嗚呼、西条海軍航空隊・前編 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[テレビで紹介されない戦跡も見よ]

今週はNHKの四国の局では、夕方のニュース情報番組で戦争遺跡を取り上げる模様で、今日は愛媛県西条市の愛媛地方航空機乗員養成所(後の西条海軍航空隊)が取上げられました。

自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-退避壕外観

先週はアメーバブログも開設しているjjさんが近年発見した、南国市内の陸軍トーチカ群をjjさんの現地案内で放送されました。

 

ただ、NHK記者は戦跡調査の知識がないので、目ぼしい戦争遺跡しか取り上げないのですが、西条海軍航空基地遺跡は、今日テレビで放送した箇所以外にもあります。

 

昭和17年4月21日、西条市の海岸沿いの埋立地に民間パイロットの養成機関「愛媛地方航空機乗員養成所」が開設。

 

自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-退避壕内部

昭和19年に入ると軍事体制に組み込まれ、詫間海軍航空隊西条分遣隊を併設。養成所卒業生はここで訓練を受け、姫路海軍航空隊に配属されました。

 

更に昭和20年3月1日、分遣隊と養成所を統合し、「西条海軍航空隊」が誕生します。教育課程は終了し、特攻訓練が主体となります。

 

7月には特攻隊が編成され、鹿児島や大分の基地へと飛び立って行き、22名が散華しました。

 

悲惨なことに、特攻隊以外の隊員も各地の戦地へ赴き、養成所の卒業生302名の内、実に127名(特攻隊の22名を含む)が戦死したのでした。

 

現在、飛行場のあった地は小松ゴルフ場となっていますが、場内には地下で複数の壕が連結されている退避壕、国旗掲揚台(駐車場の入口)、脚付給水塔(場内南東)、兵舎の基礎跡(給水塔の北東)が残っています。

 

自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-兵舎の基礎跡

別にゴルフをしなくても、クラブハウスの受付で戦跡見学の旨を伝えると、自由に見て回れますが、コンクリートの退避壕は、周囲のゴルファーのスイングと飛ぶボールに気をつけてください。

 

退避壕内部は地下水が湧き出ているので、入ることはできません。

兵舎の基礎跡(三枚目画像)は、芝生が間取りの基礎部分だけ、何十年経っても生えないので、よく監察すれば発見できます。

 

「後編」では、このゴルフ場からは離れた箇所にある、素掘りの防空壕やコンクリート造りの弾薬壕群を見て行きます。

 

尚、高知海軍航空隊、浦戸海軍航空隊(高知市)、松山海軍航空隊、徳島海軍航空隊の戦争遺跡については、拙著「四国の戦争遺跡ハイキング」(ロンプ刊)を参照下さい。

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