ボクの仕事は兵庫北部の田舎の家庭教師。関西地区とはいえとても閉鎖的で保守的な場所。


 こんなボクのところに厄介な仕事が舞い込んできたのが去年の10月。どうしても至急に登校することができなくなった高校2年の生徒に入って学校に行かしてほしいとの事。それまで高校生を教える自信なんてなかった。中学の範囲は全体がほぼ把握できてたので的確なアドバイスがいえたものだが、高校は自分がサボった時期と重なるので数学なんて教えるにはキツすぎる。英語も雰囲気で学んでいるので、やたらと理屈っぽい高校英語は教えにくい。でも断ることができなかった。心理学を少しでも学んだ方に・・・・というリクエストと、なにを隠そうボクも似た理由で中学の時に転校したからね。  


その生徒宅は山奥の小さな集落。車でも端に停めないといけないようなところ。雪が降ると車を停める場所がなくなるくらい雪深い、山の谷間の集落。最寄の駅まで片道10キロの山道。それから高校まで列車で2駅、徒歩20分。そんな場所で彼は話せる友達も居ないまま一人でいたのよ。 まだ学校へ行かなくなって2週間目。それから行き始めても問題ないほどだった。それまでの成績ががた落ちといっても、それはクラスさえ出ていれば考慮してくれる。でも彼は行けなかった。なんども親と親に頼まれたボクも行くよう試みるがパニックになる。ボクをさけるようになる・・・・だれにとっても悪い方向に向いていたのよ。  


だから依頼内容をボクから変えた。「もう圧力をかけるのは止めましょう。取り返しがつかなくなりますよ」と


初めは納得しがたい様子だったけど、生徒が日に日に明るさを取り戻しボクにも、生徒の母親にも心を開き始めた。色々話してくれるようになった。でも・・・・


事態はそんなに甘いものではなかった・・・・・


その時点で、本人・両親の意思で考えると、地元の公立高校(夜間はないのですべて定時制)に編入、最悪1年から再入学。もっとも一般的な通信制は他人との交流ができなくなる(山奥なのでね)という理由で保留。通える範囲の高校を10校ほど挙げるが、通学方面が今までと同じだと繰り返し登校拒否になる可能性が大なので、うち4校だけとなる。さっそく4校に編入試験についてボクから聞いてみるが、どこも

「親と、それまで通っていた学校を通さないといえない」

まではいいが、

「過去にそのような例がない」

「教職会議を開く必要がある」

「退学者を受け入れるのは・・・・・」

という返事。あげくに

「編入制度はあるが、親の転勤やその他重大な事項があったのみ許可を出す」

と言われ

「登校拒否がその重大な事項にはあたらないとっ!!」

とボクが声を荒げてしまった。

生徒は反社会的なことをしたわけじゃない。学校をいけなくなったとはいえ、学習意欲は学校に行っている生徒以上にある。 けれども、あまりに保守的だった。この時代にそぐわない古い体質だった。再チャレンジというものがまるで愚かであるかのように言われた。プライベートな1家庭教師には交渉に限界があった。


埒が明かないので生徒が今まで通っていた学校と両親とボクで協議。

1、学校側が校長を通して編入の交渉をする。

2、編入の交渉は2校に絞る。うち編入試験を許可したほうのみ編入試験をする(志望校を増やすと決裂するおそれあり)

3、その間、両親とボクはノータッチ。混乱を招くと言うこと。

という、これまた意味深な内容。そして今までの学校を信じるしか道がなくなった。まんま運を天に任せることに。その上、第二志望もない。すべてはとんでもないハイリスクな賭けになってしまった。


それから2月の半ばまで、いっさい両親もボクも事がどのように進んでいるか知らされなかった。もう一年から入学になるのかと考えたりね。その間は誰もが精神的につらかったのよ。でも運良く編入試験の許可が下りたのよ。偶然か否か・・・・・ボクが声を荒げた高校だった!!

