【ネット論文】検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2) | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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●本稿の構成
検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(1)
1. はじめに―本稿の目的、議論の焦点など
(1)本稿の目的
(2)議論にあたって
(3)議論の焦点
(4)参考文献に関して
2. 訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか
(1)刑事訴訟法における訴因変更請求の趣旨・目的
(2)同事件で訴因変更請求が認められる特有の法的事情
(3)結語

検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2)
3. 共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題
(1)刑事訴訟法における共犯者の自白の法的論点
(2)他の冤罪事件と同事件の比較
(3)結語
4. まとめ
(1) その他若干の法的論点
(2) 御殿場事件における「有罪」の法律論的カラクリ

●検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2)
3. 共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題
(1)刑事訴訟法における共犯者の自白の法的論点
 「共犯者の自白」における刑事訴訟法の論点とは、同事件で言えば、「被告人4人と一緒にやった」という共犯者6人の供述のみを唯一の証拠とし て、被告人4人を有罪にすることができるかという問題である。正確に言えば、共犯者の自白に関して、本人の自白と同様に補強証拠(自白を裏付けるための証 拠)が必要かという問題である。
 判例は、上記問題に関して、「共犯者であっても、被告人との関係では、第三者であって、被害者その他の純然たる証人とその本質を異にするもので はない」として、共犯者の自白だけで被告人を有罪とすることができる(補強証拠不要説)を採っている。しかし、後述の松川事件・八海事件のように、共犯者 の自白のみで被告人を有罪とすることは、自己の刑事責任の転嫁・軽減を図るため、共犯者が共犯者ではない他人を巻き込む危険性があることは明白である。そ こで、学説では以下の多数的な見解が主張されている。
 すなわち、自白偏重を防止する憲法38条3項の趣旨から、「本人の自白」と「共犯者の自白」を区別する理由はない。したがって、共犯者一人の自 白を唯一の証拠として他の共犯者の犯罪事実を認定することは許されないという見解である(団藤重光)。そして、補強証拠を必要とする範囲に関しては、上記 論者の中に見解の大小はあるものの、通説的見解は、団藤氏が指摘した「何人かの犯罪行為による被害の発生等のように、法益侵害が犯罪行為に起因するもの」 と捉えられている(通説的見解以外としては、共犯者から独立した証拠、すなわち被告人と犯罪行為者との同一性についての補強証拠を求めるとの見解があ る)。もっとも、補強証拠必要説を採る論者のスタンスは一様ではない。上記見解の代表者である団藤氏は、相互に独立してなされた2人以上の者の自白が一致 するときは誤判の危険はうすらぐから、共犯者の自白は相互に補強証拠となり得るとの見解を採っている(他に高田卓爾氏など)。
 しかし、上記の見解に対しては、判例と同様の立場を採る論者から反対意見が出されている。すなわち、上記見解の場合でも、共犯者の自白に伴う第 三者の巻き込みの危険性の問題は防止できない(解決できない)という意見である。この見解は、共犯者の自白の証拠能力は被告人側からの反対尋問を重視する ことで厳格に規制する一方で、共犯者の自白の証明力は裁判官の自由心証に委ねようとするものである(不合理な事実認定を避ける)。しかし、この上記見解に 対しては、判例が法律の定める伝聞証拠の例外には反対尋問の機会を認めずともよい(刑事訴訟法320条1項)としており、憲法37条2項から導かれる証人 審問権(自己に不利な証人に対して反対尋問をなす権利)は絶対的なものではない(刑事訴訟法321条以下)。ゆえに、共犯者に対する反対尋問権の行使の有 効性には疑問があるとの指摘がある(荒木伸怡)。
 次に(共犯者の)自白の信用性判断の話に移る。わが国では自白の信用性判断に関して明白な法律上の準則は定められていない。判例は大きく言えば 「直感的・印象的判断方法」と「分析的判断方法」で検討していると言われる。すなわち、前者は、自白の内容を主な判断資料とし、供述の迫真性、臨場感、一 貫性等、犯行体験者としての供述特徴があるか否かを検討する手法である。他方で、後者は、自白と他の証拠との関係に着目して、犯人でなければ知り得ない 「秘密の暴露」があるか否か、捜査の進展と自白の時期の関係や自白の変遷の有無、自白内容が他の客観的証拠と符合しているか否かを検討する手法である。

