自然、戦跡、ときどき龍馬

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。

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2019-03-22 01:35:00

ブラタモリで注目の小鳴門海峡を見下ろす三ツ石山

テーマ:登山関係

[桜と回遊ハイキング(鳴門市)]

先週放送されたNHKブラタモリでは、徳島県鳴門市大毛島と本土を分ける「小鳴門海峡」が紹介された(下の写真は妙見山から見た海峡と三ツ石山)。

 

番組では小鳴門海峡は元々陸地で、泥岩の多かったところが侵食されて海峡となり、航路となって撫養が四国の玄関口になった旨紹介されたが、海峡に架かる小鳴門橋下の海底からは旧石器が三点出土していることも忘れてはならない。

 

その海峡は、桜で有名な妙見山(61.6m)から見渡すことができるが、もっと標高の高い、対岸の大毛島で二番目に標高が高い三ツ石山(174m・上の地図と下の写真)からの方が、高度感があり、景色が良い。

 

去年、当方は当初、島の最高峰、野田山(198.7m)から三ツ石山を縦走・回遊するつもりだったが、登った尾根が途中でヤブ化したため、野田山の登頂を諦めて一旦下山し、三ツ石山のみの回遊に変更した。

 

登山口は鳴門市鳴門町土佐泊浦地区にある潮音寺西の切通し部(上の地図)。車は寺の駐車場に駐車させて貰った。尚、登る前、寺境内の紀貫之の歌碑を見学した。

 

登山口から階段を上るとすぐ縦走尾根に出る。最初は細い竹が生えているが、その内、スズタケも出てくる。早咲きのミツバツツジもあった。

 

73.5m峰を過ぎてしばらく行くと、見頃のピークを過ぎたヤマザクラが咲いている所もあった。実はこの日の午前中、妙見山と花見山(四国一の枝垂れ桜名所)を探訪していたので、まさに桜尽くし。

 

山頂には花が落ちた椿があり、周辺一帯は笹に覆われている。山頂部は狭く、座ると展望はないが、すぐ南側は絶景が広がっており、小鳴門海峡から紀伊水道を一望できる。桜に覆われた妙見山もはっきり分かる。

 

復路は南西に下り、八幡神社跡からは石段を下って法勝寺境内に出る。山門を出た所にある、ソメイヨシノやヤマザクラに覆われた池の写真は、去年、花見山の記事に添付したと思う。

 

池からは小鳴門海峡沿いの道路に出て、土佐泊浦集落へと引き返して行くが、三ツ石山南面の中腹にヤマザクラが沢山咲いているのが見えた。そこに登山道はあるのだろうか。

 

小鳴門海峡を見ながら土佐泊浦集落へと入ると、小宰相局の墓の標柱が建っている。小宰相局は平通盛の妻で、寿永3(1184)2月、摂津・一の谷から讃岐・屋島へと落ちて行く途次、この地、土佐泊港で通盛が一の谷の戦いで討死したことを知る。

 

夫のいない世に未練はないと、局は小鳴門海峡に身を投じた。そののち、局の「衣掛けの松」(現存せず)の袂に墓(上の写真と下の地図)が建立された。平家物語関連地でもある。尚、局の墓は神戸市にもある。

そこから潮音寺駐車場までは10分ほど。

 

この前日は香川県下の二ヶ所のパノラマを誇る桜の山を探訪したが、また機会があれば投稿したい。

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2019-03-12 03:43:58

入山禁止の山の滝・男滝上段天辺へ(四万十町・志和滝)

テーマ:登山関係

[六川山最適コースも発見]

去年6月、高知新聞に高知県四万十町の無名滝、志和滝(三つの滝の総称)が記載されたが、その登山コースである郷分地区からのコース上の山林地権者から自治体等に「勝手に紹介するな」という抗議があり、個人的な入山は禁止となった。

 

しかしこれは非常識な道理で、以前説明したように、昔からある峠道や往還は、例え地権者が変わってもその通行を妨げてはならないのが全国的な暗黙のルール。地権者が代替わりして若返るとこのルールを無視するケースが多々見られる。

 

そこで、その地権者の山林を通らないルートを模索した。つまり、麓の郷分から登るのではなく、滝の懸かる沢の源流の山に別の地区から登った後、谷に下るルートである。

 

