次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。


「長州・龍馬脱藩道」「大回遊!四国龍馬街道280キロ」「龍馬が辿った道」「四国の戦争遺跡ハイキング」「四国の鉄道廃線ハイキング」「土佐のマイナー山シリーズ」(各ロンプ刊)、出演舞台DVDの購入法については、「プロフィール」ページ
を参照下さい。





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高知県内の無名峰(大半が著書未収録峰)や関西のハイキングコースのコースガイドはヤマケイのマイページ



○'13年より、コメントを戴いても「ブログの訪問返し」ができない状態になっております。
○当方は相互読者登録を行っておりません。


★古い記事へコメントやメッセージを戴いても、当時の記憶がなく、資料も散逸している為、返答はせず、削除する場合が多々あります。但し、当該記事関連の歴史上人物の一族の末裔や史跡関係者を除く。

<触れ合えるシロクジャクもいる>

先日放送された「世界の何だコレ!?ミステリー」で紹介された国内のものについては、その殆どが四国でも似たような光景が見られるため、「ミステリー」の「ミ」の字もなかった。

特に白いクジャクが恰も幻の鳥であるかの如く、説明されていたが、実際は全国20ヶ所以上の動物園等で見ることができる。その大半がインドクジャクの変異種のシロクジャク

四国では「小豆島銚子渓 自然動物園 お猿の国」(クジャクは小豆島孔雀園廃園後、移送)や「南レクこども動物園」(愛媛県愛南町)で見ることができるが、後者は以前触れたように、鳥たちの檻の中に人間が入ることになるため、通路にいるシロクジャク(5羽程飼育)は、触ることができる。とは言え、触るとすぐ逃げるかも知れないが。

 

フラミンゴも飼育されているが、通路に立っている姿は見たことがない。尚、以前飼育していた園のアイドル、リスザルは当の昔にいなくなっている。見たければ、「とくしま動物園」の「リスザルの森」にでも。

入園無料でシロクジャクたちと触れ合え、「ナニコレ珍百景」で紹介された、入口手前の変な顔のパンダのオブジェを見られることは嬉しいことだが、現在、紫電改展示館の移設工事に伴い、休園中。新展示館完成予定の2027年秋に、こども動物園も再開されるものと思われる。

紫電改展示館と言えば、8月末(現在の館はその日を最後に閉館)まで「ありがとう紫電改展示館」イベント(→詳細)を開催中で、須本壮一氏著の漫画「紫電改343」の主人公のパネルを展示中。

更に8月29日(土)14:00~、館内で「紫電改343」(戦後編も販売)を購入した者を対象に、須本壮一氏のサイン会が開催される。気さくな方で、写真撮影にも応じてくれる。当方は去年、サインして戴き、記念撮影もして貰った。

尚、展示館も無料なので、「紫電改343」グッズや各種土産物を購入して戴きたい。

先日の「世界の何だコレ!?ミステリー」の話に戻るが、最初に取り上げられた養蜂箱は、田舎の中高年なら皆、知っていること。

山中の一定の距離がある猪垣(ししがき)は、経年変化で土が堆積し、高さが低くなっていることが多々ある。

穴の中にある蚕の貯蔵庫については、四国では竪穴に設置されているケースが多く、過去、当ブログで4ヶ所ほど紹介した。

アナログ・コンパス(方位磁石)が狂う場所も、以前紹介したように四国にもある。高知・愛媛県境の土佐ヶ尾山(1092.1m)山頂である。但し、その記事で説明したように、デジタル・コンパスは正しい方角を指していた。故に富士樹海でも、デジタルのものなら、正常に作動するかも知れない。

紫電改展示館は移設新築後、規模はやや縮小される。故に閉館する前に再度、訪れてみては如何だろうか。

PS:来週、三度目(4月から)の手術を行う。

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<アーティスト中心>

今回、安直な内容の記事で申し訳ないが、片目の視力を失って以降、文献や紙媒体の資料を読む行為が、かなりの負担になることからご容赦願いたい。

 

