魚梁瀬森林鉄道西谷線(1) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[四国最大級素掘り隧道を擁す廃線跡]橋梁全景
魚梁瀬森林鉄道西谷線は奈半利川線本線の西谷橋南袂から分岐し、宗ノ上川沿いを遡り、途中、インクラインで高度を上げ、鐘ケ龍森(1125.5m[旧標高1125.7m])南部まで達していた総延長18,827mの軌道。

昭和18年に宗ノ上集落まで開通し、昭和32年まで順次延長されてきた。

昭和36年から車道橋梁手前の切通し と牛馬道へと変更されていき、40年、全線廃線となった。


 

この廃線跡の現存するインクライン制動機や木造橋梁の写真は過去、当ブログ にも掲載し、インクライン下部の廃線跡から上部の廃線跡に登り、鐘ケ龍森に登る、当方が独自に開拓した登山ルートはヤマケイやヤマレコサイトにも投稿している。→森林鉄道廃線跡から鐘ケ龍森へ


 

この廃線跡で特筆すべき点は前述の制動機や木造橋もさることながら、「中芸地区森林鉄道を保存・活用する会」が廃線跡調査を委託した調査機関さえ発見できなかった四国最大級の素掘り隧道や長い距離に亘るコンクリート橋梁が現存している点橋梁切断部 だろう。前者の隧道はまるで海岸にある巨大な海蝕洞を彷彿させる景観を誇る。コンクリート橋梁は、伊尾木林用軌道の陸橋のような形状だったと思う。


 

この廃線跡、何割かはアスファルト車道や林道になっているものの、レールが剥がされたままの区間も案外多く、復路は車道を利用しての回遊コ川床の橋脚跡 ースを取ることもでき、歩き甲斐がある。


 

[コース]


まずは国道493号を北上し、軌道起点の北川村長山にある長山発電所南西、奈半利川と宗ノ上川の出合に架かる西谷橋南袂三叉路へと行く。そこを左折し、少し行くと田所建設資材置き場の県道を挟んだ向かいの路肩が広くなっているので、そこに駐車する。



橋袂からこの辺りまでは県道拡張工事の際、嵩上げされている。右カーブ部の岩の切通し

県道を北西に歩いて行けば、川の対岸のコンクリート橋梁が見えてくる。

更に県道を進むと右手に軽四が何とか通れる狭い橋が現れるのでそちらに右折する。この橋の対岸のアスファルト道路が廃線跡。南西に折れて進むとすぐ左手に切通しがあるが、これが廃線跡である。廃線跡はすぐ藪化した石垣の築堤になるが、その東に歩道が沿っている。


 

ユキノシタ群落がある廃線跡 堤が終わると見応えのある陸橋のコンクリート橋梁になる。橋梁は途中、農道上で切断されているが、農道の先から宗ノ上川までは残っている。川床には橋脚の基部も残っている。

そこからは農道を歩いて軽四の橋袂まで戻り、更に北方へとアスファルト道路を歩いて行く。


 

道路はほどなく終点となり、そこからはレールが剥がされたままの廃線跡となる。最初は路面の雑草が煩いが、やがて歩き易くなり、西方の展望も所々開ける。

右カーブ部は切通しになっているケースが多い。


 

北川ファームを西下に見ると廃線跡は西墓地沿いの路盤石垣 に向きを変えるが、墓地の上では路盤が何メートルもの高さの石垣となっている。

右急カーブを描くと再び北向きになり、右手に三宝神社への参道を見送ると道路に合流する。ここからは道路を歩いて駐車場所へ戻り、次の廃線跡が残る箇所へと移動する。


 

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