次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。

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<国道のすぐ側に開口>

徳島県内の装備なしで入洞できる一定規模以上の鍾乳洞は二ヵ所程だと思うが、去年、那賀町のダム施設の見学会の帰り、マイナーな日店洞に寄った。この鍾乳洞は昭和28年、長安口ダム建設で、国道の付替え工事の際、岩盤を削り取った時に発見された石灰洞。

 

洞の情報はネットで十数年前、得ており、内部の支洞等の図も公開され、主洞は全長40mということなので、ある程度奥まで行けると思っていたが、入洞後、それは不可と分かった。

入口は長安日店の国道195号の徳ヶ谷橋西袂から北側を迂回する旧国道沿い。西袂の旧国道入口はガードレールがゲート状に設置され、自動車やバイクは進入不可だが、それは日店洞入口の奥で多数の落石があるため。

 

が、橋の東袂からは進入可。これは旧国道沿いに植林があるため。しかし日店洞入口は西袂から徒歩2分弱程だから、西袂に駐車し、歩いた方が早い。

入口は岩盤の最下部に開口しており、旧国道沿いから斜めに下っていくことになる。

尚、スパイク付の靴か、沢登り等で使用するシューズで入洞しないと落命する危険性がある。

少し下った奥が広間になっており、ここで横穴は一旦終わる。周囲を見渡しても、目ぼしい鍾乳石は見当たらない。

隅に何かの動物の頭蓋骨があるが、奈良県の洞川温泉の鍾乳洞のように、洞内に古代、棲息していた動物なのか。それにしてはそんな古さを感じない。

 

広間の一角は若干ロート状で滑り易くなっており、最下部に水溜まりがある。よく見るとこれは水没した竪穴。

十数年前は、この竪穴情報はネットにはなかった。深さは11mもある模様。ダイバーでないと先に進めない。それ故、普通のアウトドアシューズや長靴等で入洞した場合、滑って竪穴に転落し、溺死する可能性がある。

この竪穴の水は、長安口貯水池の水位が一定以上下がるとなくなるという。

十数年前、到達できなかった前述の高所にある規模が比較的大きな鍾乳洞も機会があれば再チャレンジして、上方にある有名峰にも登りたいが、近年、加齢と体力的な問題で登山口との高度差が400m以上ある山は登れなくなった。

10年程前は、四国で(「西日本で」か)一番きつい山、石立山の、一番きついコースである竜頭山との周回ルートを登ったにも拘わらず、この有様は歯痒いばかり。

その鍾乳洞にも入洞して記事をアップしてほしい、という方は下のバナーを是非。

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<城跡の天然の城門として使用されていた例も>

過去、福岡、大分、熊本県の標高数十から千メートル超にある山上の太古の海食洞門(天然の岩橋)をいくつか紹介した。それは針の耳、古羅漢(天人橋)、西京橋、鼻繰岩(以前は万年仏の写真のみ添付)、穿戸岩(上色見熊野座神社)、男風穴、女風穴、観音岩(穴)、くぐり岩である。しかしまだある。因みに探訪時期は’20~’21年。

 

(1)城井ノ上城址裏門(福岡県築上町)

中世の城井ノ上城址(きいのこじょうし)の立地は全国的に見ても珍しい。周囲を岩盤に囲まれた山城で、城門の表門は二つの岩が折り重なった天然の洞門、高所尾根にある裏門は海食(風海蝕)洞門となっている。

この洞門は城跡の本で偶然見つけたものだが、洞門探訪が主目的だったため、本丸跡をやり過ごしてしまった。ネット情報では、2~3段位の石垣がある所がそれらしいが、看板等の設置はなかったので、そこが正しいのか否かは分からない。

駐車スペースもあり、裏門手前の急勾配地には登攀鎖も設置され、道は整備されている。

探訪時には気づかなかったが、裏門から少し登った所に展望所がある模様。

 

(2)法華窟(大分県日田市)

