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うんちくコラムニストシリウスのブログ

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文芸評論の大家が書いた著書ぴかぴか(新しい)

太宰の有名な遺書について、筆者は、あなたはずるい、「生き方上手だ」、「情熱」を浪費しない、絶対不敗だ、でも自分はもう誰もが忘れている、ものを書いた人間が戦争で死んだ若い人との間に結んだ「約束」を果たす。「大いなる文学のために、死」ぬのだと解釈する。

で、筆者は、太宰治と三島由紀夫という戦後でもっとも「純白」な心をもつ文学者が、その心を否定された「汚れた」戦後の生き方を模索した上で、死を選んだと恐らく言っていると思われる。


ちなみに、太宰論で有名な猪瀬直樹の「ピカレスト」は、太宰が死ぬ直前の井伏の対応を指摘して、井伏は太宰に対する被害感情を持っていたと指摘する。


さて、本書の感想をさらっと言うと、

①三島はともかく、太宰自殺の原因を「戦後」として、太宰が亡くなった後に井伏が出版した代表作、「黒い雨」と比較するのは論理の飛躍のきらいがある。

②そもそも結論に対する根拠付けが一体どの引用部分なのか、不明確



まー、要するに、「もったいぶらせもしない割に、やたら長い」文章というのが読後感(笑)


結論と根拠付け、論理構成を非常に重視する法学の論文に慣れ親しんできた者にとっては、大変評価できない文章でした(笑)
日本一のうどん王国香川県が最高の国産小麦を作り出すまでの物語♪

【あらすじ】
全国にその名が轟く「さぬきうどん」

力強い「コシ」に、光る「つや」、そして何より、うどん王国香川の誇りは、馥郁(ふくいく)たる「香り」だった。

瀬戸内の日差しと、水はけのよい土地が育む小麦の香りだった。

しかし、40年前、気象異変が起きた。

小麦畑は壊滅した。

そこに、オーストラリア自信の小麦「ASW」が輸入された。

農家は故郷の小麦を、捨てた。

だが、香川のうどん職人たちは、納得できなかった。

「あの香りがない」

一人の男に、命が下った。

「故郷の小麦を開発せよ」

1万回にのぼる受粉作業

花粉で涙まみれになった。

それでも、小麦はまったく実らなかった。

その時、小麦を捨てた農家と三代続くうどん職人が、やってきた。

これは、故郷の味を蘇らせるため闘った人々の、知られざるドラマである。


【もうちょっと詳しく】
 昭和30年代まで、6月の香川の農村では、見渡す限り黄金色に輝く光景が見られた。前年の秋にまいた小麦が実り、収穫期を迎えるからである。

 しかしそんな状況が一変したのは、昭和38年。いつ降りやむとも分からない記録的な長雨が収穫時期の6月に続き、小麦は壊滅する。間もなく、海を越えて日本に運ばれてきた小麦があった。オーストラリア産の最高の小麦「ASW」だった。

 この小麦は、うどん用に極めて適していた。日本の小麦にはない純白の色目、コシ、つや。しかも大規模に栽培されるため、品質にばらつきが無く安 定しているのも大きな魅力だった。瞬く間に香川にもオーストラリア産小麦が浸透していく一方、農家は小麦作りをやめた。オーストラリアの小麦で作ったうど んは消費も伸び、昭和45年の大阪万博の開催とともに、香川のさぬきうどんは全国的に有名になった。

 しかし、うどん職人は何かもの足りなかった。それは、風味だった。かつて子供の時代に食べた地元の小麦だけがもつあの香りが、オーストラリア産 にはどうしてもなかったのである。「香り高く、しかもオーストラリア産に負けない品質の、県独自の小麦を開発して欲しい」うどん職人は組合を通じ県に要望 書を出す。その熱意はやがて県を動かした。

 平成3年、香川県農業試験場で、今まで国任せだった小麦の開発が始まった。リーダーは農業研究員の多田伸司。メンバーは2名。小麦の交配作業が 始まるとふたりとも花粉で重度のアレルギーとなった。涙を流しながら、多田たちは、長野での受粉作業にアイデアを得て、4000種類以上の品種候補を育て る。

 それから数年間をかけ、味を見るなど候補を絞るための選抜作業を繰り返していった。平成10年、多田は最終候補となった小麦「香育7号」と「香 育8号」を、地元の製粉業者やうどん職人に披露する。そして、皆、ASWに負けない白色と、かつて作っていたあの香りを持つ「香育7号」に圧倒される。

