備前市香登(かがと)の次に藩政期の山陽道の雰囲気を色濃く残す地と言えば、伊部(いんべ)と西片上の境界付近になります。
その境界は葛坂峠で、今でも国道2号の片上トンネル南の旧道の、そのまた上に僅かな距離の自然の歩道とともに往時の面影を残しています。
坂本龍馬もここで一息ついたかも知れません。昔の旅人は今みたいに容量がたっぷりある水筒等は持ってないので、茶屋や公共の井戸があれば、立ち寄っていたのです。
お夏という女性は姫路城下の米問屋・但馬屋の娘ですが、寛文二年(1662)、手代の清十郎と駆け落ちし、飾磨港で捕まりました。
お夏はその後、冷静さを取り戻すと乳母を頼って宿場町・片上を訪れ、やがて葛坂峠下で茶屋を営むようになったとのことです。
現在の茶屋跡は明治期にできた道路によって土地が削られ、狭い地になっていますが、側には井戸も残っています。
そこから一分も登れば葛坂峠で、人の通行が途絶えて久しい山陽道を地蔵堂が見守っています。
前述の片上は街道筋には旧家も殆ど見られず、風情はあまり感じられませんが、宇佐八幡宮付近にかつて宿駅があり、現在でも神社前に片上宿を記す標柱が建てられています。
片上を出ると次の宿場は三石。坂本龍馬と中岡慎太郎は急ぎ足で駆けて行きます。
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