16
翌日の午後、僕は李君からもらったマッチの中華料理店に入った。
店員に李君の所在を尋ねると、
「李さんはキッチンにいます」
ほどよい日本語が応ってきた。
李君が中華丼を持って僕の前に現れ、
「コノマエはドウモ。
ホントウにキテモラエてウレシイです。
30プンもスルトキュウケイです。
ココでマッテイテクダさい」
僕は中華丼を食べ終え、スポーツ新聞を読みながら李君を待った。
李君は中華丼を抱えて僕の横に座り、
「カレのイコツをカゾクにワタシして、
キノウ、福建省からカエッテキマした」
「ご苦労さん、疲れたでしょう」
「イエ、ツカレテいません。ツカレテナンカいられません。
コレからガッコウヘイッテ、オワッタラ、マタ、
ココでハタラキます」
僕は席を立ち代金を払おうとしたが、
李君が僕の奢りですと譲らないので、彼の気を酌んで店を出た。
僕は李君と彼の通う日本語学校に向う。
学校はあの駐車場の隣りのビルの2Fにあった。
ビルの横に2人の立ちんぼが立っていた。
一人はヤスが足を踏んだ巨乳の黒人だ。
僕は目を伏せた。
李君は女と言葉を交わす。
「知り合いなの、あの黒人と?」
「シッテいます、リンダさんです」
「立ちんぼだろう?」
「タチンボ?」
「ストリート・ガール!」
「ああ、バイシュンフですね」
「そうだよ」
「デモ、ワルイヒトではないんです」
教室に入ると、李君の仲間が二人、来ていた。
僕は先生の許可を得て教室の後ろで授業を見学させてもらった。
このクラスは初心者から一つ上のクラスということだが、
20人ほどの学生の内、半数以上がアジア系で、
2、3人の白人が・・・・アヒルの子のように目立つ存在である。
先生はひらがなやカタカナが書かれた大きなカードを生徒に見せ、
ホワイトボードに字を書き、テキストを使って生徒に日常会話や日本の生活習慣、
簡単な文法を教えていた。
先生は彼らに指差し、どう思うのかを問うていた。
李君が先生に質問した。
「ボクたちは、アルテイドヨムことはデキます。
デモ、ハツオンがダメナンです。ドウシタラウマクなりますか?」
「あなたがた、中国人は漢字が読めますし、それは他の留学生より断然有利です。
発音はある程度個人差があります。
努力すればうまくなるともいえないし、
10年、10年以上日本に住んでも下手な人は下手です。
それは日本人が外国語を学ぶ場合も同じですね。
日本語を注意深く聴いて下さい、そして生活の中で日本語を使ってください」
僕は1時間の授業が終わると、同世代の女性教師に挨拶をし、
李君や仲間と言葉を交わして、この学びの舎を出た。
外には巨乳が待っていた。
僕は彼女に軽く会釈するとSの店に急いだ。
Sは一人開店準備に追われていた、
僕が初めてヤスとここを訪ねた時のように。
「昨日の電話、ありがとう。近くに来る用事があって寄ってみた」
「昨日の今日とは、ケンも出足が早いな」
「それで、あの女のことだけど?」
「気味の悪い女だった。
ああいう女は、普通この街には寄り付かない人種だ。
何というか?」
「生きる気力に乏しいんだろう」
「ああ、そういうことだ。
この街の女は良い意味でも悪い意味でもギラツイている。
生命力に溢れている。
たとえ、気が触れた奴でも」
「僕の推理が正しければ、いや、もう正しいと言っていいだろう。
無縁仏はあの女の親父さんの会社で2年前まで働いていた。
あいつの免許証の住所が、その輸入家具の会社の倉庫だった。
あいつは、そこを会社の寮として寝泊りしていた。
そのことを証明するために、
昨日、登記簿を確認し、倉庫跡を見てきた。
そこは更地になっていた、あいつの本籍と同じように。
その会社は昨年潰れている。
女は死んだ親父さんの保険金で会社を再建し、求人を募った。
そこに僕が応募した。
求人誌を見て先週予約を入れてね。
今週の月曜日に、その女の会社に面接に行った。
実際、彼女に会ってきた。
この目で彼女を確認した。
親父さんはZ病院の僕の隣のベッドで横たわり、
あいつが死んだ翌日、胃癌で死んだ。
あいつも、その前日、S署の近くの交差点で事故に遭い、
即死状態ながらZ病院に運ばれていた。
あいつと隣のベッドにいた親父さんは倉庫でそれなりに親しくしていたと、
聞き込みを入れて確認を取ったよ」
「あの女は、ケンと仏さんが幼なじみなのを知っているぞ。
俺とケンが高校の同級生という事も知っているかもしれない。
だから、ここに探りに来たんだ」
「そうかも、しれない」
