次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。

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<1万年に一人の逸材>

先日、TBS系列の「プロフェッショナルランキング」で「アイドル名曲ランキング」が放送されていたが、時代や曲のジャンル等、偏りが見られたので、1960年代から去年までの65年間を年代別に満遍なく取り上げ、各ベスト1曲を発表したい。

 

《1960年代・恋の歓び/吉永小百合》

大女優、吉永小百合も若い頃はミニスカートを穿き、俳優の他、歌手としても活動するアイドルで、昭和中期は明星や平凡の表紙を度々飾っていた。ルックスや表現力からすると、1万年に一人の逸材と言っても過言ではない。

因みに1万年前は、各地の「日本ピラミッド」の神殿でのシャーマンの助手的若い女性が、アイドル的人気があったのかも知れない。1万年後はAIアイドル等。

以前も解説したように、昭和30年代後期から40年代初頭は、若者向けの「リズム歌謡」が流行っていた。

 

歌謡曲にロックのエッセンスを加えた曲というか、説明はやや難しいが、「恋の歓び」も同様。当時、アップテンポの曲はリズム歌謡以外、殆どなかったかも知れない。但し、歌詞は普通の歌謡曲的。因みにバックコーラスはスクールメイツ。

《1970年代・ダンスに夢中/レイフ・ギャレット》

今はどうか分からないが、アメリカの音楽界は本物志向が強いため、アイドル文化は根付かなかった。これはレコードがアルバム重視だったため。が、例外もあった。その一人がレイフ・ギャレットである。

 

元々人気子役の俳優だったが、中学生時、ビーチ・ボーイズのカヴァー曲(3枚目のシングル)を出すとビルボード・チャートの20位に入る大ヒットを記録。

人気も沸騰したが、1978年、ディスコ・ブーム真っ只中の折、発売したディスコナンバー「ダンスに夢中」はビルボード10位まで上がり、日本のオリコン総合チャートでも12位に入る快挙を成し遂げた。

ディスコと言っても黒人のものはソウルミュージックから発展したものと理解しているが、白人のものはソウルにロックやポップスを融合したものが多く、曲調のバリエーションも豊富。それ故、踊り易い。

 

《1980年代・ミストレス/横山みゆき》

フォーク・バンド「アリス」のアルバム曲のカバーで1979年、デビューしたことから、「ニューミュージック・アイドル」とも呼ばれた。が、活動期間は数年ほどで、1983年に発売された「ミストレス」のジャケットやミュージック・ビデオを見る限りでは、アイドルを脱却した観がある。

このナンバーのジャンルは和製A.O.R.。シティポップとも言えるか。妻子ある男性との不倫を歌ったものであるから、活動期間の終盤になるとアイドルではなくなっている。

 

《1990年代・Body & Soul/SPEED》

この曲はグループと共にメジャー故、「アイドル名曲ランキング」に入っていたと思う。曲を最初聴いた時、「小学生にこの声量が出せるのか」と驚いた。勿論、ダンスも、プロのダンサーも顔負け。

‘90年代はCDを売るための曲作りがなされており、サビに高音を入れた、テンポのいい、踊れる曲が多かった気がする。経済のバブルは’91年に弾け、当方の勤務先も倒産したが、音楽界に於いては、’90年代末までバブルが続いていたのではないだろうか。

 

《2000年代・secret base〜君がくれたもの〜/ZONE》

バンドのアイドル、バンドルとして活動していたが、このグループも活動期間は数年。

「secret base〜君がくれたもの〜」はアイドル・ソングとは思えない(悪い意味ではない)曲調のミディアムナンバーだったこともあり、当初、シングルCDとしての発売に否定的なスタッフが多かったが、メンバーの強い意向により、発売。オリコンチャート2位の記録的大ヒットとなった。

全年齢層に訴えかける旋律と歌詞がヒットの要因だろう。ひと夏の思い出を転校してからも忘れず、またきっと会える、と、信じている、という切ない内容。

 

アニメファンの全員が思っていることだと思うが、この曲と歌詞は、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のために作られたのではないかと。タイムスリップして。或いは、「あの花」はこの歌詞を元にストーリーが作られたのではないかと。

それだけ、「あの花」のED主題歌としてマッチしていて、この歌を聴きながら、アニメの登場人物たちに感情移入し、涙した者も多い筈。

 

《2010年代・MR.TAXI/少女時代》

‘11年発売の少女時代初の日本オリジナル曲。’70年代後期のディスコ・ブーム時に発売されていたら、レコード売上はミリオンにいっていたかも知れないが、配信DLでは’17年、ミリオンを達成している。

secret baseとは対照的で、歌詞はあってもなくてもいいような内容で、曲とそれによるダンスを重視した楽曲。日本のアイドル・グループの曲にはあまりない曲調。

 

《2020年代前期・空色の水しぶき/僕が見たかった青空》

昭和の人間からすると、「どっちが曲名で、どっちがグループ名なんだ!?」と言いたいが、「僕が見たかった青空」はAKB48グループの公式ライバルである乃木坂46の公式ライバル。ライバルのライバルは仲間では?

