2024夏アニメ 7月28日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年夏アニメのうち、7月27日深夜に録画して7月28日に視聴した作品は以下の7タイトルでした。

なお「小市民シリーズ」の第4話はオリンピック放送のため1週放送休止で、8月3日深夜に放送予定です。

 

 

モブから始まる探索英雄譚

第4話を観ました。

今回は海斗がシルフィーとルシェリアと一緒に水魔法の特訓をしている場面から始まります。シルフィーがひたすら甘やかすタイプでルシェリアが徹底して毒舌ツンデレという対比がなんか面白い。特訓の成果が出て海斗は水魔法でゴブリンも倒せるようになりましたが、もう3階層の魔物を倒しても経験値を稼げないぐらいレベルアップしてしまったので4階層に挑戦することにして張り切って戦闘用の全身スーツを買って着てみて4階層に挑む。4階層の魔物は巨大ゴキブリであったのでシルフィーとルシェリアがパニックになって倒しまくり、海斗は何もせず5階層に進むことになります。しかし5階層の魔物は物理攻撃が効かないタイプだったのでまたシルフィーとルシェリア頼みとなるが、途中でシルフィーが隠し通路を発見して、海斗たちがそこに入っていくと奥の大きな空間でオーガと巨大スライムというエリアボス級の魔物と遭遇する。

そうして戦いとなるが、オーガには魔法攻撃が無効でシルフィーやルシェリアの攻撃でダメージが与えられなかったのでシルフィーの防御魔法でオーガを食い止めているうちに海斗がボウガンの物理攻撃でオーガにダメージを与えていき、ルシェリアが巨大スライムを引き離すために戦うが、巨大スライムも魔法耐性があるので苦戦する。そして海斗のボウガンの矢も尽きたので特訓していた水魔法を更にアイテムで強化して氷の槍を生み出してオーガを攻撃して海斗の魔法力が尽きるギリギリのところでオーガを倒しきることが出来た。更にルシェリアが危機に陥っている巨大スライムとの戦いに参戦した海斗は殺虫剤で巨大スライムに徐々にダメージを与えていき、手持ちの殺虫剤を使い切るギリギリのところで巨大スライムも倒しきりました。このオーガと巨大スライムとの戦いはかなりアツくて、この作品で初めて盛り上がるバトルシーンだったと思います。

こうした活躍を評価されて、7階層でのパーティーを組んで探索するイベントへ参加を打診され、海斗は女の子3人組とパーティーを組んでイベントに参加することになったというところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

天穂のサクナヒメ

第4話を観ました。

今回はサクナ達の稲作が順調に軌道に乗って来た中でミルテがメインに描かれたお話であり、きんたが新たな目標を見つけるお話でもありました。仲間たちとサクナの絆も強くなっていき、新たに河童たちという仲間も登場し、鬼との戦いのアクションもあり、見所たっぷりの充実したエピソードでした。

まず冒頭、稲作の描写がしっかりあり、カエルやクモやタニシといった自然の生き物が田に居てこそ良い稲が育つのだということが強調されていて「自然の力を借りて農業を行うことが大切」という本来の農業の在り方を思い出させてくれる。なんとも良質なアニメ作品だなと思います。そして農作業の中でも青空授業みたいなことをしてミルテが子供たちに勉強を教えて立派な大人になるよう導こうとしている。西洋の宣教師であるミルテは神について教えようとしており、一見すると宗教の勧誘活動のようにも見えるが、まぁ宣教師ですから神について言及するのは仕方ないのであり、基本的には「学ぶことの大切さ」を説こうとしているのだと思います。

ただ戦国時代の日本みたいな世界観ですから、ミルテに生徒のように集められたきんたやゆいはそんなよく知らないことについての教えを受けることよりも目先の仕事をこなす方を優先して、ミルテの話に耳を傾けようとはせず去っていく。代わりに「神の話」だというのを聞きつけてサクナがてっきり自分についての話なのだと思って興味を示すが、ミルテの言うには「サクナは神ではない」とのこと。それを聞いてサクナは驚くが、ミルテの信仰する宗教はキリスト教のような一神教ですから、ミルテの言うところの「神」はただ1人であり姿形も見えないものなのだという。そしてサクナは天国に住む天使なのだという。ミルテの解釈では「頂の世」は神の国である天国であり、そこに住む姿形のあるサクナやココロワのような神々は神ではなく神の眷属である「天使」だということになるようです。「頂の世」の主神であるカムヒツキですら、姿形がある時点でやはり神ではなく、天使のリーダーである「大天使」なのだという。

つまりキリスト教においては「神」とは姿形が無い抽象的な概念なのであり、極論を言えば「神は存在しない」のであり、キリスト教というのは一種の「無神論」といえます。少なくとも、ギリシア神話やローマ神話のように神が人間のように姿形を伴って実在すると信じられていた時代においては新興のキリスト教は一種の「無神論」と見なされていたようです。人類社会においての古代からの伝統的な宗教というのはみんなギリシア神話や日本神話のような神と人間を地続きな存在と見なす「有神論」なのであり、そんな中でキリスト教は異質な宗教として現れたのだといえます。その是非はともかく、それは新しい発想であったのは確かであり、それゆえにキリスト教世界とそれと根っこを同じくするイスラム教世界という一種の無神論的世界において科学というものが発展したのだと言えます。つまり、伝統的な制約というものが緩くて、新しいものを受け入れることに抵抗が少ない社会ということになります。

