前回、いよいよ三郎=藤原道長であることを認識したまひろ。
道長とまひろが対面するシーンで、まひろの独り語りにつらい告白がありました。
まひろが母の敵である道兼を憎んでいるのと同時に、なんと「自分が駆け出したりしなければ…」と自責の念に駆られていたと言うのです。
さぞかし辛い6年間だったことでしょう
道長に心情を吐露したことで少しだけ楽になっただろうと思います。
紫式部=苦悩する女、というイメージだったのでこの心の闇はしっくりきました。
吉高式部は少し明るいなあ、とうっすら思っていたので。
「道兼を恨む」じゃなくて「呪う」と言ったところも、重かったけど紫式部っぽいと思ってしまいました。
●加持祈祷
倒れたままのまひろのため、為時の家に僧が招かれました。
僧は1人の女を連れていました。
この女は、まひろに取り憑いた霊を乗り移らせる媒体の役割です。
霊の種類や媒体の種類によって、媒体を「よりまし」「よりしろ」「ものまさ」などと呼び分けるそうです。
「ものまさ」というのは知らなかったなあ。
出演者のクレジットでは「寄坐よりまし」と書かれていました。
この時代、薬で快復しない病は「霊が取り憑いた」と解釈します。
まひろが精神的ショックから数日寝込んでいたのもそのように解釈されたのですね。
加持祈祷の僧が家に入ってきた時に、さりげなくこの家の状況を聞き出し、まひろの母・ちやはが亡くなっていることを知りました。
そこで加持祈祷の結果「亡き母上がこの世に未練を残して姫に取り憑いている」と診断?していました。
祈祷師のトリックみたいなものをさりげなく描いたのは面白かった。
『源氏物語』で怨霊といえば、真っ先に思い出されるのが六条御息所です。
光源氏の正妻・葵の上に取り憑いて命を奪うシーンはインパクトがあります。
暁にまひろが道長と密会した場所も六条の空き家でした。
●藤原道綱母
我らが期待を一身に背負い?満を持して登場しました!
●円融院 26歳
●藤原詮子 23歳 円融院女御
●懐仁親王(東宮) 5歳
●藤原兼家 56歳 右大臣
●藤原時姫
●藤原道隆 32歳 右近権中将&東宮権大夫
●藤原道兼 24歳 蔵人
●藤原道長 19歳 右兵衛権佐
●藤原伊周 11歳
●藤原定子 8歳
●藤原隆家 6歳
●藤原道綱母 49歳?
●藤原道綱 30歳 左近衛少将&備前介
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●源雅信 65歳 左大臣
●藤原穆子 54歳
●源倫子 21歳
道綱母は藤原倫寧ともやすの娘なので、ドラマでは「藤原寧子やすこ」となっていました。
道綱母と兼家はこの時期もう冷え切っていると思っていましたが、ドラマの中ではそこそこの仲という風に描かれていましたね。
『蜻蛉日記』の記述で鬱憤を晴らしているだけで、表面上はそこまで悪い関係ではなかった可能性はありますしね。
せっかくなので『蜻蛉日記』の有名な一節を書き出してみます。
かの有名な「嘆きつつひとり寝る夜のあくる間は」の和歌が詠まれるシーンです。
まだ村上天皇の治世だった天暦九年(955)のことで、藤原兼家と結婚した翌年にあたり、道綱が誕生した年です。
道綱が誕生して間もないというのに、兼家が新しい愛人を作ったのではないかと疑い始めた頃の記述です。
私の家にいた兼家様が、夕方になって「そうだ!いかんいかん、内裏に行かなければならないのだった」と言って出て行ったけれど、私は納得がいかず、跡を付けさせてみたところ、「町の小路のどこそこで車はお停まりになりました」といって帰ってきた。
やっぱりそうなのね、と非常につらく嘆かわしく思うけれど、どう言ってやったらよいかも分からずにいるうちに、二三日ほど経ってから、暁ごろに家の門を叩くことがあった。
兼家様に違いない、と思うとつらくて、門を開けさせずにいたところ、例の町の小路の女の家と思われるところに行ってしまった。
翌朝「このまま黙っているわけにはいかないわ」と思って、
嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る
〔嘆きながら独りで寝る夜が明けるまでの間が、どんなに長く感じられるものか、あなたはご存じでしょうか。いえ、きっとご存じないのでしょう〕
と、いつもより丁寧に書いて、色褪せた菊に差し挟んで送った。
兼家様からの返事は「夜が明けるまで、門が開くまで叩き続けようと思ったのだが、急な用事を知らせる召使いが来合わせたものだから。あなたが怒るのも無理なからぬことだ。
げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」