この曲は劇場アニメ「がんばっていきまっしょい」の主題歌だから、好きになった。このCDを買ったのも「がんばっていきまっしょい」の聖地、デュークショップ松山店。「がんばっていきまっしょい」のボート部のモデルがある高校にも行き、許可を得て校内の実写映画版のロケ地を見学したほど。

 

アニメはストーリー展開やボートを漕ぐ様が躍動的だったが、それは主題歌の作曲・編曲、振付、ミュージック・ビデオにも言える。

各年代の曲を聴き比べたい、という方は下のバナーを是非。

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<当該夢を見た要因を分析>

久しぶりに一定のストーリー性のある夢を見た。NHK朝ドラの歴代ヒロインか何かの特別番組の再放送を深夜に行っていて、それを見ている時、寝落ちした。

‘90年代初頭、会社を退職し、仕事をしていない時期、「夢日記」をつけていたことはあったが、「夢ブログ」をつけてみることにした。

 

当方は車上生活をしているようだった。

ある日、郡部の集落に流れ着く。まるで小さな路地が入り組む離島の集落のよう。しかし車で移動しているので、離島ではない。

 

そこではどこかへ通っている模様。最初は集落内の路地を歩いていたが、その内、民家の塀や屋根に上り、どこかへ向かっていた。

よく「そこ」へは行くようで、何度も同じルートの同じ民家の屋根の端を歩いていた。当然、近所の家の窓や庭から当方の姿は丸見えで、怪訝な顔で見る住民もいた。

次の場面では未舗装道沿いにある空き家の前に立っていた。そこに入ると、外観を見る限りでは空き家か廃屋だと思っていたが、誰かが住む痕跡があり、家財道具が沢山あった。

 

しかしそれは、元々の住人のものではなく、空き家になった後、住み着いた者のようだった。家財等からすると、若い独身男性のようである。各部屋の内、二つほどの部屋の電灯はついたままだった。

 

玄関から入ってすぐの右手は浴室のようだが、ドアを開けてみると、長年使用された形跡はない。と、いうことは、住み着いたと思っていた男性は、毎日、この家で過ごしているのではなく、時折、ここに来る程度なのかも知れない。

この家中、その男性の家財道具が乱雑に溢れていて、寝る場所もない。布団やベッドもない。当方は、その男性がここに来るのは、日中だけではないかと思ったので、夜、ここで過ごせないものかと思った。

 

男性が帰ってきたらまずい、と思い、各部屋の電灯を消し、家を出た。

すると外には郵便配達員らしき者がいて、大きな箱から何かを探していた。それを見ていると、配達員は箱の中から、伊藤ハムのフランクフルト「まるごと美味しいフランクフルト」(8本入り)を取り出し、当方に無言でくれた。

 

このフランクフルトは当方がよく買うものだが、どうやら、この周辺の民家に配っているようである。その光景を見て「素朴な田舎だな。」と思った。

シーンが変ると、当方は車でどこかの広場に移動し、自分のゴミをゴミ袋に詰め、広場の隅に置いた。ここはゴミステーションなのかも知れない。

ゴミを置くと、車のドアにキーを差したつもりだったが、車がゴミ袋に変っており、そこに鍵穴が出来ていた。つまり、ゴミ袋にキーを差した状態。

そして今日の寝る場所を考えていると、目が覚め、朝ドラの特別番組は終わっていた。

 

こんな夢を見た要因で思い当たることと言えば、将来への不安と、ソファーで寝落ちしたため、寝室に行って早く寝たい、と、思っていたからではないかと思う。

 

因みに当方はモノクロの夢を見たことがない。モモクロの夢も見たことはない(?)。モノクロの夢があるとは思っていない。モノクロならば、すぐ夢と気づく筈。しかしカラーの夢ならば、夢を見ている時、それを現実だと思っているので、目が覚めるまで夢とは気づかない。どうですか。