そんな世界からやってきたミルテの教えは、きんたやゆいにはあまり響かなかったようですが、サクナは「そのような教えもあるのじゃな」と感心して寛容に受け入れます。こうした寛容さは日本の神道に特徴的な部分ではありますが、そこはサクナの性格にも反映されているようです。ミルテもサクナに世界には他にも多様な宗教があるのだと説明しており、本来は割と寛容さには乏しい一神教の宣教師にしてはミルテは結構多様性に寛容な感じで描かれている。これはミルテの個性であるようで、ミルテの師匠ともいえる司祭の教えを受け継いでいるらしい。その司祭の考え方というのは、要するに「神の教えを広めるためには、まず他の世界のことを理解しなければならない」ということであったようです。相手の価値観を理解しようともせず一方的に自分たちの教えを押し付けるだけではいけないということなのでしょう。その司祭は旅の途中で亡くなったらしいが、ミルテはその師の教えを守っており、師が亡くなる時に交わした約束「外の世界のことを理解して本国の人々に伝えて相互理解の助けとする」というのを果たすため、このヤナトのことを全て知りたいと願っているのです。だからミルテはやたらヤナトのことを知ろうとしていたわけですね。

こうしたミルテの話を聞いていたきんたは興味無さそうに外に行くが、実は結構心が動かされていたようで、サクナが採取してきていたガマの油を勝手に持ち出して鍛冶の真似事のようなことをやろうとして火傷を負ってしまい、サクナの大目玉を食らいます。きんたはアシグモの持っていた武器を見て美しいと思い、鉄を鍛えて刀や鎌を作ってみたいと思うようになっていたが、やったことがなくて自信が無かった。だがミルテの「知らないことを知りたいと思うことが大事」という考え方を聞いて、それに影響されて鍛冶に挑戦してみたいと思ったのです。だが、自信が無いのでその気持ちをサクナ達に打ち明けることが出来ず、それでサクナはきんたが単にふざけてガマの油を無駄にしたと思って怒ったのでした。

そうして揉めているサクナときんたのもとにミルテが来て、ヤナトの薬草で自分が工夫して調合した塗り薬をきんたの火傷部位に塗り、皆がミルテの探究心に感心すると、ミルテはこの家の周囲の結界内だけでなくもっと外の世界にも出て色んなことを知りたいと言い出す。鬼がいるのだからそれは無理だとサクナは言うが、タマ爺がアシグモから聞いた話では、サクナが周囲の鬼を狩った結果、結界の周囲はもうあまり鬼が居ないみたいで、そのあたりならば出ていっても大丈夫だとのこと。そうなるとサクナが狩りをしなくても田右衛門たちによって野草やキノコや魚などの食料の調達が可能になり、手の空いたサクナは「鬼の発生原因を調べる」という本来の任務に着手出来るということになり、いっそ思い切って皆の活動範囲を結界の周辺にまで広げようということになった。

ただ、そうして田右衛門たちが外での活動で忙しくなれば稲作の方の人手が足りなくなるのは問題でした。そこで稲作を手伝ってくれる人手の確保が急務となり、サクナ達はアシグモに相談する。アシグモ族から人手を借りようとしたのだが、聞いてみたところ、実はアシグモを除く残りのアシグモ族は全員、鬼を恐れて島から出ていって居なくなっているのだという。だからアシグモ族から人手を借りるのは無理だと分かった。その代わりにアシグモは近くの沢に河童たちが居るので交渉次第では稲作の手伝いをしてくれるのではないかと教えてくれた。

それで皆で沢に出かけようということになり、皆で結界の外に出ますが、きんただけは興味が無いと言って同行しなかった。だが、きんたはゆいに「鉄の石」があれば拾ってきてほしいと言い、やはり鍛冶への興味は諦めてはいないようです。そして留守番して田の作業などをやっていると、アシグモが武器を持って鍛錬しているのを見つけて、アシグモと武器の話をして、実は鍛冶をやってきたいのだと打ち明ける。するとアシグモは多少は鍛冶の心得はあると言い、きんたに教えてくれると言う。但し、そのためには鍛冶場が必要になると言われて、きんたはどうしようかと考え込む。

一方で沢に到着したサクナ達の前に河童が現われ、ゆいが河童の言葉が解るというので、サクナが河童と交渉しようと挨拶をするのだが、その矢先に河童に興味津々で近づいてくるミルテの青い目を見た河童が「よそ者だ」「青い目だ」「食われる」とか言って怯えだし、仲間の河童たちが総出で石を投げてきて、ゆいが怪我をしてしまったこともあり、サクナ達は退散することになる。それでサクナは河童たちはミルテのような西洋人に酷い目に遭わされた経験があるのだろうかと推測し、ミルテもこれまでにもヤナトのことを知ろうとした時に怖がられて石を投げられた経験はあると言い、やはり自分がヤナトのことを知ろうとすることはいけないことなのだろうかと落ち込みます。

ただ、とにかく河童たちとの交渉はせねばならず、河童たちを刺激しないようにミルテとゆいはとりあえず留守番してもらい、サクナ達は再び沢に向かい、今度はきんたも同行して鉄の石を探したりする。きんたはまだサクナに自分の気持ちを伝えることが出来ていないので、サクナにはきんたが石で遊んでいるようにしか見えず、相変わらず不真面目な奴だと呆れます。そうして沢に着くが、河童たちの姿は無かった。一方で留守番のミルテは自分が何でも知りたがったせいでゆいが怪我をしたのだと思い落ち込みますが、ゆいは「何かをやり遂げようとするのは立派だ」と言ってミルテを励ます。そして、きんたが鉄の石を欲しがったりして何か新しいことに興味を持つようになったのはミルテの影響だと言って感謝してくれる。

すると、そこに犬に背負われて重傷を負った河童が運び込まれてきて、ミルテは治療をしますが、河童は怯えていて、ミルテは自分が怖がられているのだと思って落ち込み、治療が終わるとその場を離れようとします。しかし、司祭の教えを思い出して、相手を理解することを諦めてはいけないと思い、そのためにはまず自分の気持ちを伝えることを諦めてはいけないのだと思い直す。それでミルテが河童に自分は敵ではないことを懸命に伝えたところ、河童はミルテに一緒に来るようにと伝え、ゆいは皆が戻ってくるまで待とうと説得したのだが、ミルテは河童と犬と共に飛び出していってしまった。

