次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。

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高知県内の無名峰(大半が著書未収録峰)や関西のハイキングコースのコースガイドはヤマケイのマイページ

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<日曜のみ探訪可>

四国一、エンジェルロードの数が多い愛媛県本土のエンジェルロードはこれまで10ヶ所以上紹介してきたが、多分これが最後になるのではないかと思う。それは宇和島市の竜王鼻の沖にある八町碆エンジェルロード

 

名称は「碆」だが、平均的な本土のエンジェルロードの島より大きい。ロードの長さは平均よりやや短いが、この前紹介した阿南市の3ヶ所のエンジェルロードよりは長い。

ロード自体の水深は平均的なものだが、そこに到るルート途中にやや深い所があるため、干潮時の水深が、20数センチ以下時が無難。それでも長靴(滑り止め付きの)を履いた方が、安心感がある。

ただこのエンジェルロード、日曜しか探訪できない。それは探訪ルートの起点が私有地で、建設会社の土場になっているので、平日や土曜は立入を遠慮しなければならないから。

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尤も、私有地であれば本来、立入るには許可がいるのだが、地域住民の中には日曜の干潮時、八町碆エンジェルロードに潮干狩りか何かを採りに行っている者がおり、建設会社も黙認している様子。それに土場からのルート以外にルートはない。

土場(下図)周辺には駐車スペースもないので、当方は神崎集落南端のY字路を南西に上って行った所の左カーブの路肩に駐車した。

土場入口には車止めのバーがあり、ここからは私有地である旨の看板があるので、もし建設会社の社員がいれば、一声かけるように。

 

それでも堤防沿いには簡易石段が設けられているので、よく地域住民は訪れているのであろう。が、すぐ少々水深が深い所がある。短靴ならつま先立ちで進まないといけない。

エンジェルロードの付け根に来ると、ロードは一般的な砂州ではなく、ごつごつした石が主であることが分かる。四国本土のエンジェルロードの中で最も歩き難いロードである。が、この2~3週間後、ここより更に歩き難い岡山県のエンジェルロードを歩いた。

 

 

 

 

 

本土から見た限りでは八町碆は西側に平坦な地があるように思えたが、途中で崖状になっていたので、東側を辿り、碆の突端付近に行く。突端の手前だったか、先だったか忘れたが、碆の中腹(歩ける所)に、まるで座禅場のような平坦な箇所があり、満潮時、波を被った後の水溜まりがあった。ここに花でも浮かべると写真映えするかも知れない。

来月は天気が良ければ、岡山の3ヶ所目のエンジェルロードを探訪予定。

岡山県のエンジェルロード記事の投稿も待つ、という方は下のバナーを是非。

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<段奈路の滝(五郎ヶ滝)全景、ネット初公開!>

この前、「四国の風穴~高知・香川県編~」で紹介した不動の風穴がある日高村の大滝山(241m)だが、山頂下方の修行道沿いには、「胎内くぐり」や「山婆の洞穴」、洞門風の岩等、くぐれる岩が複数ある。

また、山中にある「段奈路の滝(五郎ヶ滝)」についてネットで見る限りでは、道標が設置されている滝の天辺まで行くハイカーはいるものの、下から滝を見上げた者はいない様子。それ故、廃道化した滝探訪ルートもネット初公開したい。

 

 

この山では役小角も修行し、鎮護国家の祈祷を行った伝説があることから、古来より修験の山として知られ、山中には護摩壇跡(下の画像)が残り、現在でも、麓にある護国寺(1枚目画像)の住職はこの山での修行登山ガイド(猿田洞ケイビングガイドも)を行っている。

登山コースもいくつかあるが、護国寺の駐車場を基点に回遊するコースを推奨したい。ただ、最も見所が多い二ヶ所の修行道の起点にはいずれも道標がなく、当方も一ヶ所目の修行道(不動の風穴があるコース)を半分弱しか辿ることができず、山を「完全回遊」することはできなかった。

 

 

 

 

 

コースの詳細はヤマケイオンラインに投稿済みの記事に譲るとして、ここでは重要部分のみ取り上げたい。尚、夏場は標高200m台の山は暑いのではないかと思うかも知れないが、当方が登った日(正午前後から登山開始)は最高気温が30度ほどだったにも拘わらず、あまり暑さを感じず、藪蚊も殆どおらず、展望が開けた岩場等では涼しい風がそよいでいた。

