2024夏アニメ 7月14日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年夏アニメのうち、7月13日深夜に録画して7月14日に視聴した作品は以下の8タイトルでした。

 

 

モブから始まる探索英雄譚

第2話を観ました。

今回は海斗がシルフィと一緒に第2層の探索をする話となります。第2層のモンスターはゴブリンであり、自分が強くなるためにシルフィに頼ってばかりではいけないと思い、海斗は1人でゴブリンと戦ってみて何とかゴブリンを倒すことが出来た。それでちょっとレベルアップして、更にシルフィと一緒にゴブリンを倒していき、順調にレベルを上げていく。そうして第3層に行きたくなるが第3層は敵が更に強力になるので現状のままではシルフィに頼りきりになってしまう。それで海斗は自分を鍛えるために1人で戦おうとするが、まだ1人では第2層でも大変なので、シルフィに食べさせるための魔石を確保するためにももう一度第1層に戻ってスライムを1人で狩っていきレベルアップを図る。そうしていると銀色のスライムを倒して新たなサーバントカードを手に入れて、そのサーバントカードから悪魔を召喚することになった。そうしたら出てきたのは悪魔っ子のロリキャラだったというところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

天穂のサクナヒメ

第2話を観ました。

今回はサクナ達が鬼島と呼ばれるヒノエ島に到着して、いよいよ島での生活が始まる様子が描かれました。遂に物語が動き出した感じで、ワクワクします。さっそく島の鬼と遭遇してバトルアクションの場面もありましたが、稲作の描写も始まり、この作品は原作のゲームでも稲作の描写に定評があるのだそうですが、確かにこれだけでも十分に見応えがありました。

まず冒頭は、乗って来た大きな船から手漕ぎの小舟に乗り換えてヒノエ島に向かっていたサクナ達が嵐に見舞われて大変な想いをしてようやくヒノエ島に着く場面から始まり、とりあえずサクナの両親が住んでいた家に向かおうということになる。それでサクナは田右衛門たちを露払い役として前に行かせようとしますが、戦力になりそうに見えた巨漢の侍の田右衛門は実は武芸はからっきしで役に立たないということが分かります。

サクナは神である自分は何もせずに怠けていて人間を使役すれば良いと考えていて、小舟も漕ぐのは田右衛門たちに任せて文句を言ってるばかりだったので、きんたはそんなサクナを役立たずだと罵っていた。だが鬼が跋扈している島の中を進むに際して田右衛門やそれ以外の女子供では役に立たないので、結局はサクナが矢面に立って戦う羽目となってしまう。人間が自分を守るために戦うのが当然と思っていたサクナは逆に自分が人間たちを守るために戦う羽目になったことに納得がいかず、ブツブツ文句を言い、途中で地下に通じる洞穴から強力な邪気が伝わってくると怖くなり、帰りたいとか言い出す。

しかしそこで鬼に遭遇して戦闘となります。鬼といってもここで登場したのは兎の姿をした魔物という感じであり、この作品における「鬼」の定義というのは、いわゆる角が生えた怪物というのではなく、色んな動物型の魔物みたいですね。ここで登場した兎型の鬼は比較的ザコの部類のようですが、4人組で連携して作戦を立てて攻撃してきた。だがサクナはこの兎の鬼たちに立ち向かい、結局は皆を守って戦う。ここでのアクション作画は結構ちゃんと動いていて気合が入ってましたね。

サクナは兎の鬼たちを一蹴して倒し、神の凄さを人間たちに見せつけることが出来たと鼻高々となるが、きんた達はまだサクナのことを認めてはいない様子。サクナは悔しがるが、タマ爺はサクナに神として寛大な心で人に接するよう諫めます。すると、そこに更に襲ってくる者がいて、鬼かと思ったら鬼ではないという。だが、その襲撃者はサクナ達をカムヒツキの手下だと思って攻撃してきた模様で、そのこと自体は間違ってはおらず、この島でカムヒツキの手下を敵視する者は鬼だけではない模様。