鬼滅の刃のイメージ聖地とされている岳滅鬼山の登山コースの一つ、岳滅鬼峠の峠道の途中の支尾根にある洞門。

洞門の岩に刻んだ銘板があることから、法華窟を素掘り隧道だと思っている者もいるが、ここは修験道の英彦山四十九窟の一つで、天然洞門であろう。大分県に比較的近い福岡県内に昔の素掘り隧道があったように思う。

岳滅鬼峠の南側の登山口から登れば短時間(10分台だったように思う)で到達できるが、’20年に訪れた時は、登山口の徒歩十数分の手前で、土砂崩れを起こし、車両の通行は不可になっていた。

軽四なら転回できるが、ミニバンのような大きな車両は厳しい。

土砂崩れの上に踏み跡がついているので、簡単に乗り越えられる。

 

(3)窓の迫(国東市)

これも観光本(九州の出版社だったかも知れない)に掲載されていた簡易地図で偶然見つけたもの。

グーグルマップでは、山の中に図示されているが、記憶では東麓の集落からごく短時間で行けたように思う。

登山口に駐車スペースはないので、集落の消防半鐘がある路肩に駐車したように思う。

窓の迫手前の斜面の上りは、踏み跡が薄かったような記憶がある。

そこまで行く手前の水路沿いには小さな防空壕がある。

ここの洞門は簡単に上部に上がることができ、好展望が得られる。

 

前述の玖珠町の鼻繰岩の洞門写真も添付する。以前の記事に記したように、洞門を抜け出て振り返ると、万年仏の顔が現れる。

大分や熊本には他にも複数の山上洞門があるが、道がなく、正確な位置が分からなかったため、到達できなかったケースや、麓が放牧場で立入禁止期間が長く、場所もルート(道なし)も不明のため、断念したケースがある。

 

九州に在住していれば、何回でもチャレンジするのだが。

再チャレンジして探訪し、紹介して欲しい、という方は下のバナーを是非。

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<海岸のL字隧道陣地>

太平洋戦争末期の世界最強の戦闘機、紫電改やその展示館、基地の一つの松山海軍航空基地跡等は拙著「四国の戦争遺跡ハイキング」で取り上げているが、愛南町紫電改展示館に展示されている機が昭和20年7月24日、久良湾に墜落時、それを目撃して救出に向かった部隊があった。(下の写真は墜落地)

幕末の久良砲台跡南西の海岸に築いていた地下陣地、8センチ高角砲台(機能的には水平砲台)の守備に就いていた宇和島海軍航空隊(過去ブログで弾薬壕等を紹介)の予科練兵たちである。

予科練兵たちは急いでボートで救出に向かったものの、墜落地周辺(上の写真)をいくら探しても搭乗員を発見できなかった。恐らく、搭乗員は墜落後、すぐ脱出したものの、海中深く沈み、溺死し、行方不明になったものと思われる。

その機は九州の大村基地から飛び立ち、豊後水道上で米軍の艦載機と交戦し、未帰還となった6機の内の1機だが、今以って搭乗員の氏名は分かっていない。海軍第343航空隊(剣部隊)の武藤金義少尉、今井進一飛曹(一等飛行兵曹)、溝口憲心一飛曹、鴛渕孝大尉、米田伸也上飛曹(上等飛行兵曹)、初島二郎上飛曹のいずれかである。

墜落地は久良漁協の南東で、19.7m三角点を擁す岬南西の養殖筏の側、水深41mの海底。サルベージ船による機の引き揚げは昭和53年7月、元343空隊員や遺族らが見守る中、行われた。操縦席の上部にダイバーが供えた花束が、そのままの状態だったことから、遺族らはすすり泣いた。

この地は紫電改展示館側からも望見することができる。因みに展示館では343空の活躍を描いた須本壮一著の漫画「紫電改343・完結編」や、そのクリアファイルが販売されている。

連載誌が廃刊後、クラウドファンディングを利用して、完結編が刊行された。リターンの絵に直筆サインが入った色紙も展示されている。「戦後編」刊行のためのクラウドファンディングも行われている。

砲台陣地の探訪起点は幕末の久良砲台跡入口の広場。ここに駐車するが、この県道はガードレールも設置できないほど狭いため、対向車が来ると厄介。ハンドル操作を誤ると崖から転落してしまう。