第5位:興福寺・阿修羅像

以前も述べたように、全国の仏像の中で一番好きなのは、「天平の美少年」こと、奈良市・興福寺の阿修羅像。その憂いを帯びた表情が何とも言えない。

関西在住時は各種置き物や像も持っていた。このポスターは奈良公園に比較的近い商店街で購入したもの。

4位:人形スペクタル平家物語・木曾義仲

歴代のNHKのあらゆる番組の中で、最も好きで感動した番組が「人形スペクタル・平家物語」。吉川英治の「新・平家物語」を原作とした大人の人形劇。

特に木曾義仲や愛妾の葵御前が馬から落ちて落命するシーンは、それまでの人形劇の表現にはなかったスローモーションを使ったもので、視聴者を驚かせた。

ポスターは、今は無き、高松市の「高松平家物語歴史館」で購入。

 

3位:白井貴子「LIVING」

この画像はファン遍歴記事にも添付したが、白井貴子のアルバム「LIVING」関連グッズのポスターで、アルバムのジャケットをそのまま、ポスターにしたもの。

人生で唯一、ファンクラブに入会したのが白井貴子だった。

2位:ピンク・フロイド「炎~あなたがここにいてほしい~」

ピンク・フロイドのアルバム・レコード「炎~あなたがここにいてほしい~」に封入されていたB2サイズのポスター。アルバムの発売は1975年だが、購入した1986年でもまだ、B2サイズのポスターが特典として付いていたことには驚いた。

ピンク・フロイドのアルバム・ジャケットのデザインを長年行って来たのは、芸術集団「ヒプノシス」。独特の世界観を持っており、近年、ドキュメンタリー映画にもなった。

また、ピンク・フロイドの「鬱」コンサートは、当方が初めて有料で観覧したコンサートでもある。

 

1位:ドナルド・フェイゲン「ナイトフライ」

スティーリー・ダン解散後の1982年に発売されたフェイゲンの初ソロ・アルバム・レコードのポスター。

当時、洋楽・邦楽を問わず、アルバムを予約注文すると、そのアルバム・ジャケットのポスターを貰えることがあったが、店にポスターが残っている際は、アルバム発売後でも、そのアルバムを購入すると、ポスターを貰えることがあった。要は店員と仲良くなること。

以上、本当はこんな安直な記事より、淡路島の紫苑の山(出口王仁三郎の淡路裏神業を含む=元井戸跡も探訪済み)や、龍馬の岡山や大分滞在所等の記事を書きたいのだが、如何せん、気力がついて来ない。

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<小与島・与島・乙小島>

先週、「世界の何だコレ!?ミステリー」で”瀬戸内海に浮かぶ!穴ボコだらけの奇妙な島”小与島(香川県坂出市)と、『突撃!!だらけJAPAN ~密集にはワケがある~』で、” 瀬戸内海に浮かぶ 謎の白い物体だらけの島” 三ツ小島(広島県呉市)が紹介された。

小与島(上の写真)の「穴ボコ」は藩政時代以前(大正時代から活発化)からの採石による「掘り下げ穴」に溜まった水でできた池で、神秘的な光景でもあるが、定期船がない。

が、島の北端に建つ「ホテル・アクア小与島」(藪の中の廃墟)が営業中は、与島の与島港とフィッシャーマンズワーフ裏の定期船乗り場から渡船があったようである。

 

それ故、「穴ボコだらけの」小与島は、上陸は容易ではない(2名以上で海上タクシーを利用すれば別)が、瀬戸大橋の与島PAのある与島にも、採石穴による複数の池が存在する。