ネット検索すると、滝への登山口が図示された地図が掲載されていた。更にその記事(新聞記者と共に登った者の)を読むと、志和滝の二番目の滝、女滝(めだき)へは登山口から2時間ほどかかるという。2時間となると、滝を擁す谷の源流に近い所にあるのではないかと睨んだ。

 

図示された箇所は志和川の上流部だが、そこで川は二手に分かれる。本流は南西方向の沢だと思うが、地形図(窪川)を見ると南方向の沢の方の水線が長い。滝が懸かる位だから水量が多い方の後者の沢が志和滝を擁す谷だろう。

 

この沢は六川山(むかいやま・507.3m)に源を発している。沢は更に標高330m地点で二手に分かれるから、そこから源流までの間に志和滝が懸かっているのではないかという推測をした。但し、現地に行くと滝ははるか下流にあったのだが。

 

六川山(上の写真は稜線の道、下の写真は山頂)は去年、二つのルート(往路と復路)を利用して登山したが、その際の登山の起点の標高は280m。一方新聞で紹介された登山口の標高は30m。高度だけを見ると、前者からのルートの方がはるかに楽に思えるが、現地でそれは覆された。

 

当方の考えた探訪ルートは、その前回登った登山起点から六川山に登頂後、ある程度北に伸びる尾根を下り、源流域に出て、そのまま谷を下って行くルート。これなら滝を見逃すことはない。

 

前回(土佐十景の浜を木の間越しに~六川山~)は白皇神社から道なき尾根を登って稜線に出たが、途中、急勾配箇所があったため、今回はかつて志和と与津地(高杉晋作の決死隊一員の志士、与津地屋清次[真田四郎]の出身地)を結んでいた峠に登って支尾根を辿ることにした。

 

しかし白皇神社分岐から奥へ伸びる峠道(作業道)は途中で廃道化していた。仕方なく超急勾配の斜面を這い上がるようにして登り、峠跡(と、その時思った)の南方に出る。ここから南への尾根は勾配も緩く、歩き易い。

 

稜線に出た所のピークだったと思うが、そこからは拙著で紹介した三崎山から太平洋が一部、木々に邪魔されながらも望むことができる(上の写真と下の地図)。ここから山頂までは去年の往復路、辿っているので造作なく登頂できた。

 

北に伸びる尾根もヤブはなく、簡単に下ることができる。途中で適当に西の斜面を下り、高度計高度390m地点の涸れ沢(下の写真)に下り立ったが、微かに地形図に記載されている破線の踏み跡が残っていた。

 

沢と破線が二手に分かれる標高330m地点は、対岸が地形図に未記載の林道や伐採された植林等で荒れていたので、南岸を東へ下って行った。

勾配は緩いが何度も左右岸への渡渉を繰り返し、且つ、伐採された倒木を乗り越えたり、川床の石を越えたりと、徐々に疲労が蓄積されていく。

 

途中で北岸の林道に上がったが、この林道は上り下りを繰り返し、278m独立標高点南西の支尾根に達した地点で終わっていた。そこでその尾根を下り、また沢沿いを下って行く。

 

高度計高度270m(誤差あり)地点でようやく滝の天辺に達したが、登山を開始して食事休憩を入れ、3時間以上経過していた。しかしここから先の踏み跡は、路盤が消失して崖になっているため、滝壺に下りることができなかった。

 

よく観察するとこの滝は二段に落下する上段の滝(下の写真は天辺)のようで、落差は10mほど。ネットでは最上部の男滝の落差は約30mとあるから、二段目の滝の方が大きいのだろう。そのすぐ下流に女滝が懸かり、更に下流に轟の滝が懸かっているらしい。しかしザイルがないと男滝上段の滝から先へ下りることはできない。

 

復路は途中で、278m独標点尾根とは別経路の林道に上がり、ある程度西進した後、沢に接近した所でまた沢に下り、そのまま遡って行き、往路の沢の出合でまた林道に上がって西進し、涸れ沢の分岐で林道と分かれ、その沢沿いの峠道を登って行った。

 

しかしこの道も途中で廃道となってしまったため、また急勾配の斜面(往路とは反対側の)を這い上がることになる。

峠跡付近(と思われた)の尾根に出てから少し北に進むと、廃道化したと思っていた峠が残っていた。ここから西側の道は地形図にも記載されている。

 

