〈なぜ今迄本当の現場写真がネットに出なかったのか〉
前回、2015年にネット公開された新・第二介良事件(筆山小型UFO捕獲事件)について、唯一、ネットに出ていた現場写真の地(新筆山トンネル上の久保田家墓所)を紹介したが、後日、詳細レポートが掲載されたムーの過去号を取り寄せて確認すると、全く違う場所だったことが判明した。本当の地は筆山墓地入口周辺だった。
事件の顛末についてもムーに詳しくレポートされていたので、再度述べたい。
第一介良事件のあった翌年、昭和48年8月24日17時頃、潮江中学校の野球部員、15名前後が足腰を鍛えるため、筆山山頂へ続くコンクリート階段を繰り返し往復していた。
そんな折、階段の途中(西山家と山田家之墓がある箇所のやや上)から南の墓地を見下ろすと、一角に黒光りのする異様な物体が100個以上、散乱しているのが目に入った。
皆、足を止めて見ていたのだが、上級生が下級生に、その物体を何個か持ってくるよう、指示した。5名の下級生が現場に行き、10個、持って来た。下級生の中には、介良事件と同様の小型UFOではないかと、怪訝に思う者もいたが、取敢えず、学校に持ち帰った。
以降のことは前回説明した通りだが、物体の大きさは介良のものより若干大きく、直径25cm、高さ20cm、重量500gだったという。
ムーに掲載の現場写真は前述の階段箇所を合わせて5点。その内、4点の現地は確認できた。
まず、筆山墓地入口(皿ヶ峰登山口)東の墓所一帯(上の図とその上の写真)。次は入口を入るとすぐ東に折れる道を進んだ先。道がなくなった所で一段低くなったところに階段で下りる。そこの竹村家墓所一帯も現場。
次は本道に戻る。すぐY字路があるが、この西の森澤家墓所一帯も現場。因みにこのY字路を南東に下るとすぐ、当方が名誉回復のための古文献の一文を見出し、高知新聞でも報道された勤王志士、真田四郎(窪田真吉)の拝み墓がある。道を下りきった先には、前回説明した筆山事件の偽現場がある。
もう一点のムー掲載写真については、写る風景に特徴がないことから、現地を同定することはではなかった。
しかし疑問に思うのは、筆山墓地という有名墓地であるにも拘わらず、なぜ今迄、ネット民の中に事件現場を確認しようとする者がいなかったのか。
なぜ、偽現場の写真を著名人(来月公開される映画の脚本も執筆)がアップしていたのか。その方を案内した者は、なぜ偽現場を案内したのか。本当の現場を隠蔽する必要があったのか、等々、疑問は尽きない。
ところで7月6日から高知県立文学館で開催されるムー展の作家コーナーの遠藤周作展示スペースに、第一介良事件関連が展示される。
ムー展も筆山事件現場も見たい、という方は下のバナーを是非。
[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。
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