太平洋のさざ波 16(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 16

 勝浦駅を離れ、海側の座席に座りながらずっと窓の外を見ていた。

 


 2月の末、雲一つない澄み切った快晴で外房の海が姿を現したのも束の間、山、畑、短いトンネルを何度か繰り返した既視感の中、日曜日の午前中ということもあって、乗客も少なく、 
 車両に部活で登校するのか制服姿の女子高生が一人、
 私服の中学生男子が二人、若いカップル、老夫婦、
 他人の目から最も不思議に映るのが、何を隠そう、余所者のこの俺であろう。



 鯨港がある和田浦を目的地にしていたが、気分転換にその昔の安房の国、外房は安房地域の中心である安房鴨川で下車した。
 駅は想いの他大きく、プラットフォームから階段を上り、
 連絡通路から反対側の階段を降りて、
 駅舎に向かう手前でトイレに寄り、Suica で改札を抜けた。



 スマホの地図アプリの目を落としながら、
 駅前の通りを真っ直ぐに歩くと、すぐに海に辿り着いた。
 昨日の午後、ゲンさんと仲間のタクマとサユリ、シゲキとコユキ、 5人と戯れた勝浦の海とは同じ外房とはいえないような穏やかな海だった。



 風もなく、透き通るような晴天である。
 サーファーの姿も見えない。
 この地がサーフィンに向いているのかどうか、
 初めての安房鴨川の海で知る術もない。

 


 駐車場との境界のコンクリート階段に座りながら世間話に興じる中高生男子が数名、それ以外の姿はなかった。
 犬と散歩するおばさんの後から砂浜を百メートルほど歩いた。
 波もなく、外房の海なのか地元の瀬戸内なのかわからなくなって、お暇することにした。



 来た道を戻るように駅を向かうと、往きで目に入らなかった食堂、 町の電気屋さんの前を通る過ぎる一方、信号待ちで目線を前方に向けると、安房鴨川駅舎が聳え立っていた。
 駅に併設するコンビニのような小店で水と菓子パンを買い込み、改札を抜け、数分待つと予定の電車が入って来た。


 車窓から途切れ途切れに映る海を眺めながら、
 勝浦から安房鴨川まで外房線でそれから房総半島を回るように館山、木更津、千葉へと向かうの内房線である。
 一つ二つ駅を通過して、和田浦に着いた。
 ローカルな車両を降り、陽射しが照り付けるプラットフォームに降り立った。
 


 線路を見ると単線で広島の地元を想い出すと同時に千葉にも単線があるのに首を捻りながら、勝浦、安房鴨川で接続案内していたが、どこからどこまでが単線なのか区別もできなかった。

 


 安房鴨川と同じく駅から真っ直ぐ海岸へ行こうにも、
 駅前に広いロータリーがあるだけで、海への道は開けていなかった。

 


 海とは反対側の裏手に木造の駅舎が設けられていたのだ。
 駅を離れ、ロータリーの中心部に椰子の木が植わり、駅舎の横に紅色の花の植え込みの上に親子連れの三頭の鯨を模した像が並んでいた。



 花と、みどりと、海の楽園 和田町と記してある。



 やはり、和田浦は鯨の海に間違いなさそうだ。
 ロータリーを離れ、住宅街を抜け表通りの車やバイクの往来を余所目に、海岸と表記された細道に足を進めると、汐の香りとともに駐車場に複数の車を確認した。

 


 太陽の光と関係するのもしれないが、曇天で青黒く感じた午後の勝浦の海から目の前に青い和田浦の海が広がる。
 勝浦の海と同じくサーフィンに興じる人の姿は見られないが、
 犬の散歩に興じる幼い兄妹がはしゃぐ姿を横目に俺は岩場まで浜辺を歩いた。


 空を見上げると、鳶のような大きな鳥が上空を舞っている。
 岩場に腰を降ろし、菓子パンでも食べようにも、鳶に襲われのも面倒で、そう想っている間に海中の岩と砂場の間で波が渦巻き、小さな波となって足元まで届いた。

 


 引き波につられ、脱いだ靴下をスニーカーに突っ込み、ジーンズの裾を捲り上げた。
 もう一度届いた小波の後の引き波を追うように裸足で海の中に入った。
 

 足の裏に濡れた砂を感じて視線を上げると引いたばかりの小波が引き返すように大きな波となって迫って来る。
 サーフィンなら絶好の波だ。

 


 ゲンさんやタクマなら歓喜の声を上げるかもしれないが、
 慌てて岸辺に引き返した。
 濡れた砂に足を取られ転びそうになりながらも、波から身を守れる場所まで逃げ込んだ。

 


 波が一気に辺りを覆い尽くし、一面は海と化したが、どうにか難を免れた。



 岩場を離れ、元の場所からビーチの裏手の駐車地まで戻った。
 和田浦海水浴場と看板にあり、すぐ側にシャワールームや足の洗い場まで設けてある。
 夏の盛りになれば、海の家が登場するのだろう。

 


 これはちょっとしたワイキキビーチ、房総の湘南化である。
 夏、観光客で和田浦が賑わっているであろうことは想像できたが、鯨の漁はどこでやっていたのか、
 スマホで検索しても上手くヒットしなかった。