しかし標高380mほどで地形図の道のルートとは逸れ、そのまま南西に下って行き、尾根が分岐する360m辺りで道は左下に折り返し、斜面をトラバースして行き、細長い尾根に乗った。

 

その尾根をある程度下って行くと、ピンクのマーキングテープに誘われ、右手の作業歩道のような道に下り、白皇神社分岐の少々東の往路に下り立った。この峠からの復路が、六川山の最も登り易い最適登山コースになる。

 

六川山の往路に利用する際は、白皇神社分岐から樹林帯に入り、最初に北側に現れる道、と覚えておけば良い。峠からは尾根を南下して稜線に出て、一直線に東進すれば六川山に容易く到着できる。稜線にはキティ山岳会(正体は個人の男性)等が付けたと思われる赤テープもある。

 

今度は男滝の下段滝の下流域に出るルートを開拓したいと思う。

是非新ルートを開拓して三つ全ての滝を紹介してほしい、という方は次のバナーをプリーズクリック。

2019-02-27 16:41:48

“林床のキラ星”バイカオウレン・福寿草と桜(佐川町)

テーマ:素晴らしい景勝地と史跡

<佐川城跡&加茂のバイカオウレン群生地と清宝山>

今月に入り、高知県のテレビニュース等でも取り上げられるにようになった、佐川町加茂のバイカオウレンの自生地。更に佐川中心街背後、佐川城跡(二枚目の写真は竪堀)の牧野公園にも大量に植栽されている。

 

この花は長さ11.5cmほどの白い花びらのように見える萼(がく)が五弁ある可憐な花。薄暗い林の中に白く輝いて咲き、群生しているその様は、まさに「林床の煌星」。英語なら「forest floor glittering stars?

萼の形が梅花に似ており、地下茎から黄色いヒゲ根が出ていることから、梅花黄蓮(バイカオウレン)と名付けられた。

 

一昨年まで、佐川町や日高村に自生しているバイカオウレンは四国の固有種で絶滅危惧種の「シコクバイカオウレン」とされていたが、去年、日高村のものは「ヒュウガオウレン」、佐川町のものは、一般的なバイカオウレンに近い品種であることが発表された。

それでも牧野公園や加茂の山中にバイカオウレンが何万と咲くその様は、神秘的でメルヘンチックでもある。

 

牧野公園は高知市の県立牧野植物園と同様、日本植物学の父・牧野富太郎博士ゆかりの植物等を植栽しているが、博士の生家の近所にあり、園内に博士の墓碑がある牧野公園の方が本家とも言える。それに入園も無料。

 

牧野公園も四季折々の花が咲くが、今の時期はバイカオウレンの他、セリバオウレン(博士の命名種)、大豊町の自生地が有名な福寿草、ユキワリイチゲ(上の写真)、河津桜等の早咲き桜等も咲いている。

 

そんな牧野公園は観光客も多いが、専用駐車場がない。街中に何ヶ所か無料駐車場はあるものの、駐車台数が少ないものが多く、分かり易い看板も出ていない。佐川町観光協会に聞いた地場産センター(二階が建物のジオラマ展示場)の駐車場に駐車していたら、そこはバスが来るから止めるなと注意される始末。こんな観光客の気分を害することをしていいのだろうか。

 

一般車の通行が禁止されている道路沿いには、バイカオウレンの道標が次々と現れるからそれに従えば良い。その植栽地入口の遊歩道の分岐斜面にユキワリイチゲが咲いている。植物図鑑の写真等を見ると野菊のような花だが、ここに植栽されているものは、まさに雪を割って地面から出て来たような、花弁が開き切る前の状態だった。

 

バイカオウレンは日陰を好むが、ここの植栽地は佐川城跡の段々になった郭の一つであるので、昔、何らかの建物が建っていたのかも知れない。加茂の群生地同様、花は植林の中にあるが、夜空の星の如く、林床一面に散りばめられている。一体何万本植栽されているのだろうか。

北側の一部にセリバオウレン(上の写真)が咲いている。萼はバイカオウレンと比べると細長い。

 

さきほどの分岐から道路に上がると、そこの東屋周辺に寒桜か河津桜かが何本か咲いている。そこからはまた南方を東西に走る遊歩道に入り、東に上がっていったように思う。

 