 そして、「香育7号」は「さぬきの夢2000」と名付けられた。ところが、さぬきの夢2000は、その粘性ゆえ製粉機にかけられないという問題点や、含有量グルテンの少なさから途中でうどんが切れてしまうという問題点があった。

「故郷の小麦を完成させろ」

農家、試験場職員、製粉業者、うどん職人。理想のさぬきうどんを目指した人々たちは力を合わせ、最後の難関に挑む。


【感想】
久しぶりにテレビで泣いた。
「さぬきうどん」ほど、上手いうどんはない。
だが、その上手さの裏には、知られざるドラマがあった。

数々の困難を乗り越えてなお「国産最高小麦」を作り上げたのは、香川県人のプライドと誇りのなせる技だったのだと改めて知らされた。


「オーストラリアの小麦では本当のさぬきうどんは作れない」
十分良質で、さぬきうどんの良さを日本全国に知らしめたオーストラリア産小麦「ASW」、それでもそのASWに満足できず、至高の味を追い求めた香川県人は本当の「職人」だと思った。


【最後に】
2004年、さぬきの夢2000は、品質検査で、あのASWを抜いて日本一の小麦となった。

農家を回るたびに言われる。

「この小麦はさぬきの誇り、大事に育てます」

故郷をあげて取り戻した誇り、うどん王国を俺たちも支えている
小沢元代表「実務は秘書任せ」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1872165&media_id=2




皆様方はどう思われますか?








ちなみに、私の意見は、ずばり、「分からない」(笑)


まず、小沢氏を有罪に持ち込むことは、その是非は別として、「推認」、つまり、「秘書がやった犯罪で上司のあんたが知らない訳なかろう」で、持ち込めるでしょう。


小沢氏が今問われている罪状は、刑法60条の「共犯」の中でも、「共謀共同正犯」と言われるもので、これは元々「部下に犯罪行為をやらせて、自分は犯罪行為に加わらない黒幕を重い罪に課すため」に生み出された罪責だからです。


だから、「推認」1つで有罪に持ち込むのは不可能なことではないと思います。


その一方で、裁判自体を見ると、検察審査会側は、「小沢有罪」を決定付けるほどの証明をしたとは必ずしも言い切れない立証しかしてません。

それに、小沢氏を有罪に持ち込むために、「フロッピー前田」こと前田元検事を呼んだのに、「自分が裁判官なら小沢さんを無罪にする」とか言われたり、おバカなヘマもやらかしたりしてます。

検察審査会側が立証できたこととしては、小沢氏が4億を借りたりそな銀行の支店長の「金借りてくれたお礼に、パーティーで会った時挨拶したら、「おう、おう」と言ってくれたので、金借りたことを小沢さんも知ってると思った」という証言ぐらいです。


一方の小沢氏側の主張は、「りそな銀行から金借りたことも、土地買ったことも知ってたけど、政治資金収支報告書の処理は、全部秘書に任せてた。だから、私は知らない」です。



「たかが4億」というと、批判を買うかもしれませんが、かつて小沢氏は、その是非自体は別として、「新生党」や「自由党」の解党時に、それらの政 党に残っている金(政党助成金)、しめて30億とも言われるお金をナイナイポッポした人ですから、小沢氏の「たかが4億ぐらいでいちいち秘書に確認してら れっか」「金の出し入れは秘書任せ」という金銭感覚は、小沢氏レベルで見れば、あながち嘘とも言い切れないでしょう。


また、小沢氏側は、司法試験合格、公認会計士試験合格という華々しい履歴を持った弥永真生という会社法と会計学の一流学者を呼んで、「陸山会が行った記載は、そもそも虚偽記載ですらない」という意見を証言してもらっています。



一方、そんな小沢氏側が唯一やらかしたヘマと言えば、元秘書の石川知裕の証人尋問で、石川氏は、裁判官から「あなた、取り調べで小沢氏に登記ずら すよって報告して了承してもらったって言ってるけど、実際はいつ小沢氏に登記をずらしてたって報告したの?」って聞かれて、「いつかなぁ、ちょっと分から ないです…あ、ニュースになった後かも」って答えて、石川氏の回答に、裁判官は首をかしげたのだそうです。







さて、果たして小沢氏は有罪でしょうか!?