次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。

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<日本初の宇宙人撮影や首すげ替え事件>

介良事件(小型UFO捕獲事件)を初め、中四国では昭和40年代後期から50年代前期、特異なUFO事件が起きている。現在でも特異とは言えないが、UFO目撃は続いている。

 

(1) 宇宙アンドロイド首すげ替え事件(岡山県玉野市)

昭和49年9月3日5時頃、静岡市在住のトラック・ドライバー、福田氏は静岡から岡山県の宇野港へ向けて家具を配送するため、玉野市の国道30号を走行していた。

天狗山登山口近くまできた時、左手前方の岩山にUFOが着陸し、福田氏は天狗山登山口広場に吸い寄せられるようにトラックを移動し、記憶が途絶えた。

意識が戻ると助手席に髪の長い宇宙アンドロイド(下の絵は福田氏本人による)が座っていて、頭の調子が悪いから交換してほしい、と、スペアの頭を福田氏に手渡した。

福田氏は意識を操られ、アンドロイドの指示するまま、頭を交換した。その後また記憶が途切れ、気が付くと宇野港に到着していた。この間、約20分。

 

(2)日本初の宇宙人撮影事件(愛媛県四国中央市)

川之江在住のカメラマン、塩田氏は昭和45年8月から、橘丘(消滅=下の写真が跡地)や川之江城模擬天守が建つ前の城山で度々UFOを目撃するようになった。

その後、橘丘は崩され始め、その土砂は西新町埋立地に使用されていたが、自宅からも近いことから、塩田氏も埋立地に行くことがあった。そんな折の昭和49年、塩田氏は埋立地付近で謎の発光体を目撃する。

それから頻繁に埋立地に通うようになった塩田氏は昭和50年5月3日、21時過ぎ、埋立地で、地上2mほどの所を浮遊する、発光の宇宙人を目撃、以後、何度もそれは出現した。

そして5月31日23時過ぎ、埋立地北東隅付近(上の写真)で放電現象が起き、オレンジの光に包まれた宇宙人が空中に出現、地上30cmほどまで降下すると、浮遊したまま、10mほど移動して消えた。

同年7月24日には小型UFOが燃えながら城山周辺に墜落。翌朝、現地を探すと介良事件のUFOの底部の一部に似た残骸を発見、持ち帰った。

 

(3)UFO拉致事件(香川県高松市)

昭和54年10月1日23時頃、高松市亀水町在住(平成期に転居したが、家屋は現存)の高橋氏が庭で星空を眺めていると突然、紅峰北西鞍部上空にUFO が出現し、高橋氏宅に近寄ってきた。

UFOは高橋氏の頭上に移動すると、光を浴びせ、高橋氏を吸い上げた。気が付くと彼はUFO内のベッドに固定され、各種検査をされる。

検査が一通り終わり、ベッドから解放されると大人の宇宙人7人、子供の宇宙人3人、宇宙犬一匹がいた。犬は高橋氏に近寄っていくと倒れて死んだ。高橋氏の吐く二酸化炭素によるものだという。

その後、大人の宇宙人に「君はもう帰りなさい。」と言われ、気が付くと自宅の庭に戻っていた。

 

(4)UFO接近事件(愛媛県西予市と高知県梼原町界)

令和元年、松木氏は四国カルストの一角、源氏ヶ駄馬の地名板の建つ広場にテントを張り、天体観測のため、タイムラプス撮影を行っていた。この撮影法は、定点カメラ(静止画)で一定時間毎に自動的にシャッターが下りるもので、静止画を繋げると早送りの動画のようになる。

松木氏が翌朝、カメラを確認すると途中から星々に混じって奇妙な光跡を辿る光体が写っていた。撮影は20秒間隔に設定していたが、その次の静止画ではその光体の光が画面いっぱいに広がっていた。

つまり、20秒後にはその光体がカメラのすぐ上まで移動していた、ということ。戦闘機でも不可能な速度である。そのことから、光跡はUFOの航跡であることが分かる。

 

以上の四件は場所がピンポイントで特定されたもの。(3)の場所は当時の住宅地図で調べた。他にもS市の高校での宇宙人目撃事件(生徒の中には幽霊だと思っていた者も)等があるが、詳細の公表は控えたい。

