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証券化に対する幻想

こんばんは。

こばやし鷹之です。

最近、娘が寝返りを打つようになりました。
まだ3か月なんですけれど、ぐりんぐりん回るので、一緒に川の字になって寝たはずが、いつの間にか頭と足が逆になっていることも(苦笑)。
先日は、娘の顔面キックで目が覚めました・・・



さて、最近、ヒートアップしている民主党代表選挙。
そもそも政治の空白・混乱を自ら招いて、脆弱な状態にある経済に敢えて足かせをはめる必要は全くないと思いますが、それを言っても仕方がないので、今日は財源論です。



財源論の一つとして、小沢さんが最近「証券化」という言葉を使い始めました。

国有財産を証券化すれば財源が出てくると。



結論から言うと、あまりにも乱暴な議論であり、無責任極まりないと感じています。
本当にご本人が理解しているのか甚だ疑問です。
確かに国有財産は600兆円近く存在します。
この国有財産は大きく3つに分けることができます。



一つは、売れない資産または売るべきではない資産です。

前者の例としては、道路や河川。

後者の例としては、自衛隊の基地、為替介入と密接に関連する外貨建て資産、将来の支払いに充当すべき年金資産。




次に、国有財産の大半を占めるのが財政融資資金貸付金です。
簡単に言えば、財投債(≒国債)で資金を調達して、民間ではリスクテイクできないインフラ整備などを目的とした政府系機関などに対する中長期の貸付です。
小沢さんがこの貸付金の証券化により財源を捻出することを考えているとすれば、明らかに間違っている。
上述のように、この資産は負債と両建て、すなわち資産を証券化によって売却しても借金の返済に充てなければいけないものです。
証券化によって、借金を上回る現金を獲得できるとの見解も一部にありますが、資産を裏付けとして発行される証券は、最も安全とされる国債よりも必ず金利が高くなる、つまり、債券価格が国債よりも低くなるため、証券化して資産を売却すると逆に損をするんです。
しかも手数料も取られますから、証券化により新たな財源が生まれるとするのはまやかし以外の何物でもありません。

最後に、残るのが狭義の国有財産です。

しかしながら、売却可能なのは未利用国有地くらいであり、これは微々たる額でしかありません。

百歩譲って、いくらか売却収入を得たとしても、これは一回限りのもの。

小沢さんが固執しているマニフェストは、子ども手当をはじめとするバラマキメニュー満載です。

このバラマキは一回限りではなく、継続するものなんです。

だとすれば、持続可能性がないことは明白です。



「証券化」という一般にはよく理解されていない概念を持ち出して、あたかも打ち出の小槌のように見せかけて、国民を騙そうとしていることに私は強い憤りを覚えます

私たち国民が本当に騙されれば、いつの間にか借金だけが膨らみ、国は破産します。



一事が万事。

結局、「国民の生活が第一」と聞こえの良いことを言いながら、やっていること、やろうとしていることを見れば、国の将来に対する責任感が欠如していると言わざるを得ません。
国の未来を壊す政治家たちに、この国の舵取りを委ねるわけにはいきません。



















仲間への感謝

こんばんは。
こばやし鷹之です。

今日はとても嬉しいことがありました!
東京、神奈川、埼玉、千葉から、私がいつもとてもお世話になっていて、絶対的に信頼している方々が、大切な休日な時間を割いて習志野、八千代、花見川にいらしてくれました。
みなさまバスに乗って、私の活動エリアがどういうところなのか、実際に見て下さり、また、普段地元でお世話になっている方々からお話をいただき、今後の活動について意見交換をさせていただきました。

平日目一杯働かれて、休日は休息や家族サービスの時間に充てるのが普通なのに、私の活動をなお一層ご理解いただくためにいらしていただいたことが本当に嬉しかったです。
学生からご年配の方々に至るまで、数多くの方から示唆に富むアドバイスや心温まる激励をいただきました。自分のことのように捉えてくださることへの感謝の気持ちは言葉では言い表せません。

地盤、看板、カバンはないけれど、こういう支えがあれば、絶対にスタートラインに立てる、いや、絶対にスタートラインに立たなければならない。そして、スタートは飽くまでスタートでしかない、この国の未来を共に切り拓いていくためにも、政治家として歩むべき道を踏破するとの決心を新たにしました。

みなさま、本当にありがとうございました!


鷹之ブログ

「妹」の結婚式


こんばんは。

こばやし鷹之です。




だんだん日が短くなってきましたね。
まだまだ暑いですが、夏が名残惜しい感じがしてきました。
井上陽水さんの『少年時代』の気分です。
みなさんはどうですか?




今日は従妹の結婚式に出席しました。
母方のいとこは二人しかおらず、唯一の女性。
8歳年下ですから、彼女が生まれた時には私は物心がついていて、夏休みなどに帰省しては、オムツ替えから何まで見てきたんですね。
私と弟にとってみれば、妹同然です。
昔は、からかう対象でしかなくて、女性として見たことは一度もありませんでしたが、今日はとても輝いていて、本当にきれいだなあと思いました。




幸せそうな表情を見て、本当に嬉しかった。
披露宴の最後に、彼女が両親(叔父と叔母)そして亡くなった祖父(私にとっても祖父)に対して手紙を読みました。
育ててくれたことへの感謝の気持ちが溢れていました。
恥ずかしながら、涙が溢れ出てきて止まりませんでした。


「妹」がこんなに立派に育ったことが嬉しくて、
「妹」がこんなにしっかりした男性と人生を共に歩み出すことにほっとして、
「妹」が育ててくれた両親と亡くなった祖父に対して感謝していることに共感して・・・




仲間との絆、夫婦の絆は勿論のこと、親子の絆をひしひしと感じられる式でした。




「産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」
「産まれてきてくれてありがとう。育ってくれてありがとう。」




親子の間には、感謝の気持ちがある。
今まで、「絆」とは、相互の信頼や尊敬から成るものだと思っていましたが、そこには感謝という要素があるのかもしれない。




英語で言う「感謝」は”obligation”

「義務」という意味もあります。




産んだからには育てなければならない。
産まれたからには育たなくてはならない。




親と子がそれぞれに課された義務を果たすことは、感謝の裏返しなのかもしれない。
義務を果たすことによって信頼、敬意、そして感謝が生まれ、それが絆となっていく。
ふと、そんなことを思いました。




最近、親が子供を虐待する事件が後を絶ちません。

そんな中で、子供を社会全体で育てなければならない、という考え方もあります。

それはそれでいいのですが、やはり子供を育てる一義的な義務は家庭にあるんです。

社会で育てることが前面に出て、親が子を育てないことへの免罪符になっては絶対にいけない。

結局、子は親に育てられ、親は子に育てられる、と私は思います。



今日、結婚式を迎えた「妹」を見ていて、

家庭でしっかりと絆を培ってきた子供は、

社会に出ても、他者との絆をきちんと作っていけるんだなあと感じました。





少し早いですが、私も娘が結婚する時のことを思わず想像してしまいました。

親としての義務をしっかりと果たしていこうと改めて思った次第です。