てぃんさぐぬ花・・・12 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 12

 

 コザの街をベースにしている二人は、金武町のキャンプハンセンに行くことにした。
 それは、ちょっとした旅だった。
 バスは北に進む。
 乗客は疎らだ。

 

 若い男の人と、おじいさんが世間話をしている。
 この街界隈のことを話していて、コザというは、むかしの名前なんだ。
 今は沖縄市と言って・・・・・

 

 アキは耳を傾けていたが、何時頃の話なのかよくわからなかった。 
 どっちにしろ、彼女が生まれる前の話だろうが。
 おじいさんにちょっと尋ねてみた。

 

「この辺は、やんばるというのですか?」
「そうじゃないですか?」
「いやいや、もう少し行ったこの先からがやんばるですよ」
 

 男の人が応えたが、二人とも確信はないようだ。

 

「やんばるというは、ヤンバルクイナからとったのですか?」
「そうとも、言えます。
 やんばるというのは北のほう、北部という意味です」
 

 いつの間にかおじいさんと男の人はバスを降りていた。
 バスにはアキとスーと運転手さんの3人。
 民家が途切れ途切れになっている。
 左手に禿山と演習場のような場所が見えてきた。

 

 禿山は異常だ。
 これほど、木がない山というのがあるの?
 ここは日本のはず、いや琉球というほうが正しいのかもしれない。
 この緑豊かな土地で、あの禿具合は何?

 

 ふさふさしていた黒髪が一瞬に禿坊主になってしまった人の話をどこかで聞いたことがある。
 小説だったか、ドラマだったか忘れてしまった。
 その話を急に思い出した。
 それは一瞬のうちに凄いショックに襲われたため、禿坊主になった話だったと思う。


 

 このヤンバルの? 森は、白いのやら、黒いのやらのせいで、禿坊主になってしまった。
 島でおじいさんが語ってくれた、あの森のように。
 昭和20年3月の終わりの朝、米軍が上陸した、大東亜戦争・沖縄戦線・第一歩地。
 火炎放射器を振り回し、民家と山を人の心を焼き散らした森のようだった。

 

 確かに、禿山はあの森だ。
 何の前触れもなく米軍は突然上陸し、奴らは人と森と島の人の心を焼き払っていった。
 禿山は50年前のあのケラマの島の森だ。

 

 二人はバスを降りた。

 金武(きん)は時代がかったヒッピー崩れのような土地だった。
 へんてこなゲートを潜りアキとスーはこの街に入ってゆく。
 沖縄ではじっさいよく看板を見る、今時、こんな奇妙な物は他にはどこにもない。
 

 30年近く前にタイムスリップした姿がここにあった気がした。 
 それは、ベトナム戦争の頃なの?
 イージー・ライダーの頃なの?

 

 街の目ぼしい通りを歩いてみたが、人っ子一人いなかった。
 トッドに似た黒猫を見た。
 アキの声を聞くなり逃げ去ってしまう。

 

 この街は猫さえ怯えているの?
 本当に猫っ子一匹しか見当たらない。

 

 トッドは元気にしている?
 ご飯を食べている?
 ちゃんと餌をもらっている?
 金武は死んだ街だ。


 

 そう言ってしまったら地元の人は怒るだろうが、死んでいるように見える。
 まだお昼前、みんなどこにいったの?


 

 表通りを歩き、裏通りを歩いた。
 何もなかった。
 米兵相手のお店も閉まっていた。
 1軒、2軒と彼ら目当ての飲み屋さんを見かけた。
 とうぜん、この時間は空いているわけがない。

 

 米兵はお金がないの?
 それにしても、人がいない。
 まだ一人も見ていない。
 見たのはあの黒猫一匹だ。
 しかなく、裏通りをとぼとぼ歩いた。

 

 街は死んだままだった。

 今は懐かしい駄菓子屋さんを見つけた。
 中に入ってみる。
 駄菓子屋さんというより、雑貨屋さんだ。
 生活に必要な物はここで手に入る。
 パン、豆腐、お菓子、文房具もある。

 

 スーはガムとキャンディを買うと、うまい具合に小柄な白髪のおじいさんから話を聞きだした。

 

「朝鮮戦争からベトナム戦争の頃まで、この街は活気があったよ。
 むかしは、米兵がじゃんじゃんお金を使ってくれて、景気がよかった。
 当時はドルだった。
 1ドル360円で、ドルを持っていると本当に物が安かった。
 それから300円と、米兵はだんだん貧乏になっていった。

 

 それが今では120円か130円。
 ドルが3分の1になり、米兵は貧乏なはずだ。
 下っ端の兵隊は安いお金で働いているよ。
 だから、金が使えないんだ。

 

 米兵ってのは馬鹿なんだ、自分の名前さえ書けやしない。 
 上の人は違う、俺が言ってるのは下っ端のことだ。
 特に黒いのは酷い、動物だから。
 あんたたちも、あいつらには気をつけたほうがいい」
 

 

 おじいさんは沖縄返還前から、もう40年以上この店をやっている。


 

 スーが辺野古のことを尋ねてみた。

「普天間の代りに、あそこの海に鉄板か何かを浮かべて滑走路を造るんだよね。
 正式に決まったかどうか知らないけど、名護市といっても、あそこは街外れだろう。
 だから、名護の偉いさんたちとは話が合わない。
 しかたないんだ。
 これから一波も二波もあるよ、あの辺野古のヘリポート建設には」 

 

