久々に足尾の山歩き。
この日は南牧村で岩峰歩きのつもりが、少し前から右手の親指と手首を痛めていて、手を多用する藪岩山はしばらく歩けないので変更しました。![]()
前日たまたま見かけた下野新聞のウェブ記事で、中禅寺湖のアカヤシオは終わりだが、半月山ではまだ見頃と紹介していて、ならば行ってみようと思った次第。
以前歩いたときには、スルーした半月峠道の遺構を見ながら歩くことも楽しみに。昭和初期には、多くの人が行き来した半月峠道も現在は消えつつある。
足尾の深沢から入れば、半月の山頂までは単純高低差で1000mを超える。来月辺りは谷川連峰や八ヶ岳連峰辺りで一座歩きたいので、1000m超えの予行練習も兼ねて。
去年あたりから少しずつ太り始めて、体が重く長丁場がますますキツくなってきた最近。
ちょっとダイエットが必要かも…。5キロくらい減らしたい。![]()
5/8 ![]()
渡良瀬の山々を歩くときは、通りがかりに拝んでいく。
銅街道の守り本尊「じんぞうさま」。

自分で勝手に腎臓と思っているだけで、実際は土の中の豆を表現したオブジェ。
芸術は観る人の感性だから…。
草木湖の富弘美術館のところにあります。
銅親水公園手前、大畑沢緑の砂防ゾーンの駐車場へ車を置いて歩き始める。

早朝の三川合流、銅親水公園方面。

赤倉長屋のレンガ防火壁と八重桜、向こうに製錬所跡の煙突。

栃本屋旅館の建っていたところから深沢へ入って半月峠道の始まり。![]()

深沢沿いの金山神社跡などを探しながら林道の終点へ。

山肌の新緑がさわやか。
深沢へ下りて最初の渡渉。堰堤上で伏流気味なので水量は少ない。

橋がかかっていた跡がある。この先も橋跡のところで渡渉がある。
深沢の小滝とヤマツツジ。

二の茶屋と神社跡のところには大きなカツラの木。

半月峠道には5つの茶屋があった。![]()
神社跡の石垣の灯籠は、昭和6年のもので人の往来が盛んだったころのもの。
横には現代の装置である深沢雨量観測所がある。
不動明王もひっそりと。岩の間に埋もれ忘れられつつある。

右下に深沢大滝を見る。

そこから少しでまた渡渉がある。
冬眠から目覚めたのかな?足元にニョロニョロと春の訪れ。

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芽吹いた木々のフレッシュな緑の中を進む。

ワチガイソウ。

途中、支沢が左から入るところで大きく崩れがあり、対岸へ渡ってまた戻るところがある。
それを過ぎると三の茶屋跡。
近くにはこの石碑。

「大正十五年五月、正一位凛〇神社、義仙行者」と刻まれる。神社があったみたいだ。
凛の後がしっかりと読み取れない。
三の茶屋跡を過ぎて最後の渡渉で左岸へ渡る。そこから七曲りの道となって神子内林道へと上がる。
カラマツ林の七曲りの道。

国道122号から上ってくる神子内林道へと合流。

この辺りに見晴らし茶屋(四の茶屋)があったらしい。
林道沿いのトウゴクミツバツツジ。奥にはシロヤシオのつぼみが。

天気が良いからより艶やかだ。

この林道は展望良好。ただし夏は日差しを遮るものがないので暑い。![]()

散り気味のアカヤシオの向こうに中禅寺湖南岸尾根や皇海山。

下の谷間から徐々に新緑が上がってきているのがわかる。

背景は社山と大平山。
神子内林道終点。

ココから先は山道。
正面に半月山を見て尾根を進む。

この標高はまだ芽吹きが少ない。
少しずつアカヤシオの咲き残りが出始める。

一旦、半月峠道から分かれて、尾根伝いに中禅寺湖スカイラインの終点駐車場へ乗り上げる。

この柵を乗り越えると観光で来ている人がたくさん居るので、たいてい白い目で見られてちょっと気が引ける。![]()
以前は菖蒲ヶ浜~千手ヶ浜間を直してましたが、しばらくは南岸を直すようです。