護国寺を過ぎてほどなく歩道に変わるが、すぐ現れる三差路(登山コースは直進道)を右に折れた先には、石鎚神社(下の宮・下の画像)の小屋のような社殿と直会殿のような建物がある。

この神社は西条市の石鎚神社から勧請しているが、石鎚山も修験の山で且つ、大滝山山頂は石鎚山遥拝所でもあることから勧請したのであろう。この周辺には紫陽花とヤマアジサイが咲いていたと思う。参道は社殿を過ぎると登山コースに合流する。

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当方が修行道の起点を見逃してしまった地点は標高160m前後位にある三差路。直進道の植林には「山頂→」と書かれた板片が掲げられており、左折道の木にはマーキングテープが巻かれている。当ブログを閲覧している方は、最初はやや下っている左折道に進んで戴きたい。

植林帯を抜け出すと北側が開け、目の前には垂直で長大な岩盤「センジンガ岩」が現れる。この岩沿いは北側が切れている箇所があり、ロープを掴んで進むが、地面に放置された「井沢とめき記念・生態系保護区」の看板の背後に不動の風穴がある。

道沿いの垂直の岩が終わると、道なき崖状の箇所を、ロープを掴みながら登る。踏み跡が現れてもしばらくロープは続く。ロープが終わった場所は平坦な地で、そこから登るとすぐ展望が開けた岩場に到る。

ここはコース随一の展望地で、「大嶽山公園」の一角。公園と言ってもあるのは「展望」だけ。北方の山々から石鎚山系まで遠望できるパノラマを誇る。

この上の送電鉄塔を過ぎると四差路の峠だが、後のコースガイドはヤマケイ投稿記事を参照戴きたい。

二ヶ所目の修行道分岐にも道標はないが、左の踏み跡方向に白い看板が見えているから分かり易い。こちらの修行道は奇岩怪石のオンパレード。特に岩が折り重なった「胎内くぐり」(上の画像が入口)はいかにも修行場という雰囲気。

但し、岩の出口は一段高くなっており、くぐった先にある割れ目「迫割岩」(下の画像)はザックを背負ったままでは通れない。故にザックを起き、出口から降りて入口に抜けることをお勧めする。

高知市の土佐山にある石と同名の「ゴトゴト岩」もあるが、この岩は土佐山の石とは違い、上に乗って揺らすと動く、というもの。しかし土佐山の石同様、動かすにはコツがいるものと思う。

土佐山の石は「世界何だコレ!?ミステリー」でチョコレートプラネットが取材していたが、彼らが「ソロリソロリ」と押していき、「どんだけ~」揺らそうとしてもビクともしなかった。

この後も洞門風の岩が現れるが、岩屋風の「山婆の洞穴」には伝説がある。その昔、京から戦乱により、武士の息子の男児「金太郎」と、その乳母である中年女性が落ちてきて、この岩屋に住み着いた。

金太郎は成長するに連れ、人間の子供とは思えない怪力を発揮していたため、里人から気味悪がられ、乳母も山婆と恐れられていた。しかし百姓の五郎だけは二人に優しく接し、食糧を与える等していた。

が、それは親切心からではなく、五郎は容姿が醜く、女性から相手にされなかったため、乳母に対する下心からくるものだった。

そんな折、乳母は病気を患い、臥せってしまう(上の画像が寝床)。五郎はこれをチャンスとばかりに、介抱時に告白するが、ふられてしまう。

これに逆上した五郎は乳母を手籠めにしようとしたところ、怒った金太郎は側にあった約800キロの大石を持ち上げ、五郎に迫った。これに驚いた五郎は慌てて逃げだしたが、金太郎は大石を近くの岩の上に放り上げ(下の画像)、五郎の後を追った。

五郎は段奈路の滝の天辺辺り(下の画像)まで逃げて来た時、足を滑らせ、谷底に転落してしまった。それ以来、段奈路の滝を五郎ヶ滝と呼ぶようになった。そして金太郎が放り投げた大石は「金太郎の力石」と呼ばれた。猿田洞近くの「五郎」という地名は、五郎が住んでいた地、という意味である。

金太郎の力石は、南東に進んでいた平坦な道が、南西の勾配のある道に変わってほどなくの右手上に現われる。山婆の洞穴からここまで、乳母は五郎に追われて逃げてきたことになる。

