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政策コンテスト


みなさん、こんばんは。
今日は雨と風が強かったですね。
歩き回っていると、垂直に降っていた雨がだんだん横なぐりになり、上下のスーツがびしょびしょになってしまいました。
ズボンはヨレヨレです・・・
しかも蒸し暑いので、不快指数200%。
それでも、地元の方々とお話させていただくととても勉強になります。

こちらはやりがい200%!



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(検見川神社)





さて、昨日、触れた概算要求基準に関連して、新たな言葉が出てきました。



「政策コンテスト」



これは、各省庁の政策的経費を一律10%削減する代わりに、1兆円を超える規模の特別枠(「元気な日本復活特別枠」)を設け、各省庁がその政策を公開の場で競う合うスキームを意味するようです。



制度設計の詳細が分からないため、十分に論評することはできません。
しかし、それでも、いくつか指摘すべき点があるように思います。



まず、予算策定プロセスにおける透明性を向上させること自体は私も良いことだと思います。
しかし、そうであるならば、ほんの一部でしかない特別枠だけを透明化するのは中途半端な感が否めません。
残りの歳出の中に依然として含まれている多額のバラマキ項目を覆い隠すための姑息な手段にしか見えません。
透明性を向上させることに主眼を置くのであれば、財務省と各省庁との一定レベル以上のやりとりを全部公開するくらいの提案があっても良いはずです。
ただし、公の目に晒されることによって相当の行政コストが生じることは覚悟しなければいけませんが。



更に問題点もあります。



一つは、地味だが国の未来のためには重要な政策が、国民受けする短視眼的な政策に優先される可能性が高いことです。
政治家の役割が、後者を前者に優先させることだとすれば、政治家なんて誰がなってもいい。
でも、政治家の役割は、そういうものじゃないですよね。
中長期的なスパンで国の行く末をしっかりと考えて、前者を後者に優先させる決断をするのが政治です。



また、事業仕分け同様、コンテストの「審査員」に有識者などを加える案も出ているようです。
民間有識者を加えることにより、政策の正統性を上げること、言い換えれば、民間有識者と責任を分担することを意図しているとすれば、あまりにも無責任過ぎる。
私たち国民の血税の使途は、その負託を受けた政治家が全責任を持たなければなりません。
それができないとすれば、責任放棄以外の何物でもない。
「コンテスト」という言葉を軽く用いてしまうところに、その一端が垣間見えると私は思います。


政策は、国家の未来を形作っていくツールです。
そのツールの是非は、
有権者の好き嫌いだけで判断されるべきではありません。
国家運営上の見地から正しいか正しくないかで判断されるべきです。

そして、その判断が有権者にとって不人気なものである場合、説明責任を尽くして納得いただくのが真っ当な政治。



迎合だらけの政治と決別しなければ、この国の未来は切り拓けない。
その覚悟なき政治は、歴史によって否定される運命にあると思います。


最後に、今朝は横浜は大倉山まで赴き、鈴木馨祐(けいすけ)前衆議院議員の駅頭演説を見学してきました。

鈴木さんは、私の高校、大学ボート部の後輩、職場の同期、そして政治家では先輩にあたります。

覚悟ある同志が思いを訴える姿に刺激を受けました。

私も頑張ります!



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概算要求基準

みなさん、おはようございます。
日中は暑いですが、早朝は適度な気温で気持ち良いですね。
そよ風が吹くと涼しくて気持ちいいですね。



さて、今日は国の予算の話です。

国の予算というと、少し難しそうなイメージはあります。
でも、私たち国民の生活に直結するとても大切なものですので、財務省で働いていた人間として、今後もこのブログでできるだけわかりやすくお伝えしていくよう努力します。



昨日、政府が2011年度予算の概算要求基準を閣議決定しました。


「概算要求基準」って何?


ということですが、
通常、翌年度の予算案を策定するに当たり、各省庁が財務省にそれぞれの案を提出します。
しかし、その上限に枠がはめられていないとどうなるでしょうか?
みんなこぞって、あれもこれも、ということになって、額が青天井に増えてしまいますよね。


昨年後半の民主党の例(=本年度の予算)が良い例です。

その結果、
全体の歳出が膨張し、税収だけでは補えない部分、つまり、
国債を発行しなければいけない額も膨張しました。

そしてなんと、税収を国債発行による収入が上回る事態になってしまったわけです。
国の支出(=歳出)の約半分を借金で賄うわけですから、とてつもなく異常な事態です。

さすがに民主党もそれはまずいと思ったらしく、
自民党時代のやり方に戻しました。
つまり、
各省庁がめちゃくちゃな案を財務省に出してこないように、あらかじめ、「あなたの省庁の予算案の上限はこれだけですよ」と決めることにしたんです。

これが概算要求基準です。



でも昨日閣議決定されたこの基準についてはいくつか指摘しておかなければなりません。


まず、良い点です。

・特別枠を設けるなど、厳しい財政状況の中でメリハリをつけようとする意識は感じられること。

・各省庁や与党族議員の抵抗が予想される中で、政策的経費の一律1割削減を打ち出したこと。

これらは評価されて良いことと私は思います。



しかし、これ以上に問題がある。


まず、

国債の利払費などを除く歳出の大枠を「本年度並み」の71兆円にする。そして、国債発行額をこれも「本年度並み」の44兆円を上回らないよう「全力をあげる」

という点です。


何が問題なのかを一言でいえば、

本年度並みを目指していることです。


既に述べた通り、本年度の予算はめちゃくちゃ異常な予算なんです。
そんな予算を来年度も目指すとするのはおかしいんです。
歳出削減をもっと徹底して、国債発行額を抑制しなければならないんです。
しかも、「全力をあげる」とある。
これは役所用語で、「努力する」とほぼ同義です。
覚悟や自信が十分でないから逃げ道を作っておくんですね。
総理・財務大臣は政治家なんですから、もっと覚悟を示して欲しいと思います。



