スペクタクル・・・1 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

                         幸田回生


 1

 

 ふと、絵里のことを想った。
 1年間この部屋で過ごした絵里のことを。
 和夫は夢想した。
 絵里との愛の日を。

 

 彼は妄想する。
 彼と彼女の満ちた濃厚な愛の日々を。
 彼女の豊満な体が浮かんだ。
 彼は勃起する。 

 

 絵里は今どこで何をしているのか?
 絵里は3年前に不意に和夫の元にあらわれ、そして蒸気の渦のような雫だけが残った。
 和夫は絵里をレンタルビデオ店で何度か見かけていた。
 絵里は『ベティ・ブルー』を借りている。

 

「ジャン・ジャック・べネックスが好きなんですか?」
「まあ、一度、映画で観て」
「僕も彼を好きなんですよ、よかったら今度、彼の映画でもご一緒に」
 和夫と絵里は、その日、彼の部屋で関係を持った。
 それから絵里が忽然と姿を消すあの日まで毎日愛し合った。
 

 

 羽田を8時前に離陸した時は快晴だった。
 気象状況を伝えるアナウンスが聴こえる。

「午前9時の福岡の気象情報をお伝えします。
 現地は雪が降り続き視界が悪く着陸の際、多少の揺れを生じることがありますので、シートベルトの再確認をお願いします」
 

 

 和夫は俄かに信じられなかった。
 東京が快晴で福岡に雪が降るなんて。
 昨夜の天気予報はおおきくはずれた。
 上空から見下ろす、暮れの福岡の街は幻想な銀世界だ。

 

 9時半の福岡空港の滑走路には一面、雪が降り積もっている、タイヤ跡を残して。
 それでも、和夫は無事に福岡の地を踏んだ。

 

 飛行機を降り荷物を受け取り、エスカレーターで地下鉄の空港駅を目指す。
 真新しい車両で市中心部に向かい地上にでた。
 雪は降り止んでいる。
 歩道の残り雪に足を取られ1度転んでしまった。
 この冬、東京に雪は降らない。

 

 高校卒業と同時に、冬の季節を田舎で過ごすことのなかった和夫にとって、この雪は彼を感傷の世界へと導いた。
 目指すホテルはすぐに見つかった。
 チェック・インには早すぎフロントに手荷物を預け、タクシーを拾い天神に向った。

 

 雪は消えていた。

 地下街のカフェで、地元紙を飛ばし読む。
 時代遅れのユーロビートと、若い女性たちの博多弁らしき言葉が耳に入る。
 この街でどうやって絵里を見つけよう。

 

 和夫は絵里の写真に見入った。
 彼と彼女の写真に見入っている。
 絵里の手掛かりは何もない。何一つ。

 

シュガーも、ミルクもない、コーヒーを右手で唇に運んだ。 
 一口飲んで、ソーサーに戻す。
 パンを抓み、また、コーヒーを唇に。
 レタスのドレッシングが口に残り、コーヒーを。
 

 地下街を歩き、地上に出て映画館に入った。
 他に行く当てがなかったからだ。
 正月映画のハリウッド映画を観た。
 SFX大作というふれこみだったが、中身はゼロだった。

 

 金は掛かっている、しかし、それだけだ。
 ホテルに戻り手荷物を受け取り部屋に入る。
 ベッドでしばらく仮眠した。
 

 目が覚めて、陽が暮れたことを知った。
 カーテンの隙間からの灯りは人工色だ。
 ぬるいバスタブに長く浸かった。
 バスローブの紐をたぐる。
 ホテルサービスの夕刊紙を広げた。
 
 


 彼は部屋をでた。
 あいにくホテル周辺はビジネス街で、年末年始のこの時期、人は疎らで手頃のレストランは見当たらない。
 ホテルに夕食の用意はない。
 彼はあてなく歩いた。
 中洲に足を踏み入れる。

 

 あまり酒を飲まない和夫にとって、ここが噂の歓楽街という以外、 感慨はない、さして風俗に興味もない。

 彼は大通りから路地の洋食屋に入る。
 ジャスミン・ティーを飲み、ハンバーグ定食を待った。

 

 彼はこの街と東京の違いが解からなかった。
 わずか半日の滞在であるが、言葉の違いの除けば、まるで同じ街のように感じられる。
 料理半分残し、あまり足を向けないパブのドアを開く。

 

 アイリッシュ・パブだった。
 ギネスを注文し、久しぶりにビールに酔った。
 ポーグスのクリスマス・ソングが掛かっている。
 懐かしい。
 追憶に浸った。

 

 2杯目のギネスを受け取り、外人で溢れる店の奥でTVモニターに見入る。
 絵里と、こういうパブに何度か足を運んだ。
 絵里はアイリッシュが好きだったな。
 

 

