ブログNO.110 好評の新元号「令和」 西暦使うには邪魔な存在だが・・・ | うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」

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ブログNO.110

好評の新元号「令和」

西暦使うには邪魔な存在だが・・・

 


平成天皇の退位によって20195月から新年号「令和」が施行されることが決まった。41日の発表でマスコミ各社は号外や特集で紙面を飾った。小生は、「平成」年号の発表の時は何となく違和感を感じたものだ。「平」は親しみやすさを感じる字だが、なんとなく品格を感じなかったからだ。

110-1 しかし、今回は何かしらすっきりした印象があってまずまずの元号だなあと思った。テレビの取材に応じた瀬戸内寂聴さんは「ら、り、る、れ、ろなどラ行の音はすっきりした印象を与える」と話していた。小生はわからないが、あるいはそうなのかもしれない。

何より万葉集の歌詞から採ったという発表には「すばらしい」と思ったものだ。しかし、マスコミ各社が引っ張りだこで談話を掲載していた「年号研究家」という所(ところ)功は「日本書紀から採られればよかった」などととんでもない所感を述べていた。

このブログを読んでいただいている読者はもう十分知っていることだが、『日本書紀』はウソ満載の、というか、事実を捻じ曲げ、事実を隠して記述した客観性ゼロの「史書」だ。こんないかがわしい「史書」から元号が採られたことを諸外国が知ったら、きっと「日本という国はウソ好きで、うそで固めた国なんだろう」と思われるに違いない。

その後「中華思想」丸出しの中国はやっきになって古典を調べあげ、また、政府の発表が本当なのか疑問を持った日本の中国文学研究者らは、6世紀の『文選』という中国古代の漢詩集などに「仲春月 時に気清し」などという表現があることを見つけ、「やはり中国文化の流れの中にある」とうれしそうに発表した。

だからと言って政府の「万葉集の詩句から採った」という言い方は間違いではなかろう。そういう感じ方が中国人にもあり、表現としては8世紀にまとめられたと考えられている『万葉集』より古かった疑いが濃いということだろう。

とはいえ小生もそうだが、歴史事実を考えたり述べたりする時ときはほとんどまず西暦を使う。人の年齢を数えるときもそうだ。西暦を使わないと世界全体との関連が分かりにくいし、年齢も数えにくい。

伝統は伝統として残してもいいが、普段の生活にはあまり意識しないようにしたい。

 

それはそうとして、一番気になったのはこの元号発表時のマスコミの対応である。相変わらず、ウソ丸出しの記事を作り、放送して市民をだまし続けている。

まずNHKだ。コメンテーターとして例の所功と東京大学史料編纂所の本郷和人を選んで話をさせていた。

所は名古屋大学文学部の出身で、皇學館大學の助手から教授になり、1981年から京都産業大学の教授、名誉教授であるという。この間、文部省の教科書調査官や公益財団法人・モラロジー研究所の研究センター研究主幹、靖国神社崇敬者代表などを務めているという(注1)。著書に「年号の歴史」(雄山閣)などがあり、年号や皇室の研究者であるということになっている。

以前「年号」についての著書なども読んでみたが、先輩の年号研究家・久保常晴の研究内容を丸ごと写しとり、新しい独自の研究は全くないひどい代物であった。雄山閣ともあろう一流の研究書出版社がなぜこんなものを出版したのか怪訝(けげん)に思ったものだ。

もちろん、『日本書紀』以外の数十冊の史書に記載されている「九州年号」についても、新しく調査をすることもなく、久保の研究を賛美し、証拠もなく「鎌倉時代に想像された私年号」説を繰り返しているだけであった。

彼にとって『日本書紀』だけが歴史事実を綴った「正史」であり、『日本書紀』の記述に反する記述をした他の「史書群」はすべて「偽書」なのだ。しかし戦後の考古学の進展などによってこの考えは全く逆であることが判明してきている。文部省の教科書調査官もやっていたというから、教科書がウソだらけの歴史を教えることになっても仕方がないことだ。

『日本書紀』は自らの歴史を日本の歴史であるとして描いた客観性ゼロの「史書」だから当然だ。その内容を事実としてとらえるためには厳しい検証と物証が必要なのだ。中国の正史などもひとつの権力が滅びた後、客観的な視線でそのことを著述している。

