さて、これは何に見えますか?
少し前、渡良瀬川沿いの銅街道を車で走ったときのこと。
富弘美術館の横の道の駅スペースにあるオブジェ。
春にこの街道を走って、ここで休憩するとき、車のドアを開けるとツツジの香り、新芽の香り、春の山の香りがフワァ~と漂い、心地よい気分になる。
掲示してある説明を読むと、これは「土の中の豆」。
豆の上の棒は、地表面を表しているとのこと。
書かれている解説をそのままここに載せると。
・忍耐して待ち、失望してはならない。
・時がくると芽を出し、葉、更に花を咲かせ多くの実を結ぶことができる。
・悩み苦しみの中に必ず希望の光、新しい命が芽ばえる。
といったこと象徴させたものだそう。
がしかし、自分には、腎臓にしか見えてこない。
腎臓へのエピソード記憶が強すぎて、これまでも、これからも…。
これは腎臓。
摘出した右の腎臓。
上の地表面は、副腎。場所が違うけど、腎動脈、腎静脈、いや、一緒に摘出したリンパ節かもしれない。ん?、地表面は大動脈、大静脈。
病前にも何度もここを通って見ていたはずなのに。
その時はこのオブジェをなんとなく見て素通りしていたのかも。
腎臓だと思った記憶はない。その時は豆に納得していたのかも。
だって、その後の腎臓と共にある人生を予想もしていないから。
芸術は見る人の感性。
感性はその人の歴史によって培われる。
ここを通るたび、この腎臓を拝んで行こう!
これが腎臓なら、山旅の安全に一番の御利益かもしれないから。