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・御殿場事件=静岡県御殿場市の御殿場駅近くで2001年9月に発生したとされる集団強姦未遂事件。「御殿場少女強姦未遂事件」とも称されている。

・被害者の証言に数々の矛盾、追及後の変更があり、犯行が行われた日時が裁判途中で被害者の供述のみにより変更され、検察側により「訴因変更」、検察による気象データの改竄が証拠として採用されるなど世間の注目を集めた。

・裁判中、判決後のそれぞれの検証でも、有力な証拠として採用された降雨量についても「検察側のデータの見方の誤り」が提供元から指摘されるなど、被告人側は、強姦事件そのものが存在しない架空の事件であり冤罪であると主張している。

●事件の経緯
2001年9月16日の深夜に女子高校生が帰宅。母親に、遅くなった理由を「強姦された」と説明したため、静岡県警御殿場警察署に被害届が提出された。

○発生日時
2001年9月16日の午後8時頃。
○概要
部活動から帰宅中の女子高校生が、中学時代の同級生(被告人少年ら)に無理矢理手首をつかまれ御殿場駅から公園まで連行された。公園内で1時間ほど話をした後、被告人少年ら(10人)に強姦された。

○発生日時
2001年9月9日の午後21時前後
○概要
中学時代の同級生(被告人少年ら)に声をかけられ、同意の下ついていった。

・手首をつかまれ無理矢理連行→声をかけられたのが嬉しく自分からついていった
・脅されて母に嘘電話→電話はしていない(通話記録が存在しないから)
・帰宅時間は24時すぎ→23時頃帰宅などの箇所も訴因変更している。

○罪状
強姦ではなく強姦未遂。

ここでのA少年は実刑確定で服役生活を経験したA少年のことを表している。 逮捕された10人(A~J)に対して、2002年4月、静岡家裁沼津支部は、

A・B・C・Dの高校2年生に対して、検察官送致(2009年4月に懲役1年6ヶ月の実刑判決が確定して服役)
E・F・G・Hの高校1年生に対して、少年院送致
高校1年生のIに対して試験観察処分、中学3年生のJに対しては保護観察処分を言い渡した。

年少者のE・F・G・Hの4名の内1人が刑事に「少年院なんて所の騒ぎでは無い」と言われた影響で自白し、4人は2002年の12月に1年弱で少 年院を出所し、釈放後に長野智子のインタビューに受け答えしている。Iは、2004年3月、同支部の別の裁判官により、不処分の審判を言い渡された。年長 者のA・B・C・Dは2002年の10月に9ヶ月ぶりに釈放されたが、自白撤回をした事がアダとなって検察官から起訴され裁判は10年近くの長期に及んで いる。

●一審(静岡地裁沼津支部)
・連日の取り調べで、逮捕された被告人少年らは9月16日の夜に犯行に至った事を自白した。しかし、裁判では「自白は強要されたものである」と一 転無罪を主張する。9月16日の午後8時頃、被告人少年らは、別の友人たちと飲食店に居た(従業員の証言や、注文伝票による)。アルバイトのタイムカード の記録などのアリバイがある事から、「犯行は不可能である」と主張した。

・16日に事件がおこったとされていた2回目の公判において、被害者が、犯行があったとされる時間帯には御殿場市内ではなく富士駅におり、出会い 系サイトで知り合った別の男とデートをしていたことが被告人側の指摘により判明した(携帯電話の通話記録から判明)。デートをしていた男も証人として裁判 に出廷し、「その女子高生は、『親には遅れた理由を誰かのせいにする』と言っていた」と証言。このことが判明した後、被告人は保釈を申請し認められた。

・女子高校生は、事件があったとされていた2001年9月16日に男とデートしていた事は認めたが、事件そのものは否定せず同年9月9日に被害に 遭ったと主張。嘘をついた理由は、「親に男性とデートをしていた事を知られたくなかった」ため。検察側は犯行日そのものを変更するという訴因変更請求を行 い、裁判所も請求を認めた。

・9月9日に犯行日が変更された事により、16日に犯行に及んだという被告人少年らの自白調書と矛盾する事になった。被告人自身、訴因変更された事で警察が自白を強要した事を裏づけるものであると主張した。

○判決
・「女子高校生は日時について嘘をついていたが、その理由は了解できるものであり、変更後の供述内容は十分信用できる」として女子高校生の証言を全面的に支持。天候の件は、裁判で重要な争点になることはなかった。

・検察による「訴因変更」によって、事件日が16日から9日に変更されたが、加害者側の少年の自白調書は16日のものが採用されてる。

●二審(東京高裁)
・突然9月9日に犯行日が変更され、事件から長期間が経過しアリバイを証明できなくなった被告人側は、犯行当日の天候に注目した。女子高校生は 「犯行日は雨も降っておらず着衣も濡れなかった」「傘を差していた記憶もない」と証言していた。しかし、当日は台風15号が接近して大雨洪水警報が発令中 であり、御殿場市周辺では一日降雨量45mm以上の雨が降っていた。「犯行現場の公園だけ雨が降らなかったはずがない」と被告人側は主張した。なお女子高 生は現場から逃げ帰る際、顔にポツポツと雨が当たったと二審で証言している。

