次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。


「長州・龍馬脱藩道」「大回遊!四国龍馬街道280キロ」「龍馬が辿った道」「四国の戦争遺跡ハイキング」「四国の鉄道廃線ハイキング」「土佐のマイナー山シリーズ」(各ロンプ刊)、出演舞台DVDの購入法については、「プロフィール」ページ
を参照下さい。





フォートラベル・サイトへの投稿再開トラベラーページ


高知県内の無名峰(大半が著書未収録峰)や関西のハイキングコースのコースガイドはヤマケイのマイページ



○'13年より、コメントを戴いても「ブログの訪問返し」ができない状態になっております。
○当方は相互読者登録を行っておりません。


★古い記事のコメントへの返答はせず、削除する場合があります。

<地下施設が2ヶ所ランクイン>

今年も一年を振り返る時期がやってきた。今年は今迄になく、自然や史跡探訪を行わなかった。4~9月は、高知県内で開催の全てのやなせたかしの企画展、全ての各種無料のあんぱん展、やなせたかし関連地探訪、あんぱんロケ地探訪を行った。因みにあんぱん展は松山市で開催されたものも見学した。

8月から今日までは毎月、黒潮町のあかつきシアターと、愛媛県内で開催の怪談サークルの怪談座談会に参加してきた。あかつきシアターではインド映画と香港映画の新作がほぼ毎月上映される。来年もこの毎月のルーティンは続くものと思う。

では、ランキングを。※4位と3位の地以外は過去紹介済。

 

第5位・朝ドラ「あんぱん」香美市ロケ地(高知県香美市)

ロケ地がランクインするのは初めてだが、香美市香北町の県道から徒歩数分で、絵画に描かれるような別天地があるのには驚かされた。

「天空の菜の花畑」の三角点岩標からの物部川の景色も絶景。

第4位・ダンダダンのゲンガテン広島会場(広島市)

アニメや漫画の企画展等の展示会がランクインするのも初めて。しかも広島市は日帰りできる限界の地域。過去、スタジオジブリ関連や鬼滅の刃の全集中展の広島会場時は宿泊したが、今年は正月(5日間ほど風邪で寝込んでいた)も含め、一度も泊りがけでの探訪は行わなかった。

漫画版の展示会故、まだアニメ化されていないキャラクターやストーリーが見られ、それらのグッズが買えたことは良かった。来年はアニメ版の巡回展示会が始まる。

因みに今年、漫画の原画展では「紫電改343」の原画展にも行き、作者にサインと記念撮影をして貰った。

第3位・経ヶ森&霊仙洞(愛媛県松山市)

何年か前、松山に新興宗教の廃寺の人工洞窟があることを知ったが、久しく忘れており、今年、思い出して、展望のいい経ヶ森とセットで周回した。

経ヶ森山頂には巨仏ではないが、仏像が建立されている。

霊仙洞は比較的麓に近い場所にあり、洞の前には霊仙堂の廃墟群がある。入洞してすぐ、直角に右へ折れ、狭く、天井部が高い空間に到る。そこで座禅を組んでいたのだろう。

第2位・久良8センチ高角砲台壕(愛媛県愛南町)

15年程前、愛南町の久良湾から海底の紫電改を引き揚げる様子を収録したNHKの番組のDVDで、その紫電改が敵機と交戦後、湾に着水してすぐ救出に向かった、宇和島海軍航空隊の予科練たちが任務に就いていた地下の高角砲台壕を見て、気になっていた。

が、こちらも久しく忘れており、今年、久良湾沿いの砲台配置図で砲台の種類を確認し、現地へ向かった。壕は米軍が上陸してきた場合のことを考慮し、掘られていた。

第1位・黒滝(徳島県那賀町)

徳島県内で7ヶ所目の探訪となった裏見の滝。これで四国の裏見の滝は15ヶ所探訪したことになる。以外にもコースの目ぼしい分岐には全て道標が設置されていたが、登山口の道標は倒れていた。