 

今後もUFO記事を、という方は下のバナーを是非。

<純信の新たな痕跡>

「真実のよさこい伝説紀行」は序章編、本編、特別編共に何年も前、投稿を終了しているが、純信が国外追放されて最初に落ち着いた愛媛県四国中央市川之江と、晩年を過ごした久万高原町で新たに伝承地等を訪ねたので投稿したい。

 

(1) 三軒屋跡(川之江)

純信は国外追放後、川之江の娚岩亀吉こと、川村亀吉を頼ったが、亀吉は三軒屋という旅籠を経営していた。店先に娚岩という、二つ並ぶ岩があったという。

場所は純信堂の向かい。

 

(2)井川家

川之江農人町で廻船業を営んでいた井川房輔は、度々自宅で歌会を開催していたが、教養が高い純信も乞われて参加していた。

純信が詠んだ自筆の和歌の短冊が井川家に所蔵されている。尚、当主に会った訳ではないので、地図の添付はしない。

 

(3)東川村大庄屋・旧梅木家(久万高原町)

純信は川之江で高知県いの町の旧吾北村出身の女性と結婚したが、後に死別、長女や長男らと共に明治4年頃、久万高原町の当時の東川村に移った。

この地の大庄屋、梅木伝内の仕事の手伝いを行っていたという。

 

(4)最初の住居跡付近?

桑田一氏の著書では、純信は最初、木之助駄馬の地に住まいを構えた旨、記されていたが、書籍の掲載写真と思しき地(添付写真)を訪ねてみると、家が建つような平地はなかった。国道沿いではなく、旧往還沿いでは?

(5)東光寺

純信の菩提寺は東泉寺(東川村)だが、大正5年、七鳥村の西光寺に統合され、東光寺となった。

現在でも寺に純信の過去帳が保管されている。

 

以上、また新たに伝承地を訪ねることがあれば投稿したい。

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〈なぜ今迄本当の現場写真がネットに出なかったのか〉
前回、2015年にネット公開された新・第二介良事件(筆山小型UFO捕獲事件)について、唯一、ネットに出ていた現場写真の地(新筆山トンネル上の久保田家墓所)を紹介したが、後日、詳細レポートが掲載されたムーの過去号を取り寄せて確認すると、全く違う場所だったことが判明した。本当の地は筆山墓地入口周辺だった。

事件の顛末についてもムーに詳しくレポートされていたので、再度述べたい。
第一介良事件のあった翌年、昭和48年8月24日17時頃、潮江中学校の野球部員、15名前後が足腰を鍛えるため、筆山山頂へ続くコンクリート階段を繰り返し往復していた。

そんな折、階段の途中(西山家と山田家之墓がある箇所のやや上)から南の墓地を見下ろすと、一角に黒光りのする異様な物体が100個以上、散乱しているのが目に入った。

皆、足を止めて見ていたのだが、上級生が下級生に、その物体を何個か持ってくるよう、指示した。5名の下級生が現場に行き、10個、持って来た。下級生の中には、介良事件と同様の小型UFOではないかと、怪訝に思う者もいたが、取敢えず、学校に持ち帰った。

以降のことは前回説明した通りだが、物体の大きさは介良のものより若干大きく、直径25cm、高さ20cm、重量500gだったという。
ムーに掲載の現場写真は前述の階段箇所を合わせて5点。その内、4点の現地は確認できた。

まず、筆山墓地入口(皿ヶ峰登山口)東の墓所一帯(上の図とその上の写真)。次は入口を入るとすぐ東に折れる道を進んだ先。道がなくなった所で一段低くなったところに階段で下りる。そこの竹村家墓所一帯も現場。

次は本道に戻る。すぐY字路があるが、この西の森澤家墓所一帯も現場。因みにこのY字路を南東に下るとすぐ、当方が名誉回復のための古文献の一文を見出し、高知新聞でも報道された勤王志士、真田四郎(窪田真吉)の拝み墓がある。道を下りきった先には、前回説明した筆山事件の偽現場がある。

もう一点のムー掲載写真については、写る風景に特徴がないことから、現地を同定することはではなかった。
しかし疑問に思うのは、筆山墓地という有名墓地であるにも拘わらず、なぜ今迄、ネット民の中に事件現場を確認しようとする者がいなかったのか。

