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「プロレスといえば、日本で大人気だったスタン・ハンセンのそっくりさんをハワイのマウイ島のバスの中で見掛けました」
「スタン・ハンセンを見た?」
スタン・ハンセンばりの大男が身を乗り出した。
「僕が選ぶ最強のレスラーの一人のブルーザ・ブロディのタッグ・パートーナーだったスタン・ハンセンを」
「少し違います。
スタン・ハンセンそっくりの男がマウイ島のバスの中で女性運転手に悪態をついて、半ケツを見せながらバスから降ろされたのを、僕は乗客として目撃しましたのです」
「半ケツ?」
「半ケツなんて言われても、解りませんよね。
普段の会話でほどんど使わない、スラングみたいなものです。
半ケツを解りやすくいえば、ズボンがずれてお尻が半分見えることです。
スタン・ハンセンにそっくりな男がマウイ島のバスの中で必殺技のウエスタン・ラリアットを繰り出す自慢の左腕を見せることなく、だらしなくてジーンズがずれて、半分お尻が見えていたのです」
「男はスタン・ハンセンにそっくりだったけど、本物のスタン・ハンセンではなかった、偽物に違いなかったと」
「その通り。
その男はプロレスラーのスタン・ハンセンにそっくりだったけど、けっして本物ではなかった」
「安心しました。
プロレス界のレジェンドがハワイのマウイ島でお尻を見せながら、バスを降ろされるなんて、あんまりです。
それが本当なら、僕は気絶します。
偽物でよかった。
本物のスタン・ハンセンはアメリカ本土で日本人の奥さんと仲良く暮らしているはずです。
ブルーザ・ブロディとスタン・ハンセンの現役時代を観れなかったのは残念ですが、僕はプロレスを観るために日本に住んでいるようなものです。
僕はブルーザ・ブロディをきっかけに、ゼップのイミグラント・ソングを知りました」
「日本に飛来したことがあるドイツの飛行船のツェッペリン号からか、本場英国のゼッペリンを日本ではツェッペリンと言って、
レッド・ツェッペリンの移民の歌として有名です」
「その通りです。
全日本プロレスを放送していた日本テレビがブルーザ・ブロディーのテーマ曲として、イミグラント・ソングを使用して、
ゼップのファン以外にも知られるようになったようです」
「ジミー・ペイジのギター・リフが最高です」
「我が国の伝説的なギタリストを誉めて頂いてありがとうごじます。
音楽から話を戻しますが、
一にサッカー、二にサッカーの、サッカーの母国イングランドで、 それほどプロレスが盛んではないイングランドというか、
イギリスにも僕のようなプロレス・オタクは存在しますし、
ウィル・オスプレイ、ザック・セイバー・ジュニアなどの有望な選手が台頭して、新日本プロレスのマットに上がっています。
ウィル・オスプレイが日本で日の目を浴びるようになったのも、先ほど話題にしたオカダカズチカあっです。
英国遠征したオカダカズチカが実際にリング上でウェル・オスプレイと対戦して、彼の若き才能と可能性を感じ、
新日本プロレスのフロントにオスプレイを紹介しました。
オスプレイが新日本プロレスを契約し、日本で活躍できるようにオカダが手を貸したと言われています。
日本やアメリカと違い、プロレスラーとして生活するのが厳しいイギリスで、地元で半ばセミプロとして埋もれ掛けていたオスプレイの目にオカダは救世主に映ったことでしょう。
それ以来、オカダとオスプレイは義兄弟となって、
新日本プロレスのマットに上がっていますが、
何かと策略の多いプロレス界で、今後二人がどうなって行くか、僕は楽しみに見守っていくつもりです」
「そうなんですか。
スタン・ハンセンやブルーザ・ブロディのようなアメリカ人に代わり、今はイギリス人レスラーが日本で陽の目を浴びる時代が来たということですね」
「そうとも言えますが、
新日本プロレスでは定期的に新人を採るシステムがあって、
新日のシンボルマークであるライオンから、
彼ら新人はヤングライオンと呼ばれています。
