定期考査の採点のため、学校に出ています。
国語表現は小論文(800字)にしたので、大変です。
では、またのちほど。
定期考査の採点のため、学校に出ています。
国語表現は小論文(800字)にしたので、大変です。
では、またのちほど。
14日の中スポの「D番記者」(執筆はK記者)にS君について「〝メモ魔〟と化しているらしい。『ピッチングについてのアドバイスはもちろんですが、野球以外のことも書いてますよ。寝る前や朝起きた後、メモ帳に目を通すことを日課にしています』と明かす。」とあった。12月に名古屋で食事をした時に見せてくれたあのメモ帳のことであろう。
「すぐ書き留めておかないと忘れてしまうんです、頭悪いんで……(笑)。先生には必要ないですよね? すごい記憶力、知識量だし……」
「いやいや、知識や情報は記憶できるけど、ひらめきは一瞬だからね。僕も思いついたことはその都度携帯にメモして、メールでパソコンに送るようにしてるよ」
「えっ! メモ帳なんかは持たないんですか?」
「僕はいつも新書や文庫をポケットに入れて持ち歩くから、メモは邪魔になるんですよ」
そんな会話をしたことが懐かしく思い出された。
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そう言えば、先日、偶然見つけたブログに、沖縄キャンプを訪れ、S選手にボールへのサインを頼んだら、「ありがとう」と書き添えてくれ、感動の極みですと書いてあった。これに対し、「きっと『ファン性』を見て、マナーが良く、本当に熱心なお方だということがわかり、言葉を添えてくれたのだと思います」というコメントもあった。申し訳ないが、S君はそんなに気の利いた男ではない。彼が色紙やボールに「ありがとう」と書くのにはわけがある。彼がドラフト6位でプロ野球選手となった夜、「何か色紙に書くいい言葉はありませんか?」と訊かれたので、『ひらがなで「ありがとう」にすれば?』と提案したのである。
「『ありがとう』ですか。いい言葉ですけど……」
「不満かな? 君は進路妨害を受け、スポーツ推薦の途を断たれ、1年の浪人生活を余儀なくされた。それだけじゃない。プロ入りまで妨害された。でも、利害や得失を離れて君のために尽力してくれた人たちがいて、君は今日のこの日を迎えた。まずは、その人たちに『ありがとう』でしょう? 支えてくれた両親や兄妹、恋人に対して『ありがとう』でしょう? そして何より野球が出来ることに対して「ありがとう」でしょう? 君にピッタリの言葉じゃないですか? 君が活躍してファンができる。その時、色紙に常に『ありがとう』の文字。君が大投手になったとしてもこれだけは変えてはいけない。ひらがななのは子どもたちにもわかるように。「S選手が好きな言葉だから」という理由で子どもたちも『ありがとう』のことばを自然に口にできるようになったら、嬉しいよね。そんな影響力のある選手になってよ!」
「はい。引退まで「ありがとう」を使わせてもらいます」
そして、数日後の新聞には、「S選手、『ありがとう』の思いを忘れず」とあった。
S君は現在も入団時の気持ちを大切にしてくれているのだ。久し振りに彼に電話でもしてみよう。
内田樹が「大学生活のツボのツボ」(『蛍雪時代』[2009.8]巻頭スペシャル!大学の人気教授が出張講義!夏の特別講義)において掲げる「大学で『自分』を見つけるための八か条」が面白い。それは
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1.キャンパスにはボーっと入っていく
2.「さすが大学!」と、やたら面白がる
3.キャンパスではフラフラ・フワフワする
4.できるだけ長い時間キャンパスにいる
5.授業は1日に2コマか3コマにする
6.授業をひとつ受けたら3時間は安静にする
7.大学に入る前に進路を決めるのはやめる
8.教養課程ではいろいろな学問に触れる
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というもので、僕の経験に照らしてみてもこの8か条は正しいと言える。志望理由書の添削に追われる毎日を過ごす身ではあるが、7番目の「大学に入る前に進路を決めるのはやめる」には同感である。内田は次のように述べている。
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(前略)大学の新入生を見ていると、1年生から卒業までスケジュールを決めて、予定表をびっしり作ってしまっている人がいます。これでは意味がありません。それじゃまるで、監獄に入っている囚人が出獄の日が来るのを数えて、壁にしるしをつけているようなものです。そんなふうに予定をこなしていくだけの味気ない4年間にしてはもったいない。