試験は3月3日。でも4日前までテストの日付、内容ともに教えられなかった。これまた一発勝負しかできない。ボクも生徒を信じるしかできなかった。


結果は・・・・


見事に合格!! 難関校や第一志望校が受かったような次元の嬉しさじゃない。いままで山の奥で一人ぼっちだった彼に友達ができる、もう一度やり直しができる・・・・それが何より嬉しかった。そして生徒がよくぞ半年間も耐え続けたことに敬いたい。ヤサグレて暴力少年になる選択をとらなかったことにね。


今日木曜日はその生徒の日。手ぶらで行く気がしなかったので、ケーキを家族分買って”祝いに”と持っていく。 ビックリした!! 彼がここまで話し好きで、ジョーク好きで、前向きで、笑うことができる生徒だと初めて気がついた。お互いに肩の荷がおりた。だれもがシナリオ作りに没頭したけど、結局は神がつくってくれたんだろうね。

相変わらずマスコミときちゃあ・・・・・ それを支持する俺たちも俺たちかなと思うけど・・・・人を叩くのって好きだよね。それでいて(?)って思う人たちはトコトン素晴らしい人だと褒めちぎる。

●姉妹なんて高級売春婦だぜ! その手の仕事をする人は悪いって言ってるわけじゃないのよ。ただセレブだとか高級とかゴージャスといって崇める傾向を作り出し、やつらもヘーキで見下したものの言い方をしてる。手段を選ばず金を稼いだやつが上で、そうでは無い者は下っ端なのか? 

某、暴言占い師なんかも”あんた死ぬわよ”なんて言いやがる。悩んでいる人、そして自分をしたって相談しに来る人によくそんな暴言吐けるものだわ。お金をいただくわけだから感謝するべきだろ! そのお金でホスト遊びときた。地獄に堕ちるのはだれなんだ?


でも紙一重なんだろね。

リエモンなんて、あまりに両極端すぎて笑っちゃうね。”ウソついたから・・・””違法したから・・・” 彼自身逮捕される前と後とは人間として違いなんて無いのよ。あることは”逮捕”っていう一事柄のみ。だから僕たちも、たかが一事柄に振り回されて人を見るなんてことをしちゃあいけないんだよ。逮捕っていう言葉は聞こえが悪いけど、アメリカのイラク戦争反対しているシンディー・シーハンも逮捕されてるぞ。


っていうことで何が正しくて何が間違いなんか分からない。別に今に始まったことじゃないんだよ。マスコミの怖さって言うもの、自分たちの無知さっていうのはアメリカに居るときの911テロ、イラク戦争でイヤというほど味わったからね。なんでテロで大統領支持率上がるのよ? あれだけイラク戦争反対集会があったのに、戦争が始まれば90%近く戦争支持になるんだ? それでなんで戦争反対のステッカーを車に貼っていた心理学の先生は、隣のドライバーに罵声を浴びさせられなければならないの?

そのときの多数の日本での反応は冷静だったよね。日本人は新聞・本を比較的読むし、冷静沈着で判断できる。イラク派遣の数字も大して変わらない。それは日本人の美徳と思うわけ。だからゴシップも冷静にならないかなって思うわけよ。

家にいると、母方のお墓があるお寺の使いの方がプリントをもってやってきた。俺に負けずと変な挙動をするヒトで、始めは怪しげなセールスかと思ったが・・・・・ 

にしても、そのお寺はあまりいい気分がしない。かつておじいさんがなくなったとき、気を利かせた父親が”お寿司”を頼んだときに

「お寿司より、ステーキの方が好みなんですが・・・・」

とか、お盆にシーマに乗ってお経をあげに来たりとか、少し前では僕より2つ年下の修行に出ているものが帰ってくるので、それに伴う住居のお布施をせがまれたりとか(恐ろしくデカイ家をたててた!! そのせいでお墓までの道が塞がれて遠回りしなくちゃいけなくなったりとか・・・)とケタチガイにゾクな生活をしてやがる。

