ブログNO.111 三カ月間さぼっていました。すみません。 | うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」

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ブログNO.111

三カ月間さぼっていました。すみません。


 4月初めにブログを書いたが、その後3か月、何も書かなかった。このブログが100回を超え、挨拶文を新しくして少々だが読者の便宜を図ったので、ちょっと一段落という気持ちになったのだ。読者の方にはこれまでに報告した様々なデータを読み直し、頭に入れてほしいという気持ちもあった。

 そんな中、5月下旬のある日、たまたまブログを開いた。長い事何も書かなかったから読者も減って一日230人のアクセスがあるぐらいかもしれないと思っていた。

 ところがアクセス数を見てびっくりした。なんとその前日は1000件を超えるアクセスがあったことがわかった。びっくり仰天、とはこのことだ。その近辺の日も連日700件を超えるアクセスを記録していた。

 びっくり、と同時にこんなうれしい事はない。多分読者が友人知人に小生のブログを読んでみるよう勧めていただいた結果だろう。読者に感謝したい。有難いことだ。

 故古田武彦氏が扉をこじ開けた「真実の古代史解明」への道は、多くの国史学者や考古学関係者の「常識」に真っ向から挑戦することでもあった[t1] 。先生が扉を開いてから、もう50年近い年月が経とうとしている。

小生らは、古田氏が開いた扉はすばらしい、と感じ、その中を調べ、そこにどんな事実が横たわっているのかを調べてみようと思った。やり始めてもうかれこれ40年近く前になる。

扉の中を覗いてみると、何とそこは現在教科書などで教えられていた世界とはまったく別世界だった。「ただの野蛮人」と思わされていた熊曾於(熊襲)は、実は様々な当時の最新技術に通暁し、列島の天皇をも生んだ人々であったし、紀氏も熊曾於族と同様、紀元前、中国の沿海部から渡来してきた人々で、これまた長年にわたって列島を支配する勢力にまで成長していた。古田先生もびっくりだろう。

同じ渡来人である海人(天)族はそれ以前から、東南アジアの各所から渡来し、日本人の生活基盤を形作っていた。大きな勢力を作り、この人たちも紀氏、熊曾於族と激しい攻防を繰り返し、天皇位にも着いた。『日本書紀』や『古事記』が語るようなうすっぺらなウソ話ではなく、各氏族が欲望のままに、激しく栄枯盛衰を繰り返していたらしいことがわかってきた。多くの人間ドラマが繰り広げられたたことだろう。

列島は至る所火山だらけだ。鉄や銅、金、銀、錫など多彩な鉱物資源の宝庫になった。読者の方は一度お調べになったらいい。銅を例にとると昭和の時代に銅鉱山は列島で4000か所もあった。鉄は火山の近くや海岸に厭になるほどどっさり堆積している。

鉄や銅など鉱物の発見、加工に関する知識を持った熊曾於族や紀氏が逃亡、渡来してきた。彼らは鉱物の露頭を見つけ、この資源を利用しないことはない。いち早く鉄を手に入れ、智慧を絞って加工した連中が権力を握ったのだ。昔から「鉄は国家なり」は変わらない。

考古学研究者の多くが日本の鉱物資源の豊富さに気付くこともなく、鉄と言えば朝鮮半島にしかないと思い込まされ、朝鮮人研究者らの口車に乗って「日本文化=朝鮮文化」論を言い立てている。もう40年近い前のことではあるが、「列島は朝鮮三国の分国であった」などという論が一世を風靡したこともあった。筆者も「ええ~?」と思いつつそんなこともあるのかなと思わされたものだ。事実は逆に近い状況だった。

列島の古代史はまず8世紀、藤原不比等らによって偽られ、明治政府によって偽りはより強固にされたことがわかってきた。

学者の中には自らの主張が否定されることを恐れて、遺跡、遺物を改変したり隠したりして「証拠」をでっちあげたり、客観的歴史資料である外国史書の内容を偽って市民に告げるなどとんでもない連中も出現している。このことはこのブログをお読みになっている方はもうご存知のことだ。こうして市民を騙しておかし気な話しがでっち上げられ、教えられている。

古代の真実を探るには数多くの客観性のある文献資料、確実な考古学的証拠、人類学や民俗学など様々な研究成果に目配りし、頼らなければならない。一人の能力や努力でできるものではない。さらに通説派に媚び、理化学を装ったいかがわしい論も少ないがある。

そういうこともあって多くの人々の認識はまだまだ事実とは程遠い状態である。「常識」を壊し、覆すことがいかに難しいことか、しみじみ感じる昨近だ。

 古代史に興味を持てない人も多くいる。直接今の生活である経済とか政治に関係しないし、それをどうこうすることではないから仕方がない。でも市民のアイデンティティとか国の行方を左右するすごく大事な事なのだ。「温故知新」という古人のことわざを持ち出すまでもない。人間なんだから猿よりもうちょっとましな存在になりませんか、とそんな人たちに提案したい。

小生のブログの読者が増えているというのは、その辺のところを認識している人や、権力というのはウソでもつかなくてはやっていけない難しいものだということをちゃんとわかっている人が結構多いということだろう。

 書いていて「いいね」を押していただいた方もワンフレーズに20人超、と結構多い。が、それより申し訳ない、と思ったのは「コメント」を寄せていただいた方が結構多かったのを‶発見〟した時だ。

「コメント一覧」のところをクリックすれば見れたのに、これまで気付かなかった。デジタル世代の方々には信じられないことかもしれないが、アナログ世代の悲しさだ。「返信」欄もあるので押してみたが何やらさっぱりわからないことを書きいれるように言ってきた。またの機会に勉強し、そのうち「返信」も書けるようにしたい。ひとまず「すみません」と申し上げます。これからまたぼちぼち書きます。    (2019年7月)