ここで島を謎の地震が襲ってきたので、この襲撃者は姿をくらますが、サクナとタマ爺はこの襲撃者を追跡する。どうやらこの襲撃者は「惑いの術」というもので敵が自分の指定した領域に入ってこれないようにしていたようなので、自分に追いついたサクナ達に驚くが、そこに何があるのかもともと知っている者にはその術は通じないのであり、タマ爺がもとの地形を知っていたので追いつくことが出来たのです。どうやらタマ爺とこの襲撃者は旧知の仲であり、このカワウソのような姿の武人の襲撃者はこの島の原住民であり、名はアシグモといい、かつてこの島でサクナの両親であるタケリビとトヨハナと協力して「オオミヅチ」という悪の竜神を倒した仲間なのだという。

それでアシグモはサクナがタケリビの子であると知ると敵意は無くなり、サクナの両親の住んでいた家に連れていってくれた。そこはアシグモが「惑いの術」で鬼たちが入ってくることが出来ない領域の中にあり、サクナの両親が居なくなった後もアシグモが手入れしていたので建物は無事に残っていた。それにしても、アシグモはサクナの両親には敵意を示さない一方でカムヒツキの手下と見ると敵意を示していたわけであるから、サクナの両親はカムヒツキとは距離を置いていたのかもしれない。あるいは基本的にこの島の原住民はカムヒツキたち「頂の世」の都の者たちとは敵対的だが、サクナの両親だけには恩義を感じているということなのかもしれない。

アシグモは最近は鬼たちの動向がおかしいので警戒していると言い残して去っていき、サクナは両親の過ごしたという家に対して深い感慨を抱くが、とりあえずその家で田右衛門一行とのドタバタした生活が始まる。とりあえず家の中には食料などは無く、家に隣接した小屋は野良仕事のための道具を保管する小屋であるらしく、家の前にある一見すると荒れ地のような場所はおそらく元は田んぼだったようです。ただ、とても水田としてすぐに使える状況ではなく、使えるようにしたところで収穫はだいぶ先となる。備蓄米なども無く、そうなると当面の食料は周囲の木々から木の実を採取したり、動物を狩って食うしかない。しかしこの島の動物というと、つまり鬼なのであり危険な相手です。だから狩りに行けるのはサクナだけということになる。

サクナは神である自分が人間のために食料調達をするということに抵抗感を示しますが、タマ爺はそれも神の務めなのだと諭す。さすがにサクナだけに食料調達をさせることに気が引けたのか、ゆいはせめて田んぼで何か耕作したいと言い、田右衛門が稲の籾を持っているというので、それならば田んぼで米を作ろうということになる。田右衛門は侍から山賊に身を落としながらも野良仕事に興味があり、ずっと稲の籾を持ち歩いていたのだという。

そういうわけで、当面の食料はサクナが狩りをして調達しつつ、田右衛門たちは家の前の田んぼで米を育てていき、生活が安定したら本来の任務である「鬼の発生原因の調査」を行うということで役割分担が明確になり、さしあたり木の実などを採取して夕食を摂ることにした。だが、まだ実りの少ない季節であったのであまり多くの木の実は採れず質素な夕食となり、サクナはガッカリするがきんた達はこれでもマシな方だと言う。

それでサクナは麓の世での人間たちの暮らしはどうなっているのかと問う。それに対して田右衛門は戦乱と飢饉で酷いことになっていると言い、田右衛門の属していた山賊集団ももともとは貧しい者や女子供には手を出さないという決まりであったが、追い詰められてその決まりに反するようになったぐらいだと言う。きんたやゆいやミルテはそうして山賊に囚われていて売り飛ばされそうになっていて、部下の石丸のそうした行状に反対した山賊の頭領は石丸に殺されて、それで田右衛門は頭領の息子のかいまるときんた達を連れて脱走して、石丸に追われて天の浮橋に迷い込み頂の世にやってきたらしい。そこに追ってきた石丸をサクナが酔っぱらって蹴り飛ばして麓の世に送り返して、結果的に田右衛門たちは命拾いしたのだが、こうしてサクナと共にヒノエ島に送られる羽目になったといえる。

サクナはそうした田右衛門たちの境遇を聞き、哀れに思い、自分は神なのでたらふく食えるだけの食料を調達してみせると言い、だから自分に従うようにと照れ隠しに尊大に振る舞い、1人で先に寝る。そうしたサクナの態度を見て、神として人間を守ろうとする意識が芽生えたことをタマ爺は喜び「ご立派でございます」と褒め、サクナは人間に接するとこのような感情が湧いてきて結局は自分の用事が増えて面倒なことだと閉口するが、悪い気分ではなかった。