・事件現場から約500m離れた雨量計は「2mm/1h以上の雨があった」と記録。
・約200m離れた場所での交通事故の資料でも「雨が降っていた」と明記されている。
・20時頃、御殿場駅より被告人(別法廷で審議中)との移動、犯行時刻とされる21時30分、23時に帰宅までの間に一度も濡れることがないのは不自然。
・当時現場近くで事故を起こした中年男性の父親の証言によれば、息子を含め事故を起こした者は、軒下で雨宿りをしていた。この時の雨の程度は、傘 をささずに雨に打たれていては、すぐにぐちゃぐちゃに濡れてしまう程度には降っていた、警察署に行った時は間欠ワイパー程度の弱い雨が降っていた」との証 言を文書で提出している。

○判決
・裁判所の判断は、「事件日そのものは変更されたが、一週間前だし日にちが違うだけで他の被害者の供述は信用できる」

・被害者彼氏とその友人の証言
→被害者は、当時、ミヤマに被害に遭ったことを話していて、これはミヤマとその友人の供述で裏付けられている。ミヤマは証人尋問で、9月12日に サイデリアで友人アキバに飯を奢ってもらってる時、被害者からメールがあり、大勢に襲われた、途中までやられたと書いてあったので、本当か?と言うと、な んで信じてくれないのと言って泣き出したと証言し、日頃からうっとおしかったので、アキバに別れると言い、交際をやめたと述べている。
→アキバも証人尋問で、ミヤマのメル友の彼女からメールがあり、襲われたと言ってるが、嘘だろうと言っていたと述べ、またメールがあった際、さっきと同じこと言ってる、うざいと言っていたと述べている。
→この日、被害者がミヤマに複数回メールしたことも、携帯の記録が裏付けている。このような9月12日の時点でミヤマに訴えていた事実は、9月9 日とする新供述を裏付けており、母に対する弁解の為に作出したわけでないことも裏付けている。日頃からミヤマに何度もメールしていたのが窺えるところ、9 月9日、8回に亘りミヤマにメールしていたのに、その後に1回メールがあった後、4時間も次の送信がなく、この通信拒絶状況は、新供述を裏付けている(http://vvvovvvovvv.blog38.fc2.com/blog-entry-131.html より)

・被害者の供述について、申告には問題があったが、日付を除いてほぼ一貫しているとして信用性を認め、被告人側の主張は退けられた。天候の件は事 件現場周辺の2カ所の雨量計が0ミリであった(後に2ヵ所とも警察の記録間違いで実際は雨が降っていたことが判明)ことから、事件現場で雨が降っていたと は言い切れないとした。

●控訴審判決文(ただし有料のTKCから引用されたもので直接確認できず)
【事案の概要】共犯者らと共謀の上、被害者を強姦しようとしたが、被害者が生理中であったためにその目的を遂げなかったとして、原審で有罪判決を 受けた被告人4名が、それぞれ原判決に対して控訴を申立てたという事案で、被害者の供述及び被告人・共犯者らの「自白供述の根幹部分の信用性」を認め、原 判決に事実誤認が存しない等としつつ、職権調査に基づき、未決勾留日数の算入については理由そごの違法があるとして原判決を破棄し、被告人らにそれぞれ懲 役1年6月を言渡した事例。

・その後,捜査機関において,再度被害者の取調べを行い,警察官調書5通(当審検23ないし27),検察官調書4通(当審検32ないし35)が新たに作成されたほか,被害者供述の裏付け捜査を経て,検察官は,被害者の再尋問を請求したこと。

・犯人に口止めされて怖かったのもあるし,犯人の一人に声をかけられたときにひょこひょこついていってしまい被害を受けたとは,恥ずかしくて言えなかったこと

・原裁判所は,平成14年10月17日の原審第4回公判期日に本件訴因変更を許可した後,平成17年4月14日の原審第32回公判期日に至るま で,約2年半にわたり証人尋問・被告人質問等の証拠調べ期日を重ね,論告,弁論,被告人らの各最終陳述を経て,同年6月16日の原審第34回公判期日にお いて結審したものであるが,その間,被害者の変更後の供述の信用性に係る平成13年9月9日の降雨状況や被告人らの同日のアリバイなどに関する証拠調べに も,多くの期日が当てられている。

・以上によれば,検察官による本件訴因変更請求は,被害者の供述変更に対応して行われたやむを得ないもので,被害者の供述変更が弁護人の当初訴因 に対する防御活動の結果引き出されたとの経緯があるにしても,本件訴因変更請求が被告人らの防御権を侵害したとはいえず,また,捜査機関の当初の裏付け捜 査が万全を尽くしたとはいえなかったにしても,検察官の本件訴因変更請求が正義衡平の理念に反し,訴因変更権を濫用したものとはいえない。