「ケン、もし、お前が女の会社に採用されて働くことになったら、お前、消されるかもしれないぞ」
僕は黙って1杯目のテキーラを飲んだ。
「おい、ケン、あの女なら人を殺すくらいやりかねない、
あの女は狂気の女だ」
2杯目のテキーラを飲み干すと、2千円を置いて、Sの店を出た。
家に戻り、ケイが作っておいた料理を冷蔵庫から取り出し、
電子レンジで暖め、一人晩飯を食べた。
やはり、彼女のことが気になって仕方ない。
月曜日には彼女からの通知が届くはずだ。
採用されなければ、それで仕方ないが、仮に採用された場合どうしよう。
Sが言ったように彼女は僕の事はすべてお見し通しかもしれない、
全てを知っていると考えたほうがいい。
食事を終え、洗い物をしているとケイが戻ってきた。
「お母さんがサムを連れて日曜日に来るそうよ。
お母さん、何度か家に電話したけど、あなたが留守だって、
わたしの携帯に掛けてきた。
ねぇ、あなた、携帯買い直したら。
どっちみち、これから仕事をするにも、
携帯が無いと何かと不便でしょう。連絡が取れなくてイライラするし」
事故で壊して以来、僕は携帯を所持していなかった。
「失業中で物入りでね」
「失業中だから必要なのよ。
ケチケチしないで必要な物くらい買いなさいよ」
「サムとお母さんはその後、うまくいってるの?」
「知らないわ、日曜日に自分の目で確かめて見ないさい」
僕はケイの頬に軽くキスしてバスに誘ったが、
「疲れているの、ひとりで入って」
僕は一人、バスタブに浸かり通知後の身の振り方を考えていた。
サムを連れ立ってお母さんが我が家にやって来た。
お母さんが新婚家庭を訪れるのは2度目、約半年ぶりだ。
チャイムの音に僕が玄関ドアを開けると、
リードを引っ張りサムが僕に飛びついた。
僕はサムの頭を撫で、彼は尾を振る。
「こんにちは、サムとのデートはどうでした?」
「お邪魔します。少しは慣れたけど、電車が心配だったわね。
でも、この子おとなしくしてくれて、助かった!」
僕はサムのリードを解き、彼は狭い我が家を一人走り回った。
「サム、静かにしなさい」
お母さんの厳しい声が飛び、サムは僕の横にちょこんと座った。
「お母さん、サムを手懐けたわね」
「当たり前でしょう、ケイよりずっと言うことを聞くよ」
「それは、よかったですね。
ケイは素直ですが、頑固さも兼ね備えていますから」
「悪かったわね」
「二人に仲良くしてもらわないと、困るのよ。
これから、あなたたち夫婦とわたし、それにサムと一緒に暮らすんだから!」
「わたしたちの仲は、完璧よ。たまの喧嘩も気分転換だから」
お母さんとケイの間では、やはり、同居は決定事項だ。
僕はそれに口を挟めなかった。
僕はサムを仲間に引き込むしかなさそうだ。
昼過ぎにサムを連れて家を出た。
近所の犬同伴のカフェでお昼を摂る。
サムは犬専用のクッキーを可愛い皿の上で食している。
僕とお母さんがカレーピラフを待つ間、ケイが店の人に、
そのクッキーの作り方を聞き入っている。
ケイは自分のダイアリーに必死にメモを取った。
僕とお母さんが食べ終わること、ケイがテーブルに戻ってきて、
「サムに手作りクッキーを作ってあげる。
犬の料理研究もいけるかもしれないわ。
このピラフ、少し味が薄いね。
たぶん、犬用のピラフを人間が食べているんだと、想うな」
ケイは料理批評を述べると、今度は、ピラフのレシピを分析していた。
公園に寄ってサムのリードを首輪から解いた。
サムは数等の犬とじゃれあい、中に若いビーグルの雌がいた。
サムは彼女の尻を嗅ぐ。
彼女はサムを敬遠し、2度、3度、大きく吠えた。
それでも、サムは彼女を追った。
彼女はサムを威嚇する。
彼女の飼い主が仲裁に入り、僕は飼い主に頭を下げた。
サムは僕の横に座る。
サムには女の子が必要なのかしれない。
サムも年頃だから。
家に戻り、ケイとお母さんのイタリアン風ディナーを食べる。
ケイはお母さんを生徒に見立て、実家に戻ったら、
キッチンはわたしが仕切ると宣言していた。
僕はまずまずのディナーとワインで満足感に浸り、
サムはケイのクッキーを頬張っていた。
お母さんとサムを駅まで送り、家に戻ると、ポストに速達が届いていた。
部屋に入り封を切った。
『面接に来ていただいでありがとうございます。
面接の結果、あなたを採用することに決定しました。
急な知らせで申し訳ありませんが、
月曜日の午後2時、会社でお待ちしています』
僕の心は決まった。