ブログNO.214
「冤罪(えんざい)」はなくなるか
「古代史の問題」と繋がる問題だ
この5月15日、政府は「刑事訴訟法の再審条項を改正する」閣議決定をした。戦後になって多くの再審要求がなされた。が、なかには再審の開始を申請してから裁判になるまで二十年、とか三十年とかめちゃめちゃ長くかかった。「我々の決定は間違っていない。再審は認めたくない」という検察側の「抗告」が壁になっていたからだった。
しかし、実際再審の裁判が開かれるや、すぐに検察側の「抗告」が誤っていたことが明らかになっていった。多くの場合従来からの「自供」の重視、「証拠の隠滅」や「証拠でっちあげ」が行われていたことが次々明らかになっていった。
警察や検察を構成する多くの人々の多くは、自らの勤めに対する厳しい取り組みを続けていることはわかる。だが、全員がそうかというと、そんなことは決してない。「手柄」を焦ったり、「出世」に目がくらみ、事件を早く済ませようという欲望に負ける者も当然だが出てくる。
人間のやることだから、ある程度は仕方がない。が、自白だけを頼りにしたり、「証拠」をでっちあげられて罪をかぶされ、一生を監獄で過ごさなければならなくなった人にとっては、正しく地獄である。こんな悲劇はこれ以上のものはない。
監獄の小部屋で毎日、何十年も悶々と苦しみ、罪なくして殺される身にとっては、この世の恐ろしさ、理不尽さにどう抵抗していけばよいのか、その方法さえ奪われる。そのことに対して、その恐ろしさ、怒りはいかばかりか。想像もできない。
その恐ろしさと怒りを解き放つ唯一の手段が「再審要求」だった。それを阻んできたのが「検察の抗告」だ。閣議決定は、こうした「自分たちがやったことは間違いない」という検察幹部のおごりや保身を認めなくするものだ。
自民党のこの件を討論する部会で、数少ないながら必死で「抗告の廃止」を訴え、頑張った女性議員らの奮闘が実を結んだのだろう。よかった。彼女らの奮闘がなかったら、「抗告は絶対必要」という検察官僚の主張がそのまま承認、温存されるところだった。
ところで、筆者らは長年、一般への「真実の古代史」の認知について戦ってきた。「ウソの歴史はやがて、一般の人々へ必ず言ってよいほど、とてつもない災厄をもたらす」からだ。何回も言っているように、第二次世界大戦で一般の人々が被った災厄はとてつもないほどだった。
赤紙(召集令状)一枚で戦地に駆り出され、支援もないままに海外の戦地に送られた。敵の攻撃やマラリヤなどに侵されて飢え、あげく死んでほおられ、ボロ布同様、死体を野にさらされた。遺体を待つ遺族には、死んだことが伝えられただけだった。
内地では、市民と兵隊の区別なしに爆弾を投げつけられて逃げまどい、川に飛び込んで死んだ。原爆の被害は一挙に数十万人の命を奪った。
こんな恐ろしい災厄を可能にしたのが、国史学者らが推し進めた「神話教育」と、いかがわしい「大和政権一元論」だった。一人の人間だった天皇を「神様」とし、世界のどの国の歴史にも存在しない「ひとつの政権が何千年も君臨した」という「大嘘教育」だ。これをバックボーンに、市民を騙し、協力させることに成功した。
『日本書紀』と『古事記』、この二つの史書は「大和(だいわ)政権」という701年に発足した新しい政権が誕生して作った「客観性のない」史書だ。『古事記』は割と正直に自らの歴史を綴っているが、『日本書紀』の内容は多くのウソを含んでいる。
「大嘘教育」は『日本書紀』や『古事記』に対する徹底した「検証」をせずに、今も堂々と続いている。「大和政権一元論」だ。国史学界だけでなく、「歴史の証人」を明らかにする考古学界、さらに朝日新聞など不勉強でなるマスコミまで巻き込み、ごまかしながら衆を頼んで強力に主張を繰り返している。その影響は深く庶民にまで浸透している。
偽られた歴史、とりわけ古代史の真実を明らかにしない限り、いかがわしい人たちはまたまた結託し、市民への災厄は再び復活するだろう。
「自供重視」「証拠の捏造」という客観性のない「抗告の廃止」という再審制度改正と、「自供史書重視」という古代史の現状はよく似ている。根っこはおなじだ。
筆者はこれまで、多くの先輩、同僚の助けを受けて、古代史の真実を求める様々な本を書いてきた。この四月に発刊した『「神話」を科学する』はそのまとめとも言える。ぜひ皆さんに読んでほしい。さらにお知り合いの人々にも読むように進めてほしい。
日本列島には、東南アジアや中国、さらに北方の沿海州などから多くの人々がやって来た。そして多くの「権力」を生んだ。そのなかでもっとも大事な交通路は黒潮だ。竹いかだや船は、苦しみから逃れ、新天地に夢を託した人々を続々と運んできた。そのことを明らかにできた。まだまだ端緒を明らかにした程度の段階だが、方向性は示すことができた。
本を読んでいただいた方のなかからは、「目からうろこが取れた。有難う」との言葉も多くいただいた。「古代史」は決して「古いだけの話」でない。まさに「現代、そして未来を切り開くための話」であることをわかってほしい。(2026年5月)