翌朝、田右衛門は朝早くから張り切って田んぼを耕し始め、サクナは狩りに出かけていった。そして順調に鬼たちを倒して肉を調達し、山菜なども採取して夕方になって帰宅したが、すると田右衛門が稲の籾を水に流してしまい一掴み分を除いて無くしてしまったとのことで皆が騒いでいた。実は田右衛門は野良仕事は下手の横好きというやつで、ロクに出来たことがないのだという。それできんたは田右衛門を責め、田右衛門も申し訳ないので腹を切るとか言う始末であったが、サクナは神として人間に寛容であらねばいけないと思い、田右衛門を責めず、自分の獲ってきた肉を差し出して、これをタップリ食えば嫌な気分も収まるだろうと言い、ミルテに肉の料理を作らせる。だがミルテは肉を丸焦げにしてしまい料理は台無しになってしまい、きんた達はまた不満を言う。だがサクナはやはりミルテを責めず、炊事場はミルテに任せると言い、精進するようにと言う。

そうしたサクナの立派な振る舞いをタマ爺は喜ぶが、前途多難な状況であるのは現実的な問題であり、このまま田右衛門に米作りを任せていてはマズいのは明白だとタマ爺は言う。それはつまり、自分が狩りだけではなく米作りまでやらねばいけないということなのかとサクナは焦ります。人間から米を奉納してもらうべき立場である豊穣神である自分が自ら米を作るとはどういうことかとサクナは嫌がるが、タマ爺は我が国の豊穣神とは本来そういうものだと諭す。

だがサクナはこれまでずっと怠けていたので稲作のことを何も知らない。だから無理だと言うのだが、タマ爺は野良仕事用の小屋の中にサクナの母のトヨハナが遺した農書を見つけたと言う。それを読めばこの地での稲作のやり方が分かるはずだと言われて、サクナは農書を開いて見てみると、そこには母の書いた文字がびっしりと並んでおり、意地を張ってあくまでやらないと言い張って寝所に去っていったサクナはずっとその農書を大事そうに読み進めていった。初めて母の言葉に触れたように思えて嬉しかったサクナは、翌朝、母の教えに従って田んぼを耕し始める。

そのサクナの姿を見て驚く田右衛門に向かってタマ爺は「これが豊穣神トヨハナ様のご息女じゃ」と誇らしげに言う。ここでサクナがやっている作業は「田起こし」という行程であり、収穫を増やすための必須の行程です。冬の間に固まった土壌を掘り起こして地力を向上させる作業です。土中深くの湿った土を掘り起こして空気に触れさせて乾燥させることによって、土中のチッソ成分が稲に吸収されやすくなるのです。そうして稲の成長を促すことに繋がるのだが、この「田起こし」の作業は湿った土を乾燥させる作業ですから、掘り起こした土の水分が水蒸気となって放出され、田んぼから湯気が立つ。

サクナが耕した土からも湯気が立ち、そんなことまでは母の農書にも書かれていなかったのでサクナは驚くが、それを見てタマ爺は嬉しそうに「田が目を覚ましたのです」と教える。つまり、これが「田を起こす」ということであり、冬の間ずっと眠っていた田んぼを再び稲作が出来るように目を覚まさせてやる作業が「田起こし」というわけなのです。ましてや、この田んぼはサクナの両親が姿を消して以降ずっと眠っていた田んぼであるので、溜め込んでいた水分は多く、ゆえに田起こしによって放出される水蒸気も多く、盛大に湯気を立てている。居なくなった父と母の娘であるサクナがそのようにこの地にやってきて田んぼを起こしたことによって、この地で再び米作りが始まるのだとタマ爺は満足そうに言う。その言葉を聞き、目を輝かせてサクナが見つめる田んぼから立ち上る湯気は、まるで田んぼがサクナによる米作りの再開を歓喜しているかのように見えた。そういうところで今回は終わり、次回はいよいよ米作りが本格的に始まりそうですね。

 

 