それに予定を事細かに決めてしまうと、未知なものを受け入れる余地がなくなってしまう。みなさんは自分が学ぶべきことをあらかじめリストにしておいて、その通りに学習することをものを学ぶことの標準的なかたちだと思っていませんか? 違いますよ。そんなことをしても、たいしたことは学べません。学ぶというのは「自分が知らないことを学ぶ」のではなく、「自分がそれを知らないということさえ知らなかったことを学ぶ」という一つ次数の高い営みなんです。
大学で何をしようとか、どんな資格を取ろうといったことは、今はあまり考えない方がいい。入学に際して必要なのは、自分の頭を解放し、「学びの姿勢」をもつことだけ。これがしたいとかこれはしたくないといったことを決めつけてしまうには、18歳という年齢はあまりに若い。それより、肩の力を抜いてボーっとキャンパスに入っていくのが理想的です。妙に力まず、緊張もせず、先入観を持たないで体や頭を透明にしておき、自分自身のアンテナに何かが引っかかってくるのを待つこと。それが一番生産的な姿勢です。
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明日は内田の所説にもう少し耳を傾けてみたい。
S君から電話。これからハワイだという。空港からだろう。
「先生、DVD観ました。ずいぶん抑えて話してくださってますね(笑)」
「ホントだよ~(笑)。Iさんに頭を押さえつけられていたようなものだからね」
「でも、一生の宝になります。ありがとうございました」
「ハワイでは楽しんできてください。1月からは戦闘モードなんだから」
「はい。年末にまた連絡します。行ってきます」
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S君、N子さんという生涯の伴侶を得て、来季に賭ける君の意気込みはとてもよくわかる。
だからこそ新婚旅行から帰ったら、野球だけに専念してほしい。もちろん、正月も返上だ。
くれぐれも親父やその仲間たちに振り回されないように。来季は一軍でしっかりと仕事をしてほしい。
本日、A君が第一志望であるB教育大学教育学部初等教育教員養成課程教育科学選修に無事合格した。
Aさんの合格も嬉しかったが、A君の合格はいろいろあっただけに喜びも一入である。彼の勇気ある行動のおかげで少しずつではあるが、学校が変わり始めた。現在も相変わらず指導不足・不適格教員の宝庫であるが、何れ一掃されるであろう。
A君本当におめでとう。反面教師に恵まれた君は将来きっといい教員となるだろう。明日からが本当の勉強です。喜びを噛みしめながら、今夜だけはゆっくりと休んでください。
話は一昨日(8日)の深夜に遡る。日付が変わろうとする頃、S君から電話があった。CテレビのディレクターであるIさんも一緒だという。
「13日の僕の披露宴で流すのに、先生のビデオメッセージを録りたいんですが、いいでしょうか?」
「何を話せばいいのかな?」
「僕が受験に失敗した時のこととか…」
「えっ、Uがいるのに? それは無理でしょ!」
「無理ですか? あっ、ちょっとIさんに代わります!」
「先生、ご無沙汰しております。Iです。ドラフトの夜以来ですね」
「あっ、S君がいつもお世話になっています」
「先生、どうでしょうか? Uさんが出席されるので、先生が出てくれないとS君から聞きまして、『君の一番辛い時に傍にいて支えてくれた人じゃないか、ビデオでメッセージをもらって来い。僕が編集してやるから』と言ったんです。あの1年間の浪人生活が現在のS君の原点だと僕は思うんですね。若いふたりが困難に出遭った時、『ああ、あの時、俺はこんなに頑張っていたんだ』と振り返ることができるようにしたいんです。ご協力願えませんか?」
当日欠席する負い目もあって引き受けた。明日(既に日付は9日になっていたから、正確に言えば「今日」である)S君がビデオカメラを持って僕の所に来ると言ったが、13日の準備等で忙しいだろう。生徒たちに事情を話し、夕方、僕が名古屋へと出向くことにした。