新弟子期間を終えた若いライオン達は海外修行に出るのですが、プロレスの本場アメリカ、日本人プロレスラーに人気のメキシコに続いて、イギリスが修業先に選ばれています。
有名なところでは、イギリスにプロレス修行に出ていた新日本の若手レスラーが行方不明になって、獣神サンダー・ライガーとなって凱旋帰国を果たしました」
「漫画のような話ですね。
初めて聞きました、あのライガーが」
「永井豪原作のテレビアニメの獣神ライガーと新日本プロレスがコラボしたアイディです」
「まるでタイガーマスク。
僕は漫画というより、アニメの再々再放送くらいで観たのですが、劇画のタイガーマスクはイギリスの虎の穴出身ですが、
タイガーマスクのライバルとして有名だったダイナマイト・キッドもイギリス出身でしたね」
「ダイナマイト・キッドは我が英国のプロレスのレジェンドですが、 私生活ではあまりいい評判を聞きません」
「そうですか。
何だか悲しいですね。
そのキッドより昔になりますが、
アントニオ猪木やジャイアント馬場がヒーローだった時代、
初来日は確か、国際プロレスのようですが、
ビル・ロビンソンというプロレスラーがよく日本に来てたいようです?」
「ビル・ロビンソンをご存じでしたか?」
「はい」
「ビル・ロビンソンはともかく、
ロビンソンというファミリーネームはアイルランドにも多いですね」
それまで無言だった、金髪の女性が目を見開いた。
プロレスラー、ビル・ロビンソンを知るはずもないが彼女だが、アイルランドにルーツを持つ多くの人が隣のイギリスは言うに及ばず、アメリカ、カナダなどの新大陸に渡り、南太平洋に浮かぶオーストラリア、ニュージーランドまで足を伸ばしている。
ダブリン出身の彼女が生まれる以前に、人間風車の決め技を引っさげて日本のマット界に登場したビル・ロビンソンに興味を持ったようだ」
「ビル・ロビンソンも我が国のプロレス・レジェンドの一人ですが、 惜しい人を亡くしました」
「もう亡くなっているんですか?」
「ビル・ロビンソは僕が生まれる前に引退して、アメリカで亡くなっています」
「知りませんでした」
「アニメや漫画で日本語を覚える外国人がいるように僕はプロレスを通して、日本語を覚えました。
プロレスっていいですね」
どこかで聴き覚えのある言葉のような気がした。
その昔、誰かのモノマネで、そのような言葉で映画を語る芸人を思い出したのである。
こうして、日本在住の若い英語教師の男性1名と女性2名と知り合いになった。
彼ら3名とも船橋市内在住の英会話教師で、
その内訳は、タイ料理好きでプロレス命の大男がイングランド南部サウサンプトン出身、在日3年。
最初に目が合った黒髪で足が長い女性がイングランド中部のシェフィールド近郊出身で、地元クラブのシェフィールド・ウェンディズを密かに応援する、在日2年。
サッカーにはそれほど興味がなく、同じフットボールでは、
ラグビーが好きだという黒いタイツ姿の金髪美人がアイルランドのダブリン出身、在日1年半。
大陸のヨーロッパ同様に島国のイギリス、アイルランドにも渡航経験がないが、
イングラントとアイルランド、海を挟んだ違う国で、
北アイルランドやイギリスのEU離脱という微妙な問題がありながらも、適度な距離を置きつつ、遠い異国の日本で英語圏出身者として、同業の英会話教師として、仲間として連帯しているかに見えた3人だが、
同じ船橋市内に住みながらも、
タイ料理とプロレスを愛する大男は船橋市内の英会話教室に務め、日本にも船橋にも満足感を示す一方、
二人の女性は船橋市内に住み、都内の教室に通いながらも、
プライベートレッスンも行っているようで、
ワイキーチのホテルの出会ったマイケルさん同様に、
都内と比べ、船橋というよりも千葉の垢抜けなさが、流行やファッションに敏感であろう若い女性の共通認識のようだ。
二人の女性とはタイプが違う、先週出会ったミャンマー人のマキが船橋に千葉に住むことになったら、どう感じるだろう。
店を出て、彼らを別れ、夜風に吹かれ、歩いて帰宅して、
シャワーも浴びずにベッドに転がり込んだ翌朝には、
覚えていたはずの彼らの名前も綺麗さっぱりと忘れ去っていた。