●降雨に関する問題点
・天候を記録していた近隣の店舗や施設(犯行があったとされる公園管理事務所や花屋などはいずれも「雨」と記録)との矛盾も指摘されている。

・裁判の証拠として採用された雨量記録のうち、現場付近で雨が降っていない根拠とされた2カ所の雨量記録は警察の記録間違いで、実際は雨が降って いたことが判明し、警察による捏造または知識・確認不足からくる誤りが疑われている。これについては地裁の公判で気象鑑定人によって指摘されながらも訂正 されなかった。さらに、高裁の判決文でも、警察が提出した誤ったデータを採用し、御殿場市役所や御殿場消防署の2か所の降雨記録が0mmであることから、 現場で雨が降っていない可能性があるとした。このため、弁護側は上告理由書で、高裁の事実認定に重大な誤りがあると指摘したが、最高裁は認定しなかった。 気象庁の記録方式では、「前回測定時と同じ雨量」の場合は、「記録しない」という規則であったものを、検察側の独自解釈で、「記録がない時間」は、「降雨 がなかった」とされた。事実で「前回測定時」には、現場地域は、大雨洪水警報がだされており、犯行のあったとされる同時刻も、この状態が存続しており、科 学的で客観性のある事実を無視した解釈が採用された、まれな例となっている。
→現場から雨が降ってないことは気象学的見地から見てもありえない。

●現場の状況に関する問題点
・被告人らによる16日犯行とされる捜査初期の全員の供述書では、犯行場所の公園内東屋には進入禁止テープが貼ってあり、横の芝生上で犯行が行わ れたとされている。しかし、9日犯行とされた控訴審においては、東屋のテープは9日には設置されていなかったことが御殿場市・工事業者により確認されてお り、供述調書と訴因に矛盾があり、また、御殿場警察による自白の誘導が疑われている。

●その他の問題点
・少年らのうち1人が知人の暴力団関係者に「自分達が紹介しろと命令して公園に連れて来させた女をやってしまった事があるが、すぐ喋る奴だから、 警察に自分達の事を言ってしまうのではないか心配だ。自分達みんなでしてしまったので、捕まるかもしれなくて非常に心配だ」「最後まではやっていない」な どと相談していたという。(ただし、相談を受けたと裁判で検察側証人として証言した暴力団関係者は、証言が別の事件で服役中に行われ、服役後は弁護側証人 として検察側証人時の証言内容を否定する証言している)

●ネット情報
・地方の人の話を聞いていると被告の元少年グループは結構有名な不良グループだったそうです

●ネットの代表的な感想
・本当に9日にやったというのなら16日での立件は完全に取りさげて,ゼロからやり直さないとだめでしょう。にもかかわらず「16日だと被告人に アリバイがあるし,被害者も出会い系で男と合ってたから,なし。9日ってことで。」「1週間違うだけでほかは同じだから問題なく裁判続行。で,有罪」とい う裁判の進め方は,弁護側が「検察の怠慢を隠すため」と指摘するよりもっとひどい,最初から検察と裁判所が有罪ありきで一致していたということですわね。

・被害者がウソついてたんだもん,検察が間違った犯行日時で立件したの,しょうがないじゃん。女の子だもん,いろんな事情があったんだから,事件の日時についてウソついても,しょうがないじゃん。こんな理論で裁判やられたらたまったもんじゃない。

・「被告人及び弁護人に十分な防御の機会を与えたものと認められる」というが、どれだけ反論の機会を認めてもその事実認定を否定したら意味がないのではないか。

http://blog.goo.ne.jp/d_d-/e/77ad78a49dd7f728d94377809964d6c5
●本稿の構成
検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(1)
1. はじめに―本稿の目的、議論の焦点など
(1)本稿の目的
(2)議論にあたって
(3)議論の焦点
(4)参考文献に関して
2. 訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか
(1)刑事訴訟法における訴因変更請求の趣旨・目的
(2)同事件で訴因変更請求が認められる特有の法的事情
(3)結語

検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2)
3. 共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題
(1)刑事訴訟法における共犯者の自白の法的論点
(2)他の冤罪事件と同事件の比較
(3)結語
4. まとめ
(1) その他若干の法的論点
(2) 御殿場事件における「有罪」の法律論的カラクリ