逃げ上手の若君

第2話を観ました。

今回はまず主人公の時行の兄である北条邦時の場面が描かれます。前回、鎌倉幕府の滅亡が描かれたわけですが、その前の鎌倉幕府がまだ安泰だった時期に時行と一緒に居る場面が多く描かれていた1歳年上の兄の邦時が幕府滅亡の際にどうなったのかについての具体的な描写は無かった。時行の父の高時をはじめとした一族郎党の800人が自害した場面は描かれていたので、その中に邦時も居たと解釈することも可能でしたが、8歳の子供である時行を「幼いので殺すには忍びない」という理由で自害はさせずに諏訪頼重に託した父親の高時ですから、同じく9歳という幼さの兄の邦時についても同じように生き延びさせようとしたという解釈の方が自然であり、実際に史実では邦時は高時たちと共に自害はしておらず、鎌倉幕府滅亡時に逃走したことになっています。それは時行の場合と同じく高時の命令によるものであり、邦時を逃がすようにと命じられたのは邦時の生母の兄である五大院宗繁という北条家の重臣だった。

五大院家はもともと北条家の有力な家臣ではあったが、宗繁が重臣として高時に厚遇されていたのは自分の妹が邦時を生んだからであり、宗繁が出世出来たのは邦時のおかげだったと言ってもいい。だから邦時への忠誠心も厚いだろうと思い高時も邦時を逃がす役目に宗繁を選んだのであったのだが、その宗繁は北条家の残党を差し出した者に褒賞が与えられると聞くと、あっさり邦時を裏切って鎌倉を滅ぼした新田軍に邦時を差し出してしまった。その場面が今回の冒頭でも描かれているのだが、ここでの邦時はまるで鬼畜のような顔に描かれている。

というか、今回のエピソード全般を通して宗繁はまるで醜悪な鬼のように描かれている。実際、この宗繁という人物の評判は日本史上において非常に低くて最低ランクの扱いと言ってもいい。そのことは今回のエピソード内でもまるでM-1グランプリの決勝の審査結果みたいな演出で描かれているのだが、後世の評価が低いだけでなく同時代的なリアルタイムの評価でも最低人間扱いをされた稀有な歴史上の人物といえます。

まぁやってることが主君への裏切りであり、しかも9歳の甥っ子を褒美目当てに殺すために裏切っており、鬼畜の所業と言って良い。しかし、普通は裏切り者といっても、裏切らせた側(今回は新田軍や足利軍)から見れば共犯なわけだから普通は庇いたくなるものです。ましてや今回はそもそも足利や新田が北条を裏切っているわけで、五大院は北条側なのだから、足利や新田が宗繁を「裏切り者」などと非難できる筋合いがそもそも無い。だから宗繁が罰されるはずはなく、褒美を貰えて出世も出来そうなものであり、宗繁も当然そうなると思って邦時を裏切ったのです。ところが宗繁は新田義貞に死刑にされそうになったので逃亡したと記録に記されている。そうして裏切りの結果、褒美も貰えず全てを失い、誰も救いの手を差し伸べることもなく乞食のようになって逃げ回った挙句、行方知れずとなり、最期は路傍で餓死したと噂されている。

新田義貞が自身も裏切り者のクセに共犯者である宗繁を死刑にするという有り得ない決定を下した背景には、宗繁の所業があまりにも非道であるとして人々の間で非難の声が大きくなり、鎌倉を占領して軍政を敷いている絶対権力者の新田義貞やその背後にいる足利高氏といえどもその非難の声を無視することが出来なくなってしまったからです。日本の歴史上の稀代の裏切り者である高氏や義貞でさえ「裏切り者」として糾弾せざるを得なくなってしまった味方である五大院宗繁とは、まさに日本史上最低最悪の鬼畜であったと言っていいでしょう。

そうした最低の中の最低の「鬼」、もはや人間じゃないレベルの「鬼」である五大院宗繁をこの作品では時行の「天下奪還のための鬼ごっこ」の旗揚げのための最初の標的として今回描いている。これはまさに「鬼ごっこ」の開始を告げるに相応しい相手といえます。実際の歴史でも最低最悪の「鬼畜」とされている宗繁が実際に時行に討たれたということはないと思います。だが「餓死した」という噂が伝わるのみであって、その最期がハッキリしていない宗繁という人物ゆえに、このような作品のテーマ「逃げ上手の若君=鬼ごっこ=鬼退治」という演出に上手く使うことが出来たのだと思います。