それでゆいが沢まで駆けていってサクナ達にミルテが河童と一緒に何処かに行ってしまったと伝えて、慌ててサクナ達が家に戻ると、そこに犬だけが戻ってきて、ミルテが身に着けていた首飾りが千切れているのを咥えていたのでサクナはミルテの身に何かが起こったのかと慌てて犬の案内で水辺の洞窟の中に入っていく。すると、そこに大きなナマズの鬼が現われて襲ってきて、そこにミルテと河童たちも居て、ミルテがサクナに事情を説明してくれた。

実は河童たちは大ナマズの鬼に襲われて食われていたので、それで鬼を恐れて逃げていたのです。そしてこの大ナマズの鬼は目が青くて、それで河童たちはミルテの青い目を見て、鬼の仲間だと誤解して怯えていたのです。だがミルテが敵ではないと説明したので味方をしてもらおうと思って河童たちが隠れている洞窟にミルテを迎えたところ、そこに鬼が襲ってきてピンチとなり、犬がミルテの危機を報せるためにサクナに家に戻ってきたのです。

そうしてサクナは鬼と戦うが、大きく強力な鬼であったのでサクナは苦戦し、隙を突かれて河童たちは鬼に襲われてしまい、ミルテが身を挺して河童たちを守ります。それでミルテは鬼に食われてしまったかに見えてサクナは焦りますが、ミルテは護身用に身に着けていた毒薬を鬼に食わせて、鬼は弱って苦しみだす。そこにサクナがトドメを刺して鬼を倒すことが出来ました。そうして河童たちはミルテやサクナに感謝して稲作を手伝ってくれることになり、ミルテが自分の気持ちを相手に伝えることを諦めなかったことによって望みを叶えたということを聞いたきんたは、やはり気持ちを伝えなければいけないのだと理解し、サクナに鍛冶をやりたいのだという気持ちを伝えて、頭を下げて鍛冶をやらせてほしいとお願いしたのでした。今回はこうして終わりとなり、次回はきんたの鍛冶のお話になりそうですね。

 

 

逃げ上手の若君

第4話を観ました。

今回は北条の残党を捜索する信濃国の守護である小笠原貞宗という濃いおっさんキャラが新登場します。もちろん時行の敵であり、足利尊氏の手先みたいな奴ですが、目玉ギョロギョロの気色悪いけど超個性的キャラです。そして現代にまで続く弓術の流派である小笠原流の伝統の基盤を作った弓術およびその他の武術の達人であり、その武力は後醍醐天皇のお墨付きも得ており、今回の劇中でも紹介されていますが、特別に「王」の字の入った家紋を使うのを許可されたりしており、天下第一の武人として名声の高かった人物です。悪名だけが高かった五大院宗繁などとは違い、当時の第一級の武人でありました。貞宗はもともと鎌倉幕府の御家人でしたが、足利尊氏が幕府に反逆した際にいち早く尊氏に味方して、新田勢と共に鎌倉を攻め落としており、その功績によって信濃国の守護に任ぜられています。今回も冒頭の方でその場面が描かれています。今回はこの貞宗と時行の対決が描かれましたが、諏訪大社を舞台とした「犬追物」という競技での対決として描かれていて、今回では決着はつかず、決着は次回に持ち越されています。この「犬追物」というのは実際に諏訪大社で行われていた神事であり、また小笠原貞宗はこの「犬追物」を復興させた人物としても名を知られており、貞宗にも縁の深い競技といえます。「犬追物」は様々な形式で行われていたようなので、今回の劇中で描かれたようなルールがスタンダードなものであったわけではないのでしょうけど、今回の劇中で描かれた犬追物は競技としてかなり面白く描かれており、とても見応えがありました。何といっても「犬追物」をこんなにしっかりと描写した映像作品というのはこれまで見たことがなくて、それだけでも必見の価値のあるエピソードといえます。それに加えて時行の成長物語としても見応えがあり、神回でしたね。

まず冒頭は足利高氏が鎌倉幕府を滅ぼした功績を評価されて後醍醐天皇によって「高氏」の名を「尊氏」に改名するよう言われる場面から始まります。これは後醍醐天皇自身の名前から「尊」の文字を賜ったのであり非常に名誉なことでした。ただ尊氏はそうした名誉だけはいただいて、官職などは特に要求しなかったので朝廷では無欲で高潔な人物として非常に評判を高めたというように今回は描かれています。まぁこの作品だけではなく「太平記」などでもそんなふうに尊氏の評判は上がったと書かれていますから、実際に良い評判だったのでしょう。実際、尊氏という人物は無欲なところがあり、一見立派な人物なのですが、ちょっとその無欲さが気持ち悪さを伴っている人物でもある。この作品での足利尊氏というのはそういう気持ち悪い人物として描かれているが、普通に同時代史料である「太平記」などを読んでいても、足利尊氏の行動には理解不能な描写が多くて、ちょっとこの人間は何処か頭がおかしいのではないかと思わせるところは確かにある。

武将としての能力は飛び抜けており、戦場においては恐るべきカリスマなのだが、政治面では稀代のトラブルメーカーであり、裏切りや盟約違反の常習犯であるが、突然に政敵と劇的に和解したりもする。酷いヤツなのだが何故か憎めないところがある。というか、どういうわけかこの悪人にみんな惹かれてしまうようなのです。日本史上における怪物と言っていい。足利一族というのは異常者が多い家系なのだが、この尊氏はちょっと別格といえる。織田信長などは時代が時代だったので残虐な戦いをせざるを得なかっただけであり、政治的には極めてマトモな人物なのだが、この足利尊氏は本当に異常者であったと言っていい。今回のエピソードの冒頭でも、朝廷内での評判の高さとは裏腹に実際の尊氏が得体の知れない怪物であったというのを、何とも気持ち悪い描写で表現している。尊氏が執事の高師直の前で気持ち悪い笑顔で涙を流して、その目を開くと目玉が無数に蠢いているという、まるで尊氏は人間ではなかったかのような凄い表現となっている。