 これ以上、ここに留まっていても新たな展開が期待できず、
 大通りまで戻ると、駅の裏手にコンビニがあり、駐車場から駅舎を覗いた。

 


 西船橋の北口と南口と同じように和田浦駅前のロータリーがある出口と車通りの多いコンビニ側に2つの出口を作れば、もっと機能的だろう。
 昭和の終わりは今の表通りよりロータリー側が賑わっていたのかもしれないと、頭に浮かんでは消え、駅に戻ることにした。


 
 駅のロータリーの中心に植えられた椰子の木と三頭の親子の鯨のオブジェに魅入っていると、木製の細長い駅で横たわる鯨に見えなくもなく、ここでおさらばするのも名残り惜しい気になる一方、さりとて、やることもなく、駅舎に入った。

 


 無人駅のようで壁に張られた房総半島と路線図を見遣りながら、 安房鴨川駅に隣接する小店で買った菓子パンをナップザックから抓み出し、立ったまま頬張っていたら、背後から男性に声を掛けられた。


「どこに行かれますか?」

 


 振り返ると、大柄な初老の男性だった。

 


 慌ててパンを飲み込み、掠れ声で、

 


「鯨漁の港に行きたいのですが、鉄道では無理なようですね」

 


「漁港はこの駅と次の駅の中間点辺りで、
 車なら駅の裏手の通りを走ればすぐですが」

 


「あいにく、車で来ていません」

 


「そうですか」

 


「海岸には行かれました?」

 


「はい。
 浜辺を散歩して、岩場まで足を伸ばし、裸足になって膝下まで海に入ってみましたが、急な波に襲われて、急いで浜に駆け上がって、今、駅に戻ってきたばかりです」



「そうでしたか。
 夏は人で賑いますが、ご覧になったように冬は寂しいものです。
 それでも、サーフィン好きの若い人は勝浦から足を伸ばして少しは集まるんでしょうが」
「勝浦の知り合いの家からここまでやって来ました」



「あなたも、サーファーとやらですか?」

 


「まったくの初心者です。
 昨日の午後、サーフィン三昧だったので今日は鯨の里でも行こうかと思いました」

 


「鯨に興味をお持ちですか?」

 


「はい」

 


「この近くに道の駅があって、
 鯨の標本が展示してあるので有名です」



「鯨の標本というと、鯨の骨が展示してありますか?」

 


「仰る通り。
 大きな鯨の骸骨があるのですぐにわかります」

 


 そう男性に言われて気が変わった。 



 このまま、電車に乗って西船橋に戻ろうと想っていた矢先、
 和田浦の道の駅に寄って、鯨の標本を見たくなった。


「ありがとうございます」

 


「もうすぐ電車が入ってきますが?」

 


「今から鯨の標本を見に行こうと思います」

 


「歩いても10分程度ですが、迷われるかもしれないので、
 タクシーがいいでしょう。
 通りに出るより、ここからタクシーに乗る方が早い」



 駅舎で改札を抜ける男性を見送った。
 言われた通りに、教えてもらったタクシー会社に携帯で電話すること数分、白いタクシーが現れた。



 タクシーの後部座席に乗り込むと、地元の方であろう紺の制服姿の女性の運転手さんが切り出した。

 


「お客さん、道の駅ですか?」

 


「はい」

 


「どこからお見えになりました?」

 


「西船橋に住んでいますが、
 昨夜は知り合いの方の勝浦のお宅に泊めて頂きました」



「西船橋ですか。
 遠くからお出でになられました。
 もう何年も行っていませんが、船橋も随分と変わったでしょう。

 


 今は年に一度、電車で東京に行く時、ちらりと覗き見するだけですが、結婚前、旦那とデートであの界隈に出掛けました。
 懐かしい。
 こう見えても、わたしにも若い頃があったんですよ」

 


 
 タクシーはロータリーを離れて表通りに出ていた。 
 車内に会話が消えると、いつの間にかタクシーが停車した。

 


「ここですよ、お客さん」と、

 運転手さんの声につられ、目線を上げた。

 


「ありがとうございます。 
 鯨の標本はどこにありますか?」

 


「鯨ならそこにいます。
 鯨に興味がおありですか?」

 


「はい」

 


「それなら、
 親戚に漁協関係者がいるので漁協を訪ねられてはどうですか?
 でもあいにく、今日は日曜日で休みですね」



 料金を払い、タクシーを降りると、運転手さんが言った通りに目の前に巨大な鯨が現れた。
 鯨の骸骨を見上げた。
 マウイ島のホエラーズビレッジの鯨の標本、
 遠くは子供時分の下関での鯨、以来の再来である。



 もうこれで充分で一日が終わってしまったような気がして、
 体から力が抜けていくのが感じ取れた。
 四方八方から鯨の標本を見つめ、飽きるまで眺めて、
 道の駅の建物の中に入った。

 


 日曜日の昼過ぎということもあって和田浦の駅や海岸にはない賑わいようで、気分が高揚して、これまでの気分も変わった。



 何はともかく、鯨を食べよう。
 鯨の定食、鯨のランチ、鯨肉、鯨のフライ、鯨の揚げ物、
 海の中の王様は、20年ぶりにくらいに食べた鯨の味はあっさりとした美味い肉だった。

 

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