スペクタクル・・・2 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 2

 

 ベッドから起き、和夫は何も考えずシャワーを浴びる。
 歩いて階下に降り、朝食を済ませた。

 

 部屋に戻り、FAXとリストを眺め、最後のビデオ、
『ベティ・ブルー』をデッキにセットした。

 

観るのはこれで何度目だろう。
 思い出せない。
 漠然とビデオを眺めていた。
 テープはすでに終わりかけている。

 

『ジュテーム』のフレーズが耳に残り、
 二人がピアノを弾く場面と、
『Fin』の文字が目に入っただけである。

 

 再度、リストとFAXを眺めた。
 これから、どう動けばよいのか。
 いくら考えても、妙案が浮かばない。
 絵里は本当にこの街の出身で商業高校を出ているのだろうか。 


 

 今日を入れて福岡滞在はあと7日である。
 和夫はとりあえず、部屋をでた。

 ガイドブックで読んだフランス文化施設を訪れた。
 やはり、休館だった。

 

 木枯らしの吹く通りを彼はコートの襟を立て一人歩いた。
 東京のようにも、札幌のようにも、仙台のようにも、感じられた。

 ここは本当に九州最大の都市だろうか。

 

 空腹をおぼえラーメン屋に飛び込む。
 苦手な豚骨しかなく、鼻を抓みかげんで麺をかきこみ、その場を凌いだ。
 歩き進むと、昨夜の洋風居酒屋が見えた。
 店は開いているようだ。
 

 

 中に入りコーヒーで口を慣らし、ここでチラシやタウン誌を眺めた。 
 席を立ちレジに向う。
 昨日の店員が目に留まる。
 彼に大名という地名にはどうやって行くのか尋ねてみた。

 通りを歩く。
 路地に入る。
 

 

 ほどなく、大名は見つかった。
 この狭い通りを彼はのんびり歩いた。
 風はとどかない。
 迷路のような通りを彼は歩いた。
 銭湯を見つけ暖簾を潜り久しぶり大きな湯舟に浸かった。
 

 

 匂わない。
 匂いがない。
 あの匂いがない。
 甘酸っぱく、切ない、匂いがない。
 彼の脳裏を掠める、生まれながらに染み付いたあの匂いがない。 

 

 ここにはない。
 ここにはなかった。
 ここは、温泉町ではない。
 北関東の町でもない。

 

 しかし、彼は何故か実家の温泉宿を想い起こしたのである。
 兄夫婦は母と上手くやっているだろうか。
 父を亡くして以来、母が仕切る旅館はかつての繁栄には程遠いであろう。
 彼が幼い時分、この季節はいつも満員御礼だった。
 食事さえ家族揃って食べたことがない。


 

 雪と正月休みはいつもいつもいやな季節だった。
 彼はそこを逃げ出したくてしょうがなかった。
 物心ついた時分から。
 湯舟を上がり、瓶牛乳を飲み、タオルを番台のおばあさんに返し暖簾を潜った。
 幾分、髪が濡れている。
 和夫は絵里が編んでくれた毛の帽子を被った。
 

 彼はこの通りの楽器店で足を止めた。
 あれ以来、楽器には触っていない。
 小さな店には主人が一人いるだけだ。
 彼は楽器には触らなかった。 
 ほんの数分楽器を眺めていた。
 主人は彼の顔を覗いた。

 

 彼と目が合う。

「何か、お探しで?」
「いいえ、この通りを歩いて懐かしかったのです。
 もう、楽器は僕には終わったことですから」
 彼はそう言って、黒い把手を押した。
 

 

 しばらく歩き、今度はインディーズの店に入る。
 見知らぬミュージシャンを大量に目にした。
 音楽はもう、彼から離れたものになりつつあった。
 

 

 2Fに上がった。
 ここには和夫にも見覚えの名前が並んでいる。
 それでも、彼の心は動かなかった。
 今の彼の心には何もなかった。
 あるものとすれば、絵里の幻想だけが彼の心に去来し、それがこの地まで和夫を連れてきたのである。

 

 彼はピアノを弾きたいと思った。
『ベティ・ブルー』の主人公のように。
 楽器屋に戻る。
 しかし、ここにピアノは置いてなかった。
 
 

 後戻り、若者文化の通りに東京の楽器店の支店を見つけた。
 そこの2Fにエレピがあった。
『ベティー・ブルー』のメロディーを奏でる。
 彼は一人で、そのメロディーを奏でる。
 店員が彼の側に来た。

 

