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「沖縄はゆすりとたかりの名人」発言で更迭されたケビン・メア前日本部長の書。

最初、この報道がされた時の私の第一感は、「アメリカ人から見た日米関係を象徴した発言」だというものだった。

実際、同書にも上記のアメリカ的見方がいくつか散見される。
例えば、メア氏は、元首相鳩山由紀夫氏の「有事駐留論」に対して、「有事駐留論は米軍をただの番犬とみなしている。とても失礼だ」と指摘している(209頁)。

確かに、鳩山氏に「有事駐留論」を実現できたとは到底思えない。しかし、私見としては、同論は、長年の日米関係や「日米安保と沖縄問題」をより良い方向に導くイデアだと考えている(理由は私は後述する①の論者なので)。

また本書の第五章における「「危険な基地」を政治利用」「石垣島の闘い」「被害者意識を乗り越えて」は、"アメリカ人による沖縄観"が色濃く出ており、それは決して普天間基地移設問題をはじめとする沖縄問題の本質的指摘ではないと思う。

しかし、それにも関わらず、同書は、長年の日米関係から生じた今日的課題や「日米安保と沖縄問題」の本質的問題にヒントを与えていると私は思う。

それは「お役所仕事にカンカン」(197-200頁)と次の記述である。

 一つ大事な点は、日米安保条約を結び、アメリカが日本防衛の義務を引き受けているのに、いざ日本が攻撃されたときにアメリカが反撃に乗り出さな かったら、他の同盟国に対する信頼性も喪失してしまうということでしょう。アメリカが信頼感を失う事態は断固、回避しなければならないのです。そして、と りわけ中国の目の前でアメリカが同盟国の信頼を失うわけにはいかないのです。
 日本が攻撃を受けた場合に米国が反撃してくれるのか、といったいわば観念的な問題設定の段階は過ぎ去っているのかもしれません。中国の動きを見 ると、東シナ海、南シナ海を舞台にした摩擦はもはや抽象的な議論の対象ではなく、極めて具象的問題になっています。アメリカ、日本、中国、東南アジア諸国 の国益がぶつかり合う局面になっている。差し迫った危機がそこにあるのです。ですから、沖縄の基地問題も含め、日本国民はもっと現実的に考える必要がある と思うのです。
(143頁)

この指摘には筆者も全く同意である。
そして、国際政治を現実主義的に捉えた時、日本が採るべき安全保障政策は、

①憲法を改正することで「集団的自衛権の行使可能」「自衛隊の明記」を行い、最大限の独自防衛体制の確立を数十年にわたって志向していくこと

*個別的な政策(これは状況次第)として、自衛隊の軍備増強を少しずつ強めること(GDP比1%ルールは無論廃止)、在日米軍駐留経費負担費分 (思いやり予算)に一定額の金銭を加え対価とした上で米国とのニュークリアシェアリング(核兵器共有)を進めること(非核三原則は無論有名無実化すべき) 等があり、将来的な独自防衛体制の形として(これは不可避だと思う)、「沖縄における在日米軍の最大限の撤退」を求め、「アメリカの日本に対する一方的な 防衛義務を規定する現行の新日米安全保障条約の改定」を行う外交政策が考えられる。

②沖縄県民に強引に妥結させて(現実的に「理解」等という表現は虚妄だと思う)、現行の新日米安全保障条約や防衛体制のまま、近隣地域との環境問題などを多く引き起こしている今の在日米軍基地を移設し、県内に代替地を求めていくか

しかないのではないかと私は考える。そして、私は①の論者だが、現在の民主党政権は②の政策を採っている。

ところで、②の外交政策に対する2010年11月29日(菅政権,少し古い)の世論調査(http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080116-907457/news/20101129-OYT1T00156.htm )では、

国外44%、県外30%、辺野古15%で、

仮に県外・国外移設が不可能な場合の対応が望ましいとしては、
(ア)「辺野古への移設実現に向けてさらに努力する」27%
(イ)「普天間飛行場が残ってもやむを得ない」10%
(ウ)「どちらとも言えない」が57%

である。紙幅に限りがあるので少し一方的な話になるが、私は、上記の(ウ)と一部(イ)の見解を採る人の中には、はっきり言えば「沖縄県民に解決 困難で自分たちには直接関係ない問題のツケを払わせればよい」という日本国民の伝統的な「無責任」的安全保障史観があるように思える。

