新しく河道を掘削して、河川を付け替える工事。
400年前の大井川の瀬替えの話
新東名より北へ500m
当時の川流れは山に当たって西へ屈折。
その山を削って新しく直進する河道を作る。

→→が瀬替え前の流れ
○部が掘削箇所(潮山:別名 駿河山~現在は牛尾山)
時は天正(てんしょう)18年(1590)頃
この「瀬替え」
山内一豊が行なったという通説は誤りで
駿河国主「中村一氏:なかむら かずうじ」が正しいようです。(掛川誌稿)
彼は小田原征伐において羽柴秀次隊の先鋒を務め、ほぼ単独で松田康長の守る山中城の主要部分を攻略。功により駿河国駿府14万石を拝領する(その年も1559年)

名君が、暴れ川に苦しむ民を救うために行なったのでしょうか?
「東海道の目的は物流、人流よりも通信としてのライン(中央から地方への命令伝達のため)の意味合いが大きい(考古学者:大塚淑夫氏)」の説の通り、秀吉の命令により赴任後すぐに現牛尾山掘削工事を始めたんですかね。
まあ、目的は何にしろ我々土着の民は治水、田畑開拓など生活環境が向上したのですからハッピーエンドです。(^ω^)