何回も言っているように客観性のない「自白」を事実としてとらえて罪を裁くことがいかに危険な事か。罪のない人に「殺人者」の汚名を着せ、その一生を監獄で送らせるという恐ろしい「冤罪」が多発している。

所の主張はこの「検証」などまったくせず、「物証」もないでたらめな主張であることは、当ブログを読んでおられる方々はすでによくご存じだろう。

事実として認められるのは、大筋で次のような事だ。

522年、福岡県朝倉に都した「継体天皇」は我が国で初めての年号「善記」を建元し、引き続き「正和」「教倒」を建てた。その後継体を引き継いだ九州政権の天皇が「僧要」「師安」・・・「白鳳」「朱雀」「朱鳥」「大化」など約30個の年号を営々と建て続けた。最後の年号は「大長」という。

この年号群は「九州年号」と呼ばれている年号群である。701年、「大和政権」が「九州倭政権」から列島の支配権を奪い「大宝」という年号を建てた。

所らの主張を採用してほとんどのマスコミは「日本の年号の開始は『大化』からであり、年号としては248番目である」などと書いている。もちろん大ウソででたらめだ。その背後に市民をだまし続ける恐ろしい歴史隠しがあることも知らないのだろう。あるいは知っていながら無視しているのかもしれない。恐ろしい事だ。

もう一人のコメンテーター、東京大学史料編纂所教授という本郷についてはどうなのか。この男もウソを平然とのたまうとんでもない「教授」である。

当ブログNO.104「NHKアーカイブス」をお読みいただきたい。視聴者は中国の文献など絶対に読まないだろうと高をくくり、事実でないことを事実であるかのようにしゃべりまくっている。

この時の本郷については「教授H」と名前を明らかにすることは遠慮したが、これほどいかさまをしゃべり、反省もない男は許せるものではなかろう。今回は実名にした。

ウソをついて人をだまし、報酬を得るものを世間では「詐欺師」と呼ぶ。所にしろ本郷にしろ、事実を知りたいという市民の負託を裏切り、ウソの歴史を市民に伝えて報酬を得ている。とんでもない「詐欺師たちである」と言えないか。広く市民全てを対象にしている点、高齢者だけをねらう「おれおれ詐欺師」たちより罪は重い。

所をコメンテーターとして採用しているのは放送だけではない。朝日、読売、など大手新聞もそうであった。産経はなぜか所を採用していない。日本のいかがわしい古代史の問題をあるいは知っているのかもしれない。地方紙はこの手の全国ニュースは共同通信や時事通信などの配信をほぼそのまま掲載するから、各新聞社によほどしっかりした知識と見識をもった記者がいない限り掲載しないということにはならない。

「読売」や「朝日」にはこれまでに何回か注意を喚起しているが、全く変わることがない。相変わらずの「いかさま報道」を続けている。

読売には去年、大阪本社の編集局にデータを送ったが、東京には伝わっていないのだろう。ただ「読売」は以前、近畿各地の前方後円墳などに九州製の石棺が多数納められていることに関してかなり詳細な報道をし、「前方後円墳=大和政権の墳墓」説に一定の疑問も報道したことがある。

「朝日」はこの部面でもまったくだめである。「大学教授」など肩書のある人間の言は本当であろうとウソであろうと、事実として報道する。社内でも往々民間の真っ当な意見を記事にしようとしても、「教授」が反対すればボツにする。でたらめでいい加減な説を強弁しようとする「知識人」や「教授」にとっては強い味方だ。

以前、縄文時代の石器をはるか以前の旧石器時代の物だと偽って、多くの遺跡に埋めていた事件があった。通報を受けた「毎日」は慎重な調査をして事実を暴露した。「朝日」は「毎日」以前に通報を受けていたのにほっかむりを続けた。通報した人が有名な「教授」ではなかったためだと言われている。

「朝日」は一時800万部を超える部数と名声を獲得していた。現在でも500万部を超える部数を持っているという。しかし、慰安婦や徴用工問題などに関する報道ぶりと言い、まともな新聞とは思えない。傲慢と無知ぶりが目立つ。以前、記者として30数年務めたことが恥ずかしくて人に言えない状態だ。小生が知る「朝日人」は限られた人々だがまともな人間が多いのに、どうしたことだろうか。

1 「ウィキペディア」の記述から    (2019年4月)