 和夫は彼を無視してメロディーを奏で続ける。
 店員はあきらめた。
 彼はなおもそのメロディーを奏でる。
 奏で続けている。


 

 表にでた。
 すっかり陽が暮れたことを知った。
 ホテルに戻り体を憩めた。

 

 一日、何をしただろうか。
 彼はもう一度、『ベティー・ブルー』のビデオを眺める。
 メロディーが脳裏を掠める。
 絵里がめずらしく笑った表情と共に。
 

 

 ビル風が彼を襲う。
 襟を立て絵里の毛の帽子が彼の体温を守る。
 彼は通りを歩いた。
 あれはクラブだろう。
 それもスノッブな。
 ストリップの入り口のすぐ側にある階段を下り、その地下を訪れた。

 


『絵里!』
 和夫は声をあげた。
 顔を近づけ絵里を見つめた。
 絵里ではなかった。

 

 彼女は絵里ではなかった。
 確かに似てはいるが、絵里ではない。

 

「すみません、人違いです」
 彼女は怪訝に彼を睨み、男の元に近づく。


 

 彼はカウンターでジンジャエールを買い、店の隅に一人立ち尽くし、音を拾った。
 グラスをテーブルに置く。
 誰かの消し損ねた煙草のけむりが目に染みた。

 

 彼はキャメルに火を付けた。
 この地ではじめて煙草を吸った。
 煙草に火を付けることすら忘れていた。
 疲れている。
 キャメルに眩暈を感じた。
 それでも、もう一本キャメルを吸った。


 

 白人と日本人のカップルが入ってきた。
 続いて黒人と日本人のカップルも。
 当然のように女は日本人だ。
 この地でも外人天国は続いている、東京とおなじように。


 

 やはり、女はブスだ。
 彼らの選球眼は我々とは違う。
 きっと、本能的な嗅覚が違うのだろう。
 どこかの外人が日本女性は世界一と言ったとか?
 彼は警察犬にはなれないだろう。
 和夫はこの小屋を後にした。
 

 

 ベネックスのビデオ返却後、他に観たいビデオはない。
 コンビ二に寄り、おにぎりセットとウーロン茶とエヴィアンを買ってホテルに戻った。

 

 彼は寝付けなかった。
 ビデオでも借りればよかったと思い直した。
 TVの深夜放送はゴミ溜だ。
 おにぎりを齧り茶を飲む。
 煙草に火を付ける。
 今日、三本目のキャメルに。

 

 

ホテルの狭い窓から街並みを眺めた。
 おもむろに、彼はパソコンを起動させた。
 この部屋はビジネスだけあって、必要最低限のスペースしか確保されていないが、

 ブロードバンドは装備されている。
 彼はそれをチェックしこのホテルを予約した、インターネットで。


 

 今田さんのFAXと学生のリストを脇に置き、

 周辺の商業高校と商業科のある高校をネットで検索し始めた。
 彼の欲する情報はネット上には一つもなかった。
 

 

 絵里の名前で検索する。
 もちろん、どの検索エンジンにも情報は一つもない。
 絵里を検索するのは何度目だろう。
 べネックスの掲示板を覗いた。
 そこにも、彼女らしきハンドルネームはなかった。


 

 彼はいつしか眠っていた。
 

 

「民主主義、万歳笑わせるな」
 男が一人、リヤカーの上で呟いた。

 

 男は和夫と目が合った。
 和夫はバイトの道具をワゴンに積もうとしている。
 やっと仕事を終え事務所に戻れる。
 慣れない腰の仕事道具もようやく慣れた。
 イグニッション・キーを回し初冬の通りをライトが照らす。

 


 男は自動販売機の前でよろめき、倒れ込んだ。
 和夫は運転席を離れ、男の手を取る。

「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
 男は和夫の顔を見るなり、

「民主主義は、死んだよ。民主主義はな、死んだんだよ」
 男はそのまま、気を失った。

 

 和夫はどうしようかと思案にくれた。
 目の前に今しがた仕事を終えた現場があるのに気づき、そこの監督に男を預けた。


 

「森さん、森さん、しっかりしなよ」
 男の体から酒の臭いが部屋中に漏れた。

 

「この人はね、昔、バリバリの赤だった。
 君も知っている大企業で組合活動の末、レッドパージで追放されて、バタ屋になった。
 君はもういい、疲れたでしょう、帰りなさい。 
 この人のことは私がなんとかする」

 

 和夫は車に戻り、煙草に火を付け一息ついた。
 再びイグニッション・キーを回しテープをセットした。
 絵里が残したエルビスのバラード集だ。
 初冬の東京は5時を過ぎると闇の世界だ。