●検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2)
3. 共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題
(1)刑事訴訟法における共犯者の自白の法的論点
 「共犯者の自白」における刑事訴訟法の論点とは、同事件で言えば、「被告人4人と一緒にやった」という共犯者6人の供述のみを唯一の証拠とし て、被告人4人を有罪にすることができるかという問題である。正確に言えば、共犯者の自白に関して、本人の自白と同様に補強証拠(自白を裏付けるための証 拠)が必要かという問題である。
 判例は、上記問題に関して、「共犯者であっても、被告人との関係では、第三者であって、被害者その他の純然たる証人とその本質を異にするもので はない」として、共犯者の自白だけで被告人を有罪とすることができる(補強証拠不要説)を採っている。しかし、後述の松川事件・八海事件のように、共犯者 の自白のみで被告人を有罪とすることは、自己の刑事責任の転嫁・軽減を図るため、共犯者が共犯者ではない他人を巻き込む危険性があることは明白である。そ こで、学説では以下の多数的な見解が主張されている。
 すなわち、自白偏重を防止する憲法38条3項の趣旨から、「本人の自白」と「共犯者の自白」を区別する理由はない。したがって、共犯者一人の自 白を唯一の証拠として他の共犯者の犯罪事実を認定することは許されないという見解である(団藤重光)。そして、補強証拠を必要とする範囲に関しては、上記 論者の中に見解の大小はあるものの、通説的見解は、団藤氏が指摘した「何人かの犯罪行為による被害の発生等のように、法益侵害が犯罪行為に起因するもの」 と捉えられている(通説的見解以外としては、共犯者から独立した証拠、すなわち被告人と犯罪行為者との同一性についての補強証拠を求めるとの見解があ る)。もっとも、補強証拠必要説を採る論者のスタンスは一様ではない。上記見解の代表者である団藤氏は、相互に独立してなされた2人以上の者の自白が一致 するときは誤判の危険はうすらぐから、共犯者の自白は相互に補強証拠となり得るとの見解を採っている(他に高田卓爾氏など)。
 しかし、上記の見解に対しては、判例と同様の立場を採る論者から反対意見が出されている。すなわち、上記見解の場合でも、共犯者の自白に伴う第 三者の巻き込みの危険性の問題は防止できない(解決できない)という意見である。この見解は、共犯者の自白の証拠能力は被告人側からの反対尋問を重視する ことで厳格に規制する一方で、共犯者の自白の証明力は裁判官の自由心証に委ねようとするものである(不合理な事実認定を避ける)。しかし、この上記見解に 対しては、判例が法律の定める伝聞証拠の例外には反対尋問の機会を認めずともよい(刑事訴訟法320条1項)としており、憲法37条2項から導かれる証人 審問権(自己に不利な証人に対して反対尋問をなす権利)は絶対的なものではない(刑事訴訟法321条以下)。ゆえに、共犯者に対する反対尋問権の行使の有 効性には疑問があるとの指摘がある(荒木伸怡)。
 次に(共犯者の)自白の信用性判断の話に移る。わが国では自白の信用性判断に関して明白な法律上の準則は定められていない。判例は大きく言えば 「直感的・印象的判断方法」と「分析的判断方法」で検討していると言われる。すなわち、前者は、自白の内容を主な判断資料とし、供述の迫真性、臨場感、一 貫性等、犯行体験者としての供述特徴があるか否かを検討する手法である。他方で、後者は、自白と他の証拠との関係に着目して、犯人でなければ知り得ない 「秘密の暴露」があるか否か、捜査の進展と自白の時期の関係や自白の変遷の有無、自白内容が他の客観的証拠と符合しているか否かを検討する手法である。

(2)他の冤罪事件と同事件の比較
 改めて、共犯者の自白の信用性には多分に問題がある。実際に戦後起こった「冤罪事件」と言われる逆転無罪判決が下された判決の中には、上記の 「共犯者の自白」の信用性が否定された事件が数件存在する。以下では、その代表的事件である「松川事件」「八海事件」と同事件を犯罪行為や事実関係等に相 違があることは十分考慮しながらも一定程度比較することで(それは筆者が同事件を冤罪事件であると主張したいからでは決して無い)、同事件に対する裁判所 の「共犯者の自白」の法的判断を検討する。
 まず「松川事件」が「冤罪事件」と認定された要因は、一番最初に逮捕され共犯者の存在を自白した被告人赤間が自白を全面否定したこと、さらには 赤間自白を裏付けた証言者が第一審段階で否定したこと、最高裁による「諏訪メモ」の提出命令が大きい。そして、松川事件と同事件を比較すると、松川事件は 鉄道の脱線転覆という事案であり、「犯行日を変更する訴因変更請求がほぼ不可能な事案であったこと」が同事件と異なる点であったと考えられる。
 次に「八海事件」を比較するが、その前に「八海事件の特殊性」を説明する。すなわち、八海事件は、偽証の自白を行った被告人を除く被告人4人に 対する判決が、「有罪→無罪→有罪→無罪」された事案である。その上で「八海事件」が最終的に「冤罪事件」と認定された要因は、詰まるところ、検察側が被 告人吉岡1人の供述調書に頼りきったことであろう。確かに、判例は共犯者1人の自白であっても被告人4人を有罪にできるという法律構成を採っている。しか し、八海事件自体で見た時、同吉岡の供述調書の信用性が相当とは言えないという判断が出ることは、決して判例の逸脱ではあるまい。そして、八海事件と同事 件を比較すると、八海事件は「被告人1人の供述調書のみに頼った事案」であったのに対して、同事件は「自白した被告人6人の供述調書が存在していたこと」 が分かる。

(3)結語
 以上にわたって、「共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題」を法的に検証してきた。詰まるところ、被告人4人が有罪とされた最 大の法的事情としては、被告人4人以外の被告人6人(静岡家裁で保護処分を受けた)の自白を覆せなかったことと、「被告人6人の自白」という極めて強力な 証拠の存在に尽きる。被告人4人の弁護団らが被告人6人に対して、自白を撤回するよう求めたのか否かは定かではない。あるいは、同事件を長年にわたって取 材してきた永野智子氏が彼らを取材したのか否かも定かではない。しかし、被告人4人の無罪を真に勝ち取りたいと願うなら、弁護団らは「被告人6人の自白を 崩すこと」に訴訟活動の中心を向けるべきであったと考える。もっとも、同事件が「強姦未遂」という被害者自身が生存しており、主観的要素が多分に影響され る犯罪であったこと、保護処分を受けこれ以上事件に関わりたくないと考える被告人6人の自白を少なくとも2~3名崩すことへの限りない困難さを考えると、 同事件における被告人4人の皮肉な運命と弁護団らの訴訟活動の徒労に、私にはある種の「情状」を考慮することしかできない(これは同事件の被告人4人が有 罪であっても、無罪であってもである)。
 ところで、同事件における裁判所の客観的証拠の評価については、実に多くのところで批判されている。具体的には、犯行現場とされる芝生へ行くために通る終日亭のテープと、犯行日とされた9月9日当日夜の天候(降雨)である。終日亭のテープについて、裁判所は

