次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[報道実績]高知放送、NHK徳島局、RKCラジオ、高知新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山口新聞、防府日報等々。

自然、戦跡、ときどき龍馬-「長州・龍馬脱藩道」 $自然、戦跡、ときどき龍馬  $自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-龍馬が辿った道  $自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-四国の戦争遺跡ハイキング  $自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-四国の鉄道廃線ハイキング  $自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-土佐のマイナー山part2
「長州・龍馬脱藩道」「大回遊!四国龍馬街道280キロ」「龍馬が辿った道」「四国の戦争遺跡ハイキング」「四国の鉄道廃線ハイキング」「土佐のマイナー山シリーズ」(各ロンプ刊)、出演舞台DVDの購入法については、「プロフィール」ページ を参照下さい。


フォートラベル・サイトへの投稿再開トラベラーページ

高知県内の無名峰(大半が著書未収録峰)や関西のハイキングコースのコースガイドはヤマケイのマイページ

○'13年より、コメントを戴いても「ブログの訪問返し」ができない状態になっております。
○当方は相互読者登録を行っておりません。

〈なぜ今迄本当の現場写真がネットに出なかったのか〉
前回、2015年にネット公開された新・第二介良事件(筆山小型UFO捕獲事件)について、唯一、ネットに出ていた現場写真の地(新筆山トンネル上の久保田家墓所)を紹介したが、後日、詳細レポートが掲載されたムーの過去号を取り寄せて確認すると、全く違う場所だったことが判明した。本当の地は筆山墓地入口周辺だった。

事件の顛末についてもムーに詳しくレポートされていたので、再度述べたい。
第一介良事件のあった翌年、昭和48年8月24日17時頃、潮江中学校の野球部員、15名前後が足腰を鍛えるため、筆山山頂へ続くコンクリート階段を繰り返し往復していた。

そんな折、階段の途中(西山家と山田家之墓がある箇所のやや上)から南の墓地を見下ろすと、一角に黒光りのする異様な物体が100個以上、散乱しているのが目に入った。

皆、足を止めて見ていたのだが、上級生が下級生に、その物体を何個か持ってくるよう、指示した。5名の下級生が現場に行き、10個、持って来た。下級生の中には、介良事件と同様の小型UFOではないかと、怪訝に思う者もいたが、取敢えず、学校に持ち帰った。

以降のことは前回説明した通りだが、物体の大きさは介良のものより若干大きく、直径25cm、高さ20cm、重量500gだったという。
ムーに掲載の現場写真は前述の階段箇所を合わせて5点。その内、4点の現地は確認できた。

まず、筆山墓地入口(皿ヶ峰登山口)東の墓所一帯(上の図とその上の写真)。次は入口を入るとすぐ東に折れる道を進んだ先。道がなくなった所で一段低くなったところに階段で下りる。そこの竹村家墓所一帯も現場。

次は本道に戻る。すぐY字路があるが、この西の森澤家墓所一帯も現場。因みにこのY字路を南東に下るとすぐ、当方が名誉回復のための古文献の一文を見出し、高知新聞でも報道された勤王志士、真田四郎(窪田真吉)の拝み墓がある。道を下りきった先には、前回説明した筆山事件の偽現場がある。

もう一点のムー掲載写真については、写る風景に特徴がないことから、現地を同定することはではなかった。
しかし疑問に思うのは、筆山墓地という有名墓地であるにも拘わらず、なぜ今迄、ネット民の中に事件現場を確認しようとする者がいなかったのか。

なぜ、偽現場の写真を著名人(来月公開される映画の脚本も執筆)がアップしていたのか。その方を案内した者は、なぜ偽現場を案内したのか。本当の現場を隠蔽する必要があったのか、等々、疑問は尽きない。

ところで7月6日から高知県立文学館で開催されるムー展の作家コーナーの遠藤周作展示スペースに、第一介良事件関連が展示される。
ムー展も筆山事件現場も見たい、という方は下のバナーを是非。

人気ブログランキング
人気ブログランキング

〈旧・第二介良事件現場は調査中〉

~※6/17現在、事件現場は実際とは異なっていたことが判明。詳細は後述~

先日、タメやんさん(UFO捕獲者と同窓)からの情報提供により、1970年代前半、高知市の筆山墓地で起こった筆山小型UFO捕獲事件現場を探訪してきた。尚、別称を「新・第二介良事件」としているのは、1976年6月、仁淀川町で「旧・第二介良事件」が起こっているため。

