太平洋のさざ波 10(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 10

 翌週の半ば、都内の仕事を終え、西船橋駅の改札を抜け、
 北口のロータリーに向かう途中でメールの着信が鳴った。
 行き交う人に迷惑にならないように素早く階段を降りてメールを読んだ。



「ホノルルの空港でザ・バスを待っている時に出会って、
 早いもので1ヶ月ほどが経ちました。
 バスの中ではぐれながらも、神様か仏様の導きでノースショアのセブンイレブンで再会が叶いました。
 それから、仲間と一緒にノースショアの波に乗って過ごした一時が夢のようでした。


 
 吉田さん、
 一足早く、日本に戻られて、いかがお過ごしでしょう。
 帰国してから1週間が過ぎ、バタバタと日々の暮らしに追われながらも、僕は週末の外房の波に乗りました。
 同じ千葉県内の船橋市内にお住みということで、
 ご都合のよろしい時にこちらまでお出でになりませんか?



 ノースショアと違って、外房はまだ冬の冷たい海ですが、
 気合いを入れれば、どうということはありません。
 ウェットスーツもボードもお貸ししますので、
 近いうちに、外房の海で一緒に波に乗りましょう。
 お待ちしています」

                    源間一平



 しばらくハワイに滞在するものとばかり想っていたゲンさんが日本に戻って来ていたとは。
 誘われて、断るのもなんだし、部屋に戻る前にすぐに返信しようと、辺りを伺った。

 


 ロータリーの向こうのカフェまで行くのも面倒だし、
 声を掛けられた不動産屋さんに入るほどの厚かましさは持ち合わせていない。

 


 さりとて、この界隈に店を並べる居酒屋でお通しを抓み、
 生ビールを飲んで、極楽浄土気分に浸っている間にメールを書くのを忘れてしまいそうだ。


 
 サイゼリアが頭に浮かんだ。
 階段伝いに店内に入り、テーブル椅子に座ると、
 ゲンさんへのメッセージがぱっと閃いた。
 デニムのパンツのポケットからスマホを取り出した。



「メール読ませていただきました。
 帰国されていたんですね。

 


 ゲンさんと呼ばせもらいますが、
 外房の波に乗る、ゲンさんのお元気が姿が目に浮かびます。
 電車を降り、改札を抜け、部屋に向かおうと思っていた矢先、
 メールを受け取り、今、西船橋駅近くのお店に入りました。
 ここから、外房まで電車で1時間以上かかります。

 


 日時のお約束はできないのですが、
 近いうちにそちらに伺いたいと思います」

                  吉田和彦



 メールを送信すると、テーブルの前に学生風の女性店員が黙って待っていた。

 


「お決まりになりましたら、お呼び下さい」



 気を使ってくれて、ありがとう。
 メニューを広げ、ここで晩飯にするとしよう。
 店員さんが持って来てくれたピザとサラダを食べ終え、
 ホットコーヒーを飲んで間にゲンさんからのメールが届いた。



「早速、メールを読ませて頂きました。
 外房まで来てくれるとは嬉しいですね。
 ノースショアで一緒だった仲間に連絡します。
 みんな、吉田さんにお会いする日を楽しみにしています」


 翌週の土曜日、平日は西船橋から都心方面の地下鉄に乗るところを千葉方面のJRに乗った。
 普段の通勤時間より少し遅い時刻は8時35分。


 
 空いた車両の座席に腰を降ろし、
 下りの千葉方面に向かうのは随分と久しぶりというか、
 いつ以来の事だろうと想っていたら船橋市内を過ぎ、津田沼駅に着いていた。

 


 一度観戦したことあるマリンスタジアムの最寄駅の幕張海浜に停車しなかったということは、球場は平行する京葉線だったのだろう。

 


 西荻窪から幕張メッセまでの長旅は中山競馬場以上の遠さを感じ、二度と千葉に足を踏み入れないと誓ったのも忘れ、
 早、千葉県民になって丸2年である。


 
 スタジアム側の幕張メッセには知人にもらったチケットで外車ショーに出向いて以来足が遠のいている。
 進行方向の海側の席に移動したものの、ゲンさんが待つ外房の海に繋がる東京湾の欠片らすら見えなかった。



 休日の油断からか、気が弛んでいるの、仕事ではありえない、
 電車内で尿意を催した。
 地下鉄内ならアウトだが郊外に向かう東京から離れるJR車両ではもしかしたら、地元の広島でも経験した、車内にトイレが付いていないだろうかと、席を離れ、連結器を跨ぐと、幸運にもトイレのドアが見えた。