※添付画像はイメージです(当然)。全て過去、ブログで公開済。1枚目は香川県の架橋された有名な島、2枚目と3枚目は坂本龍馬の滞在伝承があり、昭和前期まで証拠の品があった久万高原町の空き家、4枚目は岡山県の廃線の駅跡。

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先日、フジテレビ系列の『この世界は1ダフル』で「ドラマ主題歌 BEST20」が放送されていたので、1960年代から去年までの65年間の年代別ベスト・ドラマ主題歌を発表したい。

 

ただ、ドラマ自体は見てないものもある。飽くまで曲主体。

尚、過去、説明したように、当方は’80年代後半から’90年代前半、日本レコード制作協会会員として、会誌に一般の歌詞や童謡詩を寄稿していた。

 

《1960年代・恐怖の町/サニー・トーンズ》

円谷プロは「ウルトラセブン」の放送終了後から「帰ってきたウルトラマン」が放送されるまでの間、複数の特撮ドラマを製作していたが、その一つが「怪奇大作戦」。毎回、科学を利用した奇妙な事件を解決していくストーリー。

尚、当時、民放が一局しかなかった我が県では放送されなかったかも知れない。当方は昭和後期、テレビ大阪かサンテレビかの深夜放送で見た。

主題歌は「妖怪人間ベム」等の主題歌的な和製ジャズ。つまり、歌謡曲にジャズのエッセンスを取り入れたもの。作曲は「オーケストラがやってきた」等、昭和期はテレビ出演が多かった山本直純、作詞は初期のウルトラシリーズの脚本を手掛けていた金城哲夫。

 

《1970年代・みんな誰かを愛してる/石原裕次郎》

ド派手なカーアクションで人気だった「西部警察」主題歌。ただ、私は、刑事モノは嫌い(「噂の刑事トミーとマツ」や初期の「太陽にほえろ!」は別)なので、殆ど見ていない。それに女性が乱暴されるようなシーンもよくあった。

曲は当時、演歌に分類されていたと思うが、曲調としては一般歌謡曲なのでクセがなく、聴き易い。いろんな辛いことがあっても、みんな誰かに愛され、愛してる、という歌詞は心に響く。

 

《1980年代・太陽のユートピア/パティ》

『太陽は沈まず~海よ!小さな戦士の歌を聞け~』主題歌。トンガ諸島を舞台にした、島の少年と日本からきた少年による冒険物語だが、当方は’80年頃からテレビをあまり見なくなった(ラジオや音楽鑑賞へ移行)ので、このドラマも見ていない。

パティの透明感ある歌声や情感的な曲調で、胸がキュンとなる。歌謡曲に分類されるものの、曲調としてはJポップの前身のニューミュージック。シティポップに近いかも知れない。

 

《1990年代・クリスマスキャロルの頃には/稲垣潤一》

「フジテレビ・ドラマ主題歌 BEST20」でも’90年代の曲が多かったのではないかと思う(最初から番組を見ていた訳ではないが)が、その時代はCDが最も売れた時期。当方も毎月何枚かCDを購入していた。但し、引き続きドラマは殆ど見ていない。

男女4人の恋愛模様を描いた「ホームワーク」主題歌。所謂トレンディードラマか。曲調は近年、海外でも人気が高い(日本語で歌う等)シティポップ。ハイトーンボイスの稲垣潤一はシティポップ歌手とも言える。

シティポップや和製A.O.Rは黄昏や都会の夜をイメージさせるものが多いが、この曲も同様。

 

《2000年代・私とワルツを/鬼束ちひろ》

『トリック3』主題歌。’00年代に入り、朗読ライブや演劇を行うようになったせいか、時折、ドラマも見るようになった。このドラマは劇場版も見たが、マジシャン役の仲間由紀恵と物理学者役の阿部寛がコンビを組んで、各種事件のトリックを暴いていくストーリー。

コメディ要素も多かったドラマだが、主題歌は鬼を束ねる(?)ちひろなので、シリアス。ちひろの歌声もそうだが、疲れた心を癒してくれるような曲。ただ、ミュージック・ビデオでちひろ自身がエアワルツ(?)を踊る姿は、しっくり来なかった。

 

《2010年代・VOICE/AI》

「夜行観覧車」主題歌。主人公の一家の身近で各種事件やいじめ等が起こるので、見たいとは思わないドラマだが、’00年代後半、著述活動を再開すると、再びドラマは見なくなった。

