高校生から質問された。
「『かかり』って、なんで「ラ変」なんですか?」
ノートを見せてもらったら、品詞分解が書かれていて、「かかり」の右横に「連語・ラ変」の文字が。どうやら、板書で教員がそう書いたものの、説明がなかったらしい。
その生徒には、中3のときに、私が、ラ変は「あり・をり・侍り・いまそかり」とくり返し唱えて覚えさせたから、「かかり」がラ変と言われてもピンとこなかったようだ。
「指示語になる副詞『かく』にラ変の『あり』がくっついた『かくあり』が、縮まって『かかり』になったの」
そう答えた。
答えとしてはそれでいい。だけど、引っかかったのは、そんなことを取り上げて何になるのか、ということだ。「かかり」が指示語で「このようである」という意味であると知っておくことは大事だ。だが、そこに傍線を引いて、活用の種類を問うことにどれくらいの意味があるのだろうか。
と、ここまで書いてみて、はたと気づいた。
「かかり」の意味は「こうである」。副詞「かく」の意味が「こう」、そこにラ変の「あり」がついたから「こうである」と訳す。
そう考えると、「かかり」=「かく」+{あり」と知っておくことは、それなりに大事かもしれない。
ただ、それはあくまでも「こうである」という語意を知っておくための手段であって、それを問いにして、「ラ変」と答えさせるのは愚問だと思う。言葉の由来や成り立ちを聞くなんて、大学の日本語学研究に任せておけばいい。
文法は読解のために必要だ。文法なくして読解はできない。けれど、重箱の隅をつつくような文法問題はやめてほしい。読解のために必要な文法を重視したい。
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