滝壺沿いには観瀑と食事に最適な岩があり、ミストシャワーが降り注ぐ。夏場なら、そこを離れたくなくなる。

ランキングは以上だが、今年の大晦日の探訪地によっては、1位、若しくは2位がその地に取って代わる可能性がある。そこは、広島県のとあるスーパー低山の絶景地。

来年の正月明けには、そのレポートをアップして欲しい、という方は下のバナーを是非。

散歩・ウォーキングランキング
散歩・ウォーキングランキング

<毎月開催の旧車ミーティング情報も>

今年3月、「四国と周辺県の大規模旧車ミーティング一覧」(→記事)という記事をアップし、13ヶ所程のミーティング一覧を列挙したが、その後、何度かミーティングを追加し、現在は17ヶ所を明記しているため、追加分を簡単に紹介したい。

 

(1) 小田深山ノスタルジックカー&スポーツカーミーティング

                    (愛媛県内子町)

日程=初夏と秋の2回 会場=ソルファ小田スキー場

 

1980~90年代の国産車が多い。主催者発表では一日通算70台程が参加した旨あったが、出入りがあるため、実際には30台少々程が展示されている。

地域イベント的になっているので、各種キッチンカーが出る。

(2) ゑびす昭和横丁(高知県香美市)

日程=9月第2土曜と日曜日 会場=旧土佐山田町の中心商店街

 

商店街を歩行者天国にして、各店舗で各種昭和の催しや飲食が提供され、道路の片側に旧車が展示される。

土曜日は県内在住オーナーの国産車が多く、日曜日は県外在住者の外車も見られる印象を受ける。

(3) アナログタイム(香川県さぬき市)

日程=12月第一日曜日 会場=亀鶴公園東側駐車場

 

会場の使用許可申請の提出時期の問題で、日程と会場が確定するのは、開催日の2~3週間ほど前。

参加車の9割以上が国産車。1月3日の与島ミーティングがなくなって以降、香川県最大規模の国産旧車ミーティングになったが、ネットにはあまり情報が挙がらない。

キッチンカーは出ないが、同日、西側駐車場でマルシェが開催されることがある。

(4)コッパディ姫路(兵庫県西南部)

日程=偶数年の6月第一土曜と日曜日 会場=県西南部各地

 

これは以前、「2024年至極の探訪地ベスト5」記事で紹介した。二日間で約360km走行するクラシックカーラリーだが、一日目の宿泊地である淡路島の「グランドニッコー淡路」では、参加者のミーティング的懇親会が行われていたように思う(確かではない)。

参加車は1920年代頃から1970年代のクラシックカーとネオクラシックカー。欧州車が主。

因みに来年早々、香川県のもう一ヶ所のミーティング(香川県内では有名)を元記事に追加予定。

尚、毎月開催の小規模ないし中規模旧車ミーティングとしては、香川県坂出市のスーパーカーミーティング「おはせと」(第一日曜日開催で旧車に限らない。ポルシェが多い。)や、以前紹介した高知県土佐市のUSA(宇佐)しおかぜ公園ミーティング(第二日曜日開催。「竜とそばかすの姫」聖地の側) が比較的有名。

毎月開催の大規模ミーティングでは、兵庫県三木市のオールジャンルカーオーナー・ミーティング「関西舞子サンデー in メッセみき」が有名だが、見学者も参加費が必要のため、行ったことはない。

来年はより多くの旧車ミーティングに出かけたい、という方は下のバナーを是非。

<ジオラマガレージのライトは本格的>

以前の記事「映えるミニカー等のディスプレイ写真」では、デアゴスティーニの「アメリカンカーコレクション」のディスプレイ・セットに、自分で撮影した写真や、映画のパンフレットの絵を貼り付け、ミニカーやトレーディング・フィギュアを撮る方法を紹介した。

