海軍足摺岬レーダー基地[4・完] | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

機銃陣地跡からの尾根上には明確な道はありませんが、藪はなく、山道のように軽快に登って行けます。


何分か歩くと、いきなり奇妙なコンクリート構造物が現れます。しかもL字型塹壕も掘られています。自然、戦跡、ときどき龍馬-中腹のレーダー関連物




基部と次の段は正方形で三段目が台形、その上部が円形、天辺には直径七、八センチ位の穴が開いています。


戦争遺跡を探訪していると、たまにこのような、用途不明の奇異な形状のコンクリート物に出くわすことがあるのですが、当然これはレーダー関係のものでしょう。上部の穴には金属棒か何かを差し込むようになっているのでしょう。



この付近にもトーチカがあったかも知れませんが、記録不備のため、思い出せません。

そこから更に上がった小ピークに遂に二番目のレーダーのコンクリート基礎が現れます。



こちらのものは、下方のレーダー基礎とは違い、地面に沈下した状態。が、形状自体は同じく八角形。アンカーボルトも八本、刺さったままです。一角に長方形の切れ込みが入っている形状は、去年紹介した、第二次長州征討時、第二奇兵隊が防備についていた山口県の嘉納山の海軍レーダーと同じです。



今は周囲が樹林に囲まれていますが、戦時中は刈り払われていたはずです。尤も、周囲を枝木等で覆う擬装は行っていたことでしょう。自然、戦跡、ときどき龍馬-山頂の海軍レーダー基礎



ここから更に踏み跡が一旦下った後、また上っていますが、更に上のピークには陸軍が駐留していた防空監視哨跡がある模様。しかしコンクリート構造物はない模様なので、辿りませんでした。




ですから引き返すのですが、右手を見ていて、右下に、尾根に沿う踏み跡を見つけるとそれを下ります。



数分下ると右足下に、一瞬、石標と見間違いそうな石柱型の自然石が立っています。私はこれが不自然に思えました。これは軍の施設を示す目印ではないかと思ったのです。実際、豊予要塞佐田岬地区の第一砲台地下弾薬庫上の砲弾揚げ降ろし穴にも、皆、目印となる立石が置かれています。自然、戦跡、ときどき龍馬-隧道口



そこでそこから斜面を下ってみると案の定、戦跡がありました。素掘り隧道です。これがただの横穴ではなく、隧道であるというのは、尾根の形状を見れば判断できます。


ここの尾根は痩せ尾根ですが、陸軍でも海軍であっても、必ず陣地にある痩せ尾根には隧道を掘るものなのです。それは米軍が上陸してきた際のゲリラ戦を見据えてのことです。



隧道は奥に土砂が堆積し、通り抜けはできないようですが、これが隧道であることを確かめるため、尾根の反対側に回ってみると、案の定、同様の横穴が開いていました。



踏み跡は機銃陣地跡近辺の道の分岐に繋がっていました。帰路は往路の井戸があったY字路から逆方向に下ると近道になります。



この四国最大級のレーダー基地跡、何とか「海軍山上レーダー基地公園」として整備できないものでしょうか。

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