太平洋のさざ波 23(1章ハワイ) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 23 
 
 頭の時計はマウイ島からオアフ島に戻っていた。
 午後4時を過ぎ、冬の日没が早いハワイで今からやれることは限られている。

 


 ワイキキビーチに立ち、海を見ている。
 人は疎らだ。
 Tシャツだと肌寒いような冷めたい風が時折り吹き抜ける。



 ホテルのキーはフロントに預けているが、
 短パンのポケットにスマホと財布が入っているので、
 靴下をスニカーの中に入れ、膝下まで浸かるように海に入った。

 


 夕暮れ間際に入ったマウイ島のラハイナのホテル前の海よりずっと冷たく、アイスを食べた時のように頭の芯まで電流が走るほどだ。



 海藻と小石に足を取られ、転びそうになりながら砂浜まで上がると、スニーカーが見当たらない。
 ニューバランスのありふれたスニカーを盗む暇人はどこにいるのかの想いも、ここは日本ではなく、ホノルルのワイキキビーチ。

 


 俯瞰するように見渡したところ、ピッチャーマウンドからバッターボックより遙かに遠い地点に砂浜と対比するように目立つ黄色の靴下を詰めた二つの黒いスニーカーを発見した。
 気づかないまでも、膝下まで浸かった海の中で移動したのか、
 流されたのか、どうにも腑に落ちなかった。



 砂に塗れた重い足を引きずり、スニーカーを置いた地点までも戻ると、砂と海水に汚れた足で、そのまま靴下を靴を履くのが忍びがたく、左右の手にそれぞれのスニーカーを持ったまま、ビーチを後にした。

 


 どこまで裸足で歩くけばいいのか思いきや、今まで目に付かなかった、カラカウア通りに上がるすぐ手前の誰でも使える公共のシャワーで足元の砂を落とすことにした。
 親子連れの後から、片方ずつ足を振って水を切り、
 踝までの靴下を履き、ニューバランスに足を押し込んだ。



 気分を一新、晩飯モードに入り、カラカウア通りの店を覗きながら、これはと思うまでのレストランもパブにも目にしなかった。

 


 ワイキキビーチに臨むカラカウア通りにはパチンコ屋があるはずもなく、海外のリゾート地では定番のカジノも何故かハワイにはない模様だ。



 通りを闊歩する観光客に目を奪われながらも、
 足を洗ったシャワーの側まで戻って来た。
 こうなると、今宵の晩飯は目の前のABCで調達するしかない。



 マウイに行く前日、カナダ人のバッカーと出会ったホテル1階の広いフリースペースのTVモニターに映るNBAの大男達を横目に、ABCで買ったレトルトのビーフシチューをキッチン備え付けの大皿に注ぎ、レンジでチンして、テーブルに広げ、椅子に座り、ハーフサイズのバケットを手でちぎり、シチューに浸し口元に運んだ。

 


 スプーンでビープシチューを掬い口の中に入れると、
 何かが足りないような微妙な味付けに贅沢も言えず、
 もう一度、パケットを手でちぎり、口に運ぶと、
 バケットの塩加減が重なり、良い塩梅だ。

 


 バケット、ビーフシチューのローテンションで晩飯を食べ終わると、デザート代わりの硬いオレンジの皮をナイフで剥くのが面倒で、芯に人差し指を突っ込み、皮を剥ぎ、二抓みにして口に入れ、病みつきになった缶ビールのクアーズを一口飲んだ。

「こんばんは!」

 


 ヨレヨレのTシャツにビーチサンダルを履いた白人の小柄な老人が日本で声を掛けてきた。

 


「こんばんは!」

 


 声を返して、俺が老人の皺混じりの目尻を窺うと、
 にっこりと笑顔を浮かべ、隣の椅子に座り、英語混じりの日本で語り始めた。



 彼によれば、まだ惚けていない頭が確かならば、
 数日前にもこの場所で俺の姿を見掛けたそうだが、
 その時は連れの若い白人男性と話し込んでいたので声を掛けるのは控えていたという。

 


 彼はニューヨークのマンハッタン島からハドソン川を渡った、 隣の州のニュージャージーの小さな街に一人暮らしで週末は何も用事がなくても、マンハッタンの空気を吸うためだけに、朝早くから自宅を出るという。