去年のお盆、そのケツの青いボーズが家にお経を上げに来たことがあって、その時はじめて挨拶したのだが、ロスの友達多くを呼んで渇を入れたいような、まぁヘナヘナしたやつで・・・・ なにか失礼な言動があれば皮肉のひとつでも言うたろかぁ・・・・・・と。

さっそくお経を始めたのだが・・・・ 何かが変。舌をかむっていうのは、まぁ、新人だから許すにしても、テンポが明らかにおかしい。あえて音楽用語を使うならば”アンデンテ”くらいが”お経”の”木魚”のペースだろうけど、それはどう聞いても”プレスティッシモ”!! マジメなシチュエーションでそれはギャグにはならんぞ!! まぁ、新手のトランス音楽っぽかったので新鮮に感じたけど。それで最後に”母親”の姓を名乗るのだが、”父親”の”アベ家”なんていいやがる。こうなったらありがたみもヘッタクレも皆無だ。 最後に次の移動のため車に乗り込むときに、同乗者に”B’ZのCDって車の中にあったかな?”なんて大声で騒いでた。その頃は皮肉の一つ言うことも忘れてアッケラカン。 それ以来、”ビーズなボーズ”って呼んでるけどね。


まぁまぁ、そんな寺から手紙が来たわけ。さっそく読み始めると・・・・・

”「物が栄えて心が滅ぶ」「物豊かにして心荒ぶ」といいますが、ものが有っても心がない、なんて悲しいことでありましょうか・・・・・”

っていう書き出し。ケッ、ヘドが出るぜぇ・・・

”・・・・・仏心がなければ、人の心は育ちません・・・・・”

あんたの寺で手をあわせてお布施払うことが”仏心”だったら、”人の心”なんて育ったもんじゃねぇ。さらに”疑問”ちゅうのが沸くってもんよ(怒)

とあって、結論から言うと、さっきの”ビーズなボーズ”が本格的に帰ってくると。(まだテメェの家のために金集めておきながらホッタラカシだったのかよ) それで今年は月忌供養(月参り)をしてまわると・・・・ 説明すると年に一回の命日ではなく、それぞれの月にある命日の日付と同じ日に”お勤め”するということ。 毎月2回、うちに来るってか? 邪魔でうっとおしいから来るな。”俗世間”はゼニを集めるため忙しいんだよっ。”オプション”をこれ以上つけるなっ

やつら”ホトケ”ってのバックにつけるから気が悪い。だったら俺がここまで言ってバチ食らわないの?っていわれたなら、くらう気がしない。”仏”を口実にして贅沢な生活をする・・・・・・ これほどバチ当たりなんてもんは世の中に殺人ぐらいしか無いじゃないの?

とくに書くことがなければ、以前にあった話でも書くことにして、今日はその第一弾。 僕が空港税関でぶちキレたおはなしでも書いとこうかな。 僕はすぐ血が上るタイプではないとは自覚しているのだけでども(自分のことは自分ではわからないので真意はどうなのか確かめようがないけど)、そのときはキレたね。俺にも恥っちゅうもんがあるってもんよ


ってことは今から約一年前の場所は関西空港の税関。それまで3週間ほど南インドのバンガロール(IT関連では有名な場所だよね。町並みはアナログの極みだったけど)に私用で行っていたのね。そのうち一週間ばかりはペルシャ湾に面したゴアにちかいマンガロールという田舎町に行っていたけど、あとの2週間は面識のあるヨガ関係の方に紹介されて日本人の家に泊めさせていただいたわけ。(インドの話もじきじき書いていくね)。

そして帰る前日になって”もしよければ”ということで”荷物を日本に持って帰ってほしい”と頼まれたわけ。送り先は鳥取県・米子市のヨガの本拠地。米子は祖父母がすんでいるし車で3時間なので問題ない。バックもインドではSamsonite(飛行機乗る機会が多い人には定評あるバックやね)が日本の1/4以下のようなびっくりする値段だったので2個まとめ買い。だからスペースには余裕があったの。

その運ぶものとは・・・・・

ウィード

じゃないけど、変なもの。それは・・・・

鼻の洗浄器!!