小与島の採石池(石切丁場湖)は4個ほどだが、与島の丁場湖は2~3個程。内、1個の写真は以前紹介済。

与島PA第二駐車場の北側から島の東側に出る道を行くと到着する。添付写真は北側の丁場湖だったと思うが、2004年撮影のため、現在とは雰囲気が異なる。

以前、定期船乗り場の東方の長崎鼻の尾根にある長崎鼻石棺の写真も添付したが、ネット民の中では、当方以外に探訪した者はいないようである。

 

その南方には直径30cmの石を二段に方形に囲んで積んでいる、遺跡のようなもの(用途不明)もあるようだが、片目の視力を失った(2回手術)現在、道のない尾根を探索することはできない。

また、数年前、Googleマップの航空写真で、59m独立標高点に建物を見つけ、行ってみたこともある。現在はGoogleマップに「石鎚神社」の表記がある。この神社は瀬戸大橋ができる前、現在のPAループ橋の北にあった62m峰(瀬戸大橋建設以前の標高)に鎮座していたものである。

 

コースはPA第二駐車場南東から与島小学校を目指し、その手前の急カーブで向きが反転後、小屋の建つ所から前方左上に分岐する小路を上る。

石鎚神社の東に隣接する小さな社殿は山ノ神を祭っていたように思う。

昭和期は、59m峰から島の最高峰である74m峰まで尾根道があったようだが、現在、尾根は藪の密林で、藪漕ぎは困難。

他に過去、紹介していない島の見所としては、B級スポット的な浦城バス停の待合室が挙げられる。コースは小学校手前の急カーブまで戻り、そこから与島港へと下る歩道を行く。バス停は港にある。

この外壁が錆びついた待合室は、瀬戸大橋建設の際、資材運搬船として使用されていたもので、元々は与島の定期船だった。内部にはテーブルや椅子があるが、廃墟のような状態。待合室の背後はゴミステーションになっていた。

因みに港の北方にある塩飽水軍与島資料館は閉まっていた。

帰路は元来た道を帰ってもいいが、小路の傾斜がややきついため、遠回りではあるが、鍋島西方の「城の鼻」から穴部港まで行き、そこから歩道を北方に上り、東側に往路の道が並行してくると、それに入り、戻った。

尚、この日はPA第二駐車場で与島ヨーロッパ車ミーティングが開催されていた。

さて、” 瀬戸内海に浮かぶ 謎の白い物体だらけの島” 三ツ小島の方だが、ここは工業用塩の保管場所であることから、関係者以外の上陸は基本的にできない。しかし、瀬戸内海に浮かぶ「白い島」は他にもある。以前、山口県周防大島の白木山の記事で触れた、採石場の島(下の写真)である。

その記事のアップ時、島名等は特に調べていなかったが、この島は乙小島という。安山岩の島全体が盛り塩のような白い円錐形をしていて、三ツ小島以上にインパクトがある。

島の面積は僅か3ヘクタール。採石される前の島の標高は46mだったが、採石後は10mほどになっている。

 

シマダスには戦前から昭和30年代半ばまで、採石が盛んだった旨の記述があるが、写真を撮影した2010年時も島にはバスやダンプその他、重機等が見られ、まだ稼働しているようであった。

前述記事でも紹介したように、白木山からは真宮島エンジェルロード(上の写真)も望見できる。そこから見る限りでは、真宮島から周防大島までの水深は浅そうに見受けられる。

また、同記事で説明したように、白木山には海軍高角砲台の残骸が散在している。

他にも瀬戸内海には、徒歩や二輪車(自転車やバイク)でのみ、上陸できる無人島もあるが、その記事はまた機会があればアップしたい。

その記事を期待する、という方は下のバナーを是非。

<日本初(世界初か)のUFO搭乗者は愛媛県民>

以前、テレビ東京の番組で、愛媛県はUFO出没多発地である旨、放送されていたことを述べ、各出没地を紹介したが、日本初、或いは世界初のUFO搭乗者も愛媛県民で、その時のUFO着陸地の地図を今回、ネット初公開する。