(2)他の冤罪事件と同事件の比較
 改めて、共犯者の自白の信用性には多分に問題がある。実際に戦後起こった「冤罪事件」と言われる逆転無罪判決が下された判決の中には、上記の 「共犯者の自白」の信用性が否定された事件が数件存在する。以下では、その代表的事件である「松川事件」「八海事件」と同事件を犯罪行為や事実関係等に相 違があることは十分考慮しながらも一定程度比較することで(それは筆者が同事件を冤罪事件であると主張したいからでは決して無い)、同事件に対する裁判所 の「共犯者の自白」の法的判断を検討する。
 まず「松川事件」が「冤罪事件」と認定された要因は、一番最初に逮捕され共犯者の存在を自白した被告人赤間が自白を全面否定したこと、さらには 赤間自白を裏付けた証言者が第一審段階で否定したこと、最高裁による「諏訪メモ」の提出命令が大きい。そして、松川事件と同事件を比較すると、松川事件は 鉄道の脱線転覆という事案であり、「犯行日を変更する訴因変更請求がほぼ不可能な事案であったこと」が同事件と異なる点であったと考えられる。
 次に「八海事件」を比較するが、その前に「八海事件の特殊性」を説明する。すなわち、八海事件は、偽証の自白を行った被告人を除く被告人4人に 対する判決が、「有罪→無罪→有罪→無罪」された事案である。その上で「八海事件」が最終的に「冤罪事件」と認定された要因は、詰まるところ、検察側が被 告人吉岡1人の供述調書に頼りきったことであろう。確かに、判例は共犯者1人の自白であっても被告人4人を有罪にできるという法律構成を採っている。しか し、八海事件自体で見た時、同吉岡の供述調書の信用性が相当とは言えないという判断が出ることは、決して判例の逸脱ではあるまい。そして、八海事件と同事 件を比較すると、八海事件は「被告人1人の供述調書のみに頼った事案」であったのに対して、同事件は「自白した被告人6人の供述調書が存在していたこと」 が分かる。

(3)結語
 以上にわたって、「共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題」を法的に検証してきた。詰まるところ、被告人4人が有罪とされた最 大の法的事情としては、被告人4人以外の被告人6人(静岡家裁で保護処分を受けた)の自白を覆せなかったことと、「被告人6人の自白」という極めて強力な 証拠の存在に尽きる。被告人4人の弁護団らが被告人6人に対して、自白を撤回するよう求めたのか否かは定かではない。あるいは、同事件を長年にわたって取 材してきた永野智子氏が彼らを取材したのか否かも定かではない。しかし、被告人4人の無罪を真に勝ち取りたいと願うなら、弁護団らは「被告人6人の自白を 崩すこと」に訴訟活動の中心を向けるべきであったと考える。もっとも、同事件が「強姦未遂」という被害者自身が生存しており、主観的要素が多分に影響され る犯罪であったこと、保護処分を受けこれ以上事件に関わりたくないと考える被告人6人の自白を少なくとも2~3名崩すことへの限りない困難さを考えると、 同事件における被告人4人の皮肉な運命と弁護団らの訴訟活動の徒労に、私にはある種の「情状」を考慮することしかできない(これは同事件の被告人4人が有 罪であっても、無罪であってもである)。
 ところで、同事件における裁判所の客観的証拠の評価については、実に多くのところで批判されている。具体的には、犯行現場とされる芝生へ行くために通る終日亭のテープと、犯行日とされた9月9日当日夜の天候(降雨)である。終日亭のテープについて、裁判所は