この後、その尊氏から小笠原貞宗が信濃守護に任ぜられて、北条氏寄りの諏訪氏が未だに信濃には健在であり、そこに北条の残党が逃げ込んでいる可能性があるので見つけ出してほしいという特命を与えられる場面が描かれます。ここで気付くのは、尊氏が諏訪氏が北条側だと気付いていながら、それでも諏訪氏を滅ぼしたりは出来ていないことです。北条氏同様に逆賊として滅ぼしてしまっても良さそうなものですが、そうはしていない。それは要するに「出来ないから」なのでしょう。まず尊氏にはそんな権限は無い。尊氏はあくまで後醍醐天皇の逆賊である北条氏討伐の戦いに従ったという大義名分で北条を滅ぼす戦いを実行できたのであり、現在の尊氏はあくまで後醍醐天皇の家来なのです。だから後醍醐天皇が諏訪氏を逆賊と認定しない限りは、勝手に兵を動かして諏訪氏と戦争をして諏訪氏を滅ぼしたりは出来ないのです。

だったらとっとと後醍醐天皇に働きかけて諏訪氏を逆賊認定してもらえばいいところですが、天皇が誰かを逆賊と認定するという判断は重く、間違いは認められない。当時の日本は中国みたいな極端な中央集権国家ではないので、いくら天皇でも理屈の通らないことは出来ない。だから諏訪氏を逆賊と認定するのはかなりの調査や手続きが必要であって、幕府を滅ぼして建武の新政を始めたばかりの朝廷はそんなことに労力を割くゆとりは無いし、尊氏自身が多忙で諏訪氏ごときにあまり構ってもいられない。仮に諏訪市に北条残党が逃げ込んでいたとしてもすぐに大した脅威になるとも思えない。更に前回も描かれたように諏訪氏は一種の宗教的な権威であり、諏訪神党という武力集団も擁している。そんな面倒臭い連中を変に刺激しても得るものがあまり無い。だからとりあえず朝廷や尊氏が諏訪氏に直接に手を出すようなことは今は出来ない。かといって北条の残党がもし逃げ込んでいるのなら放置しておくわけもいかないので、それで新たに信濃守護に任じた小笠原貞宗に特命を与えて北条の残党の捜索をさせようということになったのです。

もともと小笠原氏は信濃の西半分に勢力を張る御家人であったが、尊氏が特に貞宗に特命を与えた理由は、貞宗が優秀な武人であり、特に非常に観察眼に優れて目が利くからでした。この場面では貞宗が尊氏の掌の上に乗ったダニの数や性別までピタリと言い当てるという描写で貞宗の異常ともいえる視力の良さを表現している。これだけ視力が良いから弓が上手なのであり、これだけ観察眼が鋭いのだから、北条の残党が隠れていても必ず見つけ出せると期待されているのです。

一方、諏訪大社では時行の武術の鍛錬の場面が描かれるが、相変わらず剣術はからっきしであるようです。頼重の言うには、時行の筋肉は逃げに特化した筋肉なので、剣を振り下ろす時も身体が逃げに入っており、それゆえ力のある一撃を繰り出せないようです。そういうわけで剣術はとりあえず置いておいて、時行が割と得意な弓術をまず磨こうということになる。逃げ上手な時行は最初から敵と遠距離でいることが出来る弓術ならば相性は良いようで、鎌倉でも弓術はそこそこ出来たようです。頼重としても、いくら逃げながら勝つのが時行の戦い方だといっても、大将が逃げてばかりで戦わないというのでは兵たちの士気にもかかわるので、何らかの形で時行が武勇を示す必要はあると思っており、それには弓術が良いと考えました。実際、当時の武士の戦いは弓での戦いが一般的で、加えて長刀を使う戦いが主流であり、剣術はあまり重視されていなかったし、槍などはまだ存在していなかった。だから弓術と馬術が当時の武士の最も重要な嗜みであった。馬に騎乗して弓で敵を射るという「騎射戦」こそが武士の誉でありました。

そうしていると、諏訪大社に信濃の新守護となった小笠原貞宗が配下の兵たちを連れて突然やってくる。時行は鎌倉で貞宗とは面識が無かったので顔を合わせても北条の遺児だとバレることはないが、それでも念のため離れた小屋に隠れて様子を窺うことにした。そうして頼重が貞宗を出迎えるが、貞宗は新たに自分が守護に任ぜられたので、これからは諏訪氏に命令を下す立場になったと伝え、北条の残党を匿っているのなら引き渡すようにと命じる。しかし頼重は北条の残党など知らないとシラを切ります。それに対して頼重は周囲の人々の中に頼重が潜ませた武士たちの存在や、小屋の中から様子を窺う時行たち子供の存在も全て観察眼で見破った上でどうも怪しいと言う。それでもとりあえず無理押しはせず引き上げますが、引き上げる前に貞宗は諏訪大社の巫女の耳を遠距離で矢を放ち裂いてみせて頼重を挑発して去っていく。貞宗としては表立って諏訪氏に戦を仕掛けることは出来ないが、挑発された頼重かその配下の郎党が暴発してくれれば、それを口実に謀反と認定して討伐出来ると考えているのです。

そうした貞宗の暴挙に諏訪氏の家人たちは憤慨し、弧次郎や亜也子らも腹を立てますが、時行は貞宗を「武士として恥ずべき男」と断じつつも「弓だけは本当に美しかった」と褒める。憎むべき裏切り者であり下劣な人間であると分かっていても、それでも時行は遠距離で巫女の弓を大事にならない程度に軽く裂いてみせた貞宗の弓術の腕前の素晴らしさは素直に認めたのです。頼重はそのような時行の「憎き相手でも褒めるべきところは褒める」という寛容さと度量は大将となる時に必ず役に立つ資質だとほくそ笑みます。