 パブから、レンタルビデオ店に入る。
 絵里と出合った、ジャン・ジャック・べネックスのDVD・BOXを眺める。
 ホテルにDVDはなかった。
 べネックスのビデオを3本借りた。


 

 ホテルに戻り、『ディーバ』を観た。
 女神がうたう、郵便配達のために。
 女神のうたは博多まで届くだろうか。
 この日、はじめて疲労が襲った、和夫の体に。


 

 目覚めると、リモコンでTVをONにしてエヴィアンを二口飲んだ。
 用を足し、エレベーターで1Fに降り、簡易レストランで軽く朝食を摂る。
 サービスの朝刊紙を部屋で広げた、昨日の夕方のように。
 この日も、和夫に当てはなかった。
 

 

 べネックスのビデオ、『溝の中の月』を観た。
 学生街の映画館で観て以来だ、もちろん、絵里と二人で。
 あの時のように、混濁していた。
 スクリーンがTVモニターに代わり、幻想のような映像が脳裏を掠めた。


 

 和夫はキーをフロントに渡し、中洲を通り天神まで歩いた。 
 デパートの脇の道を抜けると、CDショップを見つけ店内を覗いた。
 そこで30分ほど時間を潰す。

 

 階段を下りる途中、写真の個展が開催されているのに気づいた。 

 地元の写真家のものらしい。
 彼は足を踏み入れた。
 近未来をテーマにした写真展は、無機質で乾いていた。
 約30作の作品どれもが、人間の存在を感じさせなかった。
 

 

 この街で、この作品が受け入れられるのだろうか。
 今日が最終日ということもあり、作者自ら知人や関係者に対応していた。
 まだ若い写真家だ。
 長身で人当たりが良く上手くスーツを着こなしていた。
 和夫は写真集を手に取り、代金を払った。
 そして、写真家にサインを貰う。


 

「地元でこういう写真を取られているのですか?」
「ええ、東京や海外にも出かけますが」


 

「わたしは、昨日、東京から来ました。CDショップに寄り、見かけたものですから」
「帰省で?」

 

「いいえ、正月休みをこちらで過ごそうと思って」
「ご家族と?」

「いいえ、一人です。ある女性を捜しているんです」
「恋人ですか?」


 

「まあ、そんなところです」
「当てはあるんですか?」

 

「何もありません。絵里という名前でこの地元の公立商業高校を卒業したという以外」
「わたしは大学で教えていますから、なかには商業高校出身者もいます。
 でも、今、大学は休みです。
 ホテルにお泊りですか?」

「ええ」
「ホテルにFAXで周辺の商業高校のリストをお送りしますよ」
 和夫はホテルの名前、TEL、FAXナンバーのをメモを渡すと、写真家は名刺を差し出す。
 
 

 

当てはなかった。
 和夫は会場を後に、バスで彼の大学へ向った。
 それ以外、彼に行く場所はなかったのである。
 

 学生街は閑散としていた。
 暮れも迫った、12月29日、残っている学生は皆無だろう。

 和夫はキャンパスを歩いた。
 体育会の学生を数人見かける。
 彼らに付いて学内のカフェに入った。
 会話に耳を傾ける。
 この時期当然のように学食は閉鎖されていて唯一このカフェが今日まで営業しているそうだ。

 

 

彼はランチを食べ終え、コーヒーを待った。

「院生ですか、それとも職員ですか?」
 5,6名の学生の一人が和夫に声を掛けた。

「まったくの部外者です。天神でこの大学の先生の写真展を観て、 大学に来てみました」

 

「そうですか、見かけない顔なので」
「あなたたちのなかで、商業高校出身の人はいませんか?」

 

「僕は商業科の出身ですよ、商業高校ではありませんが、
 どうしてです?」

 

「わたしは、地元の商業高校出身の女性を捜しているんです。
 絵里という名前ですが。
 あなたがたより、2つ,3つは年上だと思います」

 

「商業高校出身者ならこの大学にはかなりいますよ。
 実業系の大学ですし、商学部や体育会を当たってみればどうですか?」
「でも、今、大学は休みに入っているでしょう?」

 

「まあ、そうですが」
「あなたたちはアメフトをやっているんですよね?」
「ええ、弱くて同好会に毛の生えたようなものですよ。
 よかったら、観に来られません、福岡ドームでやるんです。
 チケットならここにあります」

「いつです?」
「1月6日です」
「残念です。1月5日までしか、福岡に滞在しないもので」

 

 

和夫はその商業科出身の学生に周辺の商業高校と商業科のある高校のリストを箇条書きにしてもらって、彼らと別れた。



 