 

また、2007年に宗教的に開山された、古代ユダヤの「失われた十支族」の祭祀場(百合の宮)を擁す淡路島洲本市にある通称「紫苑の山」(等高線標高80m)には、先祖が宇宙人だった記憶を持つ人物が複数来訪し、太古や縄文時代に、母星から宇宙船で逃れて来た旨、語っている。

 

(1)  縄文時代・紫苑の山(洲本市)

先祖の宇宙人が紫苑の山に降り立った旨、語る人物の中で最も有名なのは、ニュージーランドのワイタハ族のテ・ポロハウ長老。先祖の母星はシリウス星で、星人は龍族。一人一人に守護霊的な龍がついているというが、龍族の王は天皇の先祖であるという。

が、1,200万年前頃、シリウス星は昆虫型宇宙人に攻められたため、龍族の龍たちがその宇宙人には有害になるガスを吐き、「三次元の」生物は住めない星にしてしまった。そこで龍の鱗で造った宇宙船「ナ・ワカ・マラキーホ」に乗って脱出した。

 

その後、プレアデス星団、オリオン三ツ星、火星(地下に在住)と移住していき、何万年か後、淡路島の紫苑の山に降り立った。当時、まだ地球人はおらず、他の惑星から移住してきた宇宙人だけだったという。

また、紫苑の山を開山した魚谷氏の著書によると、徳島在住の女性の先祖の母星は、科学技術の誤用で爆発し、その直前に宇宙船で脱出。10年以上、放浪していたところ、地球からテレパシーで「私たちの星にいらっしゃい」という声が聞こえ、導かれていった先が紫苑の山だった。それが縄文時代なのだという。

 

「私たちの星にいらっしゃい」と発したのは、紫苑の山の山頂の一角にある縄文時代の祭祀場(開山後は「布留辺の宮」[ふるべのみや]として整備)で祭祀を執り行っていたシャーマンであるという。

布留辺の宮(上の写真)には、表面が一部、龍の鱗を彷彿させるようになっている磐座があるが、見る人によると、この石を囲むように筒状の光が天に向かって伸びており、この光に誘われ、今でもUFOがやってくるのだという。ユーチューバーの中にも、この光が見える者がいる。

 

紫苑の山の山頂手前は広大な削平地となっているが、これは関西国際空港の昭和62年の第一期埋立工事の際、尾根の二つのピークが削り取られたもの。が、山頂寄りの尾根は1万分の1の地形図を見ると、元々平地だった。

つまり、昭和50年代以前にUFOや宇宙船が着陸するとすれば、ここ以外にはない。但し、全長が100mを超えるような大型の宇宙船はスペース的に不可なので、通常の大きさのUFOか小型宇宙船になる。ただ、削平された現在なら、全長150m位の宇宙船でも着陸可。

 

紫苑の山の入山日は2~12月の毎月7日と決まっており、事前に魚谷氏の会社にファックスで連絡する必要がある。但し、魚谷氏の都合のつく日に限る。それ故、登山口やコースに関する情報は公開できない。

入山料は2,000円位だったと思うが、各宮(私設の簡易的なもの)での魚谷氏の話や歌が長いため、一日がかりとなる。しかし魚谷氏は今年で80歳。後継者はいるのだろうか。

 

(2)江戸初期・天来風伯神社(西条市)

この神社と逸話は前述のテレビ東京の番組でも紹介されたので、参拝した者もいると思う。

今から三百数十年以上前の藩政時代初期、夜中に空から光る物体が鍋のようなものに載って、現在、天来風伯神社が建つ地に、フワリフワリと降りて来るのを目撃した住民がいた。

現地に行ってみると、鏡と鍋の欠片のようなものとがあったので、ご神体として、天来風伯神社を建立したという。この伝承は、無人偵察用小型UFOが故障して、地上に落下してきた事等、想像される。

 