 


 そうしないと、ただでさえ田舎でなまった頭と体が手が終えなく老化が進み、自分の手に負えなくなるそうだ。
 

 老化対策にもう一つが欠かせないものとして、
 ニューヨークと同じく寒さの厳しいニュージャージーを避け、  冬には東海岸を下り、フロリダ、気が向けば、西に転じ、アリゾナ、南カリフォルニア、ハワイの旅に出て、暑い夏になると、反対に大西洋を渡り、ヨーロッパに足を運ぶという。

 


 ヨーロッパでお気に入りなのは比較的物価の安い東欧で、
 彼が特に気に入っているのが海が綺麗なクロアチアだそうだ。



 大きな声では言えないが、ロシアと旧ソ連は大の苦手で、
 冷戦時代に少年時代、青春時代を過ごしたせいか、
 戦争時代の日本軍に代わる敵国として、
 大手マスコミが煽りに煽った共産国家ソ連の亡霊の影響か、
 好きだった映画や小説の影響のせいとも想えなく、
 今でも世界中にソ連の残党のスパイがはびこり、
 核攻撃か原子力潜水艦が放ったミサイルが襲ってくると本気が信じ、年に2度3度は怖い夢を見ては夜中にベッドから飛び起きる。



 日本でも一度、勤務する英会話教室の知り合いからソ連大使館が後援するパーティに誘われた時は参加するしないの返事もできず、前日は食事も喉を通らず、生きた心地もしなかった。

 


 ところが、何の理由からか、パーティは当日に中止が発表され、彼は一人、胸を撫で下ろしたという。

 


 それに比べ、米艦隊に守られているハワイは太平洋の楽園で、
 彼はこのホテルがお気に入りで、昨年、一昨年に続いて今年もすでに10日ほどこのホテルに滞在していると。



「このホテルで、僕はシングルに泊まっていますが、
 あなたもそうですか?」

 


「とんでもない」

 


 老人は右手と同時に横に振った。

 


「わずかな年金と株の収益に頼る老人にそんな贅沢はできません。
 もちろん、最も安い8人部屋です。

 


 部屋のベッドに寝転びながら、iPad で本を読み、
 それにも飽きたら部屋を出て、目の前の大きなモニターを眺めながら流行や懐かしの音楽に触れ、スポーツを観てコーヒーかビールを飲み、あなたのような若い方と知り合って話すも良し、
 ホテルを出て、ワイキキの海風に当たるも良し」



「そんなにハワイがお好きなんですか?」

 


「いや、好きというより惰性です。
 毎年のようにハワイに来ていると、ワイキキビーチを見ないと、新年を迎えた気になれないんです。
日本でいえば、初詣に出向くようなものです。

 


 それでいて、ハワイで何をするかといえば、
 先ほども申し上げたように本を読むか、それに飽きると、
 カラカウア通りとクヒオ通りをぶらぶら歩き、
 ワイキキビーチの家族連れや若い人を見て、目の保養にする毎日です。

 


 気が向けば、バスに乗って遠出やショッピングセンターに寄ったり、ぐるっとオアフ島を回ったりもします。
 年寄りのわたしはともかく、
 若いあなたならここから歩いても行ける、そう遠くない所に日本のドン・キホーテがあるのご存じですか?」

 


「はい」

 


 俺は日本語で応えた。



「ドン・キホーテに行かれました?」

 


「まだ行っていません。
 日本ならいつでも行けるドンキにハワイまで来て行くのはどうも」

 


「もったいない」

 


 彼は声のトーンを上げ、日本語で言った。

 


「わたしは2日に1度はドン・キホーテに行きます。
 本場の日本の店には行ったことがないのですが、
 物を買う予定がなくても、雰囲気を味わいたくてあの場所に行きます。



 その昔、わたしは日本の千葉の船橋に住んでいました。
 当時は、バブルの絶頂期で東京に住みたくても家賃が高くて住めませんでした。

 


 一口に外国人といっても、それぞれでエリートや駐在員が住む麻布や広尾界隈の高級物件はわたしのような平凡な人間には無縁の世界です。
 東京に住めないわたしの住処は船橋の裏通りの日当たりの悪いアパートで西船橋から地下鉄で都心まで通う英語教師でした」

 

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