大滝山山頂は仏堂跡の広場で、前述の展望所までではないものの、石鎚山遥拝所だけあり、展望は優れ、石鎚山も遠望できる。但し、三角点は展望なし。

復路の三差路には、地面に倒れた段奈路の滝の道標があるが、その道は五郎が足を滑らせた地に行く道で、そこから滝を窺うことはできない。本当の滝の探訪道は何十年も前に廃道化しているが、ヤブ漕ぎ箇所は少なく、滝の下に行くことができる。

そのルートもヤマケイ記事で説明しているが、起点は段奈路の滝の道標がある三差路から距離にして20mほど、北西に下った地点。そこから適当に植林帯に下りる。

帰路は道跡が分かっても、往路は判別が難しいので、適当に東に斜面をトラバースして行く。

竹藪に突入すると滝は近いので、耳を澄まして水の流れる音の方に近づいて行けば行き着く(下の画像)。

しかし滝の水量は極めて少なく、岩肌をちょろちょろと流れる程度。滝壺もないに等しい。落差は20m前後ほどか。滝の上流で水田(地形図で荒地マークがある場所)が耕作されていた頃は、水量が何倍もあったものと思うが、現在は大雨後や長雨時でないと見甲斐のある瀑布は現れない。

廃道化した探訪コースは帰路、未整備山に慣れた者なら道跡を発見できるはず。そのルートや大滝山の回遊コースは→胎内くぐりもある奇岩怪石修験山・大滝山

大滝山をソロリソロリと登って行き、山頂で「どんだけ~」と感動したい、という方は下のバナーを是非。


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<四国屈指の冷風の風穴も>

四国の風穴・後編は風穴の数が四国一多い愛媛県編。それだけに自然洞穴タイプ、産業用貯蔵庫タイプ共、前編の風穴を超える冷気・冷風力を誇る風穴がある。

 

 

(1)風透風穴(西条市)

西条市藤之石風透(かざすき)にあるこの風穴は自著「四国の鉄道廃線ハイキング」の馬車軌道の項で取り上げた。四国の風穴の中では景観、冷風力共、理想のものだが、藪蚊が多いため、長居はできない。

入口に石積みはあるものの、穴自体は自然の洞穴で、麓の止呂ヶ淵と繋がっているとされ、淵と外気との気温差から冷風が吹く。穴の高さは1mほど。

風穴の近くには止呂ヶ淵の主である大蛇の妻になった、四万十町出身の薄雲姫の墓がある。

国道194号沿いに風穴の指導プレートが出ているが、風透集落上部を東西に走る道路からも下りていくことができる。

 

(2)豊受山風穴(四国中央市)

法皇山脈東部の豊受山(1247.4m)の最高所(三角点南方)直下、豊受神社奥の風穴神社の神体が、一見すると小動物位しか入れなさそうな小さな風穴。しかしこれに纏わる伝説は壮大で、この地方に吹く日本三大局地風「やまじ風」の源が、この風穴であると言われている。

それ故、毎年旧暦の6月13日と新暦9月13日の各直前の日曜日には、団子を風穴に投げ入れ、風を鎮める神事が執り行われる。

因みに当方は過去、鋸山(1017.3m)、七々木山(1140m)、豊受山、赤星山(1453.2m)と縦走し、アケボノツツジとカタクリの花の群生を愛でたことがある。→東部法皇山脈縦走

 

 

(3)皿ヶ嶺風穴(東温市)

皿ヶ嶺連峰の主峰、皿ヶ嶺(1270.5m)の風穴コース登山口を上がってすぐの所にある産業用風穴で、愛媛県の産業用風穴の中では第2位の規模を誇る(1位の風穴は未確認)。

面積が広く、標高も高いため、下から湧き上がる冷風も前編で紹介した香川県のものより強力。

建造時期や貯蔵していたもの(蚕卵の可能性高し)は不詳だが、現在は地元の植物愛好家がヒマラヤの青いケシを栽培している。

皿ヶ嶺の推奨登山コースは→皿ケ嶺連峰(5)皿ケ嶺~面白嶽~引地山半回遊

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(4)大成風穴群(久万高原町)

八辻ノ峰(1273.3m)南西の標高1040m前後にある、3基の産業用冷風穴と1基の温風穴からなる風穴群だが、温風穴は平成28年の松山大学の調査時でも発見できなかった。だが、後記リンク・サイトの右端の写真がそれだとしたら、発見は容易い。但し、温風は感じられない。

3基の冷風穴は明治45年に建造され、蚕種蔵庫として使用されていた。登山口から5分ほど登った所にあり、2基は覆屋が再現されている。扉が施錠されていた時期もあったが、道標が一新されて以降は常時、開放されている。