日本にも探せばあるだろうけど・・・・・でもアユールベーダーなんかのインド医学につかわれることだってあるので手に入りやすい。そして、安い。

もちろん容器だって薄いビニールみたいなプラスチック製で軽い。スペースはとるけど持ち帰るのに苦労なんてしない。重量オーバーで超過料金とられることもない。 そして、その形はというと・・・・・

入院患者に使われる尿瓶をちっちゃくしたやつ

なのだ。でも形はぜんぜんそのときは考えなかったが、それがあとで悲惨な目にあう。


とりあえず荷物をまとめて空港へ。荷物の量も出国も問題ない。バンガロールから日本への直行便はないので、途中でシンガポールでトランジェット。シンガポール・チャンギ国際空港は良心的で何でも買い物が出来るうえに”タバコ”が喫煙場所ですえる!! ありがたい!! でもさすがに日本までは”時間”が必要なので、関空についた頃はヘトヘトで体はネチャネチャ。加えて僕は実家に帰るのに”はるか”で1時間かけて京都まで出て、さらに別の特急で2時間半かかる。空港ついてもさらにあるのだ。そして到着時間が夕方なのでヘタするとその日のうちに帰れなくなってしまう!!


そんな状態で・・・・


税関に差し掛かった。ロスにいたころもふくめて何回も通っている。いままではほとんどがフリーパス。

”シンガポール航空ですが、シンガポールへ?”

”インドのバンガロールに行ってました”

”仕事で?”

”いえ、学校について調べることがあったので”

”にしては荷物が多いですね。カバンも新しいのでちょっと調べてもよろしいですか?”

もちろん了承した。まぁ、なにも悪いものを持ち込んではないし、すぐに終わると。


あの広い場所で荷物を開ける。中にはもちろん、あの、尿瓶のような形をした得体の知らないものがわんさかと・・・・・


”これは何ですか?”

”鼻を洗うものだそうです。日本人の方におせわになり、同じヨガ関係の方に配るそうです。一個あたりの単価は安いので、免税申請はしてませんが・・・・”

”それは結構ですけれども、どうやって使うのですか”

”鼻を洗うものとしか。なにかのハーブでも水にうすめて入れると思います”


と、まぁ、俺も25になったので紳士的に丁寧に説明はしたつもり。でも相手はこの見たこともない珍妙な”尿瓶のような洗浄器”に納得しない様子。4回くらい同じ質問をされた。一回一回声が大きくなる。手に取っている”尿瓶”は高く上がる。シンガポール便の後に到着したホノルル便の”幸せいっぱい”の”買い物たくさんしてきちゃったぁ”な”一人で旅行なんて信じられなーい”みたいなニタニタの日本人バカマルダシ幸福度90%の団体が、ウスぎたないヒトリ者の夜逃げのような多い荷物をもった僕を意識し始めた。

”この幸せいっぱい私たちの日本にトンデモなヒトが入国しようとしている”

”あの係官の持ったものは何だろう、みてみて、カバンの中にあんなにもある。何? 新手のカンチョープレイにでも使うのかな”

みたいな視線をヒシヒシと感じた。さすがに怒った。キレた。おれはちゃんと説明している。すでに3回もだ


”何回説明させるのですか。何回も説明したはずです。あなたこそなんですか。ヒトの目がよく通るこの場所に平気で俺の私物をぶちまけている。少しはこちらの立場に立って誠意ある行動をねがいたい。”と・・・・


何度も言う。問題となっているのは”鼻の洗浄器。薬や危険物を隠す場所なんてない(半透明で透けてるし)


と冷静な口調でキレてしまった。今思うとそれを相手はねらっていたハズ。


”でしたら別室の方へ”


案内された。空港の通り道とは逆方向。関空使ったひとならわかるだろうけど、あのひろーい検査場のハシッコにおいやられドアをとおされる。中には検査官が5人、次のカナリアをねらう猫が如く目を光らして待っている。