御神体は本殿に祭られていると思われるが、神事等でそれを見たという情報はネットにはない。科学的に分析できればいいが、御神体だけに不可だろう。

この神社のある地は分かり辛い、という者がいるが、地形図には神社マークと歩道が描かれているので、非常に分かり易い。

 

ただ、登山口付近の車道が、地形図やGoogleマップに記載のものは、現況とは異なっているため、地図に慣れていない者にとっては、やや分かり辛いかも知れない。そこで、登山口(武丈丸野線4号橋)の少々手前の道路から神社までのコースを記した地形図を添付する。

登山口の標高は約390m、神社は約490mなので、短時間で行ける。橋を渡った先の急カーブの内側にはかつて丸野集会所があったが、落石で潰れ、更地になったのだろうか。

2010年代まで居住していたと思われる伊藤家まで、歩道は舗装されている。

 

つまり今は廃村。因みに丸野集落で最も多い姓が伊藤姓。西条で伊藤というと、天正の陣時、金子備後守勢として戦った伊藤近江守を思い出すが、一族の末裔かも知れない。

植林帯に入るとほどなく、左手に石段が現れるので、上がると社殿が現れる。

拝殿手前の右側に三基並ぶ祠は「三社様」で、右端の祠はツチノコを祀る「七十五ソウ様」。

 

昔、集落の畑の隅の大石によくツチノコが現れていた。が、当時、「寸胴で短い気持ち悪い蛇」にしか思われてなかったため、耕作者は「下肥でもかけたろか」と言って、追っ払っていた。

 

が、その者の家に不幸が続くようになったことから、拝み屋に視て貰うと、ツチノコが怒って祟っているという。ツチノコの神霊は「我は氏神の門番もできるほど、位の高い者である。それをよくも恥かしめてくれたな!」と言ったことから、山伏に祈祷して鎮めて貰った。

 

(3)昭和4年・高忍日賣神社御旅所(松前町)

日本初のコンタクティ(宇宙人との接触者)として、一部で知られる天中童(仮名だがK氏のことか)氏の体験談については、昭和期に発行されたUFO雑誌「UFO contactee」(下の絵)や平成期の星野明彦氏の著書で紹介されているが、その体験地を「松山市郊外」と記述していたことから、ネット民等は松山市だと思い込み、UFO着陸地を同定できずにいた。そこで当方の出番となる。

天中氏が初めて宇宙人と接触したのは昭和元年の2歳時。ある夏の夜、就寝していると、なぜか優しい雰囲気に包まれた感覚になり、目が覚め、外に出たいと思い立ち、玄関の戸を開けると、身長が2m近い、20~30代位の宣教師のような服装をした青年が立っていた。

 

彼は優しく微笑み、天中氏を抱っこした。天中氏自身、それがとても心地よく感じられた。そして抱っこされたまま、近所の高忍日賣神社や墓地、湿地(現在は水田)等を散歩した。

それ以後、毎年夏になると数回、同時刻に青年は訪ねて来て、天中氏は不思議と目が覚め、抱っこ散歩を楽しんだ。

5歳時の昭和4年8月2日も21時過ぎ、玄関先で自分を呼んでいるような気がして、天中氏は目を覚まし、外に出ると、また青年が立っていた。が、その日は散歩ではなく、青年は「今日は面白い所へ連れて行ってあげるから、何でも見たいものがあったら、言ってごらん。」と微笑んだ。

天中氏が「キリンと鯨が見たい。」と応えたところ、青年は「じゃあ、見せてあげよう。」と言い、いつものように天中氏を抱っこし、墓地を抜け、水田の一角にある高忍日賣神社の御旅所に行った。当時の御旅所は今の倍以上の広さがあり、東側は湿地帯だった。そこには直径数十メートルの円錐形をした金属の物体があった。当時はUFOという言葉は勿論、「空飛ぶ円盤」という言葉すら日本にはなかった。

