太平洋のさざ波 7(1章ハワイ) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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 海から陸に上がると、それまで張り詰めた気持ちが萎えたように寒くて寒くて、身震いが止まらなかった。
 人に尋ね、トイレに辿り着いてジーンズのファスナーを下ろした。

 


 膀胱に溜まった水分を放出し、深い溜息をついた。
 30分も無駄にデッキの上で海風が晒されていたのだから仕方ない。

 


 さっさと多少なりとも風の影響が少ない下に降りればよかったものを、船に乗っている間、そんな知恵が浮かぶこともなかった。



 背中のカイロもすっかり冷め切り、
 暖かい缶コーヒーで体を温めたいところだが、
 日本のどこにでもある自販機は見当たらない。
 マフラーは西船橋の部屋に置いたままで、暖を取るために首を丸めて歩くしかなかった。

 


 ほんの1時間前に見た鯨を見た背後の海を振り替える余裕もなく、俺は灯台の下にいた。


 連日世話になる手作りのマウイ島のガイドブック(自分で編集して組み合わせた)によると、
 昨日の午後も訪れた広場(タウンスクエア)で最も目に付く白い灯台は建て替えられた物のようだが、
 ハワイが独立国であった当時には鯨油で火を熾し、
 捕鯨船への合図を送る大事な役目を司っていたのである。


 
 カメハメハ3世の灯台の下を離れ、宿泊施設を兼ねる飲食店の前で昨日も目にした義足の船長の前に足を運んだ。

 


 白い帽子を被った人形は眉毛と髭に白い物を蓄え、袖に二本線が入った濃紺のコートを羽織り、白いズボンに片足を突っ込んで立っていた。

 


 南北戦争を挟んだ、捕鯨大国であったアメリカの時代を忍ばせる小説、映画でモデルとなり、有名になった白鯨のエイブル船長は船を降りた。
 彼の分身の人形は本土の故郷を遠く離れ、
 太平洋の孤島群であるハワイ諸島のマウイ島で余生を送りながら、世界各地からラハイナに訪れ人々を待っている。
 


 義足の船長の前を離れ、大きな木の森の前で足を止めて深く息を吸った。
 広場(タウンスクエア)から通りに出ると、
 ラハイナにやって来た最初の宣教師であるウィリアム・リチャーズの家で前で足を止めた。

 


 宣教師というやっかいな有り難迷惑でしかない人種はアフリカであれ新大陸であれ、アジア諸国であれ、イナゴのように現れ、
 ありとあらゆる物を食い尽くす。
 ついに、太平洋の孤島群、ハワイ諸島のマウイ島に疫病神の宣教師が現れた。


 初代の宣教使は現地で情報収集と根回しに尽力し、
 2代目、3代目となってその地で効力を発揮すると言われる。

 


 後のプランテーションや人的、経済的な奴隷化の先兵と手先となり、文字や読めない、教養のない現地人を蔑むだけでなく、
 洗脳することによって地域での勢力を増し、
 前近代的な社会を不安定化させ、支配者層の心を惑わせる。

 


 それまであったその土地に由来する豊かな文化や固有の風俗を全否定し、地球上を覆う全世界で、自分たちの宗教こそが正しいと神の教えを押し付け、目に見えるもの見えないもの、そのすべてを焼き尽くす。
 宣教師は本国や教団の橋渡しとなり、ついに奴隷化を完結させるのである。



 日本では戦国時代、種子島の鉄砲伝来を契機に九州、鹿児島、
 大分、長崎の島々をを中心にイエズス会の宣教師が上陸すると、戦国大名から貧しい農民、漁民までの心を掴み、宗教とともに人と物資を運び、貧しい人々を東南アジアに売り飛ばした。

 


 織田信長亡きあと天下を取った豊臣秀吉がキリスト教の影響を恐れ、バテレン追放の英断を下した。
 その後、江戸幕府3代将軍、徳川家光によって鎖国が完結した。

 


 バテレンを追放せず、彼らの宗教を受け入れていたら、
 日本独自の歴史や文化は否定される同時にバテレンを操るイエスズ会やローマカソリック、本国との衝突は避けては通れなかった。

 


 幕末の日本の開国が百年や百五十年は早まり、今とはまるで違った日本になっていたのは確かである。
 そうなれば、当然のように俺もこの世に生を受けていない。


 ハワイを訪れてから1世紀半どころか2世紀余りが過ぎ、
 今となっては誰一人、気にも留めなくなった宣教師の家の前を後にして、ABCでミネラルウォーターとスパムむすぴ2つとリンゴ1つを買い、バスセンターに向かった。

 


 今日もこ定期バスに乗りマウイ島を巡ることにした。
 昨日と同じく、4ドルの一日乗車券を買ったまではよかったが、島の中央部と南部に行く予定が、
 マウイ島沖で目撃した鯨の群れに誘発されたのであるまいが、
 時刻表を見ていたにも拘わらず、ホエラーズビレッジ方面のバスに乗ってしまった。



 昨日は海岸沿いのホエラーズビレッジからカパルア方面に向かうはずが、目に付いた着いたばかりのバスに飛び乗った。

 


 バスセンターからローカルな住宅街のある丘に向けての周遊で無駄な1時間を費やした反省がまったく活かされていない。
 頭が回らなかった数分間にバスが満員になって、運転手の席から3列後の俺の席の横にジーンズ、Tシャツ姿の日本人らしい中年男性が立っていた。



 オールディーズの着信音が鳴り、男性がスマホをタッチして電話に出ると、英語で話し始めた。

 


 日本ではバスや電車内で携帯やスマホでの会話がタブーというか、事実上禁止されているのだが、オアフ島のザ・バスでもそうであったように日本とマウイ島では常識は異なるようで、
 周囲の乗客を気遣って小さな声で話すというより、
 通りで知り合いと会話する調子で話す男性の英語を小耳に挟んだところ、男性は日系人で話し相手は父親、
 これから日系人の寄り合いか何かの会合に向かうようだ。



 ハワイで生まれ育った2世、3世ともなると、外見はともかく行動様式や頭の中はすっかりアメリカ人で、
 ハワイを訪れて目にする初の日系人の姿に若干の寂しさを感じながら、下手な観光より、よっぱど現実のハワイを、マウイを知ることができる、そう想っている間に彼の姿はどこにもなかった。

 

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