メア氏の言葉を借りれば、「醜いものを見ない(日本)文化」(227-228頁)であろうか。それが今日の沖縄問題ひいては日米安全保障問題の最大にして最悪の問題だと思う。

 改めて、民主党政権や沖縄県民以外の私たち国民には、沖縄の米軍基地問題および日米間の安全保障問題、ひいては日本の安全保障問題自体に対し て、より知見と思慮深さを有し、真摯に議論し合い、一方的なエゴイズムではないコンセンサスの形成をしていくべきではないか。そして、戦後65年経った今 なお放置しているこの問題は、半永久的に放置し、なおざりにできるものではないと私は考える。

 さて、そういう主張をすれば「じゃあお前は普天間基地移設問題どうするの?」と言う声が出てこよう。それに対する具体的な現状政策としての私見 は、普天間基地と近隣環境に生ずる騒音問題等の次善的解決策の実施という凡庸なものに過ぎない。しかし、上記問題の最大にして最高のスタートとなる解決策 は、沖縄県民ではない我々自身がこれまで伝統的に維持してきた「無責任」的安全保障史観を、我々自身に明確に自覚させた上で、「それでも沖縄にわが国の防 衛施策をなすり付けて、口では「申し訳ないと思ってるよ」等と言う現在の(日米)安全保障体制を我々は維持するのか」、「伝統的な無責任的安全保障史観を 自覚した上で、沖縄依存からの脱却と最大限アメリカに依存しない日本独自の安全保障体制を志向していくのか」を提起し、決断させることだと私は考える。上 記を具体的政策に換言すれば、今すぐ首相が、テレビやインターネット放送等で、終戦以降のわが国の安全保障体制の功罪を明確に説明し、その上で、上記選択 肢に対する我々日本国民の決断を「衆議院解散」という手段で問えば良いと私は考える。

 ちなみに、その点で言えば、近時国民的評価の最もよろしくない鳩山氏は、安易に辺野古移設等と言わずに(現に退陣後は抑止力うんたらとやたらに 自らの発言を弁解しまくっているw)、思い切って、「最終的には沖縄にまた責任をなすり付けるのか選挙」でも打てば、鳩山政権の存在意義も辺野古移設で退 陣するよりは、はるかに良いイメージで受け容れられたのではあるまいか。

 無論、その結果として、「我々はこれまで通りの新日米安全保障条約を維持し、結局わが国の防衛問題はこれまで通り沖縄県民になすり付けることに しました」という決断を選ぶかもしれない。しかし、その決断は、我々自身が今まで心の底で意識的に黙殺してきた「沖縄県民に対する一方的な国土防衛義務の 押し付け」を我々自身に意識させ、「沖縄県民以外の日本国民には安全保障問題を語る資格があるのか」やら、あるいは、かつて筒井康隆氏が論文で書いたよう な「沖縄独立論」を巻き起こすことにつながり、我々日本国民がいかに経済問題そっちのけで安全保障問題を怠惰にしか考えてこなかったかという、我々日本国 民の「決断でき(して)ない主権者ぶり」を、我々自身に、何より全世界に認識させることになるだろう。私はそれこそがわが国のあるべき安全保障体制のス タート地点であると考える。

 私たち日本国民や我が国の政治家はよく「私は保守主義者だ」や「私は米軍抑止力は必要だと思ってる」等とのたまう。しかし、上記の「衆議院解 散」や「無責任論」を言う人が少ないのを見ても分かるように、結局のところ、我々日本国民と政治家は単なる「偽善的保守主義者」にすぎないのではあるまい か。

 ところで、最後になってしまったが、「米軍基地が建設された当時は周囲にはほとんど民家がなく、農家が点在する程度だったのが、今では人口密集 地に変わってしまった」(121頁)という沖縄問題の客観的要因における指摘は、長年日本に関わってきたメア氏の優れた卓見であろう。
退去要求は団結権侵害…労組、大阪市を提訴へ (読売新聞 - 02月12日 20:24)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120212-OYT1T00433.htm

大阪市の職員アンケート、一時凍結 救済申し立て受け(朝日新聞‐2月18日7時26分)
http://www.asahi.com/politics/update/0218/OSK201202180004.html