まぁそういうわけで冒頭は宗繁が邦時を新田軍に差し出す場面が描かれ、その後、場面は変わって前回のラストで諏訪頼重と共に白馬に乗って諏訪に向けて旅立っていったと思われた時行が未だに鎌倉某所に隠れている場面が描かれる。実は鎌倉の出口の新田軍やその他の裏切った御家人たちの軍勢による監視の目が厳しくて鎌倉から脱出することが出来ず、時行や頼重はとりあえず監視の目が緩むまでは鎌倉内で隠れるということになっているようです。

しかし時行は、そうして自分を探し出して殺そうとしている軍勢が全て少し前までは北条家に忠誠を誓っていた御家人のものばかりであることにショックを受けていた。足利高氏や新田義貞は以前から北条を滅ぼすために謀略を巡らせていたのであろう。しかし高氏も義貞もその他の御家人たちにその謀略を話していたとは思えない。だから他の御家人たちは北条よりも足利の方が強いと見て裏切ったのです。つまり弱いと見捨てられてしまうのです。ならば味方を増やすためには高氏のように「強さ」を示すしかないはずです。だが頼重は「鬼ごっこで逃げ続けて高氏を討ち天下を奪還しよう」と言った。そんなことが可能だとは時行には思えなかった。逃げてばかりいる者は「弱い」と見なされて、味方する者が増えるはずがないし、そんな者が天下を獲ることなど出来るはずがないのだと時行は思った。だが、そう指摘しても、頼重は「私の目には貴方様が英雄になる姿が見えている」と言い、大丈夫だと言い張る。

しかし時行はそんな頼重の言葉が信用出来ず、呑気に遊んでばかりいる頼重に呆れて、やはり敵討ちをするのなら自分の力で北条の味方となる者を探すしかないと思い、1人で焼け野原となった鎌倉の町に出る。すると、そこで時行は侍たちが邦時の処刑の話をしているのを耳にして、我が耳を疑った。それで思わずその侍たちに邦時のことを尋ねると、時行の正体までバレそうになってしまうが、そこは追って来た頼重の機転で何とか誤魔化すことが出来て、時行は邦時の処刑の話を聞くことが出来た。

それによると、伯父の五大院宗繁の裏切りで新田軍に捕まった邦時は斬首刑に処せられたのだという。ここで、前回の時行と邦時の2人が蹴鞠をする場面で、最後に屋根から落ちてきた鞠が地面に落ちる寸前に邦時の生首に変わったという演出に繋がる。あの生首の背景には白い幕が張られていたが、あれは処刑場の幕だったわけです。あの生首は斬首刑で刎ねられて地面にポトリと落ちた邦時の生首だったのですね。

そうした邦時の最期の話を聞いて、時行は絶望した。伯父までも裏切ったと聞き、この世の全てが自分を裏切ったと思えてきて、もはや誰も信じることは出来ないと思えた。誰も自分の味方をしてくれる者など居ないのであり、やはりこんな自分が天下を奪還など出来るはずがないと思えて、もう未来は真っ暗だと思えた。だが、そこで頼重が自分の神眼で宗繁の居場所が分かると言うのを聞くと、不思議に時行は冷静になり、その場所に行って宗繁の様子を見たいという気持ちが湧いてきた。自分などがそんな所に行っても仕方ないと思うのだが、頼重に手を引かれて自然に足が走り出してしまう。そんな時行に頼重は「鬼ごっこで勝つとはどういうことかお教えいたします」と言う。そして「兄上様の敵討ちをもって貴方様の天下への第一歩といたしましょう」とも言い、時行に笑顔を向ける。

そうして頼重に連れて行かれた先に確かに宗繁は居た。裏切りの罪を非難されて行き場が無くなり逃亡して全ての人間に見捨てられて乞食に身を落とした惨めな姿であった。だが宗繁はまだ諦めてはいなかった。自分が新田軍から追われる羽目になったのは、差し出したのが妾の子である邦時だったからだと考え、北条の嫡子である時行の首を差し出せば新田軍も自分を認めるだろうと考え、時行を探し出して捕まえようという算段を練っていたのです。まさに鬼畜といえます。