そして、敵である貞宗の弓術の素晴らしさを素直に認めることが出来る時行ならば必ず貞宗の弓術から学ぼうとすることが出来るだろうと思い、頼重は時行に次の鬼ごっこは「かくれ鬼」だと告げる。それは小笠原貞宗のあの驚異の観察眼と弓の腕を前にして自分の正体がバレないように立ち回りつつ貞宗の弓の技術を盗み取るというミッションだった。貞宗の目的は北条の残党を見つけ出すことと、それにかこつけて諏訪氏の勢力を弱めることなので、今後も繰り返し諏訪領に現れて挑発したり何かを仕掛けたりしてくるはず。だからそのたびに時行はあの貞宗の弓の技術を近くで見ることが出来る。自分の正体がバレないようにしながら出来るだけ貞宗に接近して弓の技術を学び取っていく。非常に危険極まりないスリリングなこの「隠れ鬼」、ギリギリの危険を楽しんでしまう時行がワクワクしないはずがない。そう読んでの頼重の提案に案の定、時行はワクワクしてしまう。

そうして諏訪大社の神事として犬追物が催される日がやってきた。今回行われた犬追物は、柵で囲まれた空間の中で犬を多数放して騎馬武者がその犬たちを矢で射て得点を競う形式だった。犬が怪我したり死んだりしないように特殊な鏑矢を使っており、また騎射姿勢や犬の身体に矢の当たった場所などによって得点も細かく設定されている。この神事にいきなり小笠原貞宗が強引に飛び入り参加してきて、見事な腕前で高得点を稼ぎ一番の成績を収めます。そうして諏訪大社の犬追物は大したことがないとバカにして挑発し、諏訪氏の郎党がムキになってまだまだ強者が居ると言い返すと、貞宗は「ならばその強者と勝負して賭けをしよう」と言い出す。そして、もし自分が勝てば、自分たちが諏訪領内で北条の残党を捜索することを許可するようにと言う。

貞宗は最初からこの賭けをふっかけるために飛び入り参加して挑発したのです。こんな無法なことを言っても天皇に任命された守護である自分を無碍に扱うことは出来ないと貞宗は読んでいる。そしてここまで言われてしまっては頼重はメンツのためにもこの賭けに乗らざるを得ない。そうなれば表立って諏訪氏に戦を仕掛けることは出来ない自分が勝負に勝って北条の残党を見つけ出して諏訪氏が逆賊であることを暴いて没落させて信濃を完全に自分のものとすることが出来る。そんなふうに貞宗は計算しているのです。

だが頼重は「我々が勝てばもう二度と守護の権威を嵩に着て諏訪の領地を荒らさないと約束するように」という条件でこの貞宗の提案した賭けに乗った。そして、なんと貞宗の勝負の相手として時行を出すのだという。もちろん北条の遺児であることは秘密で、諏訪大社の「長寿丸」という名の稚児だと言って紹介し、諏訪で一番のヘタレだと言い、貞宗を挑発する。更に頼重は今回だけの特別ルールとして、2人同時に5本の矢で犬追物をしながら互いの身体を射ても良いということにして、相手の身体に命中させた場合は5得点ということにした。

もちろん頼重がわざわざ追われる立場の時行を追手である貞宗の目の前に引っ張り出して勝負させるというリスクを冒す理由は、それによって得られるメリットが大きいからであった。つまり弓の達人と直接真剣勝負することで学ぶものも多いのであり、きっとこの勝負で時行の弓術が飛躍的に上達するはずだと思っている。そして頼重は時行にそのことを説明し、「北条の大将として危険を避けるか、それとも成長するか」どちらを選ぶかを迫る。そうなると時行は足利尊氏を討つという目的を定めた以上は「成長する」という道を選ぶしかなく、この勝負を受けます。

ただ、頼重もただ単に時行の成長にきっかけになれば良いと考えているわけではなく、この賭けに勝つために時行を貞宗の相手に選んでいる。普通に犬追物をやれば諏訪のどんな弓の名手を繰り出しても決して貞宗に勝つことは出来ない。だが、頼重の提案した特別ルールにおいて時行が戦う場合に限ってならば、十分に時行が貞宗に勝利する可能性があるのです。

まず、時行を「諏訪で一番のヘタレ」と紹介した上で「互いに相手を射てもいい」という勝負を持ち掛けることで、貞宗に屈辱感を与えて頭に血を昇らせる。貞宗も弓の達人ですから時行を一目見て弓術の腕前が大したことが無いことは見破るので、ますますバカにされたと思って腹を立てる。この時点で頼重の作戦はほぼ成功しているのですが、念のために時行に1射目は貞宗を狙って射させる。これは命中しなくてもいい。貞宗を怒らせることが目的なのです。貞宗はこうなれば意地でも時行を狙ってくるので犬を射ることはせず時行に向かって矢を射てくる。しかし、犬ならば貞宗の矢を躱すことは出来ないが、抜群の回避能力を持つ時行ならば貞宗の矢を躱すことが出来る。ちなみにこの時代の矢は現代の矢に比べて速度が遅いので反射神経の優れた人ならば躱すことは十分に可能なのです。

だが貞宗はまさか時行のような子供がそんな優れた回避能力を持っているとはすぐには気付かないので、ムキになって何発も時行めがけて射てきて、気がつけば手持ちの5本の矢のうち4本を使ってしまう。また貞宗が美しい射で確実に命中させることにこだわりがあって連射を嫌うことを知っていた頼重は、1射目と2射目の間にタイムラグがあることを読んでおり、その間に時行に2射目で確実に犬を射るよう指示していた。但しこれは頼重が接待用に調教していた犬であり、わざと時行に矢を命中させるように並走してくれていた犬であった。この接待犬に時行は2射目は外して3射目で命中させる。その後は時行は貞宗の矢を回避することに専念し、貞宗の残りの矢が1本になった時点で、貞宗はまだ無得点で、一方で時行は1得点で残りの矢は2本となる。