橋下・大阪市長:全職員の政治活動調査 日弁連など「憲法違反」
(毎日新聞 2012年2月17日 東京朝刊)http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120217ddm012010051000c.html

橋下氏なお強気「調査は当然」…労組は謝罪要求(2012年2月18日16時23分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120218-OYT1T00140.htm

●私見
法律論点のところがあまりに長いので、先に私見を申し上げると次の感じです。

●結論
→不当労働行為が定める「不利益取扱」に該当する記載が一部存在するが、被告側(橋下市長)に正当な理由が存在することを考慮すれば、同職員アンケートは不当労働行為を成立しない。

・地方公務員の団結権侵害については、地方公務員法56条を根拠にして、人事院に対する不服申立て(地公法49条の2第1項)を行うのが通説的理解であり、憲法28条の団結権侵害を前面に押し出す組合側の姿勢は、公務員の基本的人権を基本的に制限合憲としてきた判例や、橋下市長の「職員アンケート」が不当労働行為制度の何に当たるのかが判然としない中では、訴訟リスクを高めることになる。
→要するに取消訴訟ではなく不服申立てをした方が良いのでは?、不服申立てより取消訴訟の方が敗訴リスクが高くなるのでは?という私見

・(地公法56条に基づいた不当労働制度が地方公務員に対しても最低限適用されるとして)…同「職員アンケート」が不当労働行為制度で使用者に禁止している行為のうち何にあたるかが問題となるが、(1)同アンケートの「回答しなければ処分されること」と、(2)被告(橋下市長)の一部過激な言動から考えれば、「不利益取扱」か「支配介入」に該当するか否かが問題となる。
・しかし、一部識者が言う地方公務員法46条を根拠に「支配介入」を導き出す考え方は、地方公務員に最低限保障されている団結権の根拠を規定するのが52条・56条であることを考えると、「こじつけ」であり、採用することはできない。また「支配介入」は結果を要求しないため「不利益取扱」規定以上に労働者を保護する余地がある規定であり、他方で、地方公務員の労働基本権に対して「必要やむをえない限度の制限」を加えることは、公務員の地位の特殊性と職務の公共性を根拠に、合憲とされていることを考えると、同アンケートは「支配介入」に位置付けて主張することはできない。
→「職員アンケート」が不当労働行為に該当するか否かが問題になるとすれば、「不利益取扱」に該当するか否かが問題となる。

・ゆえに、同アンケートが「不利益取扱」に該当するかを検討する。まず、同アンケートは、大阪市の職員が違法(不適切)な政治活動、組合活動を調査するために行う必要があると被告(橋下市長)は主張する。それに対して、原告(市組合)は、同アンケートには「業務命令として思想・信条に関わる回答部分がある」と主張する。そこで、同アンケートの内容を検討すると、同アンケートからは次の事実関係が認められる。

(1)同アンケートの記載で人事上の不利益を受けることはない(2頁)
(2)同アンケートの記載で自らの(違法な)政治活動を申告した者は、特に悪質な事案を除いて免職されることはない(2頁)
(3)同アンケートの質問事項のうち、個人を特定する記載については回答を強制的に求めてはいない。
(4)アンケートの質問事項は、(ア)組合活動に関する調査、(イ)政治(選挙)活動に関する調査、(ウ)組合幹部の職場での優遇に関する調査、(エ)職員のコネ採用に関する調査、(オ)組合加入のメリット、(カ)組合に加入しない不利益に概ね大別することができる。

 上記の事実関係から、同アンケートが「不利益取扱」に該当するかを検討すると、確かに(ア)・(オ)・(カ)は「不利益取扱」に含まれる「精神的な不利益」に含まれる可能性がある。しかし、(イ)・(ウ)・(エ)については、地方公務員法36条が地方公務員の政治活動を禁止していること、さらには今回大阪市職員組合を中心とした選挙活動が大々的に行われていたと窺われる一定の事情があったこと、被告が「政治活動への調査」を目的として同アンケートを決定した理由は上記実態を調査するためであったこと等が考慮できる。したがって、同アンケートは一定の不利益取扱が認められるものの、同アンケートを実施するに値する正当な理由が被告側に存在していたと認めることができる。したがって、同アンケートに不当労働行為は成立しない。