上方の分岐にはまた福寿草の道標があり、そこを北に折れた所の道路下の細長い斜面に福寿草(上の写真とその上の写真)が植栽されている。この花もユキワリイチゲやバイカオウレン同様キンポウゲ科だが、陽の光を浴びた花弁の黄色が鮮やか。

 

余談だが、徳島県一の福寿草群生地、西三子山のものは二、三年前、一斉に姿が「消えた」と言われている。専門家でも理由が分からないという。

 

公園随一の展望所は物見岩の上で、最高所はその上の北ノ段。そこにも桜が咲いていて、花見ができる。

その上に木製の扉があり、それを開けて城跡詰ノ段へと登るが、そこから先は道標がないため、分岐で誤って左折してしまい、急斜面を這い上がって「詰ノ段北」と言われる広い郭に到達した。

 

そこからは南へ進むが、最初に現れる堀切の巨大さに驚かされる。

その次の郭は「詰ノ段南」と仮称されており、古城山(200.4m)三角点の地が天守跡(上の写真)である。その南西の尾根に展望の開ける箇所がある。その更に南西の鞍部が峠となっており、ここを右折して下ると往路の園内道路の花園保育園向かいに出る。

 

加茂のバイカオウレン群生地入口の道路は狭いため、地元では麓から徒歩で登るよう勧めている。が、当方が麓に移動した頃はもう16時を過ぎていたので、車で上った。

群生地登山口に到る道路は地形図(越知)には記載されていないため、群生地上方の道路から(下の図示地点)下ることにした。

 

しかしこの道路、加茂集落では本道と私道の区別がつきにくく、最初、誤って個人宅の庭に進入してしまった。道が狭いため、バックして方向転換するのも一苦労。

 

一応、群生地上方の道路からの下り口には道標が設置されている。数分以内で群生地に達する。群生地は高低差があるが、標高80100m位ほどの植林帯の狭い谷間である。

ここの開花は牧野公園のものより早く、先日の土曜に行った際は一部が散っていた。それでも林床の無数の綺羅星の眺めは壮観。

 

探訪後は車で清宝山(357.1m)直下まで登った。この道路は更に狭い。道路終点に「清宝山石鎚神社」があり、最初のピークに道祖神のような石仏他、複数の祠が祀られている。山頂手前にも祠があったように思う。山頂は三角点があるのみ。

 

展望地は道路沿いのみで、石鎚神社横と途中の林道分岐地等。

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2019-02-21 05:22:09

「南海の宝石」水床湾(1)岸壁下の熱帯魚群

テーマ:素晴らしい景勝地と史跡

[至近距離の熱帯魚群や「日本のウユニ塩湖」的浜]

徳島県阿南市の橘湾と共に「阿波の松島」と呼ばれ、室戸阿南海岸国定公園に含まれる海陽町水床湾は、透明度の高い美しい海であることから「南海の宝石」とも呼ばれている。

 

珊瑚礁の広がる海には熱帯魚も生息しているが、特筆すべきは、熱帯魚を始めとした小魚の群れが岸壁のすぐ下を泳いでいる点。スキューバをしなくても、肉眼で魚群を捉えることができる。

 

水床湾沿い道路は過去何度も車で通過したことはあったが、「四国のみち~水床探求のみちコース~」のコースマップの表紙写真等を見て、水床湾のエメラルドグリーンに心惹かれるようになった。

 

中でもかつて海面に浮かんでいた海賊焼き料理店「みとこ龍宮荘」があった入江は特に美しく、熱帯魚等の小魚の群れが、手を伸ばせば届きそうな至近距離の岸壁下を泳いでいる。底が透明なカヌーカヤックに乗ると、海中の楽園を見ることができるだろう。

 

入江の最奥部は白砂の浜になっているが、やや遠浅地形になっているため、浜に薄い水の膜が張ったようになっており、「日本のウユニ塩湖」的写真も撮れるだろう。背後の沖合には小島群も浮かんでいるため、フォトジェニックな写真が撮れる。

 

そこへのアプローチは、以前紹介した「謎の階段」南のY字路を南東に折れ、ほどなくして現れる三差路をまた東に折れる(左折)。その道路の終点に数台分ほどの駐車場がある。

 

駐車場から奥の陸地の突端にかけての海面を覗き込むと、体長数センチほどの何千何万匹もの魚群を見ることができる。

白砂の浜へは、道路を少し引き返すと、海岸へと降りる階段があるので、それを利用する。

 