但し、旧の方は体験者が当時9歳の女児だったため、UFOに触りはしたものの、捕獲はしていない。
筆山事件の概要を改めて述べると、第一介良事件から何年も経たない頃、潮江中学校の野球部員が練習場所を求めて筆山周辺を探していた。そんな中、整地が進められていた新筆山トンネル(平成時代竣工)上部の墓地の一角に、介良と同じ直径20cm弱のUFOが100機以上、駐機(放置?)されていた。

部員の中にはドッキリか何かでは、と疑う者もいたが、取敢えず10機、学校に持ち帰った。それを美術の教師に見せたところ、第一介良事件のように、様々の物で叩いて強度を調べた挙句、硫酸までかける始末。しかしキズ一つ付けることはできなかった。

その後、UFOはダンボール箱に入れてしまっておいたが、翌朝見てみると消えていた。
筆山は昔からUFOや怪光の目撃多発地だが、当時、マッチ棒のような小人の宇宙人を目撃したことも噂されていた。

更に平成のある日、筆山周囲で20機以上の通常の大きさのUFOが目撃された日の夜、あるバーに身長2mほどで、頭頂部が異常に尖り、足を180度に広げてガニ股で歩く奇妙な客が入店した。

その客はまるで無機質で抑揚のない、昔のコンピューターのような機械的声(「ワレワレハ宇宙人ダ」のような)でビールを注文した。
飲み終わると支払い時、「オツリハ、イリマセン。」と言って帰ったという。この宇宙人の特徴は、1974年、岡山県玉野市で起こったアンドロイド宇宙人首すげ替え事件と同じ。

四国では同年代、高松市でUFOに攫われて身体検査(その時、宇宙犬も目撃)を受けたケースや、四国中央市ではプラズマを発し、発光する宇宙人が写真に撮られている。

筆山事件に話を戻すが、事件現場への上り口は新筆山トンネル東口。階段を登り切った所は平たいコンクリート面になっているが、そこから墓地を見ると正面に貯水槽のようなコンクリート擁壁が見える(上写真)。その左横のK家の墓所が現場である。UFO捕獲当時はまだ整地中だった。

尚、駐車スペースがないため、車で行く場合は筆山第二駐車場に駐車し、皿ヶ峰登山口から墓地へ入り、奥のY字路を左に折れる。この道は野中兼山墓所下に下るので、そこから階段を下り、兼山公園先のY字路を左折すると、ほどなく階段が現れるので上がる。上がった所が前述の平たいコンクリート面である。

 

※6/17現在、以上の内容を撤回すべき事態となった。それは当事件の詳細を記した書籍を取り寄せて確認したところ、当事者の案内で現地に行ったレポートとその写真を見る限りでは、周囲の風景がK家墓所とは全く異なっていたから。K家墓所をネットにあげていたのは、作家の中沢健氏だが、果たして事件当事者の案内で行ったのだろうか。

※その後、実際の現場付近をグーグルストリートビューで比定。晴れの日にでも現地調査する予定。

 

来月は第一介良事件をモチーフにした映画のロケが始まるので、高知をUFOのメッカに。
興味なくてもUFO聖地巡礼は行いたい、という方は下のバナーを是非

介良以外にUFO100機以上が同時に
今月、介良事件(小型UFO捕獲事件)をモチーフにした映画「Miracle☆Summer(ミラクル☆サマー)」(ロケ地は中芸地域)が製作される旨の記事が高知新聞に掲載されたことで、再び注目を集めている同事件だが、最近、同事件から数年後に同型のUFOが100機以上纏まっていた所を発見し、何機か介良同様に捕獲した事件や2010年代に介良で再び目撃されたこと、同地区で近年、小人目撃情報があったことを知った。

介良事件は以前、記事を投稿したから詳細は省くが、昭和47年8月から9月にかけて、高知市の介良中学校の複数の生徒が直径約18cmの小型UFOを5回以上、捕獲しては逃げられる(消える)、ということを繰り返した事件。

その場から忽然と消える、ということはテレポートや瞬間移動で、瞬時に物質を分子レベルに分解して別の空間に復元して転写する技術。地球の科学力では、この技術を手に入れるには1万年以上かかる。

このUFOの最初の目撃地(上の図とその上の写真)は地元の者の大半は知っている。UFOを捕獲して自宅に持ち帰ったM兄弟宅の西方の水田である。UFOファンやユーチューバーが訪れることもある。

M兄弟が自宅へ持ち帰ったのは9月21日だが、各種観察をし、他の友人に知らせようとM氏が自宅を出て、一緒に居た友人に、UFOの上に座布団を重ね、見張りをして貰っていた。しかし、M氏が他の友人を連れて来て、座布団を除けるとUFOは消えていた。