 

 

1基目のものは一番小さく、覆屋の中に竪穴としてある。2基目はすぐ奥にあり、大成(おおなる)風穴群で最大のもの。それ故、入口の手前から冷気が感じられる。

香川県の高鉢山風穴のように石垣通路を通って覆屋の中に入り、右、左と直角に曲がった奥に広い石積みの空間がある。地面から冷気がまるで水蒸気のように湧き上がっているのが見える。それ故、200ルーメンのヘッドランプも明るさが半減する。

 

 

 

 

 

3基目はその上方にあるが、覆屋は再現されていない。大きさと冷気は2番目の規模。入口を入ると左に曲がり、すぐ直角に右に曲がった先に小部屋がある。ここもフラッシュを焚かないと撮影できない。

紹介サイト→大成風穴群

余談だが、風穴群登り口前を通る林道の終点からは、八辻ノ森と気多山(1218m)を往復登山できる。但し、両山共、展望地は山頂の少々先にある。

今後も各種洞穴を紹介して欲しい、という方は下のバナーを是非。

<セリカとポーターキャブ>

今年から中四国や兵庫県南西部で開催される旧車ミーティングを見学しに行くようになったが、自分の歴代愛車の中で旧車は乗用車一台と商用車二台のみ。旧車風レプリカ車も二台。3台の旧車については、写真を撮っていない。それは’90年代、自慢することが嫌だったため。

 

しかしそれは今となっては後悔の限りで、それ故、旧車ミーティングでかつてのマイカーと同車種を見つけると写真を撮ると共に、そのミニカーも購入している。

唯一のマイカー旧車の乗用車は、前も説明したように、昭和48年式のセリカ1600GT。小学生時から、初めて買う愛車はこのダルマ・セリカの1600GTと決めていた。

 

セリカの解説もその記事でしたと思うが、昭和45年10月に誕生したセリカの当時のキャッチコピーは「未来の国からやってきたセリカ」だった。

バンパーがボディと一体化したデザインは斬新で、ユーザー自らエンジンや内外装を選ぶフルチョイス・システムを採用した国内初のスペシャリティカーだった。エンジンはそれまで、高級スポーツカーやレーシングカーにしか搭載されてなかった4気筒DOHCを搭載、最高出力は115馬力だった。

 

 

この初期モデルはテールランプがリヤウインカーと共用だったため、「ワンテール」と通称された。当方のマイカーは昭和47年に排ガス規制により、一回目のマイナーチェンジをしたタイプで、テールランプとリヤウインカーは分かれていた。

添付写真は土佐市のUSAしおかぜ公園ミーティングで撮ったもの。後付けスポイラーやボディの色もマイカーと同じ。

ミニカーは今年初夏に発売されたイノモデルの1/64サイズ。オーバーフェンダーを付けており、1600GTVを彷彿させる。

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トミカより小さいサイズ(トミカリミテッド・ヴィンテージを除く)ながらも、フェンダーミラー、ルームミラー、ワイパーを再現した本格的なもの。定価は3,000円少々。

ペーパードライバー時代を長年過ごした後、セリカを購入したのは’94年後期か’95年初頭だったと思うが、当時は昭和48年式のマツダ・ポーターキャブも所有していた。これも以前触れたと思うが、亡き父から引き継いだ360CC時代の軽トラ。

 

 

当時は農業研修を農業大学校(社会人研修コース)や町内の農家で受けていたこともあり、そのまま乗り継いだが、以前も説明したように、ブレーキはかなり力を入れないと効かないため、急ブレーキは不可だった。

ボンネットのあるポーターが誕生したのは昭和43年だが、一般的な軽トラのキャブオーバー型になったのはその翌年。マツダとしては異例の空冷2気筒エンジンだった。

 

 

昭和48年、マイナーチェンジをして水冷2気筒になった。ボディ・デザインは殆ど変わらなかったが、セリカ同様、ウインカーと共用だったテールランプの下半分がウインカーになった。添付の実車は前期型のワンテール。倉敷市の鷲羽山の駐車場でのミーティングで撮った。

ミニカーは農作業者等のフィギュア付きのトミカリミテッド・ヴィンテージ。流石に360CCを1/64サイズで再現すると非常に小さくなる。それでもヘッドライト周囲のナセルやテールランプ、ウインカー等、忠実に再現している。流石、老舗トミカのナセル技。但し、サスペンションは付いていない。型式、ボディの色もマイカーと同じ。

 

 