ことごとく見られた。やつら・・・・・・ 勝手に丁寧にパックした荷物を平気でぶちまける。

検査官ひとり(めちゃくちゃ陰気そうな同世代のやつ)が無口で中のポーチを開けていく。あまりの機械的作業に

”一応人様の物をあけるんだ。見るなといっているのではない。ただ人間として「よろしいですか」ぐらい言ったらどうだ!! 失礼だぞ”

室長になだめられた。なんかが自分とは違った。冷静にするにもコーヒーもない。タバコも吸えない・・・・・

ただ冷静になるため室長と話し続けた。どうやらほとんどが渡航先の場所によって区別すると。犯罪の多いロスから帰るのはフリーパスで、バンガロール帰りの、ただの男ひとりにここまでしている。もちろん疑問を感じた。

最後に、そこの検査官の一人に新米の若い、顔が機械的なところを除いては美人な検査官が俺の洗っていない下着の袋を開けた。中太りの俺が履いた”べったり”パンツ。”臭気漂う”靴下。出すだけはまだ我慢できる。でも丁寧にそれらを素手でさわり、裏・表にしながら一つ一つ目の高さまで上げて、顔に近づけながら確認していく・・・・・


人生最大の屈辱だった。だれにもされたくなかった。いやな自分を責められる感じがした。


程なくして、もちろん何も出てくることはなく終了。そして僕は放心。散らかった荷物を適当に詰め込んで出る準備をする。

税関の出口まで50メートルほど、その美人な検査官がおくってくれた。俺の潔白が証明されたのに”機械的”なままなのは残念だった。俺はとてつもなくイヤだった。でもその子はもっとイヤだったのではないかと察する。怒る気力はなくなっていた。すこしは同情していた。仕事とはいってもね。


やっぱり”はるか”には乗り遅れた。幸いにも、その日のうちに実家に帰ることはできました。


今朝の神戸新聞に西川りゅうじん氏が面白いことを書いていた。

かつて近江商人には「三方よし」という言葉があったのだと。

「売り手よし」「買い手よし」そして、「世間よし」

今回、氏が指摘されていたのは3つめの”世間よし”というやつだ。三つ目の”世間よし”はあえて語呂合わせで作ったわけでもなく、そこまで重要でないから3番目にきたわけでもない

この言葉の意味とは? ちとばかり調べてみた


”取引は、当事者だけではなく、世間のためになるものでなければならない”


ということらしい。近江の国(現在の滋賀県)の行商は、他国で商売し、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何よりも大切であった。そのための心得とある。


もっともではないのか? 今回のライブドアが事件まで至ったことを”これもか”とばかりに痛烈に意味していないか?”宝暦四(1754)年の中村治兵衛宗岸の書置”とも載ってあった。つまり250年も前の日本・関西で・・・・


先週土曜日1・21日の番組、”美の巨人たち”を見ていたらウィリアム・ホガースについてであった。1697年生まれの彼ホガースは産業社会化が進み、金銭がすべてを支配し人々の人心が荒廃していくさまをユーモアに富みながら辛らつに書き出したひとで、富者がやりたい放題する傍ら、貧者悲惨な状況で破滅する様を事細かく描いた彩色画家、銅版画家である。

そんな彼が株投資家たちを”どこにでも行くわけではないのにメリーゴーランドにのって騒いでいて、一般市民がそれをうらやましそうに見ている絵があるので、紹介

http://www.library.northwestern.edu/spec/hogarth/Politics1.html

最近までの日本は、こんな社会を目指していたのではないのか? そして彼は株投資家を”仕事もせずに贅沢をしているもの”と批判している。(ちなみにこれはイギリス政府系会社の株価暴落を風刺するために書かれたもの) そんなウィリアム・ホガースに惹かれ、近代社会に落胆したのは”夏目漱石”であり、彼のイギリス留学中の精神病の原因となったらしい


そんなことで言いたいのは、社会はテクノロジーの発展とか利便性の向上だとか言いながら、何百年も、しいては何千年も同じことを繰り返しているだけではないのか? そしてリスクを回避するためにも先人たちの知恵をえて、同じ間違いを繰り替えさせないことが大切なのではないのか?ということ。


♪まわる まわるよ 時代はまわる ~♪♪


ってか? 

