<関係者が次々と死ぬ>
奈良県明日香村の高松塚古墳と言えば、壁画が国宝にも指定され、学校の教科書にも掲載されていることから、日本国民であれば知らない者はいない。
この古墳が発見されたのは’70年で、発掘は二年後に開始され、副葬品や被葬者の遺骨、そして有名な彩色豊かな壁画が明らかになった。
古墳は二段式の円墳で、下段直径は23m、上段は18m。築造時期は藤原京時代の西暦694~710年頃とされた。
被葬者は明らかになっていないが、石室天井に天帝を示す北斗七星が描かれていたり、帝の象徴である三種の神器に相当するものが見つかっていることから、皇族であることは間違いないと言われている。
が、副葬品や遺骨には不可解な点があった。遺骨の頭部はなく、納められていた刀も鞘だけだったのである。盗掘穴の角度等からして、刀身だけを抜き取るのは不可能だと言われている。
更に有名な壁画の官人像であるが、男子群像、女子群像(通称:飛鳥美人)共、四人一組で二セット描かれているのである。
つまり、四ヶ所に描かれているのだが、昔から忌み嫌われてきた「四」を多用しているのである。
また、この塚の番地は
壁画が発見されたのは’72年3月21日だが、この発掘事業を推進してきた
家族談によると、M氏は毎晩のように床につくとうなされていた、というのである。
そして5月21日、突然胸に痛みを覚えて倒れ、そのまま亡くなったのである。病名は肺ガンだったが、それまで全くそれを感じ させる前兆はなかったという。
次は8月21日、村内在住の女性K氏に災難が降り掛かる。彼女は古墳沿いに畑を持っていたのだが、拡張するために鍬で地面を掘り返していたところ、誤って古墳を削ってしまったことがあった。
その日の朝、彼女は体調を崩し、布団で横になっていたのだが、二日後、布団の中で冷たくなっていたのである。
この時点ではまだ、誰も「21日の呪い」に気づく者はいなかった。
が、翌年8月21日、三人目の犠牲者が出てしまう。古墳発掘の資金集めに尽力していた自治会長が車に撥ねられ死亡したのである。
この頃から密かに「高松塚の呪い」が囁かれ始めるようになる。
更に同年、古墳の第一発見者である生姜農家の男性が、物置で農薬 自殺を図ったのである。遺書はなかったが、前年頃から周囲に「よく悪夢にうなされる」と洩らしていたという。
翌年の‘74年1月早々にも21日とは異なるが、「呪い」と思われる一件が起こった。壁画の模写をしていた日本画家が、完成披露パーティの帰り、車に撥ねられ、死亡したのである。
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これだけ強い呪いとなると、そのことを文章にするだけでも何かあるのではないかと思いがちだが、実際、文章にしたことで呪われたライターがいた。
今月、ミリオン出版からDVD付の「奇妙な村」という書籍が発売されたのだが、その中でこの高松塚の呪いについての取材原稿を書いたライター、赤福すずか氏は、原稿提出前日、突如体調を壊し、呼吸困難に陥って病院に運ばれたのである。
一週間ほど入院するはめになったのだが、入院中、毎晩夢に古墳壁画の女子群像が現われたという。が、夢の中の「彼女ら」は生きていた。彼女らはいつもすずか氏を悲しげな眼差しで見つめていたというのである。
~オカルトライターを襲った高松塚の女子群像。彼女らはすずか氏に何を訴えたかったのだろうか。また、呪いによって亡くなった五人も、すずか氏と同じ悪夢に悩まされていたのだろうか~
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