当時は車の知識があまりなかったため、ポーターを普通に時速80キロ位で走行していたら、やがてエンジンが焼き付いてしまった。が、修理屋で550CC時代のポーターを発見、即買い替えた。

ポーターキャブは昭和52年、軽自動車規格の変更を受けてマイナーチェンジを行った。エンジンは三菱の2気筒バルカンSを搭載。もう時速80キロ以上出してもエンジンは動じなかった。外観は大型化した以外には、ナセルの形状が丸味を帯びた角型に変わった。

 

 

ミニカーはミニカー付き雑誌「懐かしの商用車コレクション」シリーズのもの。1/43サイズで何から何まで忠実に再現しており、造形については文句のつけようがないが、タイヤがきつくてなかなか回らない。これは付録としてのミニカーや、新興のミニカーメーカーにはありがちなこと。こちらも型式やボディの色はマイカーと同じ。

が、農業をやめ、マイカーの商用車は軽トラから軽のハコバンに変え、やがてセリカも二束三文で売却するのだった。そして愛車は旧車から旧車風レプリカ車時代に突入する。

自分もできれば旧車に乗りたい、という方は下のバナーを是非。

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<自然の竪穴と竪掘り石積み穴>

風穴(「ふうけつ」或いは「かざあな」)と言えば、全国的には鍾乳洞や山中の天然洞門と同義として使用されることもあるが、四国では2種に大別される。

 

一つは立って歩くことのできない、自然の小さな横穴洞穴や竪穴洞穴。もう一つは山の斜面を竪に掘り、内側に石積みをした戦前の産業用貯蔵庫としての竪穴。四国はどちらかと言うと後者が多い。

どちらも穴から冷気・冷風(温風が出る風穴もあり)が出ているが、前者は直接的な風なのに対し、後者は地中から石積みを通して風がそよぐ。

 

(1)不動の風穴(高知県日高村)

ネット検索してもヒットしない、四国では最もマイナーな風穴の一つ。大滝山(240m=石鎚山遥拝所が本当の山頂)北面の標高170m前後の山中にある石灰洞穴。

普通、自然の洞穴の風穴なら、入口のかなり手前から冷気を感じるが、この風穴は入口に来て初めて冷風を肌に感じる。尚、入口右横に安置された石仏は不動明王ではなく、童子。

 

内部は竪穴風になっていたと思うため、装備なしでの入洞は不可。伝説によると、村内の有名な猿田洞に繋がっているという。

ここへ到るコース起点には道標がないので、機会があればまたコースをヤマケイ・オンラインに投稿したい。駐車は護国寺の駐車場(看板無。角にある地蔵を入った所)へ。

 

 

(2)高鉢山風穴(香川県綾川町)

かつて山頂からパノラマを誇っていた高鉢山(512m)の登山口近くにある産業用風穴で、「日本三大風穴」の一つだが、景観的には「がっかり風穴」になるかも知れない。

ただ、この風穴は入口から背丈を遥に超える高さの石垣が通路の両側に続き、まるで塹壕のようになっている。その通路が左にカーブした奥、階段を3段ほど下った所に風穴があるが、気が抜けるほど狭い。石垣の上部には覆屋が設けられている。

ここは大正初期、蚕卵、ウド・みかん・豆等の種子を貯蔵していた施設。当方が訪れた9月下旬時、風穴内温度計は12度を指していたと思うが、5度位に下がる時期もあるらしい。→公式サイト

尚、複数の登山ガイドブックでは、この風穴が香川県唯一の風穴である旨、説明しているが、香川県内にはこれ以外に少なくとも二基の産業用風穴がある。

 

 

(3)志保山風穴(三豊市)

高鉢山より遥に展望が優れた志保山[しおやま](426m)の標高160~170m前後にある産業用風穴。風穴の景観も高鉢山風穴より優れており、奥行き4m、地下部分1.3m、内壁の石積みの高さは7mにも及ぶ。

こちらの風穴も明治後期から昭和初期にかけて、蚕卵を貯蔵しており、当時は覆屋もあった。蚕卵貯蔵庫としての利用が多いのは、冷風に晒すことによって孵化を遅らせ、春だけでなく、夏から秋にかけても蚕から生糸を取るため。

志保山コースガイドマップ→水面を歩ける海岸とその背後のパノラマ山

 

「四国の風穴」後編は四国一、風穴の数が多い愛媛県編。まだ全て探訪していないが、乞うご期待。

そこそこは期待してもいい、という方は下のバナーを是非。


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