『光る君へ』第4話。
第2話から変わらず、永観二年(984)です。
物語の前半、左大臣・源雅信の屋敷である土御門殿に盗賊が押し入りました。
散楽の公演を行っている一座が盗賊業も兼ねているようで。
だから低い身分なのに宮廷の事情にも通じているのですね。
その土御門殿での歌会の席で牛車が大きくアップで映りました。
物見の窓がついているので網代車ですね。
網代車あじろぐるま
竹、または檜の「あじろ」を車の屋形に張った牛車。中型の軽装車。殿上人以上の公家が使用した。摂関・大臣・納言・大将などは略式用とし、四位・五位・中将・少将などは常用とした。(三省堂全訳読解古語辞典)
なお、網代とは竹や檜などを薄く削いで編み込んだものを言います。
花で飾られているので全容が見えません。
調べたところ、大臣が乗る網代車は前と後ろは白く、家紋が入るそうです。
これは白い部分がないので、左大臣本人が乗る車ではないでしょう。
屋根から垂れるように飾られている花は藤の花ですよね。
藤の花ということは晩春~初夏です。
今だと5月初旬が見頃ですが、旧暦は約1ヶ月以上ずれていますので、3月末から4月上旬ということになると思います。
永観えいがん/えいかん二年(984年)
八月、政治は大きく動きました。
円融天皇が譲位、花山天皇の治世へ移行。
●花山天皇 17歳(在984~986)
●藤原忯子 16歳 花山天皇女御
●東宮(一条天皇)5歳
●藤原頼忠 61歳 関白
●源雅信 65歳 左大臣
●藤原穆子 54歳
●源倫子 21歳
●藤原兼家 56歳 右大臣
●藤原道隆 32歳 右近権中将&東宮権大夫
●高階貴子 ??歳
●藤原道兼 24歳 蔵人
●藤原詮子 23歳 円融院女御
●藤原道長 19歳 右兵衛権佐
●藤原為光 43歳 大納言&東宮権大夫
●藤原公任 19歳 左近衛中将&尾張権守
●藤原斉信 18歳 侍従
●藤原実資 28歳 蔵人頭&左近中将
●藤原義懐 28歳 蔵人頭
●藤原惟成 32歳 蔵人
●藤原伊周 11歳
●藤原定子 8歳
●藤原原子 7歳?
●藤原隆家 6歳
●円融院 26歳
●藤原遵子 28歳 円融院中宮
左大臣・源雅信のセリフで、即位式の最中に女官をレ●プした話が語られましたね
その話を聞いた倫子を演じる黒木華が檜扇で口元を隠して驚く様はかわいかった。
また、倫子は猫を飼っていることが明らかになりました
これだけで好感度さらにアップ。笑
そして父雅信と双六をやっていましたね。
※京都の風俗博物館にて撮影
双六は貴族たちのメジャーな遊びでした。
細かいルールは知りませんが、自軍の石をすべて敵陣に入れたら勝ちになる、というものだったそうです。
●W蔵人頭
即位するにあたり、花山天皇が側近を信頼できる4人で固めようとしていました。
このシーンは面白かったですね。笑
まず花山天皇の伯父にあたる藤原義懐よしちかを最側近に任じました。
蔵人頭です。
ところが、円融天皇の御代に蔵人頭だった藤原実資にも職の継続を打診していました。
断られていましたけど。笑
え?と思われた方もいたかと思います。
実は蔵人頭の定員は2名なのです。
ドラマの中では描かれませんでしたが、実資は蔵人頭を引き受けています。
『小右記』を読めばそのいきさつや胸中が書いてあるかもしれませんが、読んだことがないので分かりません。
●乳母子って何?
花山天皇は、側近のひとりに「惟成これしげ」を指名し、蔵人に任命しました。
この時「乳母子めのとごだから」という発言をしていましたね。
乳母めのとは古典の授業で「読み方は“うば”じゃないよ」とうるさく教えられるはず。
貴族は子が生まれても生母は授乳しません。
直接母乳を与えずにいると次の子が生まれやすくなるのですが、経験としてそのことを知っていたようで。
子どもはたくさんいた方がよいので、母乳が出る状態の女性を雇って「乳母」にするわけですが、母乳が出るということはその女性も子どもが生まれて間もないということです。
乳母に任命された人は、実子を連れて奉公に上がります。
乳母は、奉公先の子と自分が生んだ実の子を一緒に育てるのですが、実の子のことを「乳母子」というのです。
2人の子は兄弟のように仲良く育つことが多いとされます。
ただ、花山天皇は17歳、惟成は32歳です。
15歳も年齢が離れています。
ということは、可能性は2つ。
①惟成の下に年の離れた弟妹がいた
②乳離れした後の養育を担当する乳母だった
いずれにせよ、惟成の母が花山天皇の乳母であったことは確かで、その縁で惟成は花山天皇の幼児期から側仕えしてきたということですね。
●頭頂部を見せるのは恥
藤原実資に蔵人頭を断られた花山天皇は癇癪を起こして、義懐らの冠を取って投げ捨てていました。笑
ナレーションで「当時、頭頂部を見せることはこの上ない恥辱だった」というような解説が入りました。
これはまさにその通りで、下の絵をご覧ください。
※画像:東京国立博物館様より拝借
これは「東北院職人歌合絵巻」という鎌倉時代の絵巻物に描かれている絵で、博打を打つ人(職人)を描いた絵です。
負けがこみ、上下の衣服を取られてスッポンポンになってもなお、折烏帽子のようなものを頭に被っていますよね。