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9日の午後5時に名古屋駅でS君と待ち合わせ。S君の行きつけの居酒屋で食事。その後、S君のマンションへ。しばらくするとフィアンセのN子さんが到着。S君のお母さんが「あの子にはもったいない程のいい子ですよ」と言っていたが、その通りである。9時半頃、仕事を終えたIさんが到着。いよいよ撮影開始。結論から言って、S君とN子さんのふたりにとっては思い出になりそうなビデオではあるが、僕にとっては2度と見たくない内容となった。それはIさんから「様々な方面への影響を考え、S君が一浪した原因を彼の学力不足とさせていただきますので、よろしくお願います」と言われたからである。N子さんの手前、今さら嫌だとは言えない。不本意ではあったが、〝毎日自宅に通って、無償で学力劣等の教え子の家庭教師をした先生〟を演じた。「先生は担任でもなく、強化担当でもないS君をどうしてそこまでして面倒見たのですか?」という質問には一番困った。母校による進路妨害によって進退窮まった18歳の男子高校生に救いの手を差し伸べただけの話なのであるが、それを話せない以上、S君は〝勉強嫌いが災いして大学受験に悉く失敗し、自棄になって就職したものの、「やっぱり野球がしたい」と恩師に泣きついた教え子〟でしかなく、僕も〝自分のプライベートな生活を犠牲にまでして、無償の家庭教師を引き受けたお人好しの先生」でしかないのである。
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あれは命懸けの戦いだったのだ。中途半端な美談に仕立て上げられてしまってはいい迷惑である。近頃、多忙を極めて更新もままならないけれども、時間を作ってS君と僕との〝本当のこと〟を書いておきたいと思う。
3年生にも新型インフルエンザで欠席する者が目立ち始めた。受験会場から持ち帰る者が多いようだ。受験後であるのがせめてもの救いか。指導力不足教員の宝庫で学ぶ彼(彼女)らは内容希薄な授業に辟易し、罹患して家で存分に勉強がしたいと言っていたけど、実際はどうなのだろう。元気になったら是非聞いてみたいものである。
「〝チャーシュー先生〟も今回は公表したみたいですよ」とA君。
「今回はってどういうこと?」
「前回は数名出ていたんですが、推薦入試があったから公にしなかったらしいですよ」
「隠したってことか。それはまずいぞ。相変わらず勝手な奴だなあ……」
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S君に電話し、ふたりの馴れ初めを語ってもらう。
「長さは? 時間はどれぐらいあるのかな?」
「はい。長過ぎず、短過ぎずでお願いします」
おいおい、S君、それが一番難しいんだよ。
でもいいのが出来そうである。
12月に挙式するS君から電話。二次会で新婦のN子さんへの感謝の手紙を読むのだという。その相談である。「いいですか?」といつになく控え目なS君。当日出席しない僕に頼むので気が引けるのであろうか。
「いいよ。好きなように書いてメールで送って。添削してあげるから。わからないところはまた訊くし……」
「ありがとうございます。いっぱい書いてもいいですか?」
「いいよ。ホントに書けるのかな?」
「はい。書けます!」
(野球以外のことでS君の言うことはあまり当てにならない。期待せずに待っていよう)
S君から数分後に送られてきたメールには次のようにあった。
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何よりも感謝の気持ちを書きたいです。遅番の時にご飯を作りに来てくれて、洗い物から洗濯、掃除をしてから自宅に帰るといった生活がよくありました。すごく嬉しかったのですが、Nちゃんの体のことがとても心配でした。絶対幸せにしようと思いました。
今までちょくちょくケンカもしたけど、僕の目標は仲の良い恋人のような夫婦で、じいちゃんとばあちゃんになっても手繋いでいられるようなオシドリ夫婦になることです。みたいなことをよろしくお願いします(^0^)」
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短っ!(笑)でも、S君らしい文章だ。相変わらず優しい子だね(それが野球人として命取りにならないか僕は心配だよ)。どう直していいものか……。しばらく悩んでみよう。
AさんがH大学国際文化学部国際文化学科に合格したことは19日に彼女の志望理由書を掲げながら書いたが、それを読んだ〝チャーシュー大王〟ことC先生のクラスの生徒(以下「B君」と呼ぶ)が「俺も先生に志望理由書を捏ち上げてほしいなあ」と言っていると聞いた。どうやらCに言われて勘違いしているようなので、ここで断っておく。僕は志望理由書の捏造は過去に3回しかやったことがない。それは昨年、Cが「ウチのホープですから」と連れて来た3人で、数学はそこそこ出来るが思考力が全くなく、まさにCの複製のような子たちだった。彼らには得意の対話型指導も効かなかった。Cによって数学、それも計算の速さだけを鍛えられてきたから解答に時間がかかることは端っから受け付けない。加えて彼らには「自分は優等生である」というプライドがあるから、自分たちが単なる計算バカであることを認めたがらない。そこへCがやって来て「いつまでやってるんだ。数学をやれ!」などと勝手なことを言う。こんな連中に構っていては時間のムダである。他のマトモな生徒たちが可哀相だ。そこで仕方なく、志望理由書の捏造となった次第。