探訪日は風が少々あり、時間帯もあまりよくなかったため、海面に太陽光が反射したり、山影が写る等したが、カメラに偏光フィルターを装着すると良い。

この旅行では、複数の歩道沿いの展望台や美しい浜、海食洞等を探訪したので、今後、投稿していきたい。

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2019-02-17 01:20:55

世界ふしぎ発見!での赤・白・黄金・黒の景色を高知等で

テーマ:素晴らしい景勝地と史跡

【赤い蟹の大群から年中白い山まで】

216日放送の「世界ふしぎ発見!」では、インド洋に浮かぶ島々で見つけた各種色(赤・白・黄金・黒)の風景を取り上げていたが、光景は異なるものの、同様の色の美しい風景は高知県等でも見られる。

 

(1)赤いカニの大群(高知市)

番組ではオーストラリア領・クリスマス島を埋め尽くす真っ赤なアカガニを「赤の風景」として取り上げていたが、高知市御畳瀬(みませ)でも規模は小さいものの、赤いカニの大群を見ることができる。

 

以前確か、生物の大群の写真を取り上げた記事で取り上げたと思うが、その風景は海軍水上特攻基地、震洋基地や「縁切りさん」、戦後20人以上が首吊り自殺した深浦神社へのルート上の切通し部にある。

 

そこに14年前の102日、行った時に小さな赤いカニが何百、何千匹と這い回っていた。

海には近いが、この切通しは谷の源流の上にあるため、沢ガニである可能性もある。

 

(2)年中白い山・鳥形山(仁淀川町)

「赤」の次は番組では、スマトラ島の温泉が各所に湧く白い岩盤を「白の風景」として紹介したが、仁淀川町には年中上部一帯が白い山がある。この山、鳥形山については以前「酷道439号沿線見所一覧」で簡単に取り上げた。

 

地形図を見ると白鳥が飛んでいるように見える鳥形山は昭和中期まで、県屈指の名峰として登山愛好家にも人気があったが、鳥形山鉱業所が開設されて以降、山は天辺から削り取られていき、標高も100m以上低くなった。

 

しかし平成に入り、採石場一帯が見渡せる展望台と鳥形山自然公園が整備され、展望スポットとなった。そこから見ると鳥形山の山頂(削平された)一帯は石灰岩で真っ白くなっており、まるで雪を被っているかのよう。

標高が低くなったとは言え、1300mはあるため、夏場等は雲がかかることもあり、その光景はまさに雪山そのもの。

 

(3)津呂山展望台からの黄金の景色(室戸市)

番組ではジャワ島にある竪穴と横穴の複合洞穴の天辺に開く穴から差し込む陽の光、通称「太陽の糸」を「黄金の風景」として紹介した。

高知県は海岸線が長いため、年中見ることができる「黄金の風景」と言えばすぐ夕焼けの海が思い浮かぶ。

 

これまで当ブログでも安芸市の大山岬や田野町の田野海岸等、何ヶ所かの夕焼けを紹介したと思うが、室戸市室戸ジオパークの一つ、津呂山展望台(室戸岬山頂展望台)も取り上げた。

 

天候や雲、夕日の画面上の配置等各種条件はあるものの、やはり’02年の正月期間に撮った写真(スチルカメラ)の風景が一番のように思う。まるで黄金の空を雲の船団が進んでいるかのよう。

                                                                                           

(4)高取城跡の黒い水堀池(奈良県高取町)

番組ではスマトラ島の黒い湖と川を「黒の風景」として紹介した。高知県内でも過去の写真、何万点かを探せば黒い風景があるかも知れないが、すぐ頭に浮かぶのは、土佐の勤王志士、那須信吾たちが攻撃をしかけたものの落とせなかった城、高取城の縄張りにある黒い池、水堀池。

 

普通、日光が全く当たらない池の水面は黒っぽく見えるが、ここの池は「完全なる黒」。まるで墨汁を流し込んだように真っ黒。人工池のようだが、城の機能が関係していたのか、何が原因なのかは分からない。

 

場所は、麓から土佐街道を登ってきた場合、猿石を過ぎた先、二ノ門跡の脇。

 

この池も以前、記事で触れたと思うが、高取城跡から壷阪寺にむかう尾根の途中に、五百羅漢を始めとした数多くの磨崖仏群「香高山磨崖仏」がある。この磨崖仏群も以前紹介済。

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