なぜ、偽現場の写真を著名人(来月公開される映画の脚本も執筆)がアップしていたのか。その方を案内した者は、なぜ偽現場を案内したのか。本当の現場を隠蔽する必要があったのか、等々、疑問は尽きない。

ところで7月6日から高知県立文学館で開催されるムー展の作家コーナーの遠藤周作展示スペースに、第一介良事件関連が展示される。
ムー展も筆山事件現場も見たい、という方は下のバナーを是非。

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〈旧・第二介良事件現場は調査中〉

~※6/17現在、事件現場は実際とは異なっていたことが判明。詳細は後述~

先日、タメやんさん(UFO捕獲者と同窓)からの情報提供により、1970年代前半、高知市の筆山墓地で起こった筆山小型UFO捕獲事件現場を探訪してきた。尚、別称を「新・第二介良事件」としているのは、1976年6月、仁淀川町で「旧・第二介良事件」が起こっているため。

但し、旧の方は体験者が当時9歳の女児だったため、UFOに触りはしたものの、捕獲はしていない。
筆山事件の概要を改めて述べると、第一介良事件から何年も経たない頃、潮江中学校の野球部員が練習場所を求めて筆山周辺を探していた。そんな中、整地が進められていた新筆山トンネル(平成時代竣工)上部の墓地の一角に、介良と同じ直径20cm弱のUFOが100機以上、駐機(放置?)されていた。

部員の中にはドッキリか何かでは、と疑う者もいたが、取敢えず10機、学校に持ち帰った。それを美術の教師に見せたところ、第一介良事件のように、様々の物で叩いて強度を調べた挙句、硫酸までかける始末。しかしキズ一つ付けることはできなかった。

その後、UFOはダンボール箱に入れてしまっておいたが、翌朝見てみると消えていた。
筆山は昔からUFOや怪光の目撃多発地だが、当時、マッチ棒のような小人の宇宙人を目撃したことも噂されていた。

更に平成のある日、筆山周囲で20機以上の通常の大きさのUFOが目撃された日の夜、あるバーに身長2mほどで、頭頂部が異常に尖り、足を180度に広げてガニ股で歩く奇妙な客が入店した。

その客はまるで無機質で抑揚のない、昔のコンピューターのような機械的声(「ワレワレハ宇宙人ダ」のような)でビールを注文した。
飲み終わると支払い時、「オツリハ、イリマセン。」と言って帰ったという。この宇宙人の特徴は、1974年、岡山県玉野市で起こったアンドロイド宇宙人首すげ替え事件と同じ。

四国では同年代、高松市でUFOに攫われて身体検査(その時、宇宙犬も目撃)を受けたケースや、四国中央市ではプラズマを発し、発光する宇宙人が写真に撮られている。

筆山事件に話を戻すが、事件現場への上り口は新筆山トンネル東口。階段を登り切った所は平たいコンクリート面になっているが、そこから墓地を見ると正面に貯水槽のようなコンクリート擁壁が見える(上写真)。その左横のK家の墓所が現場である。UFO捕獲当時はまだ整地中だった。

尚、駐車スペースがないため、車で行く場合は筆山第二駐車場に駐車し、皿ヶ峰登山口から墓地へ入り、奥のY字路を左に折れる。この道は野中兼山墓所下に下るので、そこから階段を下り、兼山公園先のY字路を左折すると、ほどなく階段が現れるので上がる。上がった所が前述の平たいコンクリート面である。

 

※6/17現在、以上の内容を撤回すべき事態となった。それは当事件の詳細を記した書籍を取り寄せて確認したところ、当事者の案内で現地に行ったレポートとその写真を見る限りでは、周囲の風景がK家墓所とは全く異なっていたから。K家墓所をネットにあげていたのは、作家の中沢健氏だが、果たして事件当事者の案内で行ったのだろうか。

※その後、実際の現場付近をグーグルストリートビューで比定。晴れの日にでも現地調査する予定。

 