陣地はL字隧道となっていることから、周回できるが、そうすると四つん這いにならないと通れない箇所を通らなければならない。故にズボンを汚したくない方は復路を往復すると良い。

 

前述広場から少し引き返すと、急勾配の尾根が下っているカーブ部(上の図と下の写真)に到るが、その尾根が復路のルート。尾根をしばらく下ると尾根の真ん中に一本の大木があり、そこから踏み跡が斜面を南東に下り、石垣上に出る。すぐ下は砂浜。磯を北西に進むとすぐ砲台口(隧道)が現れる。干潮寄りの時間帯が良い。

周回する場合は前述のカーブ部をやり過ごし、南方の谷状地形に到る(下の写真)。その地形を適当に下ると浜に出る。そして磯を北東に進むとすぐ素掘り隧道が現れる。干潮時の潮位が80cm以下の日が適しているが、干潮の前後1時間位でも歩くことはできる。但し、滑り易いので、スパイク付の磯シューズ等を履いた方が良い。周回時はヘッドランプも持参のこと。

隧道に入ると、奥が極端に狭くなっていることが分かる。これは砲台口(隧道出口)から米軍が上陸して来た場合を想定しており、身体の大きい米兵はここを通り抜けるには時間を要す。そこを、隧道入口と出口側から挟み撃ちにすることもできる。

極小部の奥は突き当りのように見えるが、そこからほぼ直角に北向きに隧道は曲がり、出口(砲台口)に到る。出口手前の西側には少し広い空間があるが、ここは砲弾置場だろう。その横から出口までの間に8センチ高角砲が設置されていた。

こちら側の浜は入口側のものよりきれいで、特に海が澄み渡っている。プライベート・ビーチ感さえある。予科練兵も泳いでいたかも知れない。

陸側は狭く短い谷状地形で、往路同様、こちらにも石垣がある。その奥から隧道のある尾根に向けて踏み跡が斜めに続いている。釣り人が利用しているのだろう。

尾根に乗った地点には前述の大木があるので、そこから尾根を上ると県道に出る。距離的には往路も復路も短いので、労なく探訪できる。

343空関連地としては、松山市のすき焼き店「喜楽」跡(上の写真と下の図・スカイ大街道ビル)もある。「紫電改343」の主人公、343空所属の301飛行隊隊長、菅野直大尉他の隊員たちがよく通っていた店で、大尉より年下の若女将、今井琴子氏が切り盛りしていた。

 

すき焼き店と言っても戦争末期は食糧も限られており、当然、贅沢なすき焼き等は提供できなかったが、隊員たちは弁当持参で通っていた。そんな隊員たちに、今井氏は自分の結婚時の白無垢の布を紫電改に因んで紫に染め、隊員分のマフラーを作り、各隊員が好きな言葉を済美高等女学校の生徒たちに頼んで刺繍して貰い、隊に渡した。

隊員はこの紫のマフラーを巻き、戦闘に飛び立っていった。この話は地元愛媛でラジオ・ドラマとしても放送された。

笠井隊員のマフラーが紫電改展示館に寄贈・展示されている。

そのマフラーを模した土産のマフラータオルを紫電改展示館で買いたい、という方は下のバナーを是非。

<今年も3位以内にフェラーリが>

先般より説明してきたように、今年、旧車ミーティング等で撮影した旧車のベスト5と、その車種のミニカーを発表。

 

第5位・2代目前期型セドリック・スペシャル6

日産の高級車を代表するセドリック史上、一番好きなタイプがこれ。1997年発行の旧車の単行本では、「渡哲也似の車」としても紹介された。

車の「世代」(〇代目)を外観で分ける場合とエンジン系統で分ける場合があるが、この車は後者(130型)。

 

外観上で分けると、このタイプは初代の後期型(三億円事件時の被害車)のマイナーチェンジ型と言えるが、それで分けた場合、2代目の後期型は3代目となる。

初代の前期型(縦目)セドリックがアメリカン・スタイルだったのに対し、初代の後期型とこの車はピニンファリーナによるヨーロピアン・スタイル。

昭和40年に登場した130型のハイグレード・モデルがスペシャル6で、L20型直列6気筒、SOHCシングルキャブ、1,998ccのエンジンで、最高出力105ps/5,200rpm、最大トルク16.0kgm/3,600rpm。