〔そうそう、その通り。冬の夜は明けるのが遅くて朝までの間が本当に長く感じられるものだ。だがね?門を開けてくれるのが遅いのを待っているのだってつらいのだよ〕
色褪せた菊というのは、兼家の心が他の女に移ったことを指摘するメタファーです。
そして、兼家と道長が2人で食事を取るシーン、それに続く詮子と道隆が対話をするシーンで『シェヘラザード』が流れました。
道隆・詮子・道長のシーンに『シェヘラザード』が流れたのは初めてです。
また、元服前の藤原伊周が祖父兼家から「こちよ」という幼名で呼ばれていました。
●紫式部と琵琶
まひろが琵琶を弾くシーンがありました。
第1話で、この琵琶は母親が昔よく弾いていたことが語られ、そのまま遺品となってしまったものです。
『紫式部日記』に以下のような記述があります。
風の涼しき夕暮、聞きよからぬひとり琴をかき鳴らしては、「なげきくははる」と聞き知る人やあらむと、ゆゆしくなどおぼえはべるこそ、をこにもあはれにもはべりけれ。
さるは、あやしう黒みすすけたる曹司に、箏の琴、和琴、しらべながら、心に入れて、「雨降る日、琴柱倒せ」などもいひはべらぬままに塵つもりて、寄せ立てたりし厨子と柱とのはざまに首さし入れつつ、琵琶も左右に立ててはべり。
ドラマの物語時間よりかなり後年、夫(藤原宣孝)が死没したあとの記述ですけど。
紫式部の心情表現て複雑なんですよねー。
琴を独りで掻き鳴らすのを人に聞かれたら「侘び住まいをする人がいるのか」と思われて忌々しいか…。
でもそんなことを気にしていること自体が、馬鹿馬鹿しくて悲しくなってくるのです。
こんな風に書いています。
今回のまひろは独りで琵琶を掻き鳴らしていましたが。
そして琵琶の記述はこんな感じの意味です。
埃が積もった琴は、琴柱を立てた状態で棚と柱の間に突っ込んであって、その左右には琵琶が立てかけてあります。
琴は見えませんが、琵琶が柱に寄りかかるように立ててあります。
後々『紫式部日記』の記述と絡んでくるのかなあ、細かいけど。
というのも、琵琶は何回か映っているように記憶していて、ちょっと琵琶だけ強調されているように感じているんですよね。
●永観の荘園整理令
土御門殿(左大臣家)に、関白頼忠・左大臣雅信・右大臣兼家が集まって密談をしているシーンで、倫子の愛猫の名が「こまろ」であることが明かされました。
兼家が倫子を見て、美しい姫に成長された、と発言していました。
入内させないのか、気になって仕方がない兼家ですが、そのうち道長と結婚するから安心せい
このシーンでは花山天皇を早急に退位させようという話で三人が合意していました。
酔った関白頼忠が初めて大きな声を出して、2人を驚かせていました。
前回は兼家だけが憤りをあらわにしていましたが、今回は頼忠も「義懐ごとき!」と声を荒げていましたよね。
この結束には天皇が出した荘園整理令に対する反発が大きかったようです。
そもそも「荘園」とは、貴族や寺社が所有した土地です。
農地を中心として多岐にわたる経済活動が行われていました。
荘園の領主は、荘園内に住む住民から税を収めさせることで大きな収入を得ていました。
荘園領主に税が納められるということは、その分、国に収められる税が減ることを意味します。
そこで「由来がよく分からんいかがわしい荘園は没収」という荘園整理令が出されます。
醍醐天皇以来、荘園整理令はたびたび発令されているようです。
いつの世も、既得権益を剥奪されると逆襲に出るのが権力者です。
ε=(・д・`*)ハァ…
花山天皇が、国の財政のことを考えて整理令を出したのか、大臣らの力を削ぐために整理令を出したのか、真意はよく分かりません。
やたらと長い永観二年/984年でしたが、ここから一気に進むでしょうか?
花山天皇の在位期間は2年間ですが、退位→出家のシーンはある程度じっくり描くと思うんですよね。
というか、描いて欲しい。
- 弘徽殿の女御・忯子の懐妊(→死)
- 関白&大臣と帝の対立
- 汚れ役道兼
安倍晴明の呪詛、という要素を挟むことになりましたが、忯子の死で深い悲しみに沈む花山天皇につけ込んで道兼が出家させるというストーリーの下地が整いつつあります。
次週、どんなに遅くても、忯子の崩御までは行くと思います。
予告によれば、道長が道兼に「家のために泥をかぶってもらう」と言っていたので、花山天皇退位の計略までは描かれそう。
ただ、花山天皇の出家を描くのは第七話でしょうね。
というのも、いよいよ清少納言(ファッサマ納言)が登場するらしく、第六話のタイトルが「二人の才女」となっているので。
どうやら道隆主催で漢詩の会が催されるみたいですね。
行成も参加していました。
そして、清少納言がさっそく斉信愛を炸裂させるようでした。笑
そんな清少納言が愛おしい。
それはそうと、藤原忯子は今のところ一言も喋っていませんよね?