抱っこされたままUFO内に入ると、他の乗員の出迎えを受けた後、白い貫頭服に着替えさせられ、座席に座り、シートベルトを付けて貰った。

その後、南氷洋で鯨を見学し、ケニア辺りで象やキリンを見せて貰った。

UFOは更に北上し、砂漠に到った。そこには無数の切石で築かれた四角錐の巨大な構造物があり、その前には砂漠から頭部らしきものが突き出た、巨大な像があった。それは後年、エジプトのピラミッドと、首から下が砂に埋もれたスフィンクスだったことを知る。当時、海外旅行を楽しむ観光客は稀だったため、スフィンクスは整備されてなかったのである。

 

御旅所に戻った際、天中氏は青年から「あなたはアブラハムの子です。これは大事なことだから、よく覚えておきなさい。」と言われた。

自宅に帰ると8時間が経過しており、「神隠し」に遭った、と、騒動になっていたという。

 

翌年の8月2日もUFOに搭乗したが、行きたい所を聞かれると、通学している学校等と答えたため、近場を往復するだけだった。

三度目の搭乗は小学4年か5年頃(昭和9年か10年)で、青年に「綺麗な月に行ってみたい。」と言ったところ、「本当は、月はあんなに綺麗な所じゃないんだよ。」と言われ、UFOは東方に飛行して行った。

着いた所は笹原の高山の山頂だった。「ここなら月がもっと綺麗に見えるから。」と、促され、外に出てみると、非常に寒く、月を愛でる余裕はなく、すぐ帰った。

それもそのはず、そこは四国屈指の高山、標高1897mの瓶ヶ森だったのである。夜は夏でも流石に寝間着では寒い。

因みに平成期、単行本著者の星野氏が天中氏夫妻と瓶ヶ森に登った際、石鎚山上空を飛行していたUFOの写真を撮っている。

 

以上、久しぶりにUFO記事をアップしたが、6月22日に再手術&再入院するので、当該ジャンル記事をアップすることもしばらくないかも知れない。紫苑の山については、詳しい記事を後日アップしたいが、予定は未定。

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<なぜそこにそれが>

過去、SNSにアップしたものや、当ブログで紹介したモノのセレクト記事。因みに入院は今月中旬以降も続く予定。

 

(1)  姫塚(香川県綾川町)

ヤマケイの「香川県の山」の前山の項に載っていたので有名だが、実際に現地でこの塚を見ると、一瞬、首がない姫の石像かと勘違いしてゾッとする。

平家落人の姫君がこの地まで落ち延びてきたが、供の侍が討たれたため、自害した。その埋葬地だという。

 

(2)眉山山中の姿見鏡(徳島市)

眉山の東山腹を走る道路が、石段と交差する側にかつてあった姿見。夜、ここを通るとゾッとするが、現在は擁壁の壁面に移動している。

(3)縁切さんの刃物 (高知市)

以前、伝説の詳細を紹介した、白鳳時代の三人の墓の内、「ヒメサマノハカ」と「ウバサマノハカ」が縁切さんと呼ばれ、昔から夜な夜な刃物を供える者が後を絶たなかった。

 

が、’90~’00年代頃は、世話をする僧がいて、刃物を見つけると撤去し、近くの病院の給食室で勤務する妻に渡し、彼女は料理に使用していた。使用することが供養になるのだ、と。

が、その僧も高齢になり、世話する者もいなくなり、覆屋も崩れてなくなった今、供えられた刃物はそのままの状態で錆びついている。

 

(4)嶽山権現の舌出し面(愛媛県愛南町)

これは一番ゾッとした。以前紹介した三浦権現山山頂の嶽山権現に掛かる巨大な面。一体、何に対して舌を出しているのか。

以上、入院中なので簡単な記事しかアップできないが、再手術の可能性も出て来たため、入院は5月下旬以降も続くかも知れない。

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