自分がクマに襲われるきっかけにもなった改修工事…。![]()
工事がわるいわけではなく自分がわるいの。
駐車場から半月へ登ります。

下はスカイライン。左は夕日岳、地蔵岳。右奥は古峰ヶ原。

これはちょうどよい頃合い。

まずは地味な山頂へ。

そして、展望台へ。

八丁出島と男体山。
栃木の山岳風景のツートップは、ここからの風景と姥ヶ平からの茶臼岳かと。
奥白根と外輪山、温泉ヶ岳はまだ雪が残る。

小さな島は上野島。
湖岸に中宮祠の街並み。男体の右奥に帝釈、女峰、前女峰が顕著。

半月峠道で歩いてきた尾根を眺める。

展望台からは半月峠へと下りる。
アカヤシオはポツリポツリと。

この鞍部が半月峠。

深沢から歩いてきた今回の道は、この峠を越すための道。地味だけどここがこの日のメイン。

峠からは、半月山の南の山腹に付く正規の半月峠道で帰る。

帰りはスカイラインの駐車場を左上に見て通過。

行きに通ってきたところへ合流して同じ道を戻る。
赤黄マーク多数。

熊棚の残りもあり。

微かに残る石積が峠道らしくて素敵だ。![]()

神子内林道終点のこのかわいいのは以前からあったっけな?

林道をひたすら下る。正面に地蔵岳、夕日岳。

また、七曲りや渡渉しながら半月峠道を帰る。
石積みの道がしっかりと残っているところも。

この標識は2回だけ見かけた。

二の茶屋と神社跡、雨量観測所まで戻ってきた。

沢沿いの定番、クワガタソウ。

峠道の岩間にはこんな書き記しも。

「古峰山参拝記念、昭和十二年五月四日…」
千葉県安房郡神戸村竜岡(現在の館山市竜岡 りゅうおか)から古峰神社へ参詣した青木さんと言う方2名の記し。親子だろうか?兄弟親戚だろうか?
85年前のほぼ同じ季節にこの峠道を通り、「此の日は天気が良く遠くの山々まで見渡せた」と記している。
房総の南端から日光連山は望めない。きっと峠から眺めた中禅寺湖と背後の山並み、盛りのツツジの花は記憶に残ったに違いない。
こんなものが残っているなんて、素晴らしい峠道だなと。![]()
以前、同じような書き記しを半月山の南山腹の半月峠道で見かけたのですが、その後、通りかかっても見つけられない。消えてしまったのか?岩が崩れたのか?今回も見つけられなかった。
深沢沿いのヤマツツジを見て半月峠道も終盤。

最後の渡渉で対岸の林道へ。

現代へ戻ってきた。![]()

駐車地の大畑沢緑の砂防ゾーンへ帰ってきた。

緑が深くなった足尾の山々。

半月峠道は、すぐ西側の阿世潟峠道の崩壊により、大正時代末に開削された道。
足尾と日光を結び、観光や修学旅行のコースとしても一般的な道だったそうです。足尾銅山の見学、古峰神社や日光の社寺を参詣するために歩いた人も多かった。
手元に「町民がつづる足尾の百年」という本があるのですが、そこに四の茶屋(見晴らし茶屋)の娘さんの手記があり、半月峠の5つの茶屋のことが詳しく書かれている。
見晴らし茶屋では、下の沢まで水を汲みに行くのが大仕事だった…と回想している。
その水汲みの道は今回歩いた七曲りの道にあたり、そんな昭和初期の情景を思い浮かべながら歩いた。
好展望の神子内林道が通る尾根には、当時別荘を建てていた人も居たという。
85年前、館山から参詣に来られた方が歩いた時には、きっと足尾は煙害で茶色いはげ山の風景だったかもしれない。でも、峠から眺める中禅寺湖と男体山は今と同じだったのではないかと思う。
ウソかホントか、製錬所の煙突が低いのは、神領の日光側を煙害から守り、足尾の谷に止めるためなんて言う話もあります。
足尾方面の山歩きでは、銅街道途中の峠探しもする予定。ちょっと気になる峠があります。暑くなる前に行ければよいのですが、暑くなったら秋口以降に回して探索しようと。














