 

今回はそのセットの背景ボードにLPレコードのジャケットを置いて撮影したものと、市販のミニカー用ジオラマ・ガレージ・ディスプレイケースで、ミニカーとトレーディング・フィギュアを撮影したものを紹介したい。

まずはLPレコードだが、これはアリスのアルバム「アリスⅣ」で、それを逆さまにして、ディスプレイ・セットの背景ボードの箇所にセットしたもの。

床面には、米国から輸入された米国規格のポスター額(B1に近いサイズ)の裏面を写真に撮り、プリントアウトしたものを置いた。

実車感はないが、背景が立体的に見え、アートな感じになる。

 

1/43のミニカーは先日、BS朝日で放送されていた「昭和のクルマといつまでも・2時間スペシャル」で紹介されたコルトギャランGTOとアルピーヌルノーA110。

前者は「国産名車コレクション」シリーズのもので、後者はデアゴスティーニの「ラリーカーコレクション」シリーズの1800GT。番組で紹介された後者の実車は、排気量が少ないタイプだったが、レース仕様にしていたため、外観は1800GTのラリーカーに近い。

因みに1800GTか否か不明だが、四国自動車博物館が大豊町の「アルティ300」にあった頃、A110のラリーカーを展示していた。

1/64前後サイズのミニカーは右から京商のUSAカーコレクションのACコブラ、マイストのジャガーXJ220(ノンスケールか)、缶コーヒーのセットに付いていた?プラスチックのプルバックカーのシボレー・インパラ(ノンスケール)。

 

一応、トレーディング・フィギュアの中ではやや大きめの海洋堂の「北斗の拳」のフィギュアを置いてみると、今一つ。アート的に映えるフィギュアでないと駄目か。

次は1/43サイズのミニカー用組み立て式ジオラマ・ガレージ・ディスプレイケース。ジオラマと言っても木製ボードに絵が描かれたもの。但し、この特筆すべき所はライト。

 

ライトは球のない平面のLEDが一列に多数並んでおり、そのシールを剥がして天板に貼り付けるようになっている。

そのライトは寒色、暖色、その中間色と、3種類のモードがあり、照度は何と10段階、調整できる。

ライトを点灯させ、写真を撮ると、まるで実物のカレージ・ライトのような輝きを放つ。

電源はUSBで、この商品と同じシリーズのものなら、積み重ねることができ、それぞれコードで接続することにより、一つのUSBで複数のケースのライトを点灯させることができる。

 

これだけの機能があれば、日本のメーカーのものなら1万円以上すると思うが、アマゾンのものは中国製なので4,599円と廉価。

ただ、「安かろう、それなりだろう」的な所は否めず、ライトシールの、コードと接している部分は、そのコードの重力により、剥がれ易くなっている。とは言え、それは使用の度に張り直せばいいこと。面倒な場合は、強力な両面テープを貼ればいい。

これでの1/43のミニカーは、3個の内、2個は同じく「昭和のクルマといつまでも」登場車である、エブロのカローラ・レビンと「懐かしの商用車コレクション」のサニー・トラック。

 

もう一つはキンスマートの1/54サイズのフォードF650スーパー・クルーザー。サイズ的には、乗用車の1/32サイズに相当する。そう、このディスプレイケースは大きめのサイズにも対応している。

ならば逆に小さい1/64前後サイズのものはどうかと言えば、置き場所にもよるが、一応、撮影はできる。但し、背景ボードの工具箇所から遠ざけなければ、縮尺的に可笑しくなる。

 

写真のミニカーは右から黒箱トミカと同じで、トミカの何十周年記念かでセット販売されたサニー・エクセレント・クーペ1400GX、トミカリミテッドヴィンテージの後期型コルトギャランGTO、’70年代に購入した黒箱トミカのセリカ1600GT。