 

添付の実車写真は「前期型の後期型」と呼ばれる昭和42年式。外観では、前期型の前期型、前期型の中期型、そして前期型の後期型はそれぞれテールランプの形状が異なる。

 

撮影地は西条市の「クラシックCarニバルin小松」会場。松山での旧車ミーティングがコロナ禍以降、開催されなくなってからは、愛媛県最大の旧車ミーティングになっている。

ミニカーの型式の詳細は不詳だが、1/43の前期型の中期型のスペシャル6ではないかと思われる。ブランドはCAM。定価は六千数百円程(中古購入故、その半値程)だが、外観・車内共造形は完璧に等しい。

ハンドルからメーター類、ドアノブに至るまで、非常に精巧だが、ワイパーがもっとリアルになれば、定価は1万円を超えるのではないかと思う。

 

4位・メルセデス・ベンツ300SL

力道山石原裕次郎の愛車としても知られる名車。「SL」が初めて車名についたモデルで、その意味は「スポーツ・ライト」。つまり、ライト・スポーツカーのこと。

 

1954年のデビューだが、外観の特徴はガルウィング・ドア。と、言ってもスーパーカーのようなスライド刎上げ式ではなく、ルーフを支点にした刎上げ式。それでも市販車としては世界初のガルウィング・ドアだけに著名人たちは魅せられた。

 

直列6気筒、 SOHC・2996㏄だが、キャブレターに代わって、ボッシュ社と共同開発した世界初の燃料噴射装置を搭載。最高出力215ps/5800rpm、最大トルク:28.0kgm/4600rpm。

実車写真は1955年式。正確には300SLクーペだが、クーペ以外にはオープンカーしかない。撮影地は姫路市のトリノミュージアム。2年前にも来館していたが、その時より展示車両は10台以上、増えている。ただ、1980年代以降の、私からすれば魅力があまり感じられない「新しい旧車」が多い。

 

ミニカーは1/43のソリド。ソリドは精巧さに欠けるため、嫌いなブランドの一つだが、購入した1990年代半ば当時は、ミニカーをコレクションしていた訳ではなかったので、業界については詳しくなかった。

 

ボンネットと助手席側ドアの開閉ギミックあり。エンジンルームは簡素な作りだが、1/43では限度がある。車内も簡素だが、1990年代はまだ、大人向けのミニカー市場が出来上がっていた訳ではないだろう。

実車の300SL自体、テールランプ類が小さいので、このミニカーでは省略されている。そこのところはトミカダンディやダイヤペットより劣るが、ヘッドライトとフロント・グリルの再現度は、当時のそれらのメーカーより優れている。

 

但し、塗装の質は悪い。経年変化で気泡や変色が生じたり、ベタつきもでてきている。日本の前述メーカーでは、そんなことはない(だろう)。

 

3位・アルピーヌ・ルノーA110

実車のA110自体は四国自動車博物館が大豊町にあった頃、館で撮影していたが、その展示車はラリーカーの1800GTか何かで、ノーマルのA110が醸すエレガントさは微塵も感じられなかった。

 

アルピーヌブランドは、フランスのルノーディーラーの経営者、ジャン・レデールが1955年に設立した、ルノー車のチューンナップやレース車両を開発・販売する会社が起こり。

1973年、ジャンは株式をルノー社に譲渡することで会社は傘下となり、1963年にルノーR8を改良して登場していたA110はアルピーヌ・ルノーA110となる。

初期型のA110の仕様の詳細はネットではあまり分からないが、55馬力956ccエンジン程度。その後、1300、1600、1800とパワーアップしていったが、ロータス・ヨーロッパ同様、軽量でコーナリング性能も良かったため、各種ラリーで好成績を収めた。

 

実車写真のものは、以前紹介した「コッパディ姫路」に参加していた車両。グレードは不明だが、1600辺りか。

ラリー仕様なら、このボディカラーは分からないでもないが、ノーマル車で元々このようなケバい色はあるのか?