 ホテルのフロントで名前を告げ、キーを受ける際、和夫宛にFAXが届いていた。
 あの写真家からのFAXである。
 彼は部屋で、写真家に電話を入れた。
 留守電だった。

 

『個展でお会いした安田和夫です。
 ホテルにFAXが届いていました。ありがとうございます。
 お手数をかけて申しわけありませんでした』
 手短に礼を述べると電話を置いた。

 

 和夫はFAXと学生にもらったリストを見合わせる。
 FAXのほうがより詳細に高校名が記されていた。
 過去10年間この大学に進学した商業高校、商業系の高校のリストがすべて記載されていた。
 その数、ざっと30校は下らない。
 これを全て当たっていては一ヶ月以上がかかるだろう。


 

 彼は部屋からもう一度、個展に向った。
 閉展に1時間足らずとあって、狭い会場は人と熱気で満ち溢れていた。 
 どうにか、和夫は写真家に声を掛けた。 

 

「FAXありがとうございます」
「どういたしまして。あれでお役にたてますか?
 本を買っていただいた御礼に打ち上げに来られません?
 この近くの店を用意してあります」

「わたしが伺っても構いませんか」
「ええ、ご遠慮なく」

 

 和夫は会場整理を手伝い、彼の打ち上げに同行した。

 この街の若者文化の発祥地と言われる一角の洋風居酒屋だった。 写真家を囲み約10名の学生がその場を盛り上げる。

 和夫はこういった席が苦手だ。
 しかし、彼は同行したのである。
 絵里の情報を仕入れたいがために。



 

 写真家が学生に和夫を紹介した。
「こちらは今日の個展に来ていただいた、東京の・・・・・」

 

「安田と申します」
「そう、安田さんでしたね、今日が初対面なもので。
 安田さんはある女性を捜されているんでしたよね」

 

「絵里という名前で、福岡の公立の商業高校を卒業している女性です。
 しかし、それは定かではないんです。
 彼女がそう言ったに過ぎないのかもしれません。

 彼女は1年ほど東京で僕と暮らしていましたが、

3年前に突然、 僕の前から、消えました。
 この冬休みを利用して彼女の行き先を探してみようと思い、

 昨日、福岡にやって来ました。
 今日、先生の個展を観て、その後、大学に行きました。

 キャンパス内のカフェでアメフトの学生に会い、その一人に、
 周辺の商業高校と商業系のある高校のリストをもらい、
 

ホテルに戻ると先生から、さらに詳しいFAXが届いていました」

 

「安田さん、先生は止してください。学生にも今田で通していますから」
「わかりました」

「安田さんでしたよね。
 3年前の逃げた女を捜してどうするです? 
 そんなの今時流行らないですよ。
 それとも、東京ではそういうのが流行っているんですか?」

 

 ある学生の質問に、彼は返事に困った。

 言われる通りである。
 誰が考えても、客観的に考えれば考えるほど、学生の言うことが尤もなのだ。


 

「わたしは、元彼に追っかけられたいな」
「あなたはやっぱり、変わってるわね」
「そうかな、女冥利に尽きるじゃない」
 和夫に突っ込んだ学生が2杯目のビールのジョッキを空けた。

 

「安田さん、飲んでくださいよ。
 ここは九州ですよ。
 東京の人はこれだから、女に逃げられるんです」


 

「僕は関東の田舎の出身です、東京ではありません」
「でも、今、東京に住んでいるんでしょう。だったら東京人ですよ」「そうですかね?」

 

「そうですよ。九州の女はね、安田さんのようにはっきりしない男が嫌いなんです」
「今日の主役は僕ではなく、先生ですよね。
 話題を先生に代えてもらえませんか?」

「今日の主役は安田さんでいいですよ。
 東京から逃げた女を捜す間抜けな男はいい酒のつまみになりますから」
「おい、田中失礼だぞ」

「わかりました。話題を今田さんの写真にしましょう」

 和夫は話の聞き役に回った。

 

 

今田という写真家が和夫と同じ北関東の出身で、ある賞を取り、この大学に招かれたこと。
 今田がそれほど、大学に固執してないことなど。
 聞き役に回った分、絵里に結びつく情報は何もなかった。 
 この席に商業高校ならびに商業系の高校出身者がいなかったからだ。
 それはそうかもしれない。
 アートと商業は結びつかないのかも。

 

 この席の終わりに、和夫はホテルで、ジャン・ジャック・べネックスのビデオを観ていると、口を滑らせた。


 

「安田さん、ジャン・ジャック・べネックスが好きなんですか、
 まるでアーティストですね」
「絵里も彼が好きでしたよ」
「そうでしたか」
 今田さんの言葉がこの夜をしめた。



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