ニートな旅日記・・・8 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 8

 

 それから僕はシャワーで汗を流し、

 チェックのシャツと濃紺のジャケットに同系色のコートを羽織って、ジーンズで合わせた。
 ポールは、ジョディさんに用意してもらった、

 他所行きのダーグブラウンのジャケットとパンツ、赤の蝶ネクタイの出で立ち。
 お迎えの隣人牧場主の車に二人で乗り込んだのです。
 

 重厚なvolvoワゴンの後部座席から、真一文字に口を閉じた僕とポールは、

 車のライトが照らした、陽が沈んだ田舎通りをじっと見ていた。

 ほどなくvolvoをガレージに仕舞うベッティの父親の後から、 

 二人は正面玄関に明かりが灯った大きな邸に進む。

 

 ここから、厩は見えない。
 白に黒い斑の入った猟犬のような機敏な二頭の犬が、
 ご主人を迎えるように、吠え立てる。
 ポールは少し身構えていた。
 厩の失態、想わぬ落馬以前に自分を取り乱した。
 昼食時、ほとんど口をつけない彼に、僕は気づいていた
 

「彼女の家に行くのが怖いんだ」
 迎えの車を待つ間、そう打ち明けたポールの肩を2度叩いて、
「大丈夫だよ」
 少年は首を垂れた。


 

 父親のノッカー音に気づいてドアを開けた、銀色のドレスで着飾ったベッティが、

 片足を引いて我々を出迎えてくれました。

 

「ようこそ、いらっしゃいまして、お客様。
 はるばる日本からやって来られたケンさんと、
 未来のリーディング・ジョッキーのポールさん、
 我が家でのディナーを堪能してくださいな。
 ポール、衣装とても素敵よ。
 でも、その痣はどうしのた?」

 

「なんでもないよ。牧場の芝で転んだだけ」
「そう、気を付けてね」


 

人との交わりが苦手で他人の御宅に招かれた経験がほぼゼロな僕と、

 好きな女の子の家で舞い上がっているポール、
 二人の客人は、今宵のホステスであるママの待つテーブルへ
 父娘の後を追った。


 

 5人でテーブルを囲み、両親とベッティの三人は、
 この牧場での暮らしむきや彼女の学校のこと、それから、
 デイブさんの牧場、ポールがジョッキーになる夢について、
 それは楽しそうに語っていました。

 

 でも、僕はともかく、ポールが発した言葉は、
「はい、そうです」が精一杯だった。
 彼らの話す英語は9割程度、理解できたと思います。
 ポールやスミスさんの言葉ほどテレパシー、
 エモーショナルな伝わりではなかったのですが、
 この一家とは近い根っ子に位置しているなと、感じた。

 

 それでも、上手く言葉のやりとりができずにいたのは、
 僕の英語力に輪をかけてポールが障害でした。


 

「ベッティの所は大きな牧場なんだ」と、

 落馬後、しょげ返る彼の言葉で解かるように、家族で賄う小規模なデイブさんの牧場とは、 

 はっきりといえば格が違うわけです。


 

 この日のディナーも、豪勢なもの。
 たいそうな邸のリビングに備えられたテーブルの上には大きなシャンデリア、

 燭台に灯る炎が今宵の出席者の陰影を描きだす。
 これがまさに、ホームパーティ。
 何分まるで経験がなく、どう表現してよいものか。
 我々二人は、裁判所の罪人のように、ただただ緊張しきって美味しいものも、喉を通らずにいました。


 

「ケン、君はわざわざ日本からやって来たんだね」
「はい、そうです」
「わたしのファミリーネームを知っているかね?」
「いいえ」

 

「そうでしょう。
 この国ではとてもとても珍しい名前で、
 わたしは、yamashiroと言います」
「まるで日本人のようですね?]


 

「そうですとも。
 こう見えてもわたしは、日本人の血を引いています。
 わたしのご先祖は、今からおよそ百年ほど前、京都は山城の国から、海を渡って英国にやって来ました。
 このわたしが4代目に当たります。

 

 娘からポールの家にホームステイしている日本人がいると聞き、 

 それで今夜、君たち二人をお招きしたのです」

 

 そう言うと、yamashiroさんは、目の前で墨をすり、
 A4サイズほどの書道の上質紙に太い筆で、

 

「わたしのファーストネームはkazukiと言って、
 漢字で書くと山城一樹と書くのです」

 それは見事な漢字を描いたのです。


 

「わたしの家では、代々、漢字の一の字を当て、
 名前を付けています。
 この国に渡ってきた始祖の曽祖父が山城一郎で、
 祖父が山城一夫。
 父が山城一雅。 
 ベッティが山城一子(kazukо)」


 