一方、曲は最高で、歴代女性歌手の曲の中ではベスト5に入る。AIのパワフルな歌声とテンポのいい曲が、ドラマの理不尽さを搔き消してくれる。

 

《2020年代前期・Sunshade/由薫》

「笑うマトリョーシカ」主題歌。高校時代の同級生同士の代議士と秘書を巡る隠された事件を暴こうとする記者の物語。一部の舞台が愛媛県、ということもあり、このドラマは見ていたが、愛媛の設定で、関東でロケする場合も多く、ロケ地巡りできそうなドラマではなかった。

主題歌はサビの部分の曲調と歌い方が洋楽っぽいと思っていたら、シンガーソングライターである由薫は、出身は沖縄ではあるものの、アメリカやスイスで暮らしたことがあり、親が洋楽をよく聴いていたこともあるので納得。当方も高校三年間と大学1年時は殆ど洋楽しか聴いてなかったため、この曲調は耳に馴染む。

 

今後もこの「年代別ベスト」シリーズは音楽に限らず、発表していきたいが、今年は「45~75年間」モノをアップ予定。

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<連続20年ベスト1だった探訪地も>

2016年から当ブログでは、毎年、年間の「至極の探訪地ベスト5」記事をアップしてきたが、1年ごとではなく、1980年代から去年までの45年間の年代別ベスト探訪地を発表したい。

 

《1980年代・中追渓谷》高知県いの町

高知県民の中には「あの中追渓谷が?」と首をかしげる者もいるかも知れないが、昭和46年に開業した「中追渓谷レジャーランド」はそれから10年ほど、県屈指の観光施設として人気を博した。

ミニジェットコースターや吊り下げ回転式乗り物、ゴンドラ等もあった。しかし当方が訪れた昭和63年時は、それらの設備は全てなくなっていた。それでも水面からの高さが100mの四国一の「夢の吊橋」、その周辺の激流の上を渡るスリル満点の錆びた金網橋、屋外からそのまま和室の縁側を土足で歩くようになっている遊歩道等、探勝の醍醐味が十分味わえた。

‘00年代半ば頃、レジャーランドは廃業し、各橋は朽ち果て、遊歩道は廃道化し、立入禁止に。一帯は老人ホームの私有地になったが、9:00~17:30、駐車場から老人ホームの先の清浄ノ滝までは、施設の厚意で探訪できるようになっている(2018年時点)。

 

因みに雑誌「ワンダーJAPON」8号の中追渓谷の項で触れられている、オリコンニュースになった記事とは、当方のライター時代の記事のこと。

 

《1990年代・大堂海岸の四国のみち》大月町

高知県大月町は土佐清水市と共に、国内(離島を除く)では東京から時間的に最も遠いまち。大堂海岸は高さ50~120mの絶壁の海崖が連なり、尾根上にはウバメガシの中、「四国のみち」(四国自然歩道)が続く。

一般観光客は、同海岸一の絶景は大堂山展望台からの景色だと思っているが、それより、龍ノ峠北西部からの景色の方が優れている。個人的には西日本一の絶景であると信じている。尚、この探訪時は、シャッターの半押し機能がない、簡易カメラしか持ってなかったため、ピントが合っていないことはご容赦を。

当時は車の免許を持っていなかったため、かなり手前のバス停(現在はトンネル開通により、バス路線変更)で友人と共に降り、四国のみちを歩き、大堂海岸の四国のみちが終わると柏島の稲荷神社まで歩き、終点とした。

 

《2000年代・大堂海岸と大黒山》大月町

10年ぶりに元旦にまた大堂海岸を訪れたが、1990年元旦時の感動度合が10だとしたら、今回は9。自著の処女作「土佐のマイナー山PART1」に大堂海岸の篠津山と柏島の最高峰、大黒山を収録するための踏査でもあった。

往路のコースは誰も知らない、大堂山展望台の建つ篠津山に直登するルートを取り、復路はまた柏島まで歩き、今度は灯台の建つ大黒山に登った。

尚、今回使用したカメラ(フィルム)は一眼レフだが、後に故障していて、ピントが合わなくなっていたことに気づく。スキャナーの色合も不満。

因みに’00年代後半、県道の二車線化により、往路の登山口が消滅したため、その近くにあった別ルートを発見。この踏み跡は大堂山展望台の駐車場に繋がっていた。コースマップは→世界一の魚種の海を見下ろす海崖山岳

 