その後、M氏は友人らと室内でボール遊びをしていたのだが、ボールが窓から外へ出てしまったため、友人がボールを拾いに行くと、側を流れる本江田川沿い(上の写真と下の図)にUFOが落ちていたから再び捕獲。

 本江田川は当時、自然の小川だったが、現在はコンクリート護岸になり、川幅も倍以上になっている。

9月22日、UFOはM氏らの前から永遠に姿を消す。その日、M氏は友人と共に別の友人宅にUFOを持って、自転車で向かっていた。UFOはビニール袋に入れ、自転車の荷台に乗ったM氏の右手にコードで十字に縛り付けていた。

が、いきなり何かに右手を引っ張られたような感覚があり、M氏は路上に転げ落ちた。ビニール袋の中を見るとまたもやUFOは消えていた。その場所は介良乙の中屋バス停西(上の写真と下の図)。これら3ヶ所は第一発見場所に駐車して、徒歩で巡ることができる。

それから数年後(或いは翌年)、高知市の潮江中学校の野球部員が練習場になりそうな広場を探しに五台山に行ったところ、山中の墓地付近で100機以上の小型UFOを発見し、何機かを学校に持ち帰った。

※2016年に発売された書籍で、墓地の場所は五台山ではなく、筆山だったことが判明。

教諭にも見せて見解を聞いた後、ダンボール箱に詰めてガムテープで蓋をしておいたが、翌日、テープはそのままでUFOだけが消えていた。
UFO発見場所の写真は某UFO研究家がネットに上げているが、その場所を探し出すことはできなかった。

更に2010年代前半、介良潮見台小学校に通っていたH氏が3階の教室のベランダで友人と話をしていた時、ふと外を見下ろすと、電線の高さ(上の写真と下の図)に小型UFOが浮かんでいた。そのUFOはツバの部分がくねっていたという。が、目を離した一瞬、消えた。

また近年、介良の朝峯神社拝殿前の鳥居の元を歩く小人が参拝者によって目撃されている。小人が歩いていた箇所(下の写真とその下の図)にはきのこが何本も生えたという。朝峯神社は式内社だが、このような社格の高い神社境内に普通の霊は入れないので、神使の類かも知れないが、前述のUFO研究家によると、小型UFOの搭乗員ではないかという。

同様のUFOは昭和51年、仁淀川町の児童の前にも現れており、また、いの町にはUFO多発地、UFOラインもある。高知県はUFOで地域おこしができるかも知れない。

それには前述の映画のヒットが欠かせないが、製作はクラウドファンディングによってなされる。故にみなさん、協力を。支援額によっては、エキストラ出演や東京での舞台挨拶等のリターンあり。
UFO聖地巡礼をしたい、という方は下のバナーを。

にほんブログ村 アウトドアブログ 散歩・散策へ
にほんブログ村

<小規模施設もカバー>

過去、ブログで触れた旧車展示施設をまとめ、且つ、大分県の2館を追加し、各館毎の推し車を挙げる。

(1)トリノミュージアム(兵庫県姫路市)

推し=フェラーリ288GTO(日本に一台)

フェラーリ中心だが、ランボルギーニ・ミウラやカウンタックも。

(2)マビ昭和館(岡山県倉敷市)

推し=三菱デボネアのオープンカー(世界に3台)

国産車のみ。本館以外に別館も。

(3)福山自動車時計博物館(広島県福山市)

推し=マセラティ・カムシン(乗車可)

国産車と欧州車

(4)マツダミュージアム(広島県府中町)

推し=初期型サバンナ

台数は意外と少ない。平日は係員の案内で工場見学とセット。土曜日は自由見学。

(5)ヌマジ交通ミュージアム(広島市)

推し=マツダRX-500(コンセプトカー)

展示は3台のみで、昭和車は上記とコスモスポーツ。

(6)ホイール(愛媛県大洲市)

推し=ホンダ1300クーペ

1台以外国産車

(7)四国自動車博物館(高知県香南市)

推し=カウンタックLP400

「サーキットの狼」主人公、風吹裕矢の4台の愛車のモデルあり。国産車とスーパーカー。コンペティション・タイプが何台もあるのが特徴。

(8)アクトランド(上記隣)

推し=日野ルノー(無料エリア)

園内の世界クラシックカー博物館に後期型コスモスポーツ等、無料エリアにホンダT360やマツダR360、ミゼット等。ボンネットバス博物館や世界モデルカー博物館も。

(9)昭和の町(大分県豊後高田市)

推し=後期型2代目スカイライン(無料区域)

無料区域や有料館等に国産車が合わせて10台前後あるが、3月の旧車ミーティング開催日に訪れた方が良い。その際の駐車場は市役所。通常の専用駐車場は有料。

因みに今年の旧車ミーティングにはウルトラセブンのポインターが来た。

休日はボンネットバスで町を周遊。

(10)九州自動車歴史館(大分県由布市)