 雑貨屋さんを後に裏通りをしばらく歩いて表通りにでる。 
 お腹が空いた。
 もうお昼を過ぎている。
 横断歩道を渡り、食堂に入ってゆく。

 

 二人は沖縄そばを注文した。
 ケラマの島で1度食べてなかなか美味しかったからだ。
 そばというより、本土のうどんに近いんだよね。
 豚と紅生姜が入っている。
 スーの箸使いも悦に入っている。

 

 音を立てて食べたほうが美味いのだろうが、

 アキとスーはヨーロッパ育ちのため、食音には敏感なのだ。
 島のそばに負けず美味しかった。

 近くで4,5人のライダー風の若者がいたので、
 スーが声を掛けた。

 

「あなたたち、地元の人?」
「そうですよ」
「趣味でバイクに乗ってるの?」
「そうですよ」
「那覇から来たの?」
「そうですよ」

 

 会話は噛み合わなかった。
 若いライダーは一足先に店をでる。
 二人も追うように勘定を払った。
 彼らのバイクはやんばるに走り去ろうとしている。


 

 アキのお腹がグッーと来た。
 我慢できない。
 ウンチがしたい。
 食堂ですればよかったが、近くにトイレは見当たらない。
 よく見渡すと、ここはキャンプ・ハンセン・ゲート2のバス停だった。

 

 やはり、トイレはない。
 どうしよう。
 もう、我慢の限界。
 米軍のゴミ箱があるのに気付く。
 色はブルーだかグリーンだか、もう忘れてしまった。

 

 スーに見張りをしてもらった。
 歩哨にみたて、ゴミ箱の中に臭いウンチをしてやった。
 ティッシュを持ってなかったので、

 ハンカチでお尻を拭いてスーから手にミネラルウォーターを掛けたもらう。
 米軍のゴミ箱に臭いウンチをして、本当にすっきりした。

 

 後からよくそのゴミ箱を見てみると、CAMP・POLICEと書いてある。
 ざまあみろ!
 お前たち・CAMP・POLICEのゴミ箱に臭いウンチをしてやったぞ。


 

 ブルン ブルン ブルン ブルン 凄い騒音が聴こえてきた。  
 15台ほどのハーレーに乗った米兵が我物顔でやんばるへ通り過ぎる。


 

 何だ! こいつらはイージーライダー気取りだ。
 やっぱり、沖縄を植民地だと思い上がっている。
 臭いウンチがせめてもの一撃。
 さっきの兄ちゃんたちが可愛く見えたよ。
 

 

 

 スーが辺野古の海を見たいと言いだしたので、そこでバスを待っていたが、なかなか来なかった。
 ここから先の沖縄本島東部は何もないらしい。
 日傘を差した中年の女の人が声を掛けてきて、

「あなたは、大和の人?」
 大和? 一瞬考えた、大和?

 スーが軽く突付いた。

 

「あなたは、キャンプハンセンに勤めているの? わたしもそうなの」
「いいえ、わたしはスコットランド人で中学の英語教師です。
 本土から来ました。この子はわたしの教え子です」

 

「そう、あなたたちは大和から来たのね」

 やっと理解できた。
 大和というのが、本土ということを。
 それにしても、沖縄に来て初めて大和という言葉を聞く。
 ショックを受けた。
 沖縄はやっぱり、日本じゃないんだ。
 

 

 だいぶ待ってバスに乗ることができた。

「辺野古の手前にビーチがある」
 

 ガイドブックを読むスーがそう言っていたが、バスが来ないと大変なので寄らなかった。
 辺野古の海を見た、何にもない辺鄙な海だった。
 スーは黙々とシャッターを切っている。


 

「ねえアキ、今の日本の首相って誰だっけ?」
「村山か、橋本だと思う」

 

「わたしもよく知らないの。
 日本人がよく言う、誰がなったって同じというのが、ここにいると実感できる。
 これは外国人にはなかなかピントこないの。
 本当に誰がなったって同じことなのよ。

 

 日本がアメリカの植民地で、言いなりで何もできないという事は、誰が首相になろうが変わりはしない。
 誰が首相になろうが同じということ。
 なんだが虚しくなるわね。
 あの辺野古の海を見ていて、そう思った。
 わたしも、日本人の感性に近づいているのかな」

 

 

 辺野古で帰りのバスを待った。
 そこで首里城の帰りと同様感じのよくない高校生カップルを見た、

 こういう連中をヤンキー崩れと言うのだろう。
 沖縄の高校生はなんだかズレている気がする。

 

 スーもさすがに彼らに声を掛けなかった。

 バスを石川という所で降りた。

 

「終戦後? ここで多くの人が収容された」と、スーが言っていた。 
 それにしては小さな街だ。
 でも、ここは市なんだよね。

 

 スーの話では沖縄で一番小さな市、人口2万ちょっと、ということだ。 
 ぶらぶら歩いて、スーパーかディスカントような店を覗いてみた。
 品物はまあまあ揃っている。

 

 そうそう、そこで、アキの地元の農作物を見た。
 沖縄のこんな街まで来ているんだ。
 ログハウスが懐かしかった。
 テツはどうしているだろう?
 

 スーがある人に尋ねたところ、ここには城跡と洞窟があるそうだが、行かなかった。
 沖縄には城の付いた地名や名前が多い。
 石川からバスに乗りコザを目指す。

 

 それは長い長い道のりで着いた時、外はもう薄暗くなっていた。
 宿のシャワーで汗を流しテレビを付ける。
 お腹が空いた。

 

「早くご飯を食べに行こうよ、スー」



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