●訴訟に至る経緯
・橋下市長は、10日に、市長命令で、市全職員を対象に「政治と組合」に関係するアンケートを始めた。アンケートは、ネットワークにつながったコンピューター上で答える形式で、22問ある。職員3万8000人のうち、法律により組合に加入できない消防局をのぞく全職員が対象で、名前と職員番号の入力が必須だ。

・組合員からは、「アンケートといいながら、正確に答えないと処分されると書いてある」といった心配が寄せられていた。質問の中に、労働組合法で守られた活動を妨害するようなものが含まれていることから、10日午後、市労連は組合員に「業務命令として思想に関わる部分にまで回答を強要することは不当労働行為に当たる可能性がある。大阪府労働委員会に申し立てするので、回答は待つように」と伝え、撤回を求めている。

・特に、「選挙の話をしたことがあるか」という質問には、首を傾げた。「特定候補者への投票をうながす動きがなかったかを知りたいのだろうが、選択肢がわかりにくい。中に、『一切話題になったことはない』が含まれていたが、それを選んだ人のほうが変。意味不明な設問だ」と話した。

・また、「労働条件に関する組合活動に参加したことがあるか」という質問もあった。「労働者の権利そのものが、悪いことのように感じた」(30代男性職員)とも。

・全職員に対する実態調査は、橋下市長が9日に業務命令として指示しており、16日までに回答しなければ処分対象となる。

以上の話のソース
http://media.yucasee.jp/posts/index/10422?la=0005
http://t.co/zPIrPYyk (実際の職員アンケートと思われる書類)

●組合側の主張
「思想・信条に関わる部分まで回答を強要しており、不当労働行為だ」

●今回問題となる地方公務員の労働基本権規定
・地方公務員は憲法28条の「勤労者」に該当する。
・非現業の地方公務員(警察職員は除く)には、原則として「団結権」は保障されている(地方公務員法52条1項,3項)。しかし、同条の「職員団体」は憲法28条にのみ根拠を有する労働団体という趣旨であり、「憲法上の労働団体」は地方公務員法なり労働組合法によって積極的な保護、利益を受けることはない(鹿児島重治『逐条地方公務員法[第6次改訂版]』800頁,橋本勇『逐条地方公務員法[第2版]』856頁)。一例として、地方公務員法には不当労働行為制度の規定はない。
・非現業の地方公務員に労働組合法は適用されない(地方公務員法58条1項)。
・現業の地方公務員には労働組合法が適用される(地方公営企業の職員は地公労法5条1項,単純労働職員は地公労法附則5条後段)(ただし争議権は地方公務員法37条1項で禁止)

○図表で分かりやすいソース
「国家公務員及び地方公務員における労働基本権について」http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai7/siryou11.pdf

●地方公務員に労組法上の不当労働行為制度は適用されないのか?
 非現業の地方公務員には労組法が適用されず(地方公務員法58条1項)、かつ地方公務員法には労組法7条の不当労働行為制度のような規定は存在しないため、厳格な言い方をすれば、地方公務員法には不当労働行為制度は存在しないということになる。
 しかし、非現業の地方公務員には、原則として「団結権」は保障されており(地方公務員法52条1項,3項)、かつ「職員は、職員団体の構成員であること、これを結成しようとしたこと、若しくはこれに加入しようとしたこと、又はその職員団体における正当な行為をしたことのために不利益な取扱を受けない」(地方公務員法56条)という規定があること(ただし同条に違反した場合の具体的措置については規定がない)、かつ不利益処分を受けた職員は、「人事院に対してのみ行政不服審査法による不服申立て(審査請求又は異議申立て)をすることができる」(地方公務員法49条の2第1項)という規定から、地方公務員の団結権行使に対する不利益取扱は労組法7条1号本文前段と同じように解釈することができると思われる(鹿児島917-922頁)。
 もっとも、上記の見解に対しては、「公務員の不当労働行為制度の不備は…憲法上の公務員の労働基本権の制限ないし否認と不可分の関係にある」ので、「現行法を前提として、労働基本権問題との関係を見ることなく、解釈によってその不備を補おうとする試みは、理論的にも、実際的にも困難を持っている」という批判(中山和久)や、「団結交渉権しか認められぬ現行法上の公務員制度のあり方の下での不当労働行為を論ずるのは、そのもとの濁りを清めないで末をきれいにしようとするのと同じことである」という批判(三藤正)がある。
 要するに、地方公務員法の不当労働行為制度は、不利益取扱の禁止については概ね民間労働者と同じような保障を受けているといえるが、支配介入については相当に不十分であるといえよう。