《2010年代・ミジリ》土佐清水市

2010年代半ば過ぎ、ネットで足摺の海崖から海面に落下する滝を望遠レンズで撮った写真を見つけた。が、写真をアップした本人は、滝自体は探訪しておらず、ルートも滝名も不明だった。

そこで滝の上流(千崎川)箇所を、水の流れる音を頼りに探し、川に辿り着き、岸を下って滝「ミジリ」(漢字を充てるなら「水尻」)の天辺に立つことができた。

その付近の岩場から望見する景色は、日本とは思えないほど、峻険で雄大。滝の規模も、陸地から探訪できる海岸の滝としては四国最大級。詳細記事→スーパー絶景!足摺大海崖の滝・ミジリ

 

《2020年代前半・古羅漢》大分県中津市

平野部や山間部にある太古の海蝕洞門や風雨蝕洞門の内、道が整備されているものとしては、西日本最大級。西日本一の奇勝とも言える。

まるで古代遺跡のような景観の巨大な岩山の横に洞門があり、上部には天人橋と呼ばれる天然の岩橋が架かり、下の断崖道沿いには歴史ある懸造りの建物が。洞門は通り抜けられるようになっているので、巨大な天人橋を間近に観察できる。

 

尚、道幅が狭い断崖道には手摺のない区間があるため、路面の石等に靴先を引っ掻け、転倒するとほぼ転落死する。詳細記事→西日本一の奇勝は山に海食洞門と岩橋が!古羅漢

2020年代後半も古羅漢を超える景勝地には出会えない、と断言できる。

しかし1980年代から2010年代までのベスト探訪地が全て高知県とは、やはり県土が広い分、雄大な自然も豊富。

これらの景勝地を死ぬまでに全て探訪したい、という方は下のバナーを是非。

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<やなせたかし氏の住居跡とやなせライオン製作地跡>

道路を2分ほど北上して行った宇田児童遊園地南の歩道が分岐する三叉路に、「道信山」の道標が設置されている。それは、やなせたかし氏の詩「道信山の夕焼け」の舞台となった小丘のこと。

道標に従い右折し、その先の四差路を南下した先に道信山はある。

地元では「どんしんやま」と呼ばれる小丘は、やなせたかし氏の自宅だった柳瀬医院のすぐ西にあったことから、やなせ氏は伯父の柳瀬氏の養子になった千尋と一緒によく、チャンバラごっこ等をして遊んでいた。

が、本来、道信山は遊び場として使用するのは不適切な地。今、階段の上り口右側にある若宮三社八幡大神の祠は一昔前まで、丘の頂上(現在は花壇のようになっている)に鎮座しており、階段には鳥居が設置されていた(上の写真)。

 

この周辺は長宗我部時代の合戦場の一つで、ここは元々、戦死した兵士や軍馬を埋葬した塚だった。後世、この地が荒らされたり、開発されないようにするため、若宮三社八幡大神を祭った。

 

東西に走る小径に戻ると、四差路から東の道は狭い車道になっている。二軒の民家を過ぎた先の右手、フェンスがある芝生の土地が、やなせ兄弟が居住していた柳瀬医院跡で、現在は「やなせたかし・ごめん駅前公園」になっている。

 

千尋はやなせ氏と共に高知市内で暮らしていた頃、ここの院長の養子になった。それはやなせ兄弟の母が夫の急死後、再婚し、やなせ兄弟を手放したため。やなせ氏が医院に引き取られたのは、千尋が養子になってから2年後の大正15年、7歳の小学2年生時。

医院跡の土地は、L字を上下反転した形状。細長い西側には、ベンチに載ったアンパンマンの各キャラクターの石像があるので、記念写真が撮れる。東側には屋根付きベンチがあるが、跡地を有効活用しきれてないように思われる。この地のどこかに、前回の記事で説明したやなせライオンが置かれていた。

 

医院の玄関は跡地の東端にあり、その道路を挟んだ東角にやなせライオンを作った高橋石材店があった。現在、更地になり、新たな建物が建設予定かも知れない。敷地の中程の水路寄りには、井戸が残っている。

高橋石材店の当主が、朝ドラ「あんぱん」の朝田石材店の当主のように、頑固な性格だったか否かは不明。石屋がパンを売る等、現実世界ではあり得ないことだが、作り話だからこそ、生まれる感動がある。

次回、本物のやなせライオンを見学に。

南国市観光案内所で買った焼き立てのあんぱんを、医院跡のベンチに座って食べたい、という方は下のバナーを是非。

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