こうなると貞宗はそろそろ時行の回避能力の高さに気付いて、もしこのまま時行を狙って残り1本の矢を外せば自分は無得点のままで負けてしまうということに気付き、安全策をとって犬を狙いにいくはず。だが諏訪大社の犬は全て頼重が仕込んだ逃げ上手であり、本気で逃げに徹すれば貞宗でもすぐに命中させることは出来ず多少は手間取るはず。その間に犬を狙って四苦八苦する貞宗を時行が残り2本の矢を射て命中させれば時行の完全勝利となる。それが頼重の作戦でした。

だが貞宗はその作戦を読み切って、あえて犬を狙わずに残り1本の矢で時行を狙う。もちろん時行の回避能力の高さは既に承知しているので無理に遠距離で狙うのではなく、馬術の腕前の違いを見せつけて、時行がどう身体を捩じっても矢を射ることが出来ない死角に回り込んで接近していく。単身での弓術と違って、馬に乗っての騎射の場合はどうしても下半身が固定されるので弓を構えることが出来ない死角というものが右後方に出来るのです。時行もその死角を無くそうと必死で馬を回すのですが馬術も優れた貞宗は巧妙に死角へと回り込みつつ時行に接近し、時行が馬の操作に気をとられて回避が疎かになる瞬間を狙って外しようのない距離で死角から射て時行に命中させ、5得点を獲得する。

但しこれで貞宗は手持ちの矢が無くなりもうこれ以上は得点は稼ぐことが出来なくなり、一方で時行はまだ矢が2本残っているので、犬を射ても逆転は無理だが貞宗に命中させることが出来れば逆転は可能です。しかし貞宗は制限時間内はもう決して時行の死角から出ることはないと言い、時行が犬を射ようとしても馬をぶつけて邪魔をするとも言う。そうして時行がもう得点を稼ぐことを出来なくして勝利するつもりです。それどころか時行は頭に貞宗の矢を受けて出血し、すっかりショックを受けた様子で、一見すると戦意喪失したようにも見えた。

これでもう勝負は決してと貞宗も思ったのだが、時行はむしろこの絶体絶命の状況を楽しいと感じて、この恐るべき追跡者からもっと逃げたいと思い、貞宗から逃げるように馬を走らせる。勝つためには自分に向かって射てくるしかないはずだと思っていた貞宗は時行の予想外の「逃げ」にどういう意味があるのか困惑しつつ、ただ時行が恐れて逃げているだけだと思い勝利を確信します。しかし、これこそが頼重が目指していた「逃げながら勝つ」という時行の覚醒なのであろうという予感を抱きながら次回のこの騎射戦の決着を期待して待ちたいと思います。

 

 

ATRI My Dear Moments

第3話を観ました。

今回はアトリが初めて学校に行く話でしたが、予想以上に良いエピソードでした。この作品は最終的にはかなり名作になりそうな予感がプンプンするんですが、アトリのキャラを考えると序盤はドタバタ展開がメインになって、クール折り返しぐらいから感動展開で盛り上げてくるんだろうなと予想していて、今回とか次回あたりは割としょうもないギャグ回も覚悟していたんですよね。それが意外にもかなりイイ話で、おそらく後半に盛り上がってくるという予想自体は当たっているのだとは思いますが、前半からこれぐらいちゃんとしているのなら、予想していた以上の作品になりそうです。ただ今回はそんな大きな結果が出るような内容ではなかったので最高評価できるようなエピソードではありませんが、それでもキャラ造形が思った以上に深みがあって、そこはかなり好印象でした。今回なんかは子供たちの出番も多く、絵柄的にもうちょっと軽めのキャラ設定だと思っていたので、それは誤解でした。もっとドタバタ展開になると思っていたのですが、子供たちとアトリの関係性も良いですね。そして、やっぱり主人公の夏生のキャラが予想以上に良いです。当初はもっとウジウジしてヘイトの溜まるキャラかと思っていたんですが、今回は夏生の描写はとても良かったです。ギャグシーンも含めて、アトリとのコンビネーションも非常に良かった。終末的な世界観と、その中で懸命に生きていこうとする少年少女の描き方も良かった。今後の展開がとても楽しみになるエピソードでした。

まず今回はアトリが夏生と共に学校に向かいますが、途中で夏生は一応授業もあるのだろうからと言って、アトリに書き取り用の手帖を買ってあげます。すると、アトリは「これでログをつけられる」と言って喜ぶ。「ログ」というのはその日の出来事を書き記していくことみたいで、要するに日記をつけるようなものですが、アトリは元のマスターである夏生の祖母からそういう作業をするよう言いつけられていたようです。ヒューマノイドですから記憶はメモリーに保存されるはずなのですが、夏生の祖母はより人間らしい記憶蓄積活動をするよう求めたとかナントカで、目的は不明ですが、実際にアトリのメモリーは一部が失われているので、そういう仕様を見越した上での「ログ」をつける習慣づけであったのかもしれない。

その後、学校に着くと、学校の建物は1階部分は水没していて、校舎まで行くには水の上を渡っていくしかないように見える。ただ通学している生徒がいるのだから何か渡る方法があるはずだと考えていると、そこに子供3人が現れて、夏生のことを「本土からやってきた悪いヒットマン」だと決めつけて追い払おうとする。それで夏生がそのノリに合わせてヒットマンのフリをしたら子供たちはビビって退却していき、夏生はそれをアトリに追いかけさせて、子供たちが校舎まで行くゴムボートで逃げていくのを発見する。それで夏生とアトリもゴムボートで校舎に行きますが、2階に上がると何も無く、子供たちは3階に逃げていくのが見えた。どうやら授業は3階の教室で行われているようだと思って3階に上がると、教室にはさっきの子供たち3人がいて、水菜萌が教師役として小学生3人に勉強を教えていた。

どうやら教師はみんな本土に避難して居なくなっており、生徒もほとんど本土に行ってしまい残っているのはこの3人だけみたいです。それで水菜萌がこの3人に国語や算数など基礎的な勉強を教えてあげているようなのだが、学校にも電気は通っていないので授業を出来る時間も限られているのだという。夏生はそんな学校としてマトモに機能していない状態は良くないと言い、本土には災害援助プログラムもあるのだという話も聞くので、それによる支援を受けて子供たちは本土に行かせるべきだと水菜萌に言います。