尚、これから半年後に高知県内で美しい本来のカラーのノーマル車に出会うことになる。その車両写真は別の機会に。

 

ミニカーはトロフィーの1/43。このカラーも暖色だが、A110は寒色が似合う。

ボディの造形はいいが、ライトカバーの接着がやや雑。サイドウインカーや、その内側の部位も絵。車内は見え辛いので、評価は難しい。ただ、ワイバーは繊細なまでに精巧。

2位・フェラーリF40

1987~1992年に生産された車。本来、昭和50年代半ば以降の車は好きではないが、F40は別格車の一つ。エンツォ・フェラーリの遺作でフェラーリ社創立40周年記念車として1987年、発売された。

 

外観は市販車とは思えないコンペティション風だが、性能も3,000ccミッドシップV8ツインターボ、最高出力478ps/7000rpm、最大トルク58.8kg-m/4000rpm、最高速度324km/hと、十分レースで戦えるパワー。

この車、少なくとも2000年代から2010年代前半迄は、当方の地元の地区(大字での)にあった。しかし、そのことを知ったのは、オーナーが既に売却して何年も経った後。

が、今年夏、香南市の四国自動車博物館に寄託・展示されていた。やはり、市販車とは思えない独特のフォルムは見入ってしまう。

 

ミニカーはアシェットの1/43フェラーリ・コレクションシリーズのものと、1/62はトミカプレミアム。前者のミニカーメーカーのブランドはマカオに本社を置く中国のPCT社が展開する「イクソ」だが、中国メーカーとは思えない精巧さが魅力。

ライトカバーの接合もトロフィーのような雑さはなく、車内もメーター類やシフトレバー、センターコンソール等、非常に緻密に再現している。

本来、1/43のものを持っていれば、小さいサイズのミニカーを買う必要はないが、トミカプレミアムはそれを買う前で、且つ、トリノミュージアムに行った記念に売店で購入した。

 

トミカプレミアムは個人的にはトミカリミテッド(無印=商品の金型は黒箱トミカと同じ)に匹敵するミニカーであると思っており、F40もフォルム自体は1/43に引けを取らない。エンジン部が開閉するギミックもある。

1位・アルファロメオ・ジュニア・ザガート

1969年に登場したこの車は、スーパーカー・ブーム時は特に何とも思わなかった。が、何年か前、BS朝日の「昭和のクルマといつまでも」で見たことがきっかけで気になり始め、今年春、1/43のミニカーを購入したことで、「一日も早く見たい車」になった。

 

そこでネットで調べてみるも、中々四国周辺では見られる機会がない。しかし諦めきれなかったので、今度は車名を英語で検索してみた。すると岡山県と兵庫県の旧車による移動型ラリーイベントがヒットした。後者が前述の「コッパディ姫路」。

車名のザガートとは、車のボディ・デザインや製造を行っているイタリアのザガート社(現、SZデザイン)のこと。アルファロメオのジュニアシリーズの車をベースに、ザガートがオリジナルのボディを架装したモデルがジュニア・ザガート(JZ)。

 

このデザインは高く評価され、イヴサンローランが広告に起用したほど。

前期型である1300JZはエンジン形式不詳、総排気量1290cc、最高出力103ps/6000rpm、最大トルク14.0kg・m/3200 rpm。後期型は1600になる。

 

写真は1300。フロント部がかなり低い位置にあり、ライト周りをはっきり写るようにするには、かなりしゃがんで撮る必要があるが、これは空力学的にデザインされたボディのため。

ミニカーは「2024年購入ミニカーベスト5」と被るため、省略する。が、記事の性格上、当ブログには不向きかも知れないので、その記事の作成は不確定。

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<旧車から戦争遺跡まで>

毎年師走恒例の発表。

 

第5位・黒島ヴィーナスロード&海の線路(岡山県瀬戸内市)

黒島ヴィーナスロードとは、STU48のミュージック・ビデオで一躍有名になった、牛窓沖に浮かぶ黒島から中ノ小島を経て、端ノ小島まで繋がる全長800mのトンボロ道。西日本のトンボロ道の中では、小豆島のエンジェルロードに次いで有名。