 そう言いながら、一枚一枚と紙を捲りながら、
 すらすらと漢字を書き綴ってゆきました。


 

「この牧場は、英国が日本とドイツの戦争に勝った直後に、
 祖父一夫が2頭、3頭とサラブレッドを増やし、始めたものです。
 もうその当時、曽祖父一郎はすでにこの世の人ではなかった。
 この国にやって来た曽祖父は仲間の日本人と馬に携わる行商を営んでいたようです。

 

 それを見よう見真似で覚えた祖父が中年の域に達する頃、
 曽祖父の撒いた種を耕し、自分の牧場を持つことができた。

 わたしの父一雅がそれに手を加え、ほぼ今の牧場の型にしたのです。

 

 わたしは、父の紹介で同じ日系人のリサと出会いました。
 彼女の先祖もわたしの曽祖父と英国に渡って来た仲間です。
 紹介が遅れました。
 わたしの妻です。

 

『はじめまして、妻の山城結子理沙(ゆうこリサ)と申します』
 ご主人の隣の座った金髪青目の奥さんは、深々と頭を垂れ、
 つられるように、僕もその姿勢を真似た。

 

 それにしても、奥さんも日系人だったとは。
 リサさんこそ、とても日本人の血を引く容姿に見えなかっただけに、

 あまりの驚きに言葉がでなかった。


 

「その父も、一子が生まれる一ヶ月前にこの世を去りました。
 我々の一族は、曽祖父一郎が日本を船出して以来、
 残念ながら、誰一人、祖国日本の土を踏んでいません。
 わたしはもちろん、英国人です。
 生粋とはいえないまでも、この国の人は周りの人は、わたしを英国人と見ているようです。

 

 それはそれで、たいへん感謝をしているのですが、
 なにか物足りなさを持っているのも事実なのです。
 顔を見てもらって、わかるように、わたしが日本の血を引いているとは、とても想えないでしょう。

 誰に言っても信じてもらえず、

 わたしの血の繋がりを証明するため、仕方なしに我が家に残る家紋を見せるのです」
 

 そう言って、山城さんは椅子から立ち上がり、リビングの壁に飾ってある額縁入りの紋章を、指差した。


 

「君は、この意味が解かりますか?」
「いいえ、わかりません」
「それは、残念です」
「わたしも父に聞いて少しは意味を理解しています。
 丸い縁取りがあり、菱型が四つありますね」
「はい。三菱のマークに似ています」
「車のですね」


 

 山城さんがノッカーを2度3度と叩き、ベッティが玄関を開けるまで間、

 ドア中心部に浮かぶ、菱形の立派な家紋に惹きつけられる自分を、今鮮明に思い出した。


 

「はい、そうです。
 ただ似てると思っただけで、三菱は菱形が三つです」
「それにはどんな意味あると思いますか?」

 

「詳しいことは知りません。 
 菱型に何かの意味があるのかもしれません。
 それはたぶん、創業者の家紋から用いたのだと思います。
 何かの本で読んで記憶があります」

「そうですか。君はなかなかの博識ですね」
「お褒めいただいて、どうも有難うございます」

 

「君の家にも紋章はありますか?」
「たぶん、あると思います。
 でも、気をつけて見たことはありません。
 現代の日本人で、家紋にそれほど注意を払っている人は極少数なはずです。
 たとえば、天皇家とか」
「そうですか?
 エンペラーはどんな紋章をお持ちですか?」

 

「日本のパスポートに使われているので、菊の紋章だと思います」

「今、君はパスポートを持っていますか?」
「いいえ、ポールの家に置いてあります」
「それは、残念です。
 今度、見せてもらうことはできますか?」
「はい。僕のでよろしければ」

 

「それは、どうも有難う。
 君もご存知のように、ここはイングランドの田舎町。
 このような場所に、日本人が訪れることは稀です。
 しかしながら、こういう職業に携わっているおかげで、
 日本から馬を買い付けるに来るバイヤーが何度かこの牧場を訪れたことがあります。
 その時は決まって、今夜のように家紋を見せるのです。

 


 あるとき、一人の日本人が、今あなたが言ってくれたように、
 これは菱型の紋章で、三菱のマークに似ていると指摘しました。
 その方の日本のパスポートに刻まれたエンペラーの紋章を見せていただき、とても感銘を受けのです。

 それから、わたしはいろんな文献を調べてみました。

 はっきりとしたことは言えませんが、
 ただ、三菱の創業者が四国土佐の氏族出身、岩崎さんであると、 知りました」


 

「そうですか。先ほども言いましたように、
 現代の日本人でそれほど家紋に拘る人は少数派です。
 天皇家かよほどの名家の人です」


 