しかし、そこに竜司という夏生や水菜萌の旧友が現れて、夏生に「何も知らないクセに口を挟むんじゃねぇよ」と言う。竜司は夏生のことを「ここを捨てて本土のアカデミーに行ったエリート」と非難しますが、夏生はここを捨てたわけではないと言い返し、自分は「誰かの役に立つためにアカデミーに行った」のだと言う。だが竜司は「夏生は現に役に立っていないではないか」と痛いところを突く。夏生は実際にはアカデミーに居ても仕方なくなり島に戻ってきてからは失意で船の中に閉じこもっていた。だから水菜萌や竜司が子供たちのために学校をやっている間も夏生は何の役にも立っていなかった。しかもずっと閉じこもっていたから世の中の実態も知らない。本土の災害援助プログラムだって綺麗事ばかりで何の役にも立たないのに、実地を知らないからそんなことも知らずに夏生はお題目ばかり唱えて水菜萌のような現実に汗水垂らしている人間の行動を否定したりする。そうした夏生の態度を竜司は非難して去っていった。

ただアトリは子供たちとは仲良くなり、夕方まで学校で水菜萌の授業を子供たちと一緒に受けた後、夏生や水菜萌と共に帰路につきました。そしてアトリは水菜萌に学校のことを「思ったより楽しい場所」だったと感想を言う。その言い回しに水菜萌が違和感を覚えると、アトリは「とても悲しい所のような気がしていたので」と言う。これはもしかしたらアトリの失われた記憶の中では「学校」と呼ばれる場所は悲しい想い出のある場所なのかもしれません。

一方、夏生は竜司に言われたことが心に刺さっていて元気が無くなっていました。確かに自分は「誰かの役に立ちたい」なんて口先ばかりで実際には1人で拗ねて閉じこもって何の役にも立っておらず、そのクセ現実も知らないのに偉そうなお題目を唱えて、竜司や水菜萌のような現実に向き合って生きている人間が自分のような人間を嫌うのは当然だと夏生は反省した。だが、水菜萌は別に夏生のことを嫌ってなどいないし、竜司だって夏生が嫌いであんなことを言ったわけではないのだと水菜萌は言う。竜司が本当に腹を立てているのは本土の人間や恵まれた立場で自分たちに何もしてくれない連中に対してなのであり、夏生の姿がそうした人間たちに重なって見えたのでついキツいことを言ってしまったのだろうと水菜萌は言います。

さっき学校にいた凛々花たち3人の子供たちは両親を亡くしていて一緒に本土に避難してくれる大人も居なかったので、竜司が3人を連れて「災害援助プログラム」とやらを頼りにして本土に避難したらしいのですが、実際は本土でも物資不足は深刻で、竜司たちのような何の後ろ盾も財産も無いような弱い立場の避難民はとても酷い扱いをされてしまったようです。凛々花たちもさっきは元気いっぱいだったが、本土の学校ではよそ者扱いされてだいぶ嫌な想いをさせられてしまったようです。それで竜司は凛々花たちを連れて島に戻ってきて、水菜萌が学校をやるのに協力して、凛々花たちに勉強を教えているのです。凛々花たちが本土の人間を敵視しているのも、自分たち自身が受けた嫌な想いや、竜司の本土の人間への敵意の影響を受けたものなのでしょう。

そういうところに夏生が着て災害援助プログラムに頼ればいいなんて周回遅れみたいなトンチンカンなことを言うので竜司もついカッとなって悪態をついてしまったのだが、夏生が閉じこもって役に立っていなかったことを非難しているところを見ると、本音では夏生にも何か役に立ってほしいという期待はあるといえる。水菜萌も夏生には期待しており、学校の来て子供たちに何か教えてやってほしいと頼む。それで夏生は「考えておく」と応えて、拒否はしなかった。

アトリは夏生が学校に行って元気が無くなったことを心配して、夕食を作って夏生を元気づけようとするが大失敗して船内をムチャクチャにしてしまい、実は自分は元は戦闘用ロボであったのだとか適当な嘘を言って誤魔化そうとしますが、ただ、確かに家事用のロボットのシリーズであるはずのアトリがこんなに家事が出来ないというのも不自然な話であり、アトリ自身が過去の記憶が無いのでそもそもアトリが夏生の祖母のもとで何をしていたのかは謎のままです。

その後、夜になってアトリが今日の分の「ログ」をつけようとして学校に手帖を忘れてきてしまったことに気付き、夏生とアトリは夜の学校に手帖を回収しに行く羽目になります。そうしてゴムボートで校舎に渡ると、海水は2階まで上がってきていて、夜には潮が満ちて2階まで海水に浸かるので2階には何も置いていなかったのだということに夏生は気付く。そうして3階の教室で手帖は回収出来ましたが、校舎内に奇妙な灯りがあったので不審に思い探索すると、屋上に凛々花が居て風車を回して電源として灯りを点ける豆電球で本を読んでいた。その本は図書室にあった電気に関する小学生用の図鑑であり、凛々花たち3人の子供は家族もおらず家も水没してしまったため学校内に住み着いていて、凛々花はこの島に電気を引っ張ってくる方法は無いだろうかと思って電気の図鑑を読んでいるのだそうです。だが、風が止むと豆電球の明かりも消えてしまい、夜は満足に本を読むことも出来ない状況なのです。

そうした凛々花たちの状況に心を痛めた夏生は、船に戻ってマストについたプロペラを使えば風車よりももう少しマシな電源にならないかと考えたりするが、そうしてマストに昇っていると沖合に沈んで海面から顔を覗かせている風力発電機が目に入り、風で得た電力を蓄電池に貯めて、風が吹かない時も電源として使えるように出来ないかと思い、アトリに手伝わせてマストのプロペラで発電する実験をしてみる。だが十分な電力が安定的に得られそうもないので行き詰ったところ、さっき夜に学校に行った際に2階まで海水で浸水していることを想定していなかったのでびしょ濡れになってしまった靴を乾かしているのが目にとまり、夏生は風力よりも安定的に大きな電力を得られる潮力発電を思いつく。つまり校舎を改造して潮の干満を利用して電力を得てその電力を貯めておけるようにすれば、少なくとも学校内では電気が使えるようになるのではないかということです。

翌日、学校に行った夏生は風車で発生させた電力を蓄電池に貯めてみせる実験を披露した後、潮力を使ってもっと大きな電力を貯められるのだという計画を提案する。しかし、そんな大規模な装置を作る資材がこの島にはもう無いのだと竜司は反論する。だが夏生は「目の前に好きなだけ取り出せる材料庫がある」と言って海を見つめる。どうやら海に沈んだ街そのものを資材として利用するために潜水艇で海中探索をするつもりみたいです。そういうところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

負けヒロインが多すぎる!

