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うんちくコラムニストシリウスのブログ

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久々の東野圭吾ぴかぴか(新しい)、しかも今どこの本屋さんにも売ってる作品わーい(嬉しい顔)

ちなみに、内容は推理小説じゃなくて、編集者と小説に関わる人が登場人物である短編小説ぴかぴか(新しい)

作品自体の話をすると、個人的に一番良かったのは小説誌、次に最終候補、一番歪笑したのは、夢の映像化のオチ(笑)


あと同作品の一部分に、糸辻竹人なる誰がモデルか丸分かりの人が出てきて、貶されちゃう訳ですが、

仲悪いのかこの2人(^^)w

あと編集者に必要な「3つのG」というのは、上手く考えたもんだなぁと思った(^^)


以下は、気に入った部分の引用。

プロ作家の中には、先のことも考えずに書き出す者もいるらしいが、素人がそんなことをしてうまくいくわけがない。

登場人物についても、個性がかぶらないよう配慮し、一つ一つの行動が不自然にならないよう気をつけた。強引な展開は徹底的に排除し、リアリティを追求した

「だけどやっぱり冒険です。会社勤めをしながら、何年かに一度、趣味のつもりで本を出すというのが無難ではないでしょうか」

「模範解答を読むようだ、というのが全員の一致した意見でした。文章は教本通り。構成は基本通り。すべてが定規から一歩も出ておらず、新奇性も実験精神も感じられない」

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・連載小説を単行本にする時、書き直す人が多い。

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「新人作家とか、これまでなかなか売れなかった作家がヒット作を出すと、どうしてもその作品に縛られちゃうわけです。せっかく獲得した読者を離したくないと思うんでしょうね。…何か新しいことをやろうと思って、自分で作った枠から出ようとしないから、いつも小手先の変化で終わってしまう。それでは作品のクオリティは上がらないし、自分でも納得できない。悪循環です」
「枠から出ることです。無論、全然違うものを書けば、ファンは失望するかもしれない。だけど構わんのです」(205-206頁)

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しかし、だからこそ解放感を味わえる。自分が小説に求めているのは、ハラハラやドキドキではない。徹底した安心感だ。心が解放される感触だ。(320頁)
一昨日の読売新聞朝刊に掲載された記事ぴかぴか(新しい)
非常に良い記事だと思ったので日記掲載ぴかぴか(新しい)

ちなみに、兵庫医療大学の学長さんも同じ記事をご覧になられたようで、次のブログを掲載されていますぴかぴか(新しい)

兵庫医療大学学長ブログ「准看護師を目指す人が増えている」http://www.huhs.ac.jp/president/index.php?e=208

では、まずは記事の内容から

【読売新聞2月5日号朝刊 ルポ2012 『准看護士 自立の「早道」』】
・40代、大卒、シングルマザー…志願者増
・資格取りやすく就職有利

【はじめに】
 准看護士を目指す人が増えている。中卒以上の学歴があれば得られる資格だが、不況による就職難を背景に、「看護士資格より早く取得でき、就職にも有利」と人気を集め、大卒の人や医療と無縁に生きてきた30~40歳代の人も挑んでいるという。

【准看護士とは】
 都道府県知事免許で医師や看護師らの指示の下、診療補助などを行う看護士。資格取得には、養成校(2年)や高校衛生看護科(3年)で1890時間以上の履修が必要。

【正看護士ではなく、准看護士を目指すわけ】
 正看護士は都道府県知事免許である准看護士と違って国家資格であり、養成校(3年)や4年制大学で3000時間以上の履修が求められる。正看護士より養成課程が短期で済む上、授業も午後からの半日で、授業料もほぼ半額の月2万円。国の母子家庭自立支援給付金も月額約14万円ある。

「生活を考えると学業に専念するのは難しい。いずれ正看護士になりたいが、まずは働きながらなれる准看護士の制度があって本当に助かる。」

【売り手市場の准看護士】
 厚生労働省によると、看護職員の不足数は12年には5万1000人と見込まれる。小規模病院や診療所では慢性的に人手が足りず、資格を持つ人には「売り手市場」と言われている。

「ベテランの准看護士は看護士と仕事のレベルも変わらない。働いてもらえるのは、本当にありがたい」

【准看護士の問題―給与、昇進】
 一方で、准看護士には待遇面で厳しい現実がある。人事院の調査では、月収はあらゆる年代で看護士より約6万円低いという。ある准看護士の方は、正看護士と同じ仕事をこなすものの、基本給・手当とも数万円低い。看護士長など責任ある役職にも就けないといい、「深く考えずに准看護士になったが、働いてみるともどかしい」と明かす。

「准看護士から看護士になるのは遠回り。生活を抱えていても、最初から看護士を目指せる道を広げた方がいい」


●記事を読んで…

近時、大学受験では「文高理低」という現象が起こっているそうで。

相次ぐ不況や就職難を受けて、就職に有利といわれる理系学部の志願者が激増し、文系学部の志願者が激減する現象のことです。

ちなみに、法学部は前年度比で15%ダウンだそうで、法学部出身者としてはまこと残念です><。

で、理系学部の中でもとりわけ志望者が多いのが「介護・看護系学部」なんですよね。

そうした「看護熱」の中で、とりわけ人気とされる「准看護士」にスポットを当て、その実態を書いた本記事は特質すべきものだと思います。

そんな訳で、本記事の話に入りますが、(准)看護士を目指す人が多い最大の理由は、やはり月額約14万円の「家庭自立支援給付金」に代表される「学費面での負担補助制度の充実」だと私は思います。