「しかし、被害現場付近は暗く、少女が被害時に終日亭の状況を正確に認識していたとは考え難く、少女を立会人として、…実況見分時、終日亭の四方 にロープが張られていたことなどにも鑑みると、実況見分時に認識したことを取り込んで当初の供述調書が作成され、再捜査時においてもそのまま従前の供述を 流用したことによるものと解されるから、少女の変更後の供述の一部に客観的事実と整合しない部分があるからといって、直ちにその供述全体の信用性に影響を 及ぼすものとは言えない」
(長野134~135頁)

と評価しており、十分に納得できるものでもある(筆者はそう思う)。しかし、降雨(雨量記録)における裁判所の評価については気象学者(気象鑑定人)から批判されており、これは客観的にある種の正確性を担保している(筆者はそう思う)。

 しかし、上記(1)で見たように、裁判所による自白の信用性判断は、このテープや天候に限られない様々な要素を総合的に考慮してなされるのだか ら、このテープと天候の問題のみをもって、裁判所の判決を「誤審」であると断定するのは早計と指摘せざるを得ない。実際に、同事件の二審判決では、被害者 供述の信用性判断ではあるが、被害者の元彼氏とその友人の証言に言及している(http://vvvovvvovvv.blog38.fc2.com/blog-entry-131.html より)。長野の著書では、この点は触れられていないので、上記判決の正確性の担保には若干欠けるが、被告人4人の弁護団らは上記証言の信用性を攻撃した上で最高裁に上告するくらいの姿勢は欲しいものと考える。

4. まとめ
(1) その他若干の法的論点
 ところで同事件の罪状は「強姦未遂罪」である。これは、被害者の供述が、「その男はジャージのズボンを足音までずらしましたが、生理用のパンツ にナプキンがついているのを見て、残念そうな表情で、『こいつ生理になっているからいいや』と言って、下半身に手を出すのを止めました。リーダー格の男が 5、6分わいせつ行為をしてから離れると、別の男が馬乗りになり、胸を両手で触りました。最後の方で平田くんが同じようにいやらしいことをし、10人全員 からいやらしいことをされました」(長野18~19頁)とあり、被告人4人以外の被告人6人の供述調書でも『』の部分が記載されていたからと想定されるが 故である。
 刑法学上、強姦罪は「暴行又は脅迫を用いて、13歳以上の女子を姦淫した場合に成立」し、上記の「姦淫」とは「男性生殖器の少なくとも一部を女 性生殖器に挿入すること(判例)」を示しており、同事件では挿入していないから「強姦未遂罪」なのである。したがって、長野氏の「「生理だったので血がつ くのが嫌だから下半身に触らなかった」という少年たちの供述があるにも拘らず、「9日はおりものがあったのでナプキンをしていた」と変遷したことについて は全く触れていない」
(長野107~108頁)という指摘は全くの論外である。取りも直さず、法律知識で判断する裁判官が上記の指摘に触れること自体が法律的にはあり得ないからである。

(2) 御殿場事件における「有罪」の法律論的カラクリ
 以上にあたって、本稿は「検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ」を論じてきた。本稿が、読者が同事件を評価するにあたっての法律知識の一環となれば誠に幸いである。また、同事 件を契機として、刑事訴訟法研究者や法曹実務家には今後より一層の「共犯者の自白」の議論の展開を期待したい。同事件を通して、私は、刑事訴訟法の研究者 が「共犯者の自白」という論点に対する積極的提言ないし指摘を行っていないのではないかと懸念する。
 事実、近時の刑事訴訟法学者は、「共犯事件のような「複雑訴訟」に有効な特効薬のような解決策はないのではないか」という諦めや、「各人の関与 の程度ひいては共犯者間の供述が一致していないという場合に関しては、有効な解決策を示すことができません。「疑わしきは被告人の利益に」の原則に則った 事実認定に期待するほかはないように思います」という楽観的発言しかしていないように映る。確かに、「共犯者の自白」という論点に一定の限界があるのは分 かる。しかし、そうした限界に挑戦することを生業とする研究者が弱音を吐くのは少しいかがなものかと存ずる。少なくとも、刑事訴訟法研究者は、「共犯者の 自白」が問題となる同事件を含む訴訟事件に対して、もっと実質的分析を行っていくべきではなかろうか。
同事件が大きな問題になっていたので、ネット論文という形で、法学部出身者として論じたいと思います。

●本稿の構成
検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(1)
1. はじめに―本稿の目的、議論の焦点など
(1)本稿の目的
(2)議論にあたって
(3)議論の焦点
(4)参考文献に関して
2. 訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか
(1)刑事訴訟法における訴因変更請求の趣旨・目的
(2)同事件で訴因変更請求が認められる特有の法的事情
(3)結語

検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2)
3. 共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題
(1)刑事訴訟法における共犯者の自白の法的論点
(2)他の冤罪事件と同事件の比較
(3)結語
4. まとめ
(1) その他若干の法的論点
(2) 御殿場事件における「有罪」の法律論的カラクリ