「昭和のクルマといつまでも」では、このサニー・エクセレント・クーペではないが、フロントグリルが異なる、同様のシルエットのサニーが登場した。その型の車は兵庫県等の旧車ミーティングで時折見かけることがある。

 

ガレージに合うトレーディング・フィギュアは、レース関係のものか、車が主役の漫画やアニメのもの位かも知れない。「サーキットの狼」の主人公等のアクリルフィギュアは持っているが、通常のフィギュアはない。

撮影したのは、赤毛のアン、映画「アルゴ探検の大冒険」の青銅巨人、タロス、セーラームーンのルナとアルテミス。アンとタロスは食玩だったかも知れない。

ガレージではなく、車のショールームのディスプレイケースなら、タロスは博物館風に撮れるかも知れない。

様々な工夫でフォトジェニックなミニチュア写真を撮りたい、という方は下のバナーを是非。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

<アニメとアニソンの傾向がまるで別>

私はアニメについては、2018年、タツノコプロの「四国まるごと美術館」を観覧したことがきっかけで、劇場アニメ以外のアニメも久方ぶりに見るようになったが、アニソンのCDも’10年代後期以降、比較的買うようになった。

 

勿論、子供の頃、アニメは毎日見ていた訳でもあるから、1970年代から2020年代上半期までの55年間のアニメとアニソンのベスト作品を年代別に発表したい。

 

《1970年代》

[ベストアニメ=さらば宇宙戦艦ヤマト]

アニメを「子供の見るもの」から、「大人も楽しめる娯楽」へと変革させたのが、「宇宙戦艦ヤマト」だった。が、最初は「変革」に大人の理解が追い付かず、低視聴率に。

しかし再放送で徐々に人気が出て来て、劇場版第二弾の「さらば宇宙戦艦ヤマト」で人気が爆発。

戦艦大和の沖縄特攻を彷彿させる内容で、登場人物が次々と戦死するが、それは監督以下スタッフが、戦争の時代を生きた者だったから。

直径約6,600kmという大きさの軍事都市、白色彗星の描き方は度肝を抜かれるスケール感。

「魔女の宅急便」が公開されるまで、日本アニメ映画の興収記録ホルダーだった。

 

[ベスト・アニソン=薔薇は美しく散る(鈴木宏子) ]

「ベルサイユのばら」のオープニング主題歌。が、アニメ自体は塾がある日時とかぶっていたため、あまり見ていない。

それまでのアニソンは、「如何にも子供向きの歌」という曲が多かったが、この曲はニューミュージックぽい歌謡曲で、テンポがいいものの、当アニメの物語のように哀愁も感じられる。

《1980年代》

[ベストアニメ=北斗の拳]

ダントツの1位。が、当初、タイトルを見て、少林寺等が舞台の中国武術のアニメだと思っていたので、テレビ大阪の「グレートマジンガー」を見ていた。

しかし実際に見てみると、「マッドマックス2」の世界観に於いて、拳法で勧善懲悪する内容だったので、すぐ虜に。

来年は、原作に忠実なストーリーのテレビアニメが始まるものと思われる。

 

[ベスト・アニソン=想い出がいっぱい(H2O)]

「みゆき」の前期エンディング曲。透き通った音色と歌声のニューミュージック。初めて聴くのに何故か、懐かしさを覚える不思議なメロディーで、平成以降、卒業ソングになった。

《1990年代》

[ベストアニメ=カルラ舞う!-仙台小芥子怨歌-]

「カルラ舞う!」の第二弾アニメだが、一弾が劇場アニメだったのに対し、二弾はOVA(全6巻、DVD化されず)。しかし感動度は第二弾の方がはるに高く、最終巻は見る度に号泣していた。

 

