ベースボールと野球は似て非なる物と言われます。

 


 アメリカのベースボールは力と力の対決で、日本の野球は腹の探り合い、頭と小技で勝負するスモールベースボールです。


 
 野茂がアメリカに渡った当時は、わしもよくNHKのBS放送を観ていました、夢中になっていたのですが、最近ではさっぱり観なくなりました。
 高校野球に負けないほどの、過剰と言っていほどのNKHのメジャーリーグ贔屓がいびつで、一言で言うと、飽きてしまった。



 野茂の渡米直後は前年のメジャーリーグのストでメジャー人気の陰りも心配される中、野茂のピッチングフォームに由来するトルネード旋風もあって、日米両国のファンの関心を煽る報道がなされる中、本場アメリカで日本人がどれだけやれるのか、
 日本の野球がどれだけ通用するのか、その一点に話題は集中した。


 野茂が入団したドジャーズのあるカリフォルニア州ロサンゼルスから海を隔て、太平洋を一跨ぎした、ここ房総半島の和田浦でわしはテレビに齧り付いた。

 


 野茂が決め球のフォーク・ボールでメジャーリーグの強打者をバッタバッタと三振を取る様に感激した後にイチロー、松井と次から次に、日本人メジャーリーガーが誕生するのは良かったのですが、それが当たり前になり、刺激がなくなってしまったのです。



 人にもより、向き不向きもあるようですが、
 日本である程度の実績のある選手なら、
 本場メジャーリーグでも活躍できるのが当たり前になってしまった。

 


 ワールドシリーズで大活躍してヤンキースをワールドチャンピオンに導いた松井秀喜がシーズンオフにはニューヨークから放り出されるなど、渡世人、ヤクザ以下の義理人情に欠けた扱いに憤慨する一方、ピークの過ぎたイチローがピークがシアトルからニューヨーク、フロリダのチームに移って、またシアトルに戻って来た。

 


 イチローがいついつ引退しても可笑しくない状況を見るにつけ、やはり、野球は本場アメリカのベースボールではなく、日本の野球に限ると実感しました。
 わしら素人からしたら、レベルの高さではなく、贔屓のチーム、贔屓の選手が活躍するのが一番ですから」



 ここで席を外されていたおばあさんがコーヒーと大福をお盆に載せて姿を現した。
 おじいさんは砂糖とミルクを入れたコーヒーを一口飲んで大福を頬張った。

 


 柳本さんに続いて、俺もコーヒーに口を付けた。
 勝浦のゲンさんの家に続いて、海の近くで飲むコーヒーは磯の香りに包まれている気がしてならない。

 

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