「しかし、被害現場付近は暗く、少女が被害時に終日亭の状況を正確に認識していたとは考え難く、少女を立会人として、…実況見分時、終日亭の四方 にロープが張られていたことなどにも鑑みると、実況見分時に認識したことを取り込んで当初の供述調書が作成され、再捜査時においてもそのまま従前の供述を 流用したことによるものと解されるから、少女の変更後の供述の一部に客観的事実と整合しない部分があるからといって、直ちにその供述全体の信用性に影響を 及ぼすものとは言えない」
(長野134~135頁)

と評価しており、十分に納得できるものでもある(筆者はそう思う)。しかし、降雨(雨量記録)における裁判所の評価については気象学者(気象鑑定人)から批判されており、これは客観的にある種の正確性を担保している(筆者はそう思う)。

 しかし、上記(1)で見たように、裁判所による自白の信用性判断は、このテープや天候に限られない様々な要素を総合的に考慮してなされるのだか ら、このテープと天候の問題のみをもって、裁判所の判決を「誤審」であると断定するのは早計と指摘せざるを得ない。実際に、同事件の二審判決では、被害者 供述の信用性判断ではあるが、被害者の元彼氏とその友人の証言に言及している(http://vvvovvvovvv.blog38.fc2.com/blog-entry-131.html より)。長野の著書では、この点は触れられていないので、上記判決の正確性の担保には若干欠けるが、被告人4人の弁護団らは上記証言の信用性を攻撃した上で最高裁に上告するくらいの姿勢は欲しいものと考える。

4. まとめ
(1) その他若干の法的論点
 ところで同事件の罪状は「強姦未遂罪」である。これは、被害者の供述が、「その男はジャージのズボンを足音までずらしましたが、生理用のパンツ にナプキンがついているのを見て、残念そうな表情で、『こいつ生理になっているからいいや』と言って、下半身に手を出すのを止めました。リーダー格の男が 5、6分わいせつ行為をしてから離れると、別の男が馬乗りになり、胸を両手で触りました。最後の方で平田くんが同じようにいやらしいことをし、10人全員 からいやらしいことをされました」(長野18~19頁)とあり、被告人4人以外の被告人6人の供述調書でも『』の部分が記載されていたからと想定されるが 故である。
 刑法学上、強姦罪は「暴行又は脅迫を用いて、13歳以上の女子を姦淫した場合に成立」し、上記の「姦淫」とは「男性生殖器の少なくとも一部を女 性生殖器に挿入すること(判例)」を示しており、同事件では挿入していないから「強姦未遂罪」なのである。したがって、長野氏の「「生理だったので血がつ くのが嫌だから下半身に触らなかった」という少年たちの供述があるにも拘らず、「9日はおりものがあったのでナプキンをしていた」と変遷したことについて は全く触れていない」
(長野107~108頁)という指摘は全くの論外である。取りも直さず、法律知識で判断する裁判官が上記の指摘に触れること自体が法律的にはあり得ないからである。

(2) 御殿場事件における「有罪」の法律論的カラクリ
 以上にあたって、本稿は「検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ」を論じてきた。本稿が、読者が同事件を評価するにあたっての法律知識の一環となれば誠に幸いである。また、同事 件を契機として、刑事訴訟法研究者や法曹実務家には今後より一層の「共犯者の自白」の議論の展開を期待したい。同事件を通して、私は、刑事訴訟法の研究者 が「共犯者の自白」という論点に対する積極的提言ないし指摘を行っていないのではないかと懸念する。
 事実、近時の刑事訴訟法学者は、「共犯事件のような「複雑訴訟」に有効な特効薬のような解決策はないのではないか」という諦めや、「各人の関与 の程度ひいては共犯者間の供述が一致していないという場合に関しては、有効な解決策を示すことができません。「疑わしきは被告人の利益に」の原則に則った 事実認定に期待するほかはないように思います」という楽観的発言しかしていないように映る。確かに、「共犯者の自白」という論点に一定の限界があるのは分 かる。しかし、そうした限界に挑戦することを生業とする研究者が弱音を吐くのは少しいかがなものかと存ずる。少なくとも、刑事訴訟法研究者は、「共犯者の 自白」が問題となる同事件を含む訴訟事件に対して、もっと実質的分析を行っていくべきではなかろうか。