うさぎと要塞と毒ガスの島(4) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

自然、戦跡、ときどき龍馬-展望園地からの眺望

陸軍標柱から島の南端の大久野島燈台へと上ります。初点灯は1894年で、当時は燈台守が家族で居住していましたが、現在の燈台は'92年の再建。当然無人。


手前の分岐まで戻ると西に進みますが、また三叉路があります。ここも西に取り、島の南西端にある展望園地に寄ってみましょう。一枚目画像のような周辺の大小の島々の風景が広がっています。


自然、戦跡、ときどき龍馬-赤筒毒ガス密閉壕跡

景色を堪能すると分岐まで引き返し、北の山へと上が って行きます。

山の北端の鞍部を越えると下りに転じ、大久野島休暇村本館前の広大な広場に出ますが、ここら一帯は「三軒家毒ガス工場群跡」。


陸軍が島を接収する前は「三軒家」という農家の小集落でした。自然、戦跡、ときどき龍馬-少年とうさぎ


工場の建物自体は既にありませんが、毒ガスの痕跡は残っています。南の山際を振り返ってみて下さい。道の西側と東側にそれぞれ、四角い石垣塀のようなものがい くつか構築されているのが分かると思います。


実はこれらの石垣の奥には横穴壕があり、そこにくしゃみ性毒ガス、通称「赤筒」と呼ばれたものが廃棄されているのです。


戦後、自衛隊がこれらの中に海水とさらし粉を入れ、各壕の入口を厚さ1mのコンクリートで密閉した上、更に石垣を積んで、永久に封鎖したのです。


広場ではそんな歴史も知らない観光客が、毒ガスモルモット子孫うさぎと戯れています。


コースは西の海岸沿いを進みますが、休暇村本館西に自然、戦跡、ときどき龍馬-休暇村本館西の毒ガス貯蔵庫跡 は、コンクリート造りのトンネル型毒ガス貯蔵庫跡が横に並んでいます。


貯蔵庫内部の台座の上には、皮膚がただれる猛毒ガス「イペリット」のタンクが置かれていました。


ここから先も露天や横穴式の貯蔵庫が次々と現われます。

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