呪術廻戦のような霊力者同士の対決を描いた作品だが、原作者がどのシリーズでも、舞台となる地域の伝説や風俗(習俗等)を徹底的に取材するところが、他の漫画家と違う所。

最終巻では、主人公たちの敵が、自分の命を捨ててでも、自分を受け入れてくれた妖怪的存在の者のために闘おうとする姿に号泣。

また、いわくつきの作品でもあり、以前説明したように、試写会に男性の霊が現れ、チェック前のアニメには複数箇所に奇妙な赤い光のような映り込みがあった。

また、アニメ監督がアニメの舞台を訪れ、ビデオ撮影した際は霊障を受けている。

更に塩沢兼人(「北斗の拳」のレイのCVも)等、声優やスタッフが不可解な事故や病気に見舞われた。但し、塩沢の死との因果関係は不明。

 

[ベスト・アニソン=愛の戦士(石田よう子)]

セーラームーンRセーラームーンSの挿入歌だが、収録のアルバムはRのもので、シングルCDはS時、「タキシード・ミラージュ」のカップリングとして発売された。

主題歌は曲も歌詞も子供向きアニソンだったが、この挿入歌は、曲調や編曲はJポップ寄り。ただ、歌詞はどちらかというと子供向き。それでも愛と悲しみを乗り越え、闘いを続けるセーラー戦士たちの心情を、歌詞と曲でうまく伝えている。

 

後編へと続く。

「年代別ベスト漫画」記事も読みたい、という方は下のバナーを是非。

人気ブログランキング
人気ブログランキング

<宇宙人に渡された石に導かれた先には>

以前、「岡山と四国のUFO重要事件」の記事の中で、日本人初の宇宙人写真撮影者愛媛県四国中央市の塩田氏の事案を紹介し、彼が同市に墜落した介良型UFOの残骸を回収したことも少し触れた。

 

が、彼は宇宙人を撮影した日、宇宙人から奇妙な石を渡されていた。そのことやUFOの残骸回収については、平成以降に出版された市販本では触れられることはなかった(と思う)。そこでそれらについて、昭和期のUFO雑誌「UFOと宇宙」を元に説明したい。

時系列から言うとまず、宇宙人を撮影した日の三ヶ月程前の昭和50年2月3日16時頃、塩田氏は何度も各種UFOを目撃していた城山(現在、模擬天守の川之江城が建つ丘)にて、至近距離で小型UFOを目撃する。

 

四国山脈方向から飛行して来て、橘丘、城山を通過し、香川県の琴弾山方向に飛んでいったという。2枚目の写真は、UFOが城山の外灯のすぐ上を飛行していることから、地上10m以下位の超低空を飛んでいることが分かる。

直径は介良型UFOの倍位の40~50cmほどか。UFOの底面しか写っていないので、形状が介良型か否かは分からない。

 

そして5月31日21時過ぎ、宇宙人を撮影することになるのだが、プラズマが発生し、宇宙人が現れ、消えるまで約5分だったという。

消えた後、目線を下にやると、自分が片手に何かを握っていることに気づく。それは全長二十数センチほどの平たい石だった。つまり、宇宙人は消える前、塩田氏にこの石を渡し、数十秒ほどの彼の記憶を消したのである。

 

それから2ヶ月後の7月24日夜、いつものように城山の頂上に立ち、海の方を眺めていると、陸地の方に向って、オレンジ色に光る、小さい何かが飛んで来ているのが見えた。すると突然、その物体は燃え上がり、下降していき、墜落した。

翌朝、塩田氏は急いで墜落した付近を探すと、二個の金属片(添付写真は一個を別角度で見たもの)を発見、自宅に持ち帰った。

大きい方の残骸は、コンパスを近づけると針が大きく振れ、南北とは全く異なる方向を指した。

添付写真の小さい残骸の方を見た時、テレビ番組で見た、介良事件のUFOの底にあった、蜂の巣状の部分にそっくりだと思ったという。

 