物陰からそんな宗繁の様子を見ていた時行は宗繁の妄執ともいうべき執念に呆れ果て、あのような手合いが自分を追ってくる限り、確かに自分が「鬼ごっこ」などしても天下など獲れないから無意味だなどと思ったところで関係なく、いずれにせよ自分は「鬼ごっこ」で逃げ続ける運命からは逃れられないのだと思えた。そして、そんな「鬼ごっこ」を終わらせる唯一の方法は、そうして追いかけてくる鬼を返り討ちにしてしまうことしかないのだということも理解した。「鬼ごっこ」の結果として天下が獲れるとか獲れないとか関係なく、「鬼ごっこ」は避けられないし、「鬼ごっこ」を終わらせるには「鬼」を倒すしかない。幸い「鬼」は放っておいてもこっちに近づいてきてくれるので待ち伏せて倒すのはあまり手間はかからない。

ただ問題は、時行は鎌倉幕府が滅ぶ時までずっと武芸の稽古からも逃げ回っていたので、イザ「鬼」を返り討ちにしようにもそれを可能とするだけの武力が無いということでした。そのことを頼重に言うと、頼重は時行の手足となって戦う者たちがいるので大丈夫だと言い、その者たちを紹介すると言い、隠れ家に戻ります。すると隠れ家には祢津弧次郎と望月亜也子という2人の少年少女が来ており、諏訪家に仕える家の子たちで武芸に秀でており、時行に忠誠を誓い手足となって戦ってくれるという。そして今回の五大院宗繁を討ち取る敵討ちでもこの2人の力を借りることが出来るという。

そうして時行の隠れている場所に、宗繁が探りあててやってくる。もちろん時行は頼重の先読みの力でここに今そうして宗繁がやってくることは分かっており、宗繁を返り討ちにするために待ち構えていた。時行も刀を隠し持っていたし、弧次郎と亜也子も武装して物陰に隠れていた。そこに宗繁がやってくるが、全てを失った宗繁はまるで狂った鬼のようで、あくまで時行を騙して新田軍に引き渡そうとして偽りの涙を流して共に逃げようなどと言って時行を連れて行こうとする。まさに醜悪そのもので、このあたりの描き方は凄まじさすら感じさせる。

そんな宗繁の演技に騙されたフリをしながら時行は宗繁を引き付けて、一気に不意打ちで討ち取ろうとするが、時行と弧次郎と亜也子の3人がかりの奇襲は宗繁の反射神経によって不発に終わってしまう。宗繁はさすがに邦時の逃亡時の護衛を託されただけあって、非常に強い武将だったのです。そうして戦いが始まるが、時行を守ろうとして宗繁に立ち向かっていく弧次郎と亜也子は宗繁の強さに押されまくってしまい劣勢の戦いとなってしまう。2人は時行と初対面時に「時行様は弱いから自分たちが守らなければいけない」と強い使命感を持ち、そのため、常に時行の無事を確認しながらの戦いとなり、強敵である宗繁との戦いで持てる力の全てを出し切ることが出来ず、それゆえ劣勢となってしまっているのです。

そうして宗繁は弧次郎と亜也子の防衛線を突破して時行に迫る。あと一歩で時行の首を獲れるというところまできた宗繁は、状況が目まぐるしく変わる乱世となった今、自分のような常に損得を見極めて動く者こそが乱世に適合できるのだと確信し、時行のような臆病者は時代に取り残されて死すべき運命なのだと決めつける。だが、ここで頼重は宗繁に追いすがってあくまで時行を守ろうとする弧次郎と亜也子に一旦退いて時行の戦いを見るようにと指示し、2人に「乱世に適応する力を持つのがどちらなのかを見るがよい」と言う。

そうして弧次郎と亜也子が釈然としないまま時行と宗繁の戦いを観たところ、なんと時行は宗繁の素早い斬撃を全て紙一重で見切ってかわしている。しかもそれが何とも嬉しそうなのです。ここの作画が凄いんですが、もはや「逃げ上手」という境地を超えた一種の特殊能力のような演出になっています。ここで頼重は時行が「逃げ上手」であるというのは臆病者だからなのではなく、生きるか死ぬかの紙一重のスリルを心の底から楽しんでいるその怪物性を指すのだと説明している。そして、そのような時行の怪物性こそが真に乱世に適応する異能なのだというのです。乱世において真に必要な資質とは、宗繁のように損得計算をして上手く立ち回る能力なのではなく、生きるか死ぬかのスリルを楽しみながら危険に突っ込んでいける時行のような怪物の資質の方なのです。それこそが時行の持つ「英雄」の資質といえます。時行が生死を賭けた「鬼ごっこ」を楽しめば楽しむほど、人々は時行の「乱世の英雄」としての資質を知ることになり、そんな時行に味方しようという者が増えていくのが「乱世の習い」といえる。頼重が「時行ならば鬼ごっこで天下を獲れる」と確信していたのはこういう理由だったのです。