推し=ランボルギーニ・ウラッコ

外車の方がやや多い。三億円事件時と同車種のセドリックと白バイも展示。ボンネットバスは乗車可。

本当の推し車は初代トヨエースだったが、先月はなくなっていた。展示リストからも除外。

湯布院は平日でも狭い道路は観光客でごった返しているので、人をはねないように車で館に行くのが一苦労。そこの駐車場に駐車すると他の観光施設を回れないのでは、と思うかも知れないが、そんな心配は無用。しかし詳細は述べられないので館に。

(11)日本の名車歴史館(福岡市)

推し=日野コンテッサ900

昭和40年代初期の車が多い。

九州には他にも西日本一(関西以西)の展示台数を誇る施設があるが、見学施設としては推奨できない。

全館制覇したい、という方は下のバナーを是非。

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング

<白色彗星との攻防がスクリーンに蘇る>

先月、40年ぶりに映画の前売り券を購入し、先週2回、香川県綾川町のイオンシネマ綾川(四国では唯一の上映館)まで観に行った。その映画は4Kリマスター版特別上映「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~」(1/25まで・各種割引無)。

 

ヤマトは中高年者ならご存知のように、メカニックアニメの元祖的作品で、一大ブームを巻き起こし、劇場版2作目となる「さらば・・・」は、劇場アニメの興収記録(43億円)を叩き出し、平成元年、「魔女の宅急便」が公開されるまで、記録が破られることはなかった。カリオストロの城やナウシカでも敵わなかった偉業である。

そんなヤマトだが、テレビシリーズ一作目の視聴率は芳しくなく、本来、39話放送予定のところ、全26話で終了した。私も当時、裏番組(都会での放送時間帯とは違うかも)の「猿の軍団」を見ていた。

 

猿の軍団は「猿の惑星」の真似師だから、ストーリーの想像はある程度つく。それに対し、ヤマトは主人公が人でもロボットでもない無機質な宇宙戦艦という前例のないケース。あらゆる面で想像がつかない。

しかしヤマトの版権元は作品に絶対的な自信を持っており、全国のテレビ局に再放送のプロモーションをかけ、それが功を奏し、じわじわと人気が出てくる。

再放送の視聴率が20%を超える等、人気が最高潮になると満を持して劇場版が’77年、公開される。テレビシリーズ放送終了後、2年が経過していた。

 

テレビシリーズの総集編的映画だったにも拘わらず、都心の映画館には行列ができ、興収も21億円になり、ヤマトブームが到来する。スーパーカー消しゴム同様、ヤマト消しゴムも発売され、人気だった。

そして翌年、「さらば・・・」が公開されると、ヤマトは社会現象化するほど、人気はヒートアップした。

「さらば・・・」が成功した要因は、白色彗星の圧倒的スケール感は言うに及ばず、一番は監督がアニメ畑ではなく、実写映画の舛田利男監督だった点だろう。

 

舛田監督は複数の戦争映画も撮っていたから、戦闘シーンは面白い。当然ヤマトに「戦艦大和」のイメージを重ねたはず。大和は沖縄特攻作戦に参加する途次、撃沈された。沖縄の浜辺に乗り上げ、砲台となり、米軍を迎え撃つ、無謀な作戦だった。

舛田監督は「さらば・・・」でもヤマトを特攻させようとしたのではないだろうか。だから主要乗組員の大半は戦死し、最後、ヤマトは敵の超巨大戦艦に、テレサと共に向かって行き、体当たりした。

 

子供の頃、テレビのロードショーで「さらば・・・」を見た時、ヤマトのようなちっぽけな宇宙戦艦がガトランティスの巨大戦艦に体当たりしても、ビクともしないのでは、と思っていたが、巨大戦艦を倒したのは、ヤマトと一緒に体当たりしたテレサの特性、反物質の威力だろう。反物質は少し触れただけで大爆発を起こす。しかしなぜテレサは裸?服が物質だからか。

余談だが、作品の中で地球は宇宙のリーダーだと語られていた。しかしこれは認識不足も甚だしい。光の速度より早い宇宙船を建造する技術すら持たない地球の文明は、UFOを保有する惑星と比べると科学は何万年も遅れている。

 

だから、以前述べたように宇宙人は地球を征服しようとは思わない。人間がチンパンジーを滅ぼそうとしないように。

と、いうことで昭和のアニメファンは是非、入場特典付きの「さらば・・・」を観に行かれたい。

有給休暇を取ってでも観に行きたい、という方は下のバナーを是非。