<築堤や橋が残る>
日本専売公社徳島工場専用線(引込線)と言えば、小松島市の中田駅の方が有名かも知れないが、徳島県三好市池田町の引込線運用は中田駅の方の引込線の運用開始の翌年、昭和26年2月1日に開始された。
阿波池田の日本専売公社徳島工場の前身は、明治38年に設置された徳島地方専売局池田出張所で、現在、日本たばこ産業徳島営業所がある場所。工場が昭和期に現在、「フレスコ阿波池田」や四国交通のある場所に新設され、全長912mの引込線が使用されるようになった。
工場の位置的に貨車は、天真醤油の西側でスイッチバックしていたようだが、天真醤油も現在地に工場を建設後、そのスイッチバック付近から工場に延長57mの引込線を敷設し、昭和33年11月15日、使用を開始した。
但し、日本専売公社引込線の廃止年は詳らかではない。天真醤油は昭和50年代半ばにトラック輸送に切り替えている。
日本専売公社徳島工場は日本たばこ産業徳島工場になった後、平成17年に閉鎖され、営業所のみ残る形になった。
日本専売公社の廃線跡は、スイッチバック地点の西側の踏切跡(上図)から工場跡まで、アスファルト舗装の小径となって残っている。
探訪時、当方は車をその踏切跡南方から山手に上がる道路の路肩に駐車したが、休日は市役所の駐車場が便利だったかも知れない。
当方の探訪起点は、その道路沿いにある杉原神社。この境内からは廃線跡をほぼ一望できるからである。また、神社の石段からは、廃線跡の踏切跡の南方にある現行の踏切付近を通過する土讃線の列車を撮ることもできる。
踏切跡には車止めのチェーンが設置されているが、市道を挟んだ向かいは天真醤油引込線の踏切跡で、短いコンクリート橋が車道の橋として利用されている。
廃線跡はすぐ築堤となり、北方や南方の山並みを望むことができる。ほどなくコンクリート護岸の弥十柳川に架かるコンクリート橋に到る。これも引込線遺構。橋の下に降りることもできる。
その先で道路を横断し、舗装道のまま廃線跡はフレスコ阿波池田の敷地へと入っている。公共トイレは四国交通前にある。
この後、祖谷に移動して観光客皆無の滝を探訪したのだが、機会があればまた記事をアップしたい。
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