●公務員の労働基本権に関する憲法判例
○全逓東京中郵事件(1966年)
・憲法28条で保障される労働基本権は、公共企業体の職員はもとより、国家公務員や地方公務員も原則的にはその保障を受けるべきものと解される。公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。公務員またはこれに準ずる者については…職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまる。ただし、労働基本権の保障といえども、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであって、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包している。

・その制限は、①労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、合理性の認められる必要最小限度のものに止めなければならず、②職務または業務の性質が公共性の強いものに関しては、その停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらす恐れのあるものについて、これを避けるために必要止むを得ない場合について考慮されるべきであり、③これらの制限に対する違反者に対して課せられる不利益については必要な限度を超えてはならない。

○東京都都教事件(1969)
・(全逓東京中郵事件を前提に)地方公務員法の規定についても、その元来の狙いを洞察し、労働基本権を尊重し保障している憲法の趣旨と調和しうるように解釈する時は、これらの規定の表現に関わらず、同規定によって保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによって実現しようとする法益との比較衡量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。

○全農林警職法事件(1973)
・憲法28条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶが、この労働基本権は、勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れない。(公務員の地位の特殊性と職務の公共性を根拠として)労働基本権に対し必要やむをえない限度の制限を加えることは、十分合理的な理由がある。けだし、公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、公務の円滑な運営のためには、その担当する職務内容の別なく、それぞれの職場においてその職責を果たすことが必要不可欠である。
→同判決は、「公務員に対して労働基本権をすべて否定するようなことは許されない」とした上記の全逓東京中郵事件に対して、公務員の争議行為の一律禁止を合憲としたものであり、公務員の労働基本権に対する裁判所の姿勢を変えた判決として知られている。

●不当労働行為(労働組合法7条)
・趣旨―団体交渉を中心とした労使自治によって確立維持される公正なろ労使関係を保持するためであり、それに干渉、あるいはそれを妨害する使用者の行為をアンフェアなものとして事実上排除し是正するため。
・地方公営企業の職員には、一部適用除外はあるが、労組法7条が適用され、民間企業の場合と同じ趣旨で不当労働行為制度が適用される。
・地公労法上の不法労働行為の類型は、労組法7条の適用によって、不利益取扱(1号・4号)、黄犬契約の締結(1号)、団交拒否(2号)、支配介入(3号)である。

・不利益取扱=労働組合の組合員であること、労働組合に加入もしくはこれを結成しようとしたこと、労働委員会や公労委への救済申し立て等を理由として、労働者に対し解雇その他の不利益な取扱をすること
→不利益取扱の態様として、解雇・懲戒処分・配転・出向といった雇用関係上の不利益、賃金・諸手当の差別支給という経済上の不利益、組合活動上の不利益、精神的な不利益がある。この不利益性は相対的な概念であり、他の労働者や組合員との比較、あるいは従来の事例や慣行との比較によって判断される。もっとも、組合活動上の不利益はむしろ支配介入の問題として分類されるべきであるという見解(沼田稲次郎,久保敬治,浜田冨士郎)も有力に主張されている。
→不利益取扱をめぐっては「不当労働行為における原因の競合」が問題となる。これは、使用者が団結権の侵害行為等を行う場合に、使用者が反組合的意図等をもって行う一方で他の動機ないし理由をもって行った時に不当労働行為が成立するか否かの問題である。近時の最高裁は成立否定説(不利益取扱等について使用者に正当な理由が存在する場合には、使用者の反組合的意図等の存在に関わらず、不当労働行為は成立しない)に拠っていると言われる(済世会中央病院事件判決)。

・支配介入=組合の結成や運営に干渉する行為のこと。支配介入の成立には、組合の結成や運営に対する侵害の結果までは必要ない(小西國友)。
→支配介入の不当労働行為が成立するために、使用者の不当労働行為意思の存在が要件とされるか否かについては争いがある。