では削減を検討すべき項目って何かあるのか、という話ですが、

あるんです。


上に私が評価すると書いた「一律削減」。
実は、この対象からは、民主党マニフェストの目玉である、子ども手当や高速道路無料化や農家戸別所得補償は外れているんです。
財政が破たんすればそもそも国民生活は成り立ちません。
国民生活第一というのであれば、まさにこれらの項目をもう一度ゼロベースで見直すことが先決ではないでしょうか?



しかも、
本年度の予算には例外があったんです。
予算の歳入には、税収と国債発行による収入以外に、「税外収入」というものがあります。
この税外収入の一部として、本年度予算を組む際に、国債発行額を抑制する観点から、いわゆる「埋蔵金」を掘り出したんです。



その主な対象が、外国為替特別会計と財政融資資金特別会計です。
でも、私は財務省時代に、国の資産と負債をスリム化するために無駄撲滅をやっていたからわかるんです。
埋蔵金(という呼び名が適切だとは思いませんが)をこれ以上見つけるのは至難の業です。
たとえば、上の二つの特別会計にこれ以上頼ろうとすれば、為替リスクや金利リスクが顕在化した時に、今度は逆に税金を投入しなければならない羽目になるんです。
だから、来年度予算では、もうこれらの埋蔵金に頼ることはできない。
そうだとすれば、なおさら、
子ども手当をはじめとする民主党にとっての「聖域」に切り込まなければならないんです。



もう一点、政府が提唱した「政策コンテスト」についても問題だと思いますが、長くなってしまいますので、後日にしますね。


それでは、みなさん、今日も良い一日を!

泣くのも仕事


おはようございます。
こばやし鷹之です。


今日もいい天気ですね!
一日張り切っていきましょう。



さて、なかなか頭から離れないニュースがあります。
先日、横浜市で起きた1歳2ヶ月の女児を木箱に閉じ込めて窒息死させた事件です。
理由は、夜泣きがうるさいから。
近所では、3歳の長女も含めて、姿が見えず、泣き声も聞こえないので、監禁されているのではないかとも噂されていたとのこと。



まず、児童相談所がもっと早いタイミングで介入できなかったのか、という政策面での問題が提起されて然るべきです。

児童相談所における人手が不足していることや、
児童虐待防止法において課されている通告義務(※)の認知度が低いこと、
そもそも厄介なことに巻き込まれたくないと思ってしまうこと、

などが原因として考えられるので、早急に対応を講じることが必要です。
(※同法第6条において、虐待を受けたと思われる児童を発見した人は速やかに児童相談所等に通告しなければならないことが定められています。)



加えてこれとは別に、同じ娘を持つ親として、

このような事件は、どうしても信じられないし、どうしても許せない。
私の娘はまだ2ヶ月なので、夜泣きがひどくなってくるのはこれからです。
今ですら、夜中に泣くので何度か起きて、オムツを交換しますし、ぐずる時は根気良く付き合わなければいけません。
確かに、疲れないといえば嘘になります。

泣きまくった翌朝は、とてつもなく眠い(今朝もそうです)。
だから、毎晩寝る前には、今晩は天使でいてくれよ・・・と願いつつ床につくようになりました。



でも、泣きまくっても、子供に対して不満をぶつけようとは全く思いません。
だって、子供にとっては、
合図を送る方法は泣くことしかないじゃないですか。


「おなかが減ったからおっぱいが欲しい」


「おしっこ、うんちでオムツが汚れて気持ち悪いから換えて欲しい」


「怖くて不安になったから安心させて欲しい」


赤ちゃんなりに、生きていくために必死なんです。
気持ちを懸命に伝えようとしているんです。
言葉で伝えられないから、泣くんです。



泣きわめくという言葉があるけれど、
「泣くこと」は「わめくこと」とは違う。
前者にはしっかりとした意義があるんです。



うるさいから閉じ込める。
信じられないですよ。

うるさいんじゃない。
うるさくしないと気付いてもらえない。
それに気付くのは誰ですか?
赤ちゃんは誰に「話し」かけてるんですか?

親ですよ。
他に誰か気付いてあげられる人がいるんだったらまだいい。
でもいないんですよ。



最近、思うんですね。
赤ちゃんにとって、いっぱい泣くことは、

いっぱいおっぱいを飲むこと、
いっぱい寝ること、
いっぱいオシッコとウンチを出すこと、

と並んで、立派な仕事なんじゃないかって。



他者に対して何かを伝えようとすることは、社会と交わっていくための最初のステップのような気がするし、何より大きな声で泣くことは、元気な証拠。
社会を何十年も生きてきた自分達の視線ではなくて、
赤ちゃんとおなじ視線で向き合ってあげる必要がある。

そう感じてなりません。


亡くなられた赤ちゃんに心から哀悼の意を表します。