来月は第一介良事件をモチーフにした映画のロケが始まるので、高知をUFOのメッカに。
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介良以外にUFO100機以上が同時に
今月、介良事件(小型UFO捕獲事件)をモチーフにした映画「Miracle☆Summer(ミラクル☆サマー)」(ロケ地は中芸地域)が製作される旨の記事が高知新聞に掲載されたことで、再び注目を集めている同事件だが、最近、同事件から数年後に同型のUFOが100機以上纏まっていた所を発見し、何機か介良同様に捕獲した事件や2010年代に介良で再び目撃されたこと、同地区で近年、小人目撃情報があったことを知った。

介良事件は以前、記事を投稿したから詳細は省くが、昭和47年8月から9月にかけて、高知市の介良中学校の複数の生徒が直径約18cmの小型UFOを5回以上、捕獲しては逃げられる(消える)、ということを繰り返した事件。

その場から忽然と消える、ということはテレポートや瞬間移動で、瞬時に物質を分子レベルに分解して別の空間に復元して転写する技術。地球の科学力では、この技術を手に入れるには1万年以上かかる。

このUFOの最初の目撃地(上の図とその上の写真)は地元の者の大半は知っている。UFOを捕獲して自宅に持ち帰ったM兄弟宅の西方の水田である。UFOファンやユーチューバーが訪れることもある。

M兄弟が自宅へ持ち帰ったのは9月21日だが、各種観察をし、他の友人に知らせようとM氏が自宅を出て、一緒に居た友人に、UFOの上に座布団を重ね、見張りをして貰っていた。しかし、M氏が他の友人を連れて来て、座布団を除けるとUFOは消えていた。

その後、M氏は友人らと室内でボール遊びをしていたのだが、ボールが窓から外へ出てしまったため、友人がボールを拾いに行くと、側を流れる本江田川沿い(上の写真と下の図)にUFOが落ちていたから再び捕獲。

 本江田川は当時、自然の小川だったが、現在はコンクリート護岸になり、川幅も倍以上になっている。

9月22日、UFOはM氏らの前から永遠に姿を消す。その日、M氏は友人と共に別の友人宅にUFOを持って、自転車で向かっていた。UFOはビニール袋に入れ、自転車の荷台に乗ったM氏の右手にコードで十字に縛り付けていた。

が、いきなり何かに右手を引っ張られたような感覚があり、M氏は路上に転げ落ちた。ビニール袋の中を見るとまたもやUFOは消えていた。その場所は介良乙の中屋バス停西(上の写真と下の図)。これら3ヶ所は第一発見場所に駐車して、徒歩で巡ることができる。

それから数年後(或いは翌年)、高知市の潮江中学校の野球部員が練習場になりそうな広場を探しに五台山に行ったところ、山中の墓地付近で100機以上の小型UFOを発見し、何機かを学校に持ち帰った。

※2016年に発売された書籍で、墓地の場所は五台山ではなく、筆山だったことが判明。

教諭にも見せて見解を聞いた後、ダンボール箱に詰めてガムテープで蓋をしておいたが、翌日、テープはそのままでUFOだけが消えていた。
UFO発見場所の写真は某UFO研究家がネットに上げているが、その場所を探し出すことはできなかった。

更に2010年代前半、介良潮見台小学校に通っていたH氏が3階の教室のベランダで友人と話をしていた時、ふと外を見下ろすと、電線の高さ(上の写真と下の図)に小型UFOが浮かんでいた。そのUFOはツバの部分がくねっていたという。が、目を離した一瞬、消えた。

また近年、介良の朝峯神社拝殿前の鳥居の元を歩く小人が参拝者によって目撃されている。小人が歩いていた箇所(下の写真とその下の図)にはきのこが何本も生えたという。朝峯神社は式内社だが、このような社格の高い神社境内に普通の霊は入れないので、神使の類かも知れないが、前述のUFO研究家によると、小型UFOの搭乗員ではないかという。

同様のUFOは昭和51年、仁淀川町の児童の前にも現れており、また、いの町にはUFO多発地、UFOラインもある。高知県はUFOで地域おこしができるかも知れない。

それには前述の映画のヒットが欠かせないが、製作はクラウドファンディングによってなされる。故にみなさん、協力を。支援額によっては、エキストラ出演や東京での舞台挨拶等のリターンあり。
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