<純信の新たな痕跡>
「真実のよさこい伝説紀行」は序章編、本編、特別編共に何年も前、投稿を終了しているが、純信が国外追放されて最初に落ち着いた愛媛県四国中央市川之江と、晩年を過ごした久万高原町で新たに伝承地等を訪ねたので投稿したい。
(1) 三軒屋跡(川之江)
純信は国外追放後、川之江の娚岩亀吉こと、川村亀吉を頼ったが、亀吉は三軒屋という旅籠を経営していた。店先に娚岩という、二つ並ぶ岩があったという。
場所は純信堂の向かい。
(2)井川家
川之江農人町で廻船業を営んでいた井川房輔は、度々自宅で歌会を開催していたが、教養が高い純信も乞われて参加していた。
純信が詠んだ自筆の和歌の短冊が井川家に所蔵されている。尚、当主に会った訳ではないので、地図の添付はしない。
(3)東川村大庄屋・旧梅木家(久万高原町)
純信は川之江で高知県いの町の旧吾北村出身の女性と結婚したが、後に死別、長女や長男らと共に明治4年頃、久万高原町の当時の東川村に移った。
この地の大庄屋、梅木伝内の仕事の手伝いを行っていたという。
(4)最初の住居跡付近?
桑田一氏の著書では、純信は最初、木之助駄馬の地に住まいを構えた旨、記されていたが、書籍の掲載写真と思しき地(添付写真)を訪ねてみると、家が建つような平地はなかった。国道沿いではなく、旧往還沿いでは?
(5)東光寺
純信の菩提寺は東泉寺(東川村)だが、大正5年、七鳥村の西光寺に統合され、東光寺となった。
現在でも寺に純信の過去帳が保管されている。
以上、また新たに伝承地を訪ねることがあれば投稿したい。
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