裸を見られるよりも頭頂部を見られる方が恥ずかしかったことがよく分かる絵です。
一条天皇の御代に移ったあとのことですが、藤原行成が藤原実方に冠を叩き落とされる事件が発生します。
これも大河ドラマで描かれないか、楽しみに待ちたいと思います。
なお、その事件については以前に記事にしましたので、ご興味ある方はこちらをどうぞ。
●政治の場
花山天皇の治世となり、御簾の内にいる帝、御簾の外側には関白・頼忠、蔵人頭・義懐、蔵人・惟成の3名だけがいました。
円融天皇の時は、御簾の前に公卿がずらっと並んでいましたよね。
しかも、花山天皇は関白の発言すら軽んじています。
「関白も左大臣も右大臣も信用しておらぬ」と言っていた通りなのでしょう。
この天皇の御前で行われる会議を「御前定ごぜんさだめ」と言います。
その後、別室で関白ほか公卿が列席して会議を行っていました。
これは「殿上定てんじょうさだめ」と言って、殿上間で行われたものです。
殿上間というのは古典でよく出てきますが、清涼殿の南廂の部屋です。
画像:常用国語便覧(浜島書店)より
殿上間に入れることが一流貴族の証、のようなイメージに反して、かなり狭いのです。
他、月に2~3回程度「陣定じんのさだめ」と呼ばれる会議が開催されました。
陣定においては、これよりずーっと後、後一条天皇の御代に、源顕定という人物が遠くでチ●チンを丸出しにして会議に参加していた公卿を笑わせる、というバカみたいな珍々事件が起こります。笑
大河ドラマで描かれることはきっとないでしょう
それにしても、蔵人頭になった藤原義懐がかなりイキっておりました。
右大臣・兼家は「義懐ごときが!」と憤慨、対照的におっとりしていた左大臣・雅信はさすが源氏です。
関白頼忠を敵視しているはずの兼家ですが、義懐のイキり具合の前に呉越同舟の感がありましたね。
●五節の舞
11月に新嘗祭にいなめさいがあります。
その年に作物が実ったことを感謝する、収穫祭です。
今は勤労感謝の日に制定されています。
正式には「五節ごせち」という四日間にわたる一連の行事の中の1つです。
五節の流れは以下の通り。
Day1:帳台の試み
帝の前での、舞姫たちによるリハーサル。
これは内裏の北の方にある、常寧殿で行われました。
Day2:御前の試み
帝の御前での2度目の舞のリハーサルです。
場所は清涼殿。
Day3①:童女御覧
舞姫の世話をする童女を帝がチェック。
Day3②:新嘗祭
帝が収穫した穀物を神様にお供えし、感謝を捧げます。
Day4:豊明の節会
帝がその年に収穫した穀物を食し、また廷臣たちにも振る舞います。宴が開催され、五節の舞姫たちによる舞が披露されます。
豊楽院ぶらくいんで開催されます。
画像:常用国語便覧(浜島書店)より
ドラマでは、まひろが「五節の舞姫」に選ばれていました。
左大臣家から舞姫を出さねばならず、倫子が嫌がったために白羽の矢が立った、いわば影武者のような立ち回りです。
本来なら、五節の舞姫は、公卿の娘2人+殿上人or国司の娘2人=計4人で構成されるものらしいのですが、小学館の日本古典文学全集『枕草子』の注釈によると「中宮や女御から出すこともあった。細かいことについてはなお不明な点が多い」とあります。
なお、その時に中宮定子から出した舞姫は2人で、「相尹の馬頭のむすめ」と「染殿の式部卿宮の上の御おとうとの四の君の御腹」と書かれています。
藤原相尹の娘ももう1人も、別に中宮定子に仕えていたわけでもありませんが、定子に請われて舞姫になっています。
この経緯を踏まえれば、左大臣からの要請でまひろが舞姫になることは、設定としてあり得ないとは言えないでしょう。
史実として紫式部が五節の舞姫になったことがあったか、というのはまた別の話で。
さておき、まひろは舞を舞う中で、貴族の中に三郎を発見し、隣に母の敵である道兼を確認しました。
舞が終わった後、他の舞姫たちから三郎が右大臣家の道長であることを聞き、ショックのあまり倒れてしまいました。
まひろが三郎の正体を知る、という構成を組み立てるなかで、まひろを五節の舞姫にするという着想を得たのでしょう。
まひろが憎しみを噛み殺して「道兼様」と言ったあの演技、吉高由里子、凄かった!
これは次回の展開が楽しみですね〜。
藤原彰子に仕える身である紫式部が、藤原氏ではなく源氏を主人公にした物語を書いたのはなぜなのか。
脚本家の大石静さんはおそらくそこも描きたいと思っているのではないでしょうか。
まひろが、源倫子に心惹かれているというのも、それと関係しているかもしれません。
さて、ここまで古典文学の話に何も触れていないので、最後に五節の舞姫を詠んだ有名な和歌を一首。
天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ
〔天を吹く風よ、お前の力で雲間を抜けていく道を閉ざしておくれ。天女の姿をもうしばらく地上にとどめておきたいのだ〕
『百人一首』の12番、僧正遍昭の歌です。
美しい五節の舞姫たちを天女に見立て、愛でているのです。
ということで、今回はここまでです。