ちなみに、かつて司法試験に合格した司法修習生には、研修期間の間に国から税金で給与を支給されるメリットがあったので(現在は貸与制)、「弁護士」という職業を目指す人がかなり多かったようです。

で、「学費補助制度の充実」というのは、看護士さんを目指す場合、上に挙げた「家庭自立支援給付金」だけでなく、返済不要な「高等技能訓練促進費事業」なども自治体によってはもらえる場合が多いからです。

こうした「学費補助制度」というのは、ある意味では、学費以外に「家計を助ける資金」にもなっているのではないかなと私は思います。

実際、「子ども手当」は中学3年生までの支給で、支給額はたったの1万3000円。しかも「子ども手当」の代わりに「扶養控除」は廃止。

「育児面・家計面の負担補助制度」は決して充実されてない現実がある中で、どこから育児・家計費用を調達するか。

そうした状況の中で、「看護士を定職にして家計を助けたい」という最終的な目標に加えて、さらにその間にも「充実した学費補助制度を利用して家計を助けたい」という人が増えているのではないかなと思います。

経済的・時間的・精神的にも「看護士」という職業は本当に大変な職業だと非当事者ですがいつも思いますし、本当に尊敬しています。

そうした非当事者の私だからこそ、普段知らない「准看護士」「看護士」という職業の実情を少し理解することができた本記事に感謝しますぴかぴか(新しい)
大学一年生の春に読んで「陰鬱」になり、大学四回生の冬に書評を書こうとして最も「嫌悪」し「酷評」する作品。

しかし、この作品のおかげで、私は「道尾秀介」氏みたいな物書きには死んでもならないなと思う。

書評:道尾秀介『向日葵の咲かない夏』
評価 3/5

第6回本格ミステリ大賞候補ぴかぴか(新しい)
ちなみに同大賞を受賞したのは、ガリレオシリーズでおなじみの東野圭吾『容疑者Xの献身』ぴかぴか(新しい)

さて、人には勧めないと言いながら、自身の読書録のため、いや、正確に書こう、誰かに見せたい、自分の書いたことを分かってほしいなどという最も賤しい自己欲のために書評を書くのだが…



①同作品で使われるトリックについて

ネタバレやこの小説の仕掛けについては、http://www5a.biglobe.ne.jp/~sakatam/book/himawari.html を参照して頂きたい。

この書評は大変優れた書評であり、本作の価値を漏らすことなく実証している。

*なお次は、この世で最も暗く狂気に満ちた「同作品を人に勧めない理由」の話なので、本当に見たくない方は飛ばすなり、見ないなりして頂ければ幸いです。










②同作品を人に勧めない理由について

私が同作品を人に勧めたくない理由…
一言で言えば「殺人犯を生み出したくないから」である。

同作品は間違いなく「読む人を選ぶ作品」である。
同作品をめぐっては「陰惨」「陰鬱」等の批評がおなじみであるが、むしろそうした批判はただの「感想」や「不満」であり、少なくとも私にとっては、全くどうでもいいことだ。
しかし、同作品は読む人が読めば「殺人犯」が生まれるというのが、私が同作品を人に勧めたくない理由なのである。

なぜか?

それは、同作品には、「殺人者」すなわち「人を殺害した者」だけが持つ無機質的または快楽的「思考」「感情」が多分に結集され、かつ表現されているからである。

なお、言うまでもなく私は上記の例にはあたらない。
だが、この作品は「読む人が一歩間違えれば狂気に走る作品」であると単なる批評家的経験に過ぎないが、私は思うわけである。

これは憶測かもしれない。
しかし、wikipediaによれば、市橋達也氏(批判はあるかもしれないが、私は氏をつける)は逮捕時に同作品を携帯していたらしい。

「市橋氏なら同作品の殺人犯が持つ思考や感情は容易に理解できたことであろう」

私は今自分がいかに狂気じみた話をしているかを感じながら、それでも客観的に述べざるを得ないと自己に問いかけながら、記述をしたのである。

私見ばかり話すのは良くないので、同作品の「狂気」が象徴されている最も代表的な一文を引用する。

「物語をつくるのなら、もっと本気でやらなくちゃ」(416頁)



③道尾氏自身について

同作品の快楽的殺人犯が生まれるきっかけになったのは、間違いなく「●●の死」と、それによって生じた母からの「敵意」「害意」である。

「するはずないじゃない。僕がそんなことして何になるの?僕ほんとに―」
「信じられるわけないだろ!」
お母さんが右手を勢いよく振り上げ、僕は身を硬くした。お母さんは、ばん、と音をさせて後ろの壁を掌で打った。