●検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(1)
1. はじめに―本稿の目的、議論の焦点など
(1)本稿の目的
 私は約2週間前に次の記事を見た。『強姦未遂で服役終えた元少年4人「無実」と提訴』(2012年2月6日11時48分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120206-OYT1T00364.htm と いう記事である。内容は損害賠償請求事件である。しかし、上記事件はともかく、その前提となった通称「御殿場事件」、すなわち静岡県御殿場市の御殿場駅近 くで2001年9月に当時15歳の少女に乱暴しようとしたとして被告人4人(正確には10人と書くべきかもしれないが、概略という説明上4人とする)が強 姦未遂罪に問われた事件は、ネットやテレビを問わず、多くのメディアで問題とされた事件であることを、誠に恥ずかしながら、私は1週間前にはじめて知った (思い出した)。
 ところで、同事件については、テレビ朝日の「ザ・スクープ」での報道を契機として、主にネット上で実に多くの意見が出されているが、筆者が上記 番組やネット意見を見て感じたことは、同事件における「冤罪性(冤罪の可能性が高いこと)」が、もっぱら同事件の概要面や事実認定についての判決内容(法 廷審理)面から言及されていることである。そして、被告人4人がなぜ「有罪」とされた(されてしまった)のかという「法律論的カラクリ」については、必ず しも十分に言及されていない、もしくは全てまとまって説明されている意見がない印象を受けた(それがネット等の議論を白熱させている原因の一つでもあろ う)。そこで、本稿は上記の「法律論的カラクリ」を説明するものである。

(2)議論にあたって
 上記の「法律論的カラクリ」を本稿で説明するにあたり、読者の皆様にご理解を頂きたいのは、本稿はあくまでも「法律論的カラクリ」を説明するも のであって、決して「被告人4人は無罪だ、無罪にすべき」あるいは「有罪だ、有罪にすべき」といった「是非論」を展開しないことである。筆者が本稿を記し たのは、同事件の法律論的問題を明らかにするためである。したがって、読者の方々には、ここでの筆者の見解をもって、あくまでも筆者が「被告人は実際に強 姦行為をした、していない」「冤罪事件だ、冤罪事件ではない」ことを論じていると曲解なさらぬようお願いする所存である。
 ただそうは言っても、読者の中には「書き手が態度を明確にしないのは卑怯だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんので、筆者の同事件に対する雑 感を申し上げます。すなわち、同事件は「当初9月16日にアリバイがあった被告人が無罪である可能性は必ずしも否定できないが、一方で、日本における現在 の刑事訴訟法の考え方から行けば、有罪と認定される(されてしまう)可能性が高い」というのが雑感です。そして、本稿はまさに「日本における現在の刑事訴 訟法の考え方」を論じるものです。よく同事件を含む冤罪が疑われる事件では、「疑わしきは被告人の利益に」という1975年の白鳥決定を挙げて、「だから 冤罪だ」で終わってしまう方がおられます。しかし、それは「一般論」としては至極正しいですが、「実際に被告人が無罪を勝ち取れるか、あるいはどうやって 勝ち取るか」という裁判では「全く意味をなさない空文」であり、少なくとも法律学を学んだ(研究した)者は「事案に応じた実質論」を展開しなければならな いと筆者は考えます(実際、上記の白鳥事件では再審自体は認められませんでした)。

(3)議論の焦点
 したがって、以下本稿では「訴因変更請求」「共犯者の自白」における日本における現在の刑事訴訟法の考え方を中心に展開し、同事件の「冤罪性」 の文脈で言及される「天候」等の事実認定問題は特に検討しない(なお、それは決して被告人が有罪だと立論したいために検討しないわけではない)。もっとも 「訴因変更請求」「共犯者の自白」「その他の論点」で問題にされる事実関係は議論に応じて触れる。

(4)参考文献に関して
(i)ネット・非法律的文献に関して
 一定の概要理解にあたり使用したのはwikipediaであり、正確な判決文や法廷審理を知るために使用したのが最近発売されたジャーナリスト 長野智子氏の『踏みにじられた未来―御殿場事件、親と子の10年闘争』幻冬舎,2011年である。その他、筆者が調べた限りで、同事件の法的論点を説明し ている個人のブログは、「御殿場事件と訴因変更(下)」http://blogs.yahoo.co.jp/jurist60176/35801850.html で ある(御殿場事件との関連で共犯者の自白の法的問題に言及している一般的なブログは見つからず、2chで一部の方が言及しているのみである)。なお、これ らの引用はいずれも著作権法30条1項の私的複製に基づくものであり、筆者は同日記を卒業論文等の各種学術論文には引用していないし、かつ上記著書の引用 部分も一部である。

(ii)判例文献および学術文献に関して
 まず御殿場事件の判決文およびその評釈を掲載している論文は、筆者が調べた限りでは現在のところ存在しない(これは同事件の冤罪性を強める根拠 になるかもしれない?)。一部TKCローライブラリーに掲載されていると見受けられるネット上の引用が存在するが、TKCは有料サイトなのである。した がって、TKCの文献を引用できない点は何とぞご了承を頂きたい。もっとも、TKCローライブラリーから引用したと思われるネット上の文献(http://vvvovvvovvv.blog38.fc2.com/blog-entry-131.html )(http://blog.goo.ne.jp/d_d-/e/77ad78a49dd7f728d94377809964d6c5 )がいくつか存在しているが、本稿では長野氏が上記著書で記した判決文を中心に使用することにする。
 次に「訴因変更請求」「共犯者の自白」「強姦罪」に関する法律文献および学術文献については、できるだけ学問的水準が高いと思われる文献から使 用している。なお、本稿は学術論文ではないので一部「孫引き」(学術論文なら無論ダメな行為)を行っているが、「孫引き」箇所が決して原典部分の趣旨・内 容と異なっていないと容易に判明できる記述を引用している。そして、これらの引用は、(i)と同様に、いずれも著作権30条1項の私的複製に基づくもので ある。また引用文献はあくまでも一般的な刑事訴訟法の観点から論じられているので、引用文献の著者が「御殿場事件」という一つの事案に対しての評価を示し ているわけではないことをご理解頂きたい。

