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幕張の表情

こんばんは。
こばやし鷹之です。


外回りが続きます。
喉ごしの爽やかさを求めて、思わずサイダーへ手が伸びました。
その名も「仮面サイダー」。
こういうコテコテのネタは、心に一時の安らぎとゆとりを与えてくれます。

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それにしても、街って面白いですね。
隅々を周ると、「こんなところあったの?」という場所に出くわします。

昨日の幕張。
幕張エリアと言えば、「幕張メッセ」のイメージがあるかもしれませんが、いろんな幕張があるんですね。
地図を片手に田畑の中を運転するのですが、いかんせん田んぼと畑ばかりで目印が無い。
いつのまにか、林の中に迷い込んで、たまたま散歩していた老夫婦に助けられました。
「道らしくない道が続くけど、信じてまっすぐ進め!」
その言葉の通り進んでいくと、開けていた窓から木の枝が次から次へと入り込んできて車中に花粉がばら撒かれて、むせてしまいました。無事目的地には着きましたが・・・

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さて、今日お会いした方々の中に、農家の方が何人かいらっしゃいました。
みなさん、幕張と聞いて想像する野菜ってありますか?
答えは、

人参。


「幕張人参」として有名なんですね。
しかし、その人参を取り巻く状況はかなり厳しいことを教えていただきました。


あるおじいちゃんは、
「農業を継ぐ人間がいないから、畑の3分の2は荒地になっとるよ。
ピーク時に比べて収穫量が半分くらいになった。
もう人参だけじゃ食べていけんよ。
わしはもう年寄りだから年金で暮らしていくからいいけどな。」


ある中年の方は、
「おやじの体の調子が悪くなって、自分一人だけじゃもうやっていく自信がない。相続も大変だし。
農転(農地転用:農地を他の目的のために使用すること)して商業施設にしたいので県への申請書を準備している。」


別の中年の方は、
「この辺りの人参農家にとって、人参栽培の重みって農家ごとに違うんだ。
駐車場や貸アパートの収入で十分食っていける農家は人参栽培なんて趣味みたいなもの。
でも、そうじゃない農家もある。
人参を栽培するには、種、肥料、洗浄する機械、トラック、倉庫・・・とにかく金がかかる。
人参で生計を立てている農家はほんと大変なんだ。
個別の農家ごとにきめ細やかな対応をして欲しい。」



こんな声を聞かせていただきました。
農業に従事したことのない私にとって、どれも新鮮なお話でしたが、実際に農家の方々の苦悩する表情を目の当たりにすると、想像していたよりも厳しい現実に少なからず戸惑いました。

帰りがけ、畑にはご年配の方々が農作業に従事されている姿がありました。
すぐ向こうには幕張新都心の高層ビルが見えました。
そのコントラストが何故か心にずしりときました。

親への虐待

こんばんは。
こばやし鷹之です。


今朝、小学生たちから、「小林鷹之さん、がんばって~」と声をかけられました。
嬉しかったです。
「勉強、頑張れよ!」と話しかけましたがが、自分にそんな資格はないな・・・と後で反省。
今日は9月1日。
小学生の時、一年で一番忙しかった日かもしれません。
8月31日まで夏休みを目一杯満喫する少年だったので、苦手の絵日記(低学年時)と読書感想文(高学年時)はいつも後回し。
9月1日の始業式の日に、「持ってくるの忘れました」といって、家に帰ってから必死になってこなしていた記憶があります。
だから、絵日記の天気の欄はメチャクチャでしたし、読書感想文もまえがきとあとがきだけ読んで完成させることもありました(苦笑)。


さて、今日の読売新聞に気になる記事がありました。
50代の息子が80歳近い痴呆の母親を虐待して死に至らしめた疑いがあるとの記事でした。
記事によると、死因は全身打撲や内臓破裂による出血性ショック死。ボケ防止のために息子が母親を日常的に平手で殴るなどしていたとのこと。
真相が分からない個別事件に対するコメントは控えますが、介護疲れによって子供が親を虐待する例を最近よく耳にします。

「そんな子供、最低だな」

そう簡単に言い切れない自分がいます。
勿論、親を虐待死させることは絶対に許されることではありませんが、介護の現場を目の当たりにすると、その苦労を知らない自分が軽々に断罪できることではないと思えてしまうんです。


最近、特別養護老人ホームをはじめ、施設をたびたび訪問させていただいております。
痴呆症のご年配の方々の姿を拝見すると、口をポカンと空けて、天井をただ見てらっしゃって、微動だにしない。
こんな方が数多くいらっしゃいます。
食事の風景もお風呂の風景も、何をとっても介助する方々はとても大変そうです。

