昨年から、
仕事等でご一緒させて
いただいたことのある方や元上司など、
60代から80代の身近な方が
幾人かお亡くなりになった。
さらに、このほど
幼い頃からよく知っている
叔父が亡くなった。
「いとこのお父さん」が
亡くなったわけである。
そうか、わたしもそういう年齢に
差し掛かっているのだ。
まだまだ元気そうだと
表面上からは感じられても、
人間の肉体は、
こうしている間にも
刻一刻と、
摩耗していっているわけである。
叔父の一件も、
突然のことだった。
叔父は、わたしにとって
「あこがれの叔父さん」の1人だ。
かつて、英語がペラペラ話せるという
堪能な語学力を活かして、
海外をあちこち飛び回る仕事をしていた。
とりわけ、わたしが幼少の頃は
オーストラリア方面に行くことが多く、
カンガルーのぬいぐるみや、
クリップ仕様のコアラのぬいぐるみを
お土産にプレゼントして
もらったことがある。
特にカンガルーのぬいぐるみは、
赤い目をしていて、
母は「リアルだ」と言っていたけれど
わたしはかえって
そういうところから
オーストラリアの文化が感じられるように
思っていたし、
少々オーバーかも知れないけれど、
そういうところから
「世界」を感じていたように思う。
また、同い年のいとこが叔父と
英語や海外の話をしていたりするのに
耳を傾けながら、
「英語が話せるお父さんが
身近にいたら、
こうして英語に触れられる機会が
あるんだなぁ」と思いながら、
二人のやりとりを見ていたものだ。
もしかしかたら叔父は、
わたしに初めて、
「世界」を感じるきっかけをくれた
存在かも知れない。
それを思い起こされるような出来事が
往路の新幹線であった。
新大阪から大荷物を持った、
海外からの旅行者とおぼしき男女3人の
赤ちゃん連れが乗ってこられ、
とにかく大荷物で
とっても大変そうだった。
が、新幹線は
のぞみの自由席だったのだが、
お盆のピークを過ぎたとはいえ、
割と混み合っていた。
そして、わたし自身、
体調のリズムの関係か、
新神戸からのたったひと駅で、
なんだかイヤな汗が出てきていたのだ。
だけど、そのファミリーを見ていると
荷物が多すぎるのと、
おまけに赤ちゃんもいて、
なんだか大変そうで、
少しでも救いの手を差し伸べたくなった。
が、しかし、
わたしは非常に残念な英語力しか
持ち合わせていない。
どうしたものか。
待てよ、今はChatGTPの時代ではないか。
お隣の席に座られたご主人に
お伝えしたいことをスマホで検索。
勇気を出してカタコト英語で声を掛け、
検索で出てきた英文を見せながら
英語で話してみた。
すると、笑顔で「OK!」と言ってくれて、
そこからは、
あちらから英語で話しかけてきた。
当然わたしは満足に英語を話せないので
なんちゃって英語で対応。
英語対応で頭がパンパンになったのか、
あっという間に
ヘンな汗どころではなくなっていた。
京都で下車する際に
「Have a nice day」と言ってみたところ、
「You,too」と言ってもらえて
嬉しかったのと同時に、
こうした海外からの旅行者の方とかが
困っているときに助け舟が出せるくらいの
レベルの英会話ができるようになりたいと
切に思った。
ほんの新大阪から京都までの
10分少々の出来事だったけれど、
とても豊かな気持ちになれた
ひとときだった。
叔父をお見送りするのは悲しいし辛い。
だけど、
叔父との一つひとつの思い出は
これからもわたしの中で
生き生きと生き続け、
わたしを支え、
ときには奮い立たせてくれると
思っている。