*反組合的言論
→使用者には言論の自由があるが、その自由を行使した結果、それがいかなる場合に支配介入になるかが問題となる。この問題については大きく分けて二つの考え方がある。すなわち、①相手方に対する威嚇・報復・不利益の予告を含む場合に支配介入になるという考え方と、②使用者の言論が組合活動に対して与える影響やその時期・方法・対象等を総合して判断する考え方である。
→使用者に組合弱体化意思等の支配介入意思が認められる一方で、表現の自由を行使する意思が認められる場合には、不利益取扱と同様の問題が発生する。
→使用者が、本来労働組合自身が自主的に決定すべき組合の組織や運営のあり方に関してなす発言は、そこに報復、威嚇、強制、利益誘導等の要素が含まれていなくても支配介入になり得ると解すべきである(西谷敏)
→使用者の言論は、そこに報復、威嚇等の要素が含まれている場合に限り、支配介入になるというべきであろう(西谷敏)

●不当労働行為の要件・立証責任
 不当労働行為の成立要件については、申立人が①当該労働者が組合員である(組合に加入しようとする)こと、②当該労働者が比較可能な他の労働者に比べて低く査定され、それを通じて賃金上の不利益を受けたこと、③上記②が「①の故をもって」なされたことを証明(疎明)しなければならない。しかし、こうした証明は困難さを伴うため、不当労働行為の査定差別問題における申立人の証明責任を軽減しするために「大量観察方式」が採用されている。
 大量観察方式とは、差別が不当労働行為であることを主張する労働者側が、差別の外形的事実、特定組合の組合員の賃金ないし地位と、同じ条件にある他組合の組合員もしくは非組合員の賃金ないし地位との間に一定の格差が存在すること(あるいは少なくともその疑いがあること)と、使用者の差別意思の存在、例えば使用者が当該組合を嫌悪する言動を行っていたこと等を立証すれば、その格差が使用者の差別的査定によって生じたものと一応推認し、使用者の側で、格差が労働者の能力・業績の差異や非違行為に基づく合理的なものであることを証明しない限り、不当労働行為の成立を認めようとするものである。
 もっとも、大量観察方式は、学説・判例で認められているが、判例の紅屋商事事件判決は、組合結成・公然化とともに直ちに考課に差異が生じるようになったという事例であり、一般の査定差別事件とは異なる特徴を持っている。また、大量観察方式を訴訟で用いる場合にも、格差の合理性に関する使用者側からの立証を認めることになるから、個別立証は避けられない。
日本学士院会員である著名な政治学者の書ぴかぴか(新しい)

