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『共喰い』『切れた鎖』に続く三冊目。
いつも思うのは、田中慎弥氏はラストを上手く締められない点に難があるという点。

以前『共喰い』でその傾向を指摘したが、今回の『神様のいない日本シリーズ』でも同じ事が指摘できよう。

途中までは非常に面白かった。
1958年の日本シリーズと1986年の日本シリーズを素材に、野球をめぐる親子の物語を作り上げた構想力は非常に素晴らしく、かつ破綻もなかった。

だがベケットの『ゴドーを待ちながら』を作品に上手く活用できなかった点がどうしても否めなかった。

しかも作者自身が上記の欠点を理解せず、ラストまで『ゴドーを待ちながら』で締めようとするのだから、性質が悪い。

なお同作品の選評としては、

池澤夏樹氏の「およそ無謀な企てであり、いくつかの点で破綻している」「いかになんでも盛り込み過ぎ・作り過ぎ」

高樹のぶ子氏の「ここに「ゴドーを待ちながら」が入ってくると、観念の操作が透けて見えてしまう」

黒井千次氏の「よく作られた小説でその工夫に感心させられた。ただ、中学生がベケットの「ゴドーを待ちながら」を上演するという話の運びには問題があるのではないか」

宮本輝氏の「作品のなかにたくさんの材料を用意したが、それらは別々のものとしてばら撒かれただけで、融合して化学反応を起こさないまま終わってしまったという印象である」

があるが、まさに同意である。

個人的には、ベタと言われても、同作品は「1986年日本シリーズ第八戦」で終わるべきだったろう。

ちなみに田中慎弥氏の最高傑作は『切れた鎖』だと思う。
『共喰い』『神様のいない日本シリーズ』は微妙だが、『切れた鎖』は良かった。
劇団ひとりタンが書いた「本気の小説」♪
という訳で「本気で書評」しますね(^^)♪

まず本書の魅力は登場人物が交錯することです。
 本書は「道草」「拝啓、僕のアイドル様」「ピンボケな私」「Overrun」「鳴き砂を歩く犬」と五つの短編作品から成っていますが、「道草」「拝啓、僕のアイドル様」「ピンボケな私」「Overrun」では、いずれも登場人物が交錯している。なお「Overrun」と「鳴き砂を歩く犬」の登場人物の関連性はなかったと思います。

さて、以下では五つの短編作品を見ていきますが、内容自体は関係ないので評価も別々につけます。

①「道草」
評価:2/5
理由:探偵が、プロ野球選手のK・Yが父親を探しているシーンで、金欲しさに「俺が父親だ」と訴えるホームレス達の中で困惑顔をしていたモーゼが、直後に「俺が父親だ」と名乗り出るのは、小説としては問題。しかもモーゼは、後にK・Yが迎えに来たシーンで「俺は行かない」と躊躇している。モーゼがK・Yと再会することを決心するまでの心の葛藤を描かなかった点で、本作品は問題である。

②「拝啓、僕のアイドル様」
評価:1/5
理由:一言で評せば「奇を衒いすぎた欠陥作品」。確かに「ミャーコ=Yさん」の着想は面白い。だが着想ありきで作品を書いたが故に破綻を起こしている。「Yさん=ミャーコ」に既に気付いている僕が、売れないアイドルだったミャーコがみじめな姿を晒す場面(たとえばミャーコがドロ子に扮する場面)を見ても、「アイドルファン」としての僕の感情だけしか説明されないからだ。少なくとも「初恋の幼なじみ」に対する感情を、僕の行動なり、僕の表情なりで示すべきであろう。本作品は「アイドルファンを卒業した僕が、偶然街でYさんに出会う」程度の結末で締めるのが良い。確かに、後者はありきたりな結末である。しかし、小説が一定程度の安定感を求めていることを忘れてはならない。

③「ピンボケな私」
評価:5/5
理由:「本書の中で最も素晴らしい傑作」である。「ミキ=三木ユウスケ」。これはやられた。小説上の破綻もない。本作品こそ、「お笑いタレントが本気で書いた小説」の名に相応しい。

④「Overrun」
評価:4/5
理由:結末は決して突飛なものではない。だが小説としては申し分ない。本作品のような結び方を上記②でも望みたかった。

⑤「鳴き砂を歩く犬」
評価:1/5
理由:本書は一人称と三人称の語り手が混在している。確かに、それ自体は小説手法として責められるべきではない。だが上記手法を採るにも関わらず、最後の「陰日向に咲く」が突飛すぎるのは大問題である。ジュピターさんと雷太の関係はなぜ修復したのか、ジュピターさんが亡くなるまで雷太はどのような人生を送ってきたのか、こうした事を省略するのは駄作の証明である。