 

 

 路地から大通りに出る。
 4車線の左から2列目を都心方面に走った。
 金曜の夕方の帝都は、走っては止まり、走っては止まり、の繰り返しだった。

 予定より大幅に遅れ、和夫は駐車場に着いた。
 

 

 シルバーのワゴンをバックで所定の位置に駐め、ドア・ロックを確認し事務所に急ぐ。

「遅かったじゃないか、待ちくたびれたぞ」
「すみません、仕事を終え戻ろうと車に乗り込んだ時、倒れた男の人を見たんです。
 男は篠崎さんに預けてきました。
 それに帰り道が大混みだったので」


 

「これ、先週分の給料、また月曜よろしくな」
 和夫は作業服を私服に着替え事務所を後にした。

 和夫はベースを持ってスタジオに急いだ。
 地下鉄を乗り換え渋谷で降り道玄坂を歩く。
 

 

 坂の中腹を右に曲がりラブホテル街の側のパブの地下に向った。 

 先週、掲示板を通し知り合った3人の男が待っていた。 
 正直に言って冴えない奴らだ。
 ボーカルは和夫が大学5年生であることに驚きを隠さなかった。


 

「俺の周りは大学に言った奴なんて一人もいねえよ。
 大学5年にもなってベースを弾きたいなんて・・・・・」
 和夫は黙っていた。
 和夫はミュージシャン志望である。

 

 自分は天才だと確信していた。
 曲を書いて歌いたかった。
 しかし、仲間が見つからない。
 和夫は一人だ。
 一人で十二分だと。

 

 しかし、和夫は仲間を得た。
 先週ようやく冴えない奴らと。
 今日が2回目のスタジオ入りだ。

 

「ロックンロール・ミュージックをやろう」
 ボーカルの一言で音が弾ける。

 3人はグルだ。

 

 和夫は3人に合わせルートでベースを弾く。
 ベースを弾くのは2度目だ。
 弾きながらハモリを入れた。

 

 一曲終わると、ギターが和夫に、
「ボーカルがやりたいんじゃないの?」
 和夫は黙っていた。
 2曲目は「のっぽのサリー」
 まるで中学生の文化祭の演目だ。
 和夫は黙ってベースを弾き続ける。
 


 2時間で十数曲をやり、スタジオを出て、4人でテーブルを囲んだ。
「今度、新宿でライブをやろう」
 和夫は白けていた。

 このメンツでライブをやっていったいどうする気だ。
 煙草を吸い、キャメルを灰皿に潰し溜息をついた。 


 

 ライブハウスにコネがあるという声が、和夫の耳に微かに入った。

「もう、2,3回ここで練習して、暮れにステージ立とう」
 この時、和夫は思った。
「ここに来るのは終わりだと」
 音楽は、もういい、お仕舞いにしよう。
 


 

和夫はどうにか5年で卒業を果たし、小さな出版社に潜り込んだ。 

あの日以来、音楽さえ聴かない日々が続いていた。
「もう、音楽なんて終わってことだ」
 仕事帰りのワンルームで独り呟く。

 

 

 

6年間住み続けるこの部屋は、無機質で生活感が欠如していた。 

 楽器も、オーディオも、音楽ソフトも、テレビさえも、
 あの日を境に売り払ってしまった。
 が、仕事には毎日通っていた。


 

 4月の入社以来一度の休み、遅刻はない。
 それだけが社内での和夫の評価だった。 
 今年の暮れをどうやって過ごそうか考え始めていた。
 まるで、当てはなかった。
 少ないながらも、ボーナスを手にした。 
 今さら、田舎に帰って親の顔を見るのも気が重い。


 

和夫はこの休みに絵里の故郷・行の飛行機の予約を今、JTBで入れた。
 12月28日に福岡へ向い、1月5日に東京に戻ってくる。
 市内のビジネスホテルに予約を押さえた。

 

 広島から西への旅は初めてのことだ。
 絵里の手掛かりはない、何もない、知らしらない、実家の住所も、電話番号も。

 彼女を知る福岡の友人を和夫は誰一人知らなかった。

 

 絵里が福岡出身という確証は一つもなかった。

 彼女は公立の商業高校卒業後、

東京に出てきた、そう和夫に言ったに過ぎなかったのかもしれない。 

 

 絵里は身分証明書を持たなかった、住民票すら持っていなかった。 

 地方出身者のわりに訛りもなければ、

ファッションから身のこなしまでどこか垢抜けていた。



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