たまたま本屋で目に入ったので読んでみましたぴかぴか(新しい)
まずは日本政治学から見た通説的な日本政治に対する見解から。
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 万能に見えた国家の無力は国民生活を長期にわたって「市場」の力にさらすことになったが、この大きな変化の過程で発生した諸々の社会問題の根は 深い。中産階級の縮減が本格的に始まり、家族の崩壊や犯罪の増加など、かつての日本例外主義(利益政治が中心であった日本の経済的パフォーマンスが卓越し ていたこと等)は今やすっかり歴史の彼方のものとなった。それは経済的な格差とともに精神的・心理的崩落現象を伴い、その喪失感や無力感はいわゆる人間力 の衰退をも招いたのであた。
 この過程を短時間で逆転させることができるような特効薬はない。こうした特効薬と称するものがあるとすれば、それは心理的自己満足・自己欺瞞を 促す類のものであり、症状のさらなる悪化の原因にしかならないだろう。リアルな目標設定を前提にした着実なダメージ・コントロールと問題の解決の彼方に、 かろうじて「美しい国」への展望が開けてこよう。「20世紀型体制」の利益政治が日本においても終焉を迎えた頃、世界政治はテロや武力行使、宗教やナショ ナリズムの台頭といった、利益政治中心のそれまでの政治の守備範囲とはおよそ関係のない諸課題に直面するけとになった。「20世紀型体制」の崩壊は、こう した転向を促進する面を持っている。右翼政党の台頭はそれを物語っている。
(5-6頁)
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大体どの政治学者の方も上記見解はそんなに異論はないでしょう。
次は今後の日本政治で問題になると予想される話から。
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●福祉給付制度の問題
 レーガン政権下で生じた事態を、ピーターソンは「アメリカのアルゼンチン化」と形容する。つまり、海外からの資金でやりくりしている消費ブーム、過大評価された通貨、赤字財政による政府支出の急増と巨額の貿易赤字を伴う民間投資の減少等、すべてがそうである。
 いずれにせよ、利払いと配当金支払との増加は必至で、それに対応するためには国際収支を黒字にしなければならない。…しかし、言うは易く行うは 難しの代表が予算(私による訂正)の大幅カットである。ピーターソンは、財政赤字問題、特に権利化した福祉給付制度をその焦点と見なした。レーガン政権に よる歳出削減はもっぱら裁量的な非軍事支出の領域に向けられ、その結果、インフラの整備・環境保護・教育・職業訓練・医療社会サービス等は大幅に削減され たが、連邦予算を「消費マシーン」にしている福祉給付制度は増加の一途をたどってきた。
 端的に言えば、中産階級以上の人々にとってのタダ飯というのが福祉給付制度の姿である。またこのこと自身、世代間の不公平感を培養するものであ るが、消費水準の大幅カットが合言葉になる中で、このタダ飯計画が聖域化されるのは不合理この上ない。ピーターソンが共著『限られた時間の中で』で、福祉 給付制度がいかにアメリカの将来を危うくするかを力説したのは、この問題の処理なしに「衰退」を脱する道がないと判断したからである。
 ピーターソンによれば、今日存在するのは「自由放任主義的」福祉国家であり、国民的利益や世代間の公平さなどはおかまいなしに「消費への権利」 を擁護する風潮である。サプライサイド(供給重視)の経済学に代表される右派は、「快楽と消費の政治」の擁護者となってしまった。彼らは貧者に対する歳出 は削減する一方、中産階級以上の人々向けの福祉給付にはいたって寛容だった。しかし、これでは政府への懐疑とか自由市場への信念といった彼らの言葉は空し く、ただただ貧者に対する温かさの欠如のみが浮き彫りになる。他方リベラルは、歳出削減にひたすら反対しているが、彼らは国内の歳出が社会の進歩に無関係 な圧力団体の利益に奉仕しているに過ぎないこと、社会的目標達成のためには経済成長が不可欠なことを見逃している。
――――――――
 さて、今野田政権は、「現行の社会保障制度を維持するため」に消費税増税を推進しようとしているわけですが、上記のアメリカの話にあるように、 社会保障制度そのものの必要性とか今後のあり方については十分な議論をせずに、あくまで現状維持を目指すことが自分たちの使命だと考えているわけです。少 し具体的な話をすれば、野田政権による税と社会保障の一体改革の中で、「給付付き税額控除制度」の話が上がったわけですが、本格的に議論をすることなく、 結局消費税増税だけが焦点にされた年金制度改革の話が続いています。そういえば、一昨日のNEWS23のタイトル「年金制度はねずみ講?」でしたね。本質 を突いたタイトルだと私は思います。あと近時の流れで言えば、橋下市長が出した「維新八策」の「掛け捨て型年金制度」。あれは上記の「タダ飯論」と相通ず るところがあるのでしょう。
 今後社会保障制度と世代間公平性の維持が困難とされる中で、「給付付き税額控除制度」の議論をより深めていく必要があるのでは?と私は思うわけですが(私は導入支持派なので)。
 さて、最後は「政治学がこれまで目指してきた理念」に触れて終わります。
――――――――
 政治はわれわれの自由の発露として捉えられるということである。どのような主義や体制が登場しようともその根底には自由の選択があり、やがて自 由はこれら既成のものを相対化し、見直すことを促す契機になるのである。思想はこうした自由の内実を埋める最も重要な要素の一つであり、「アイデアは現実 的な結果」を伴うことになるのである。あえて政治学の観点から付言するならば、このことは広義の意味での政治学の作業が、互いにそれなりの対話と協力の関 係を形成できることを示している。例えば、政治を思想的に捉えなおす領域と、思想を政治的に捉えなおす領域が、それぞれ自分の領域に立てこもり、自己完結 性を誇示するだけで満足するのではなく、相互の協力によって現実をより豊かに、総体的に描き出すチャレンジはいくらでも可能ということである。
(359-360頁)