事任八幡宮例大祭① 日坂宿・小夜の中山・夜泣き石をたどる | 大井神社大祭総合研究所

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昨晩、日坂で行われる事任八幡宮例大祭を見に行ってきました。

まずは日坂という土地と、事任八幡宮について少し調べてみましょう。 

 

事任八幡宮の近くにある日坂宿は、江戸時代の東海道五十三次の宿場町です。

旅人たちは、島田宿を出て、大井川を川越しし、金谷宿を通って、日坂宿へ向かいました。

今では車で通ればあっという間ですが、昔は歩いて進む旅の道です。
そう考えると、宿場町がどれほど大切な場所だったのかが見えてきます。

ここで、当時の日坂周辺を描いた一枚を見てみましょう。 

 


歌川広重「東海道五拾三次内 日坂 佐夜ノ中山」 

 

広重の絵を見ると、山道を進む旅人たちの様子が描かれています。

そして、絵の中に見える大きな石。
これは、夜泣き石なのでしょうか。


小夜の中山には、夜泣き石の伝説で知られる久延寺(きゅうえんじ)があります。

それにしても、絵に描かれた坂はずいぶん急に見えます。

私も以前、山の上にある久延寺へ車で向かったことがありますが、道幅が狭く、しかもかなりの急坂でした。
セカンドギアでなければ登るのがつらいような坂もあります。

広重が描いたのも、あの坂なのでしょうか。

もちろん、現在の道と当時の道がそのまま同じとは限りません。
それでも、実際にあの坂を登ったことを思い出すと、小夜の中山が昔の旅人にとって難所だったというのも納得できます。 


 

祭りの話から少し寄り道しましたが、日坂宿や小夜の中山を知っておくと、事任八幡宮のあるこの地域が、昔から多くの人が行き交う場所だったことが分かります。

次回は、事任八幡宮にはどんな神さまがまつられているのか。

そして、「ことのまま」という名前には、どんな意味があるのか。

そのあたりを見ていきましょう。

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