それだと僕は近い将来ふたたび資本主義に疑問符がでて、マルクス主義が出てくるのではないかと思うのだが・・・・ いかに?

今日は良い日やった・・・


昼過ぎに行ったスーパー銭湯・サウナ付でヤー公が歌ってた歌のセンスが悪いとイライラしても(別にええやん、そんなこと)

教えている中二の生徒が、未だにtomorrowを止めろー、comeを米、oneを尾根、Weを餓え、Theを手、whoをフォー などなど油断するといいやがる (僕がわるいんですぅ)

仕事帰りにカピカピに凍ってた道で5センチほどスベッてあせったせいで肩の裏が筋肉痛になっても(どうしてそこが痛んだか分からんが・・・)

なんてあったけど良い日なのは変わらん。


俺の親父とじっくり話せた!!


くだらないようで素晴らしい、誰がなんと言ってもスバラシイ物はスバラシイのだ


じっくりと話ができた。親と子の関係じゃなく男同士の親友のように。お互いの人生観をぶつかり合わせて議論する。正しいものも間違いも無い。ただ相手は人生54年のベテランな上にヤケに本を読んでいるツワモノ。俺も真面目に考えた。ツラだけ真面目なこの俺が、少ない知識で俺を固める。


そして


オーバーヒートしてしまった。キレた訳ではないが使ってないオツムで久々に考えると頭が痛くなる。夜も遅くなり風呂に入りクールダウン。そして、やっと自分が見えてくる。お題は“遊び”についてであった

仏教を生んだブッダは幼少の頃時期国王として贅沢を極め、食べ物・飲み物だけではなくハーレムの中で女体女体女体ニョタイ女体お尻ちゃーん女体もっこしバストぉ女体♪♪

(すまん、想像してたら血迷った)

な生活をおくっていた。

加えて浄土真宗の親鸞も今となれば禁止されていた結婚をしていたという説が有力である。

つまりだ、

本当の意味の最終解脱なんていうものは、とことん遊ばなければなし選れないことではないのかということ。真の“遊び”を知らない限りでは真の幸せなんぞ見つけられるわけないということである。

もっともではないのか?

でも真の遊びとは何ぞや? この俺は出来るのか? 真の幸せを見つけるためにも俺はお金をこれでもかというほど貯めて、ギャンブルに飲んで食ってはセクースするべきなのか・・・

多分できないだろうね。

真似事ならいくらでも出来る が、とことん身を滅ぼすまで出来るのか?今の僕はそんな器ではない。お遊びくらいならいつでも出来るだろうが・・・・いい子ぶっているわけではないが、そんな事、ブ男ブッキラ棒仏頂面の俺には似合わないやろうね。

そう、そこ、

あえて似合いもしないことを今進んでやるべきなのか? 今現在、そっち方面やる気小粒少々の僕があえて目標にすべきか? だそれは自然の流れに反するのではないかそう思ったわけね。この自分を取り巻く世の中の自然の流れをあえて変える必要はないのでは? 

となると、何時そのような機会を得るか?

それも自然まかせ。自分にそれが必要なときは自然と訪れるのではないかと


自然の流れとうまく自分の気持ちがシンクロしたときに真の力が発揮される


だから今はそんな時期ではないと思う。では今はどんな時期? 自分に降りかかっている問題をひたすらに解決する。それだけだろうね。

♪Ah Ah 午前五時ぃ~ 時間は2人(俺+エロサイト)を朝にしてぇ~ ♪

♪君のあどけない 胸元(?)にキメタァ(何?) ♪♪


な俺・・・・・っていうか、こんな文章かいてたら、女性読者に退かれるだろうなぁ・・・

注:これはフィクションです


とかいておかなきゃあいけないだろうな、でも嘘じゃあないのよ。フフフ~

そしてフケツだと思う女性読者!! 自分の付き合っている人も似たようなもんだよ~ へへへ~


でも、そんなことを書いていたら、ありきたりのブログになってしまう。いかん。それはいかんのだ!!


