ボクの仕事は兵庫北部の田舎の家庭教師。関西地区とはいえとても閉鎖的で保守的な場所。
こんなボクのところに厄介な仕事が舞い込んできたのが去年の10月。どうしても至急に登校することができなくなった高校2年の生徒に入って学校に行かしてほしいとの事。それまで高校生を教える自信なんてなかった。中学の範囲は全体がほぼ把握できてたので的確なアドバイスがいえたものだが、高校は自分がサボった時期と重なるので数学なんて教えるにはキツすぎる。英語も雰囲気で学んでいるので、やたらと理屈っぽい高校英語は教えにくい。でも断ることができなかった。心理学を少しでも学んだ方に・・・・というリクエストと、なにを隠そうボクも似た理由で中学の時に転校したからね。
その生徒宅は山奥の小さな集落。車でも端に停めないといけないようなところ。雪が降ると車を停める場所がなくなるくらい雪深い、山の谷間の集落。最寄の駅まで片道10キロの山道。それから高校まで列車で2駅、徒歩20分。そんな場所で彼は話せる友達も居ないまま一人でいたのよ。 まだ学校へ行かなくなって2週間目。それから行き始めても問題ないほどだった。それまでの成績ががた落ちといっても、それはクラスさえ出ていれば考慮してくれる。でも彼は行けなかった。なんども親と親に頼まれたボクも行くよう試みるがパニックになる。ボクをさけるようになる・・・・だれにとっても悪い方向に向いていたのよ。
だから依頼内容をボクから変えた。「もう圧力をかけるのは止めましょう。取り返しがつかなくなりますよ」と
初めは納得しがたい様子だったけど、生徒が日に日に明るさを取り戻しボクにも、生徒の母親にも心を開き始めた。色々話してくれるようになった。でも・・・・
事態はそんなに甘いものではなかった・・・・・
その時点で、本人・両親の意思で考えると、地元の公立高校(夜間はないのですべて定時制)に編入、最悪1年から再入学。もっとも一般的な通信制は他人との交流ができなくなる(山奥なのでね)という理由で保留。通える範囲の高校を10校ほど挙げるが、通学方面が今までと同じだと繰り返し登校拒否になる可能性が大なので、うち4校だけとなる。さっそく4校に編入試験についてボクから聞いてみるが、どこも
「親と、それまで通っていた学校を通さないといえない」
まではいいが、
「過去にそのような例がない」
「教職会議を開く必要がある」
「退学者を受け入れるのは・・・・・」
という返事。あげくに
「編入制度はあるが、親の転勤やその他重大な事項があったのみ許可を出す」
と言われ
「登校拒否がその重大な事項にはあたらないとっ!!」
とボクが声を荒げてしまった。
生徒は反社会的なことをしたわけじゃない。学校をいけなくなったとはいえ、学習意欲は学校に行っている生徒以上にある。 けれども、あまりに保守的だった。この時代にそぐわない古い体質だった。再チャレンジというものがまるで愚かであるかのように言われた。プライベートな1家庭教師には交渉に限界があった。
埒が明かないので生徒が今まで通っていた学校と両親とボクで協議。
1、学校側が校長を通して編入の交渉をする。
2、編入の交渉は2校に絞る。うち編入試験を許可したほうのみ編入試験をする(志望校を増やすと決裂するおそれあり)
3、その間、両親とボクはノータッチ。混乱を招くと言うこと。
という、これまた意味深な内容。そして今までの学校を信じるしか道がなくなった。まんま運を天に任せることに。その上、第二志望もない。すべてはとんでもないハイリスクな賭けになってしまった。
それから2月の半ばまで、いっさい両親もボクも事がどのように進んでいるか知らされなかった。もう一年から入学になるのかと考えたりね。その間は誰もが精神的につらかったのよ。でも運良く編入試験の許可が下りたのよ。偶然か否か・・・・・ボクが声を荒げた高校だった!!
試験は3月3日。でも4日前までテストの日付、内容ともに教えられなかった。これまた一発勝負しかできない。ボクも生徒を信じるしかできなかった。
結果は・・・・
見事に合格!! 難関校や第一志望校が受かったような次元の嬉しさじゃない。いままで山の奥で一人ぼっちだった彼に友達ができる、もう一度やり直しができる・・・・それが何より嬉しかった。そして生徒がよくぞ半年間も耐え続けたことに敬いたい。ヤサグレて暴力少年になる選択をとらなかったことにね。
今日木曜日はその生徒の日。手ぶらで行く気がしなかったので、ケーキを家族分買って”祝いに”と持っていく。 ビックリした!! 彼がここまで話し好きで、ジョーク好きで、前向きで、笑うことができる生徒だと初めて気がついた。お互いに肩の荷がおりた。だれもがシナリオ作りに没頭したけど、結局は神がつくってくれたんだろうね。