介良事件では、UFOを捕獲した中学生たちは、この穴へ湯を流し込むと、「ジジジ」という機械音がしたという。実はこの蜂の巣状箇所、UFOの搭乗口である可能性が高い。添付写真の介良UFO模型は、穴が小さいが、実際はもう少し大きい穴が蜂の巣状になっていた。

当初、UFOを捕獲した中学生たちは、周囲から嘘つき呼ばわりされたことから、このことはマスコミや小説家には話さなかったのだが、田にUFOが着陸していたのを発見時、石ころ等を投げつけていると、UFOの底部が開き、「何か」が外に出て来たという。それを見て、中学生たちは怖くなり、その場から走り去った。

 

その「何か」は、介良の朝峯神社境内で目撃されたような、小人型宇宙人だろう。火星探査機も、宇宙服を着用した小人型宇宙人を撮影している。

蜂の巣状残骸の方は、軽石のように軽かったという。

宇宙人から渡された石(輝石粗面岩のような)のことも気になっていた塩田氏は、2年後の昭和52年春、導かれるように石とコンパスを持ち、友人の車に乗り、西へと移動する。「今日こそは行かなければ」という強い衝動にかられたという。

 

彼は右手に石、左手にコンパスを持ち、何かを感じ取りながら、運転手に行先を指示していった。

辿り着いたのは今治市菊間町の高仙山麓付近。道沿いには、何かの石柱のようなものが所々あった。塩田氏は、石が導いていたのはこれだと思った。

この石柱について当方は菊間町の図書館で調べてみたが、「隠れキリシタン碑」であることが分かった。数種類あり、菊間町に約70基存在する。高縄半島周辺に集中してあり、一部、松山市郊外にもある。

 

製作年代や製作者、製作目的等、一切判明していないが、一石五輪塔(五輪塔を簡略化した小さな石塔)と共に建立されているケースが多々あった。

中・東予でキリスト教の布教を行っていたのはイエズス会系と言われているので、その信者たちがキリスト教の存在を隠すために、一石五輪塔と一緒に、それに似せた隠れキリシタン碑を建立し、密かに信仰を続けていたのではないだろうか。

 

隠れキリシタン碑には、教会を表した教会石、マリアが合掌したように見える線刻像があるマリア石、同様のキリスト石、同様のパーテン(神父)石等がある。

旧菊間町教育委員会では、多数存在する隠れキリシタン碑を代表して昭和58年、種の城之上(碑の種類は不詳)と浜の蔵谷(教会石)にある碑を文化財に指定した。

 

但し、塩田氏が実際に見た碑はこの二ヶ所のものではない。種か浜地区のどこかのものであることは分かるが、探すのは非常に厄介。尤も、宇宙人の石が伝えたかったのは、「この地区にキリスト関連の遺物がある」ということではなかったのではなかろうか。

宇宙人と何度もコンタクトを取っていたジョージ・アダムスキーによると、キリストは地球を救済するため、金星人が転生したのだという。

 

更に世界初、UFOに搭乗した愛媛県民(松前町出身)も、自分は聖書に登場する、ある人物の息子の生まれ変わりである旨、宇宙人から説明を受けている。

塩田氏は、自分が宇宙人に貰った石に導かれたことから、旧菊間町や旧大西町に、宇宙人か、宇宙人の子孫が暮らす集落があったのではないか、と、推測していた。因みに、スタンフォード大学のある教授は、宇宙人は確実に古くから地球に住んでいる旨の発表をしている。

 

塩田氏の持っていた石やUFOの残骸を岐阜県羽島市のパレオ・ラボ等で調査して貰いたいところだが、彼の子孫の居住地等は不詳。石や残骸の行方も分からない。

尚、隠れキリシタン碑探訪の際、城之上の探訪時は、その南東の市道沿いにある、ゴミステーション付近に駐車スペースがあり、蔵谷の探訪時は、菊間中学校南方の県道164号の路肩にスペースがある。

隠れキリシタン碑だけは見ておきたい、という方は下のバナーを是非。