「英国という国は、日本ほどではないにしろ、
 とても古い伝統のある、しきたりを重んじる国です。
 上は女王陛下から、貴族社会、階級制度というのがまだまだ残っています。
 現に、着るもの身のこなし、言葉話し方、住む場所、学校、
 好みのスポーツから読む新聞まで、人々の交流においても、
 はっきりとした相違、バリアが存在するのです。

 

 それは、一重に7つの海を支配した最後の世界帝国であった大英帝国の名残、

 異常とも思えるプライドから来ているものです。

 

 この国の人々が、今や唯一の超大国となったアメリカですら、
 見下ろし、時には、自分たちが彼らの属国であると自覚しつつも、 

 内心、かつて英国から着の身着のままで渡って行った人々が住むかつての植民地を蔑んでいるのです。

 この国で家の紋章を持っているというのは、ある種のステータスに繋がるのです。
 それがたとえ、遠く離れた日本の物であったによせ。

 

 わたしの家系が紋章を持っているというのは、大変名誉なことなのです。
 これは一般的な考えた方ではないかもしれませんが、
 少なくともわたしは、そう考える。
 繰り返しますが、わたしはれっきとした英国の国民であり、 
 この国に帰属し満足しています。
 ここで生まれ死んでゆくつもりでいますが、
 同時に、わたしの根っ子になる部分に拘り、大事にしたいのです。


 

 昨今は、百年前にこの国に渡ってきた日本人の子孫の間でも、
 このように考えている者は限られ、
 娘の時代にもなると、ほとんどいなくなり、
 風化してしまうでしょう。
 わたしはそれが寂しくもあり、怖い気がするのです」


 

 山城さんの話しを伺って、喉がからからで僕は唾を飲み込んだ。
 妻と娘は 神妙な顔つきながら、
 どこか心に余裕のある表情で聞き込んでいたし、
 対照的に隣のポールは、まっすぐに口を閉じ、青ざめた顔で終始緊張しきっていた。


 

「またこの家に遊びに来てくれますか?」
 この夜のディーナーが終わり、山城さんにそう言われて、
 僕たち二人は頷きながら席を立った。

 女性二人に玄関先まで見送りを受けて屋外にでると、

 家長に続いてガレージまで進み、照らされた外灯に目だけが赤く染まる2匹の犬に「もう帰るのかい?」

 そんな吠えを聴いた。
 volvoの後部座席に乗り込み、僕とポールはデーブさんの牧場に戻ったのです。
  


 

 玄関キーをポールが回し、ドアを開ける。
 愛犬ジョンが元気よく僕らを出迎えます。
 時計は10時を回り、夫妻はもう休んでいた。
 二人はシャワーも浴びずに、それぞれの部屋に戻り、
 僕はトイレで用を足し、歯を磨いて、ベッドに入った。
 久しぶりに他人の家に伺い、興奮して寝付けなかったのです。

 

 今いるポールの家も他人の家に違いないのですが、もうかれこれ、
 どれくらいここにいるのでしょう。
 時間の観念が希薄になっています。
 それくらい、僕はこの牧場に慣れ親しんだと言うべきかもしれない。

 
 僕はベッティの父親、山城一樹さんのことを考えていました。
 英国に渡ってきた曽祖父一郎さんにちなんで、
 代々名前の頭に 一の字を当て、
 祖父が一夫、父が一雅。
 山城さんの娘が、一子。
 

 そうするうちに、
「おい君、今夜はすっかり寝込んでいるようだな。
 それで、山城君の御宅はどうだったかね?」
 すぐに、スミスさんと気づき、囁きに夢の中で応えました。


 

「ええ、山城さんから面白いお話を伺いましたよ。
 山城さん一家は、約百年前、京都は山城の国から英国に渡って来た日本人の子孫だそうです。
 ベッティんの父親で家長である山城一樹さんは、

 家に伝わる紋章にとても拘っておられ、少し違和感を覚えました。
 

 

スミスさん、あなたは大学で日本と英国の歴史を研究されていると仰っていましたね。
 その中でも、百年前に日本から英国に渡り、

 この国の根を下ろした人々がその研究テーマであると。
 あなたは、山城さん一家を知りながら、わざわざあの家に行くように仕向けたのでしょう?」

 

「その通りだよ」


 

「それで、僕に何をしろと言われるのですか?」
「君は何もすることはない」
「そうですか?」
「山城君には何を言われたのかね?」

 

『「今度、天皇家の紋章の付いた僕のパスポートを見せて欲しい』 そう言われただけです」
「そうかね。
 それなら、そのようにしてあげたらいい」
 そう言うと、スミスさんはさっと姿を消した。
 

 

 僕は重くなった頭を振り、時計を見ると、
 長短の針は、午前4時20分。

 一眠りしてリンが鳴る前に目覚めた。

 