 


 空室を確認して、ドアを引っ張り中に入り用を足し、ドアを閉めた。
 もう一度、連結器を跨ぎ、海側の窓に寄ってみたが、
 見えそうで見えない海にしびれを切らし、元の席に戻った。



 数分後、終着の千葉駅で外房線、安房鴨川行に乗り換えた。
 10時過ぎには勝浦駅に着く予定である。

 


 船橋市民になって早2年が過ぎようとしているが、
 いつまでも東京目線を引き摺っているのか、
 JR東日本らしからぬどこかローカルな車両にボックス席に腰を降ろした。
 マップを見なくても、千葉駅の手前で微かに見えた海が離れて行くようで電車は内陸へと走る。
 

 腕時計は9時を過ぎ、ここから1時間近くかかることを考えたら、 やはり、外房は遠い。
 窓の外に待望の海が見えた。

 


 直後、視界から海が消え、山になり、もう一度、海が見えた。
 目の前にドンと広がる太平洋の大海原を期待していたが、
 海と小ぶりな山と田んぼや畑と民家。
 駅に停車しては腕時計を確認し、それを何度か繰り返し、
 イメージしていた外房と目の前の現実に電車ではなくレンタカーで来るべきだったのかと想ったのも束の間、勝浦駅に着いていた。


 プラットフォームから階段を上り、改札を抜けた。
 階段を下り、海が近いせいか冷たい風が吹き抜けるのでパーカーの襟を立て、ゲンさんのメールの文面通りにバス停まで足を進めると、ロータリーに古いワゴン車が入って来た。



 車はゆっくりと近づき、目の前でピタリと停まった。
 自慢のドレッドヘヤーは消え去り、オレンジ色のニットの帽子を被った日焼けしたゲンさんが降りてきた。

 


 想った以上に元気そうで、太陽が出ているとはいえ、
 2月末のこの時期に寒くないのか、上着も羽織らず上下ジャージ姿で、ハワイで会った時以上に体が絞れているのか、
 頬は少し窪み、顔は汐に焼かれたようにも見える。


「お久しぶりです」

 


 ゲンさんは白い歯を覗かせた。

 


「お久しぶしです」

 


 ゲンさんを真似て、言葉を返すと、

 


「頭が涼しくなったでしょう。
 気分転換でハワイから帰国して、坊主になりました。
 サッカー馬鹿だった高校時代以来です」

 


 ゲンさんはニット帽子を手に取り、五分刈りの頭を晒すと、

 


「友人からただ同然で手に入れたマツダのワゴンですが、お乗り下さい」



 ゲンさんに促されるように助手席に乗り込むと、
 車内はレゲエのリズムに包まれ、ベースラインはうなり、
 声はボブ・マーリーのようだ。                 
 

 人気のないロータリーからワゴン車が離れ、
 ほんの1分も走ると、勝浦の駅舎は遠く離れて見えなくなった。
 何もない風景にも、ゲンさんに誘われたのだからと思いをあらたにすると、目の前に海が飛び込んできた。



「遠かったでしょう。
 同じ千葉県内の西船橋から早くて1時間半、
 時間帯によっては2時間近くかってしまいます。

 


 東京まで急ぐ時は特急に乗ることもありますが、
 料金が倍に跳ね返ってしまい、
 特急に乗るのは、せいぜい、年に1度あるかないかです。
 千葉には新幹線が走っていないと、馬鹿にしないで下さい」


 
 俺は黙って首を振った。



「船橋は東京に近いから、つい、都内だと勘違いされるでしょうが、同じ千葉でも、海しかない外房でも、勝浦は都会風な一面もあって、まだマシなほうだと仲間内では暗黙の了解ですが、
 もし仮に、サーフィンをやらなかったら、
 ここに住めますかと問われたら、考えてしまいます。

 


 そんな勝浦も良い所です。
 海はピカイチです。
 ノースショアから勝浦に場所を移し、
 こんなに早くお会い出来る日がこようとは想いませんでした。
 あらためまして、ようこそ勝浦へ」

 


「どういたしまして。
 こちらこそ、誘って頂いてありがとうございます」


 
「東京湾では見れない綺麗な海でしょう。
 今は冬の終わりで、どこか冷たい海に見えますが、
 5月のゴールデンウィークを過ぎ、初夏ともなって、
 陽炎でも立つようになったら、居ても立ってもいられなくなります。

 


 ハワイに負けない、ノースショアに負けない、
 外房の勝浦は日本一の海ですから。
 一旦、家に寄って、それから海に出たいと思います」

 

">