第3話を観ました。

今回は文芸部が夏合宿をして海に行くという話でした。今回のメインヒロインは文芸部の1年女子の小鞠知花です。知花は極度の人見知りで喋るのが苦手ですが、文芸部の部長の玉木慎太郎に片想いしている。しかし玉木は文芸部の副部長の3年女子の月之木古都とは幼馴染で仲が良いので、やっぱり知花は負けヒロインくさい。合宿には一応は部員の檸檬とか、何故か杏菜も参加して、ヒロイン達の水着回となります。そして夜になって皆で花火をやりますが、そこで知花が玉木に思い切って告白してしまったというところで次回に続きます。

まぁ話の内容はあんまり無いのでこんな感じの簡素なレビューになりますけど、別にこの作品を嫌いというわけではない。むしろ、前回までは何が面白いのかサッパリ分からなかったが、世間で絶賛されてるから私も出来ればこの作品を楽しみたいと思っていた。それが今回は何だかちょっと楽しめそうな気がしてきたので嬉しい。実際、相変わらず評価は高くはないんですけど、この作品はそういう評価とか考えるような作品じゃなくて、頭空っぽにして純粋に楽しめばいいのだろうと思います。ようやく楽しみ方のコツが掴めてきたように思える。普通はこういう頭を使わずに楽しめる作品の方が好きな人が多くて、こういう作品の方が楽しみ方がすぐ分かるものなんでしょうけど、普段から考えてアニメを見るクセがついてる私みたいな人間にはむしろこういう作品を楽しむ方が不慣れで、ちょっと最初は上手く嚙み合わなかったんだろうと思います。

まぁ面白さが突き抜けていればそんなの関係無いんですけど、正直この作品はギャグセンスは微妙なので。なんか微妙に面白いレベルのギャグに作画の良さとか演出のセンスの良さとかキャラの魅力とか、バズり要素とかニコ動みたいにツッコミ入れながら見るノリとか、そういうのを総合して「面白い」と思える人にはこういう作品は面白いんでしょうけど、私はそこまで甘口採点が出来ないんですよね。でも今回は水着回だったからマシだと思えたのかもしれない。そう考えると結局は私も純粋にギャグの面白さだけで評価はしてないんだろうとも思える。でも、やっぱり今回は知花のキャラが面白かったし、どうせフラれるんだろうけどちゃんと告白したところは評価できる。

大して面白いわけでもないし、大して評価すべき点がある作品でもないんだけど、嫌いなところも無いのがやっぱり良いですよね。ちょっとオタク臭さはキツいし主人公の温水の好感度は低めですけど、作画や演出で楽しませてくれるぶん帳消しになってるし、これと同じぐらいスカスカだった「リコリス・リコイル」みたいに変にシリアス要素を混ぜるような不愉快さも無いし、爽やかで良い作品だと思います。今期の期待外れイマイチ作品の中では、少なくとも変なクセのある「小市民シリーズ」や「異世界スーサイド・スクワッド」よりはマシに思えます。とりあえずは軽く見て心地よさがあればこの作品の場合は十分として、見栄えも良いからそれだけでも視聴継続は出来るとは思います。あとレビューが簡単で済むので嬉しい。

 

 

ばいばい、アース

第3話を観ました。

今回はベルが剣士になるための試練としてキール・ロワールと戦い勝利しますが、呪いのせいで人を斬れないので剣を破壊して勝利として人々からは異端視されることになります。だがこれでベルは剣士となり、3つの使命を果たせばノマドの資格を与えられるようです。一方でベルの師匠のラブラックはデウスエクスマキナ関連で何か秘密を探っているようで、ベルがそれを暴くことを期待しているようです。ベルは悪徳商人みたいな奴らと戦ったり養父母と再会したりします。また、ベルが助けたウサギは人間の少年の姿となり何か暗躍しているようであり、少年の姿でベルと接触してキティ・ザ・オールと名乗り、ノマドの集まる店に連れていってくれる。こんな感じで今回は終わり次回に続きますが、世界観が難しくてよく分からないところが多いです。

 

 

魔導具師ダリヤはうつむかない

第4話を観ました。

今回はダリヤが森でヴォルフという騎士に出会った話から始まります。魔物討伐で負傷していたヴォルフをポーションで治療して馬車に乗せてあげ、魔導具の話題で盛り上がったりしますけど、ダリヤは男装して声も男の声に変えて「ダリ」と名乗っていたのでヴォルフはダリヤの正体には気付きませんでした。そうしてそのままヴォルフとは別れますけど、その後、ダリヤの作った魔導具の名義を勝手にトビアスが自分の名義に変えていたことが分かり、色々と言い訳して名義変更したまま押し通そうとするトビアスに失望したダリヤは名義を放棄するようにとトビアスに強く迫り、その結果、名義は取り戻したが今後オルランド商会との取引が出来なくなってしまう。そこでダリヤはギルドの皆に勧められて新たに自分の商会を立ち上げることになった。そういう中、ヴォルフがダリにお礼をするために探し出そうとしてギルドへの紹介状を貰うというところで今回は終わり次回に続きます。