 5分くらい、ベッドの中で佇み、予備灯ライトを片手に部屋の裸電球のスイッチをパチンと付け、

 旅行鞄のファスナーに仕舞っておいたパスポートを確認した。
 ありました。
 僕の赤いパスポート。

 

 真ん中に金色の16枚の菊のはなびらと、
 上に日本国、崩し文字で旅券、菊のはなびらを挟み、
 下にJAPAN PASSPORTと記されている。
 

 暫し見とれていたせいもあり、ノックの音に気づかなかった。

 

「誰?」思わず僕は日本語で尋いた。
「ケン! 僕だよ」
 どこか上ずった我友の声が聴こえた。
「ポール、お入りよ」
 すると、パジャマ姿のポールが僕の部屋に飛び込んできたのです。


 

「どうした? 血相を変えて?」
「見たんだよ!」
「だから、何を見たのか、言ってごらん」
「今トイレの前の廊下で見たんだよ!」
「何を?」

 

「ケン、信じてもらえるかな?」
「だから、何を。
 はっきり言わないとわからないだろう?」
「じゃ言うよ。
 ねえ、ケンは僕を信じてくれるよね?」

 

「あたりまえだよ。
 君は僕の友達だろう」

 

「うん。
 それじゃ、正直に話すよ。
 幽霊を見たんだ。
 年をとった黒装束の幽霊だよ。
 男だった。
 後ろ姿を少しか見なかったけど、はっきりと、わかった。
 僕、生まれて初めて幽霊を見た」


 

「うん、わかったよ。
 僕は君を信じる。
 ポールこそ、僕のことを信じてくれるかな?
 先日、僕も君と同じトイレ前の廊下で、黒装束、老人の幽霊を見た。

 

 その人はスミスさんといって、

 僕がロンドンのユーストン駅からグラスゴー行きの電車に乗ると同じボックスに座り、
 彼の話しに引き込まれるうち、何故か侘びしい駅のプラットフォームに、二人で降り立っていた。
 殺風景な停車場で彼の呼んだタクシーに乗り込むと、
 そのまま、僕は競馬場に連れて行かれた。

 

  列車の中で、黒装束のスミスさんがさかんに気にしていた2枚の切符で、

 僕たちは入場門を潜ったのさ。
 すると、二人は辺りに着飾った人々で埋まった貴賓席に紛れ込んだ。


 

 そこで僕は、初めて競走馬のレースを観戦したのさ。
 レースが終わると、貴賓席の人々は蜘蛛の子が散るように消え去り、

 おしっこを我慢していた僕はスタンドから通路伝いにトイレを探しているうち、

 ふと迷子になっていると気づいた。
 いや何故か元の場所に戻れなくなってしまったんだよ。

 

 仕方なく、競馬場を1周するほど歩くと、通路の透明ガラスの向こうにパドックが見える。
 見ているうちに、僕はすっと透明ガラスを抜けて、
 その場の綺麗な馬たちに見蕩れ、芝のフェンス前に進み、
 レースの模様を眺めていると、突然、その場所を離れ、
 真夜中にこの牧場の片隅に突っ立っていた。


 

 お腹が空き喉が渇いて、芝を抓んで飢えを凌いだ。
 寒くて震えながら仄かな明かりをたよりに、

 のそのそと歩いて厩に忍び込んだところを、ポールに見つかったって訳さ。
 その時といったら、何が何だかさっぱり解からなかった。
 僕は君の声に安心して寝込んでしまったんだ。
 

 

 それから何度か、黒装束のスミスさんは、僕の夢にあらわれて、
 啓示のような囁きを残していく。
 彼が伝えたいことを纏めると、
 彼が電車の中で語っていたように、大学の先生であるスミスさんは、

 日本と英国の歴史研究家で、それがどうもベッティのお父さん、 山城さんに関ることのようなんだ。

 彼があまりにしつこく僕に、

 

『日本で何をやっている?』
 なんて尋くから、つい、
『大学生です』
 なんて、嘘をついた。
 だから、スミスさんがここに連れて来たのだと思う。
 本当の僕は、二十歳にもなって、何もしてない、風来坊でさえない意気地なしだからね。


 

「ポール、寒くないかい?」
「うん、少し。
 よかったら、これを着なよ」
 僕のコートを羽織ったポールに、菊の紋章で飾った赤いパスポートを、見せたのです。


 

「これが、日本のパスポート?」
「そうだよ」
「こんなに綺麗なら、ベッティのパパが見たがるのもわかるよ」
「うん、そうだね。

 

 美しい菊のはなびらが金色で縁取ってあるだろう」

 僕とポールは、時計のリンが鳴り止むまで、金文字が浮かぶ赤い日本のパスポートを見つめていたのです。
 


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