そんな俺が今日買った本はぁぁぁ じゃじゃーん♪


”世界の哲学・思想のすべて” 湯浅赴男:著


と高貴でインテリで真面目な本を読んでいる。 別にブックオフ(えっ?古本?)のレジ担当の女性を口説くためにこの本を選んだのではない。いままで心の中でまとまらなかった宗教・哲学の関係をはっきりさせておきたかったのだ。これで興味のある西洋心理学やインド哲学であるヨーガにもって来やすくなるってもんだ。 楽しみだぜぇ~

加えて、そうそう、新聞に出てたセンター試験の英語と地理をやってみたぞぉ!! 結果は・・・・・ 

英語→ベランダに出てタバコをすったね。

地理→終わったあと不貞寝した


という按配だ。なんてこった・・・・・ 


その他は・・・・ 友達から”人はなぜ生まれ、何の為に生きてると思う?”という質問が来たので、


根本には理由はないと思うよ。あるのであれば両親の願いくらいで・・・ ただそれではやっていけないよね。 となると自分の向上のため? お金かせいで幸せになることになるの? そう考えてしまうと゛比較゛というものが出来て悩んでしまう。だから社会貢献かな? 自分がなにを他の人にしてあげれるか。分かりやすく言●●さんが働いているおかげで僕を含めて生活・社会が成り立っている。こういう質問を投げ掛けてくれる事で僕も考え、僕の向上になる。●●さん無しの僕はあらずに社会もなし。だから頑張れるのではないかな


と運転しながら考えて返事しました。でも分からんのよ。知識人でもないし・・・・・

自己反省の意味も込めて、今日のブログはシューリョー


僕が僕でなければならないから・・・・ そんな理由で始めたブログ。そして第一弾!!


でもきっかけなんて所詮たいしたことなんてないんだよね。これだって、偶然にも僕が慕っている

E・T氏(と書くべきだろうか? でもT・Eにしなきゃああかんわな、それだと)が

”作ったから、まぁ見てくれ”

と土曜だけれども大して普段と変わりない夜に言われなきゃあ、作らんかっただろうな


だからといって? 趣味で? 友達とシェア? 

みたいな社会的現代的標準的友好的ポジティブ的高感度UP!! 

ではない。 そう、そうなのだ そこなのだ


これを書いたのも作ったのも自分のためだけで、自らすすんで”書いたよ~”なんて友達に言えるかっちゅうの!! 

恥ずかしいわぁぁ 

さらに反社会的口下手的ドモリ的身ごもり的・・・中坊が部屋にオ●ニーしているときに母親が入ってきた時のような醜態をばらしてしまった時。 そう、”急に俺の部屋の戸をあけんなよぉ 出て行けクソババァ”と言ったときのように、自分の人生をここまで導いてくれた大切な人々にそう言ってしまいかねない→友達減少→え?もういないよ~

なんてなりかねない。なので

1、基本は周りの人には非公開

2、僕を知ってしまった人は、それはそれで良しとしよう。

3、今現在でゴシップ好き・くだらないもの好きの俺のまわりのやつら!! 聞けぇぇ~!! 

読むだけにして、あとはそのままにしておいてください。お願いします。壊れちゃいます。そうなのです。わたくしは冬の間木の皮の裏に隠れて春を待つちいさなちいさな天道虫くらいなものです。お察しくだされ・・・・


上記さえ守ってくれりゃあ、なんとか生命維持装置をとりつけられるひつようもなく、国民健康保険に疑問なく払えて、NHKの料金徴収アルバイトにハグキ剥き出しにして怒ることもなくなる。そう、ホリエモンも小嶋社長も関係ないのだ。そんな幸せ、奪わないでくださいな


ってことで、まずは但し書き。よろしくぅ~~~


 でもさぁ~、いつまでもつんだろ・・・・・・