総合評価:(2+1+5+4+1)÷5=2.6
総評:面白かった。だが直木賞受賞候補にならないのは至極当然であろう。専業作家が出せば「基本ができてない」で即終了。

最後は気にいった一節から
―――――――
 俺が思うに人生ってのは、結局のところギャンブルなのよ。神様が投げたサイの目に従うしかないんだから。それが丁と出るか半と出るか、うちら人間にできることは、両手合わせて拝むだけ。だから勝ち組とか負け組とかも本当はないんだよ。
 勝った連中はツイてただけだよ。たまたま神様のサイの目に恵まれただけ。それが偉そうに「俺たちは努力したから」なんて語ってると頭に来るんだよ。うるせーよって。若い頃に親父に捨てられて、それから女手一つで、昼間はパートに出て、夜はスナックで酔っ払い相手に愛想笑いを振りまいて、一生懸命に俺を育てた母ちゃんに向かって言えるのか?「努力が足りない」って。言えねーだろ。皆、幸せになりたくて努力してるんだっていうの。ただ、その努力が神様のサイの目に当たらなかっただけなんだよ。(115-116頁)
――――――――
「あ、あの時から、ずっと、ぼ、僕は、き、君が…ま、まぁまぁ、別に、き、嫌いじゃない、かも」
 それを言い終わって力尽きた三木が、地面に座り込んだ。その背中を私が抱きしめると、三木はビクッと身を硬くした。
「ははっ。ありがとう、三木。私も三木のこと、嫌いじゃないかも」
顔をクシャクシャにさせた三木が照れ笑いをした。
「でも私、馬鹿だね。ずっと気づかなかったよ」
「き、き、気づかせなかった、ぼ、僕が、ば、馬鹿なんだ」

三木の頬にキスをした。
三木が戸惑って、顔を赤くする。
それを私が笑うと三木が怒る。
三木が怒るから私は笑う。
私が笑うから三木も笑う。
ずっと、そんな二人でいれたらいいね。

「ねぇ三木、写真撮ろうか」
(111-112頁)
とにかく読みやすい!、しかも読ませる小説!
筒井康隆の第51回読売文学賞受賞作品ぴかぴか(新しい)

★三つにしたのはシリウスさんが単にひれくれているだけで、★5つでもおかしくない作品ぴかぴか(新しい)

祖父=グランド・ファーザー=グランド・パパ=グランパ

発想の豊かさに感動した\(^o^)/ハート

ところで、一般的に「読みやすい」作品にありがちなのは、

1展開が急すぎる。
2語り手が混在しており、かつ作者と語り手との距離がほど良く保たれていない。
3本の内容的にある程度の情景描写が必要とされているのに、情景描写が拙い。
4本の内容的にある程度の心理描写が必要とされているのに、心理描写が拙い。

という欠点ですが、本書にはそれがありません。
正確に言えば、本書は1・3・4が執拗に要求されない作品になっているのです。

ここに、絶えずユーモアかつ読み応えのある作品を創作し続けてきた筒井康隆の職人芸を見せつけられた気がします。

「いやいや、グランパの設定がありえないでしょ」

さてさて、そんなあなた

「でも、読みやすかったよね」

そう、この小説は読みやすさとスピードを活かして、グランパの設定の突飛さを毒抜きしているのです♪

これぞ、職人芸ハート

ここまで褒めながらも、★3つを付けた私はさぞかしひねくれ者でありまする\(^o^)/

最後は好きな一節から♪

●好きな一節
 珠子はまた、大声で泣いた。家族全員が、いつか大声で泣いていた。
「珠子が、おじいちゃんのために今からできることはだな」恵一が言った。
「幸せになることだ。おじいちゃんがそう願っていた通りにな。不幸せになることは、おじいちゃんを裏切ることになるんだぞ」
 珠子は泣きながら、何度も大きく頷いていた。幸せにならなければ、と、思った。グランパを喜ばせるために。
「一本、筋の通った人生だったなあ」恵一が溜息まじりに、しんみりとそう言った。(145頁)

手軽に読書したい方にオススメです(^^)♪