「とにかく、お前の言うことなんて、お母さんは信じない」
声が震えていた。
「お前はいつだって嘘ばっかりつくんだ。嘘ばっかりついて、人に迷惑をかけて―」
声が震えていた。
「本当のこと言おうか」
今度は一転して低い声を出した。
「お母さんね、先生から連絡がきてS君のことを聞いたとき、思ったのよ。―お前が●●●●●●●って」

最後の言葉は、僕の耳の中で、うわんと大きく反響し、それからばらばらに砕け散った。それは僕にとって、あまりに衝撃的な言葉だった。僕の心は、それを受け止めることを拒否した。これは自分を守るために、いつからか僕が憶えた方法だった。意識してそうしているわけではないけれど、自分の心を攻撃しようとする言葉を、僕はこうして拒絶することができるようになっていた。これができなかったなら、この家の中でいま頃僕はとっくに壊れていただろう。

やがてお母さんはゆっくりと階段を下りていった。
その後ろ姿をぼんやりと眺めながら、僕は思った。
それあ、いつも僕の胸の中にある思いだった。
この世界は、どこかおかしい。
(54-55頁)

さて、同作品の著者道尾秀介氏は、氏が直木賞を受賞した作品『月と蟹』においても、登場人物が親によって受ける「精神的ダメージの傷跡」を物語の核として書いている。

道尾氏自身も幼児期にこのようなダメージを親から受けたのではないか、毎度毎度描かれるともうそのように邪推せざるを得ない私がそこにいる。


④作品の評価について
同作品の評価が3/5なのは、②の理由からではない。
少なくとも、②のような狂気的「思考」や「感情」を作家が表現したとしても、それをもって低評価とするのは、物書きを志望する私にとってはペンを折る行為に等しい。

むしろトリック自体で言えば、同作品の評価は4/5なのだ。

では、なぜ3/5なのか。
それは単純明快「ラストが悪すぎる」から。

これは、氏の『月と蟹』でも指摘したように、「道尾秀介」という作家が持つ根本的かつ最大の欠点であると私は考える。

どこがいけないのか。
簡単である。460-462頁が酷すぎる。この部分は削るべきだったのである。以下では根拠をつけて説明する。

【一番目】
「家は駄目になっちゃったけど、お母さん、これでよかったと思うわ。ミチオもミカちゃんも、こうして無事に生きているわけだし」
→母親はこの発言で今なお「ミカちゃん」の存在に固執している。そんな母親が、その前の部屋が燃えるシーンで、「お前がいけないんだ!いつだってお前が悪いんだ!お前さえ―」と言うのは、作者の「とりあえずこんなラストにすれば、読者が感じた陰鬱さを緩和できるだろ」程度の荒療治にすぎないのではないか。小説はラストが作品の価値を一定程度決める。上記の見解が真実だとしたら道尾氏の認識は甘すぎるし、読者を愚弄し

【二番目】
「お爺さん、こんどは何になるのかな?」
「さあ―何だろうね」
ノミか何かじゃないだろうかと、僕は思ったが…
→これで、この犯人が、結局最初から最後まで首尾一貫して、ただ自己保身のみを唯一の目的とする「快楽的殺人者」と理解せざるを得なくなる。
→「快楽的殺人者」のままで終わりたいのだったら、上記のような「カンフル剤」を使うのは、いくら「小説」が何でも許されるといっても、はっきり言って「姑息」だし、「アンフェア」極まりない。

ゆえに、私なら、460-462頁削除して、5頁の「月日が経って、僕は大人になったけれど、妹はならなかった」抜くかな。


5まとめ

今まで道尾作品を2作読んで思ったのは、結局この人は「暴力的な狂気」をただ弄んで題材に使い、単に「売れるテーマ」だから使ってる最低な作家にすぎないのではないかという私の評価。

どんな作者にだって、どんな物書きにだって、多かれ少なかれ伝えたいテーマや題材がある。

無論、表現力や文章構成力によって物書きのレベルは異なるのだから、その人個人の実力に応じたテーマや題材の選び方、表現、主張があるだろう。

だが、少なくとも「若年期におけるトラウマ」や、人間・動物に対する「破壊行為」という題材を書く時は、どんな書き手にも実力に応じた「敬虔さ」と内容レベル応じた「配慮」がされなければならないと私は思う。

何が言いたいかというと、「結局この人が、推理小説という表現ツールを通して、読者に訴えたかったこと」って何?、「人や動物を殺す快楽的欲求」や「トラウマ」という人の心の奥底に眠る怪物を引っ張り出したくせに、その割には、砂上の楼閣にさえなっていないたった1、2行の文章で、「はい、親子関係は上手くいきました」などの毒にはなっても薬には絶対ならない結末持ってきて、それであなたは読者に何かを伝えられたとか思ってるの?、っていう話。

別に、商業主義を批判してるわけじゃないよ。

うち、金大好き拝金主義者だもの。

でも、人並みには「一流の推理小説家」と呼ばれてる著者が、いつまでもこうした処世術で飯を食っていくというのは、「否定」はしないけど、人間の「屑」のやることだと私は思う。

だから、私、道尾秀介氏大嫌い。