太平洋のさざ波 6(1章ハワイ) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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 5分後、ロープが放たれ、乗船が始まった。
 チケット売り場では白人の年配層が多かったが、
 意外に若い人が多く、子供連れの家族、アジア系の人の姿も見える。
 日本人は俺だけのようだ。

 


 マウイ島の二日目のここまで出会った日本人といえば、
 ホエラーズビレッジでのご夫妻とショップで目にした若い女性陣。
 付け加えれば、ホノルル空港から小型機に乗り込む際、
 待合室で居合わせた、会話を交わさなかったが日本語のガイドブックを手にした別の便に搭乗したと想われる若い女性だけである。

 


 ワイキキでは嫌というほど多くの日本人が街を闊歩していたのに、不思議なほどラハイナ、マウイ島では日本人の姿を見ない。



 列が動き始めた。
 人波がゆっくりと一歩、一歩と歩を進め、
 係員にチケットを見せて、俺は船に乗り込んだ。
 すぐさま、1階から2階のデッキに上がると、強い風で身震いした。          


 昨日の早朝、クヒオ通りのバス停でホノルル空港までのザ・バスを待っていた時と同様に長袖シャツの上から薄手の黒のブルゾンを羽織り、ニットの帽子を被ると、煌めいた海に出航した。

 


 鉄柵越しに見えていた弱い光に照らされて島が少しは近く見えるようになったのと同時に太陽がすっかり姿を現し、船は沖に向かって進み行く。 
 光源である太陽を振り返ると、マウイ島からラハイナの港から船が遠ざかりつつある。


 ホノルルからマウイ島を目指した40分の空の旅で小型機の窓から見渡したハワイ近海と島々、舞い降りたマウイ島を、
 今、ラハイナ港から船に乗り、マウイ島の南半分近くを見渡し、早朝の太陽光に照らされ始めた黒から青へと変色しつつある海を眺めていると、また風が吹いてきた。


 視線を前方に向けると、フード付きのグレーのコートで頭を覆った中年の小柄な白人女性がハンドスピーカーを持ってデッキに現れた。

 


 やや低いハスキーな声で、自分の名前とフェリーの会社名を知らせ、このツアーに参加してくれた謝意を伝えると、
 これから目の前の海の現れるであろう素敵な鯨について英語で語り始めた。

 


 外国人観光客を想定してか、スピーカー越しながら彼女はっきり、くっきりとした英語をゆっくり喋ってくれたので話の内容は大まかに理解できた。
 鯨は群れをなして行動する地球上最大の哺乳類で、
 1月の終わりのこの季節は子供を連れた母親がマウイ島を中心としたハワイ諸島近海に現れるというのである。


 
 ホエラーズビレッジで忽然と現れた鯨の標本を目にして、
 ホエールウォチングを思いついたとはいえ、
 目の前で彼女が語ることの半分くらいは予備知識として持っていた。 

 


 特別の鯨好きでも、動物愛護精神を持っている訳でも、鯨肉を好んで食べるでもなく、一般的な日本人として、平成生まれの日本男子として、彼女の話に耳を傾けた。



 船は波を切り、海上を進んだ。
 ラハイナの広場(タウンスクエア)の鉄柵から身を乗り出すように眺めた島が大きくなり、もしかしたら着岸するのかもと想った瞬間、ハンドスピーカーを持った彼女が大きな声を上げた。

 

 
 声がするほうに目をやると、彼女は海に向かって、海に右手の人差し指を刺し、左手に持ったハンドスピーカーに口に近づけ、叫んだ。



「ホエール!」

 


 それ以外は正確には聴き取れなかったが
「鯨のしぶきが上がっている」たぶん、そのような事を口走っているのだろう。



 大声を聞きつけたのか、
 それまでどこに潜んだいたのか定かでなかった人々が一斉に集ままり、彼女の周りが人だかりになっている。


「ホエール!」

 


「鯨のしぶきが上がっている」

 


 彼女の声と同時に海上に目を移すと、さっきは見逃した鯨のしぶきをはっきりと見ることができた。



「ホエール!」

 


 次の彼女の声で、海上に上げた鯨の黒い尾をはっきりと目にした。

 


「ホエール!」

 


 もう一度、鯨の尾を目にした。


 
 しぶきが空中を舞い、デッキまで届いた。
  濡れたデッキに用心して白い鉄柵まで寄ると、
 鯨がより近づいたようで、さらに大ききなしぶきとなって、
 嵐のような海水が巻き上がり、濡れると想って身構える間もなく、船が揺れた。
 ニットの帽子とブルゾンが濡れ、体を震わせた。



 その後、尾は見せてくれるが、大きな全体像を見せることなく、鯨は海面下をローリングするように泳ぎ続けているようで、
 ハンドスピーカーを持った彼女を囲むように集まった30名前後の観衆が歓声とも溜息ともつかない声を上げる中、
 これまで聞いたことのないような大声を彼女が上げた。



「ホエール!」

 


 今度は大きな尾と小さなが尾が平行して、海面を上下した。

 


「チャイルド!」

 


 小鯨だ。
 赤ちゃんか、子供なのかはともかく、
 お母さんにつられて、子鯨が一緒に泳いでいるのだ。
 親子とも、鯨本来が海上に浮かび上がることはなかったが、
 夢のような一時が20分あまりも続いて、船がその場からターンした。

 


 目の前にあった島と鯨がそろって視界から消えた。



 海水に打たれたニットの帽子もブルゾンも乾き、
 背中に貼った日本から持参した使い捨てカイロがいつの間にか熱くなり、シャツに汗を掻いていた。


 静かにマウイ島が近づいてくる。 
 後方からハンドスピーカーの彼女の声がする。
 よく聴くと、予定時間から遅れるそうだ。

 


 別の船が近くに寄って来る様を見るにつけ、
 この時間、この界隈で鯨見物をしていたのはこの船に限らなかったようで小さなラハイナ港で捌ききれないのだ。


 
 往は鯨への期待と海に鯨が現れてからは軽い興奮状態となっていたが、少し冷静になってみると、

 ラハイナの街と昨日バスで間違った丘とその上の山岳とバスセンターから再乗車したホエラーズビレッジとその先にあるカパルアの街が海上から見渡せる。

 


 ラハイナの南の海岸沿いの通りの先にはもっと大きな島のような影が見えた。



 操舵室に目を移すと、彼女より二回りは大きな白人女性が舵を握っている。
 ハンドスピーカーから、「港への到着は20分遅れになります」
 と、声が届いた。


 後からやってきた船が先に港に入るのを見送ること2度3度、
 港が近づくにつれ、十艘以上のホエールウォチングの船が現れた。

 


 鯨の親子に遭遇して運を使い果たしてしまったのか、
 寒風が吹きさらすデッキの上でさらに待たされ、イライラを通り越して、この不満をどこにぶつけていいのかもわからず、
 海の上に張り付いたままの船がようやく動き始めた。

 


 港のインフラがお粗末だったのかはともかく、
 予定より30分遅れでラハイナ港に上陸することができた。

 

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