<本稿執筆にあたり検討した主な学術文献>
1松尾浩也=井上正仁編『刑事訴訟法の争点[第3版]』有斐閣,2002年
2鈴木茂嗣「公訴事実の同一性」『田宮裕博士追悼論集[上]』信山社,2001年
3上口裕「公訴事実の同一性」『光藤景皎古稀祝賀論文集』成文堂,2001年
4田宮裕『刑事訴訟法[新版]』有斐閣,2004年
5福井厚『刑事訴訟法学入門[第3版]』成文堂,2002年
6山口厚『刑法各論[第2版]』有斐閣,2011年

2. 訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか
(1)刑事訴訟法で問題とされる訴因変更請求の法的論点
 なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのかをいきなり説明する前に、まずは同事件における訴因変更請求の一般的な批判と、上記「御殿場事件と訴 因変更(下)」ブログの内容を紹介したい。同事件における訴因変更請求の一般的な批判は次のようなものであろう。すなわち、犯行日自体が訴因変更されれ ば、被告人側の弁護士(ら)によって立証された被告人(ら)の当初犯行日におけるアリバイもすべて徒労に終わってしまうことになり(同趣旨:長野71頁 等)、 被告人の防御の利益を害することになる。ゆえに、同事件における訴因変更請求は認められないという批判である。次に上記ブログの内容を説明する。
 その前提として上記ブログの法的評価をすれば、上記ブログの見解は非常に正しい。正しい点は以下である(若干不正確な記述は大筋と全く関係のな い瑣末な部分である)。第一に、同ブログは、訴因変更請求が「公訴事実の同一性」の範囲内でしか許されない(刑事訴訟法312条1項)ことを指摘してい る。第二に、同ブログは、「公訴事実の同一性」は、これまでの裁判例で「基本的事実関係の同一性」基準で判断されていることを指摘している。第三に、同事 件の訴因変更請求は新旧非両立の「非両立性」にあるか否かで判断されることを指摘している。そして、同ブログの筆者は次のように締めくくる。

「さて、非両立の基準を使うと、結局はよっぽどぜーんぜんテーマの違う訴因に変更しないかぎり、全て訴因変更は認められることになるであろう。そ れがあるべき訴訟のあり方なのかは、一つの問題である。とはいえ、なぜ御殿場事件で訴因変更が認められたかは、以上のようにして説明できることになる。お そらく、あの裁判長でなくとも、訴因変更は認められた可能性が高い(注)。まあ、御殿場事件の本当の問題は、訴因変更というより経験則違反の疑いの濃い 数々の事実認定にあるんだけどね」

「(注)御殿場事件では、9月16日の防御に完全に成功したところで、9月9日に訴因変更した。これは、さすがに不意打ちの度合いが強すぎるだろ う。とすれば、あまりに被告人の不利益な時期に訴因変更し、防御の利益を著しく損ねるということで、訴因変更を認めないとする決定は、検討されるべきで あったと思う(関連判例を挙げて)」

 上記の「経験則違反の疑いの濃い数々の事実認定」は、恐らく次号で述べる「共犯者の自白」か、天候等の事実認定の問題を指すと思われる。ところ で、同ブログの著者は間違いなく法律分野に知悉しておられる方である。そして、恐らく法律分野の知識を一定程度有する者は、御殿場事件において、裁判官が 検察官の訴因変更請求を肯定した判断は、刑事訴訟法的観点から見れば、「正しい」あるいは「時期的変更の観点(上記注。次で扱う)からは考慮ないしは認め られないが、公訴事実の同一性自体は肯定されるべき」という考え方が間違いなく大勢を占めるであろう。筆者も、同事件における訴因変更請求は肯定されると いう考え方である。
 しかし、当初犯行日では無罪になる被告人を、犯行日自体を変更することで有罪に持ち込める「訴因変更請求」という制度は、そもそも一般の方には理解し難い制度であるように思われる。そこで、以下では、なぜ同制度が認められているのかについて検討する。
 訴因変更請求が刑事訴訟法で認められている最大の理由は、刑事訴訟法に「一事不再理」原則が認められているからである。一事不再理とは、ある刑 事裁判について、確定判決がある場合には、その事件を再度実体審理することは許されないという刑事訴訟法の原則である。この一事不再理効が及ぶ客観的範囲 は上記の「公訴事実の同一性」の範囲であると通説的には解されている。そして、上記ブログが指摘するように、「公訴事実の同一性」とは、加害者や被害者・ 犯罪行為等の基本的事実関係が同一であれば肯定されるから、同事件の事実関係だけで考えると「公訴事実の同一性」が認められる。要するに、訴因変更請求と は、起訴時における検察官の主張・立証計画の不備を救い、同一手続を利用して有罪を確保するための制度であり、さもなければ、被告人を再起訴し再度別訴で 罰するしかないが、それでは被告人の「犯罪者か否か」という地位をいつまでも不安定なものにする恐れがありかつ訴訟経済にも反することになる。まして、同 事件の事実関係のように「公訴事実の同一性」が認められることが明らかな事案では、訴因変更請求をしなければ「一事不再理」原則が機能して被告人をもう二 度と罰することはできない可能性が非常に高い。しかし、それは刑事訴訟法1条の「実体的真実の確保」に反する。ゆえに1回の裁判で被告人の「有罪」「無 罪」を決定した方が良い。したがって、訴因変更請求制度は刑事訴訟法上必要であるというのが、刑事訴訟法の「建前」なのである。