「精神的にもきつくないですか?」

そんな愚問を問いかける私に、介護士の方は、

「きついです。でも、私たちはお年寄りの方々のことが好きなんです」

と笑って答えてくれました。


こういう施設に入れない在宅介護の方はとても大変だろうなと思うんです。
イライラすることだってあると思うんです。

でもやっぱり、そうは言っても、親を虐待することは正当化できない。
施設内の痴呆症のおじいちゃん、おばあちゃんたちのベッドの壁際には、ご家族との思い出の写真が飾られてました。
楽しそうな写真でした。


痴呆症であろうがなかろうが、子供が親に育てられてきたという事実は否定しようがありません。
親がいなければ子供はこの世に存在しないわけです。
であるとすれば、どんなに介護が苦しくても、産んで育ててくれた恩をしっかり返していくのが義だと思います。


痴呆症の方が普段どういう気持ちでおられるのか、私には分かりません。
ただ、理由がよく分からないまま、自分の子供に死に至るまで殴られ続けることを想像すると、何ともいたたまれない気持ちになってしまいます。


人は誰でも年をとります。
好き好んで痴呆症になる人間だっていません。
誰もが最後まで人生を幸せに過ごす権利がある。
その権利を誰もが享受するためにはどうすれば良いのか。
悩みます。

地震対策

おはようございます。
こばやし鷹之です。


暑いですねぇ。
ようやくマイク、スピーカー、のぼりが一通りそろって、今朝から駅頭演説を始めたのですが、日なたで話していたら途中でくらっと来ました。
コンビニに駆け込んで水分補給して生き返りましたが、朝の日差しも意外ときついんだなあと実感しました。
みなさんも気をつけて下さいね。


さて、昨日から防災週間が始まりました。
小学生の時の防災避難訓練は、授業が中断されて、頭巾をかぶって校庭にみんなで避難するのが何だか楽しかった記憶がありますが、今振り返ってみると、とても重要な訓練だったんだなあと思います。


私が、今後政治家として取り組んでいきたい事項の一つが、この地震・津波関連の防災対策です。
歴史を振り返れば明らかな通り、日本は複数の海底プレートに囲まれた島国ですから、地震・津波によって多くの尊い人命が奪われてきました。
突然生じる、自然の驚異を前にすると人間の力は極めて無力です。
しかし、巨大地震が発生した時のシミュレーションとそれに基づく訓練次第で、多くの命が救われます。


最近話題になっている3連動地震とは、プレートのエネルギーが蓄積される南海トラフの溝に沿って、東海、東南海、南海の3地震が連動して生じるものです。
過去には、江戸時代に2度、宝永地震(1707年)と安政地震(1854年)として記録されています。
この3連動地震は、真ん中のエリアにある東南海地震がトリガーとなって生じるとされていますが、この東南海地震が生じる「確率」が、10年以内に20%、30年以内に60~70%と言われています。
死者は2.5万人と推定されていますが、現在3連動地震に関する防災大綱が定められていない中で、実際にそのような巨大かつ広域地震が生じれば、救援体制がどれほど整うか未知数であるため、死傷者数が推定以上に増えることも容易に考えられます。


防災対策については、
究極的には、お年寄りから子供まで含めた一人ひとりの個人が自分の判断で動けるように事前に訓練しておく必要があります。
その意味では、市町村が果たす役割は非常に大きい。
しかし、巨大かつ広域地震になると、もっとマクロの救援体制を緻密に整備しておく必要があるため、都道府県間の連携強化など、国がしっかりとした司令塔としての役割を果たせるように、そして、関係者の役割分担が明確になるように、事前に準備をしておく必要があります。
また、国~都道府県~市町村~家庭の情報伝達を含めた縦の連携も整備する必要があります。


このようにマクロとミクロのレベルでの準備が重要です。
加えて、これらのソフト面に限らず、ハード面での対策も急務です。

「コンクリートから人へ」

分かり易いようで、矛盾を孕んだ民主党のキャッチフレーズ。
人の命を守るためのコンクリートもあるんです。
その意味で、今回公表された経済対策に病院の耐震化が盛り込まれたこと自体は評価されるべきです。


本当は、バラマキ政策をすべて止めた上で、実施して欲しいのですが。
社会資本インフラ整備については、悪の権化のように語られることもありますが、老朽化したインフラはいずれ必ず補修・整備しなければなりません。
このような事業は景気刺激という意味でも即効性がありますから、今のような不況時には思い切って取り組むことが必要だと私は思っています。


命は一度失われれば、二度と戻ってきません。
失われる前に、守るんです。