好文舎日乗 -2ページ目

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

PTA執行部の方と図書館改装の打ち合わせ。
話は勢い、進路指導の件に及び、早急に進路指導体制を確立して欲しいと言われる。高2・高1の保護者にしてみれば、高3の現状には我が子の明日を見る思いなのであろう。

どんな協力も惜しまないと言われる。

いつも執行部のお母さんたちには元気をもらっている。
明日は夏休み最後の日。高2の女子生徒が進路相談にやって来る。
朝イチで健康診断を済ませて学校に戻ったら、何人かの生徒たちが志望理由書やAO入試の課題レポートを持って待っていてくれた。

添削をしながら、他の生徒たちの近況を聞いたが、みんな甘過ぎる。

他校の生徒は志望理由書や自己推薦書に何週間も、何ヵ月も費やすのである。そんな当たり前のことは三重県の片田舎の高校生でも理解していた。ここは東京だ。それが何という意識の低さであろうか。


担任が進路指導を完全に放棄し、バレーボールの指導ににうつつを抜かしている間に最悪の状態になっている。

明日から気合いを入れ直して指導しなければ…。

午前中に夏期講習2コマを終え、午後は若手のK君と一緒に生徒募集のための塾回りである。


おっと、8時~10時に志望理由書の指導が入っていた。ダメ出しを3回したのうで、もう来ないかと思ったが、半ベソをかきながら、「明日も見てくださいと言ってきた。楽をして大学に行こうとする連中が多い現高3生にしては珍しい子だ。「明日で終わると思うな、人生観を変えてやるから、覚悟しときなさい」と言うと、困ったような顔をして頭を下げた。1ヶ月後に彼女がどのように変化しているか、楽しみである。

内田樹の『おじさん的思考』(晶文社 2002,4)が角川文庫の今月の新刊として出たのを機に再読した。名著だと思う。

「学校でまなぶべきただひとつのこと」の中で、内田は「必要なのは『知識』ではなく『知性』である。『知性』というのは、簡単にいえば『マッピング』する能力である。『自分が何を知らないのか』を言うことができ、必要なデータとスキルが『どこにいって、どのような手順をふめば手に入るか』を知っている、というのが『知性』のはたらきである。学校というのは、本来それだけを教えるべきなのである」(角川文庫 174頁)と述べている。10年近く前、晶文社版でこの一文に触れて以来、知識よりも知性を育むことが僕の教育目標となった。
改めて『おじさん的思考』を読み返してみて、そのことを思い出した。

明日からまた頑張ろう。

2月からの数ヶ月間バタバタしていてblogを書く余裕が全くありませんでした。学校改革というのは本当に難しいものだと今更のように思っています。

昨年4月に現任校に着任して驚いたのは、高3生たちの進路意識の低さてした。それもこれも一昨年度に学校を滅茶苦茶にした体育科のせいなのだと知って、志のある仲間たちと、いろいろと手を尽くしたのですが、十分な指導をしてやることは出来なかった。

今年の高3生は「クラブだけやっていれば、勉強しなくていいから」と言って体育科が掻き集めた子たちがほとんどである上に、2年間進路指導というものを全く受けてこなかったので、意識は無いに等しい。今年の1・2月に僕の授業を使って進路指導を試み、多少は危機感を持たせることが出来たと思ったが、バレーボールの指導にしか関心を示さない担任が持ち上がってしまったことによって、安易に指定校推薦を選ぶ集団として洗脳されてしまった。指定校推薦での進学がダメだとは言わないが、何の努力もしないで大学に進学するということは彼女たちにとって決して幸福なことではない。内田樹が「『勉強して合格した』ということが成功体験になっている学生は大学に入ってからも一生懸命勉強する」と言っているが、その通りである。AO入試でも公募推薦入試でもよい。努力して合格したという「成功体験」を持って進学して欲しいのである。

教養講座では、『新古今和歌集』の春部、就中「梅の歌群」(39~54)を取り上げようと思う。


梅の歌群を中心にするのは、先行の和歌や物語、漢詩文、私家集などを引用して説明しやすいからである。


『新古今集』の配列美に注意しながら、王朝びとの感性や美意識について、生徒たちに説いて聞かせたい。


教科書で学んだ『新古今集』とはまた違った印象を受け、きっと驚くだろう。

教養講座の資料づくりのために西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫 197912 ) と『新考王朝恋詞の研究』(おうふう 1994) を読み返している。両書とも「名著だなあ」と改めて実感。特に『-四季』の方は、学部の3年生の時、長谷川端博士が講義(国文学概論)で使われたもので、僕は『王朝恋詞の研究』の旧版と併せてその1年前に読んでいて(当時、久保田淳・川村晃生編『合本八代集』[三弥井書店 19865]を買って八代集の四季歌を読んでいたので、『-四季』や『恋詞の研究』は必要に迫られて読んだのである)、先生を驚かせたものであった。『恋詞の研究』は大学院生の時、学部生たちと八代集の恋歌を読んだ時に、片桐洋一『歌枕歌ことば辞典』(角川書店 198312)と共に机辺に置いて重宝した本である。西村には『源氏物語とその作者たち』(文春新書 20103)などの近著もある。が、やはり何と言っても、この両著が一番に思い出されるのである。

1月11日(火)から進路が決まった高3生を対象にして教養講座が開かれる。


要するにセンター試験を目前に控え、完全に受験モードに入っている生徒たちの邪魔をさせないための教務部の苦肉の策である。


語科には8時間が割り当てられ、そのうちの1時間を受け持てと昨年末に言われた。


A先生は「漢字・四字熟語・慣用句・ことわざ」(1時間)、B先生は「手紙・履歴書の書き方」(1時間)、C先生は「夏目漱石」「芥川龍之介」「神谷美恵子」「項羽と劉邦(上)(下)」のDVD鑑賞だという。C先生の担当は高3だけなので、5時間引き受けたそうだ。「文学史か小論文はどうですか?」と主任から言われたが、あれだけ小論文で搾った連中である。これ以上書かせたら暴動が起こるだろう。かと言って、文学史にして1時間で1500年の時空を超えるのも難しい。


そこで、「王朝びとの生活感覚」などと適当なタイトルを提出しておいたのであるが、そろそろ準備を始めなければ……。

あけましておめでとうございます。

2011年が皆さまにとりまして佳き一年でありますよう

心からお祈り申し上げます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

今年も余すところ、5時間を切りました。


今年は学校改革チームの一員となり、blogを書く時間が全く取れませんでした。


カリキュラムの再編、図書館のリフォーム、……等々。まさに激動の一年でした。


「日乗」を名乗る以上、来年はたとえ2~3行であっても毎日綴って行こうと思います。


皆さま、どうか佳き新年をお迎えください。