(2)同事件で訴因変更請求が認められる特有の法的事情
 前項では、一般の方には理解し難い制度である「訴因変更請求」という制度が、刑事訴訟法上の「一事不再理」という考え方から来ていることを説明した。ここでは、前項で少し指摘された「時期的変更の観点」を説明し、同事件との比較を試みる。
 さて、前項での指摘は「(注)御殿場事件では、9月16日の防御に完全に成功したところで、9月9日に訴因変更した。これは、さすがに不意打ち の度合いが強すぎるだろう。とすれば、あまりに被告人の不利益な時期に訴因変更し、防御の利益を著しく損ねるということで、訴因変更を認めないとする決定 は、検討されるべきであったと思う(関連判例を挙げて)」 というものである。これが「時期的変更の観点」である。
 そして、上記の観点は、刑事訴訟法上、一般的には①時期的・時間的要素(変更請求の時期、審理期間の長さ等)、②被告人側の事情(被告人の従来 の防御活動の内容と効果、新訴因に対する被告人の防御の困難さの程度等)、③検察官側の事情(審理の途中で訴因変更の機会があったか否か等)、④事案の重 大性、⑤新訴因の有罪の蓋然性等の総合的に判断されるとしている。しかし、学識者の中には、訴因変更制度の趣旨から、審理の経過によって新たな事実が判明 した場合にも、無罪心証の形成という基準のみで訴因変更を一律に不許可とするのは疑問であるという見解もある(山中俊夫)。
 そこで同事件を比較する。①は、「2回目の公判」で行われており、判決までに被告人側に十分な時間が与えられたと認められる。②は、「9月9日 の被告人のアリバイの立証さ」が問題となるが、多くの刑事裁判例から見ると、アリバイの立証的困難さだけでは「時期的変更の限界」を認めることはできな い。③は、検察官は「少女の公判廷による証言で9月9日に犯行が行われたことを確認した」と評価できる(ただし検察官は被告人4人のアリバイを十分に確認 しなかった点で一定程度の落ち度はある)。④は、「犯行日自体の変更」であるが、被告人4人以外の被告人が自白をしていることから、そこまで重大ではな い。⑤は、④の事情からも認められる。したがって、「時期的変更の観点」からも同事件における訴因変更請求は認められる。

(3)結語
 以上にわたって、「訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか」を法的に検証してきた。同制度がとりわけ報道はじめ一般の方にさ らされた最大の要因は、「訴因変更請求が、(i)そもそも検察官が被告人を有罪に追い込むための制度であり、かつ(ii)可能な限り1回の裁判で被告人の 有罪・無罪を決するための制度であること」「公訴事実の同一性概念の分かりにくさ」にあると思う。さらに言えば、刑事訴訟法学者や法律関係者は、上記の考 えを当然に理解しているから、御殿場事件の訴因変更請求自体に対して、誰も学問的見地から意見を述べることはないのである。
 実際に、訴因変更請求に際して審査される「公訴事実の同一性」の刑事訴訟法上の議論は、その判断基準に関して百花繚乱の状況の様相を呈している が、概ねその議論の中心は、新旧両訴因が、同一の構成要件にあるか(類似するか)、行為態様および結果の事実関係が同じか(類似するか)、刑罰関係の択一 関係(一方が成立すれば他方は成立しない。非両立性の概念とほぼ同義)にあるかで判断するか否かの議論であった。そして、上記議論のうちどの説を支持しよ うとも、同事件の訴因変更請求は肯定されるのである。
 最後に、同事件の訴因変更請求に関して、筆者の所感を述べる。筆者の所感は「同事件を通して、日本の刑事裁判の実状が顕在化している」というも のである。すなわち、日本の刑事裁判はしばし有罪が99.9%だと言われる。その実務的要因の一つとしては、検察官の公訴提起における実務的運用がある。 日本では、検察官が被疑者に対して不起訴処分をなす場合には、「犯罪の嫌疑なし又は不十分な場合」がある。さらに、公訴提起に不可欠な起訴状の公訴事実の 記載に関しては「厳粛な運用」が行われていると、実務家からも刑事訴訟法学者からも一応それなりに解されている。ゆえに、日本の刑事裁判が99.9%有罪 と言われる所以の一つには、「有罪の見込みが高い事件以外は手を出さない」という司法消極主義の側面もあると言えるのである。では、検察官が同事件につい て「有罪の見込み高し」と判断した法的事情は一体何であったのだろうか。それこそが、被告人4人を有罪と判断した最大の法的問題「共犯者の自白」なのであ る。