起点の黒島へ渡るには、渡船をチャーターするか、本土のホテル・リマーニが運航する渡船に乗船するしかないが、去年まで当方は後者の乗船は予約時、2名以上でないと利用できないものと誤解していた。

 

が、「2名以上」という条件は「同時予約人数」ではなく、乗船客全体の人数であることを知り、早速今年利用した。

ヴィーナスロードは弧を描き、三島を繋いでいるが、中ノ小島・端ノ小島間は潮位が10cm以下時でも、膝までの長靴でぎりぎりの水深。それ故、ホテル側はビーサン持参を呼び掛けている。

一方、黒島には「千と千尋の神隠し」の海原電車を彷彿させる「海に続く線路」がある。これは廃業した造船所の船の進水レール。去年、岡山の新聞にも紹介された。

 

4位・「コッパディ姫路」1日目終点(兵庫県淡路市)

「コッパディ姫路」とは、姫路市を基点に兵庫県西部を二日かけて巡るカーラリーイベント。旧車と言うより、「クラシックカー」と呼ぶに相応しい欧州車が多いが、それでも当方が好きな昭和40年代製造車も何台か参加していた。

去年までの間に前述の時代の目ぼしい旧車の写真は撮り終えており、今年からは、どの旧車イベントに行っても、「見れて良かった」と思う車は1~2台程。が、コッパディ姫路では8台もあった。

 

これはこのイベントが全国の旧車イベントを紹介するサイトには掲載されていないことが影響している。

当イベントは2年に1回の開催だが、岡山での同様のイベントは年2回開催で過去、歌手の稲垣潤一が参加したこともあった。但し参加台数は姫路よりかなり少ない。

3位・岩屋山(岡山県津山市)

これは以前紹介したので、詳細は割愛する。山一帯に築造された岩屋城跡の規模は大きく、各遺構は整備されている。

天狗山や龍王山の天空の鳥居が「海の天空の鳥居」(海の展望が優れた)であるのに対し、岩屋山のものは「山の天空の鳥居」(山間部の展望が開けた)。

 

2位・刈又崎の陸軍砲台施設(徳島県阿南市)

ネット情報皆無で手持ちの資料もないが、椿泊の刈又崎の尾根には、竪穴の陸軍の砲台壕と監視小屋のような建物が残っている。これは他の探訪目的で現地に行って、初めて知り得た情報。

竪穴壕は二基、小屋の屋上には屋外のコンクリート階段から上れるようになっており、ここから洋上を監視していたものと思われる。小屋内には通信機等が設置されていたかも知れない。

当方は椿泊小学校から上り、帰路は刈又崎灯台に下りて半回遊したが、福蔵寺付近から登ると完全周回コースになる。

施設の位置を記した住宅地図が見当たらないため、図示できず。三角点に比較的近かったかも知れない。

 

1位・貝谷峠回遊(同県美波町)

土佐街道の貝谷峠南方の街道沿いに「天空ブランコ」が設置されているとの情報を何年か前、得ていたので、今年元旦訪れた。

 

貝谷峠の街道は遍路道でもあるので、道標は完備している。当方は北の登山口から登り、天空ブランコ下方から西に踏み跡を辿り、それがなくなると適当に藪漕ぎして尾根に出て、西方の峠からほぼ廃道の峠道跡を北に下り、周回した。

貝谷峠の東方尾根や天空ブランコ付近からは、紀伊水道の絶景が広がる。

因みに徳島県では三好市にもマイナーな天空のブランコがあり、そちらは車で行ける。

 

ランキングの特徴として、三年連続、旧車関連地がランクインした。

ランクインはしなかったが、今年は2回、旧作映画鑑賞のため、泊りがけで出かけた。

それは「かがみの孤城」(大分県)と「ランボー」1~3の4K版(岡山と広島県)。前者時は他に旧車ミーティングやセーラームーン・ミュージアム等、後者時は怪談ライブや広島の天空の鳥居に寄った。

来年は果たして、どんな絶景やマイナー史跡に出会えるのだろうか。

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