B君、どうやら君はAさんの志望理由書も僕が捏造したものと思い込んでいるようだが、それは違う。彼女が50冊以上の本を読んだうえで、自分自身で書いたものである(多少表現に手を入れた箇所はある)。Cの実績稼ぎの犠牲になって不本意な受験を迫られている君たちには心から同情する。しかし、自分が書けないからと言って人も書けないだろうと考えるのは小学生レベルである(こんなことを書くと小学生に失礼か。僕の甥っ子は現在小学5年生だが、少なくとも君よりは賢いだろう)。前も言ったと思うが、僕は忙しい。志のある生徒ならどんな面倒も厭わないが、Cが怖いからというだけで行きたくもない大学を受験するような奴に構っている暇(いとま)は僕にはない。他にも国語教師はいるだろう。君の志のレベルに合った指導者を探すべきだ。「あなたは空っぽよ」が口癖の某女性教師はどうか? 昨年僕が渡した複数の志望理由書を切り貼りして実に珍妙な文章を作っては読む者を嗤わせてくれる。あれは一種の才能だ。
「そんなのは嫌だ。内容のあるものを書きたい!」というなら見所がある。そうなれば話は別だ。喜んでこの僕が君の指導をしよう。そのかわり、まずは第一段階として1週間以内に最低3冊の新書を読んでもらう。総計15冊にはなる予定だから覚悟しておいてほしい。
久し振りにAさんがやって来た。英語科のB先生に合格報告に行ったらとても喜んでくれたという。フランス語をやるにしても英語は大事だよ。これを読んで勉強しなさい」と言って数冊の本を貸してくれたそうだ。
夏休みに入った頃、AさんはB先生に「どこを受けるの?」と声を掛けられた。B先生は、進路主任のBや無神経発言の体育会系教師の新Bと違い、受験に詳しく、彼女が転出したことによって前任校(進学校のI高校)の英語の平均点が下がったとまで言われている人物である。あのキムタツ(キムタクではない)とも知り合いらしい。Aさんは恐る恐るH大の自己推薦入試を受けようと思っていることを伝えた。案の定、B先生の表情が険しくなった。そして、志望理由に始まり、矢継ぎ早に質問を浴びせられたのである。まだ志望理由書には全く手をつけてはいなかったけれども、原案のようなものは早くから持っていたので、それを話したのだという。B先生はただ黙って聞いていたそうである。「叱られる……。一般入試を受けなさい! 推薦なんかに逃げるんじゃないわよ!」そう言われるに違いない。Aさんは息をのんでB先生の言葉を待った。俄にB先生の表情が緩んだ。そしてこう言った。「いい加減な気持ちじゃないことはよくわかった。素晴らしい志望理由だね。頑張れ! 私でできることがあったら手伝うからね!」と。「びっくりしました」と言うAさんに「B先生を納得させたんだから、もう合格は保証されたようなものですね。彼女は誰よりも手強い面接官ですから」と答えたことを思い出す。
Aさんはフランス語も習い始めるという。
「12月になったら試験対策の特編授業になりますけど、もういいですよね?」
「センター試験は受けないんでしょう?」
「はい。高校での残された時間を大学生活の準備に使いたいですから」
「殊勝な心掛けです(笑) これからが本当の勉強です。今までの勉強は「学力」のほんの一部分を鍛えていたに過ぎません」
「はい。自己推薦入試に挑戦してみてそのことがよくわかりました。これでは大学でやっていけないと思いました」
「それはないと思うけど(笑)、でも、これから数カ月の勉強は、これまでのようにテストで評価されるものではないから、自分をしっかり持ってないと続きませんよ」
「はい。でも、みんなから『いいなあ~。暇やろ~』と言われると、腹が立ちます」
「本当の勉強をしたことがない可哀相な子たちなんだからほっときなさいよ」
「はい。あ、あと文章力や読解力もつけたいので、何かあったらもらえませんか?」
「文章要約のプリントをあげましょう。持って来てくれたら添削しますよ」
「ありがとうございます!」
Aさん、これから忙しくなると思うけど、合格通知を受け取った時の気持ちをいつまでも忘れずにいてほしい。あなたならきっと大学でも伸びるでしょう。