そうした時行の「英雄」としての資質に気付いた弧次郎も亜也子も、時行に魅了され、時行という逃げ上手の英雄と一緒に戦うにはどうすればいいのか気付くことが出来た。逃げ上手で敵の攻撃を全て躱すことの出来る時行を守る必要などは無い。弧次郎たちがすべきことは、攻撃力の乏しい時行でも敵を倒すことが出来るように、時行の遊撃隊として敵をひたすら攻撃しまくって、敵の隙を作ることでした。そうして宗繁を攻撃しまくった弧次郎と亜也子の働きによって宗繁は態勢を崩し、そこに時行がトドメの一撃を浴びせて、時行は遂に宗繁の首を斬り落とし、兄の敵討ちを果たしたのでした。

そうして宗繁の首が地面に落ち、その首が鞠に変わり、あの鎌倉陥落前の平和な日の時行と邦時の蹴鞠の場面に戻る。鞠を拾った時行に向かって邦時はさっき鞠を見失う前に自分が言いかけた「時行が英雄になる条件」について思案すると、ハッと思いついて「頑張れ!」と応援のような、手向けのような言葉を贈ると、「頑張れば、いけるような気がする」と言い直す。それで兄弟2人で笑い合うのだが、これはもちろん実際に交わされた会話ではなく、見事に敵討ちを果たしてくれた弟が英雄として第一歩を火みだしたのを見届けた兄の邦時が時行の心の中に現れてエールを贈ってくれたということなのでしょう。

 

 

ATRI My Dear Moments

第1話を観ました。

この作品はノベルゲームが原作のSFファンタジーっぽいハートフルドラマなのかなという印象です。今回は物語の導入でしたが、世界観がなかなか面白くてキャラも可愛くて魅力的で、謎めいた部分もあってドラマにも深みがありそうで、これから結構面白くなりそうですね。

原因不明の海面上昇で地表の大部分が海に沈んでしまった近未来の世界が舞台となっており、そんな世界で海辺に住む主人公の斑鳩夏生は一緒に暮らしていた祖母の死の後、潜水艇に乗って既に海底に沈んだ亡き祖母の住んでいた家にあるというお宝を引き上げることになる。夏生は子供の頃の事故のせいで右足の膝から下を無くしており義足を付けているのだが、より良い義足に変えるために金が必要なのです。世界の大部分が海に沈んで以降、世界中で物資が不足していて、義足も高い金を払わねばなかなか手に入らないみたいです。

そういうわけで潜水艇で乗って海底の祖母の家に行くと、そこにカプセルがあり、その中には人間そっくりのヒューマノイドの少女が横たわっていた。引き上げた少女はアトリという名を名乗り、自分のマスターは夏生の祖母だと言ったが、祖母が既に亡くなっていることを伝えると夏生をマスターと認めた。このアトリは自分は高性能だと自慢するが言動はアホっぽくて子供っぽかった。しかしアトリは人間そっくりに作られており、こういう人間そっくりのヒューマノイドはずいぶん前に製造禁止になっていたはずなので、そんなものを祖母が隠し持っていたのは奇妙な話だった。

ただ、もともと売り飛ばすためにアトリを引き上げたので夏生はアトリを買い取り業者のもとに連れていく。するとアトリは何か不具合があってリコールが発生した機種だった。それでもマニア受けするらしくて高い買値がついたのだが、アトリは自分には元のマスターである夏生の祖母から与えられた大事な使命があるので、それを果たすまで売るのを待ってほしいと言う。だが、アトリのメモリーは失われており、その使命の内容も忘れていた。それで夏生はやっぱりアトリを売ることにするが、やはり夏生は考え直してアトリを追いかける。だが義足なので追いつくことは出来なかった。しかし夏生が気落ちして自宅にしている船に戻ると、そこにアトリがやってきて「マスターの脚になります」と笑顔で言ったところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

負けヒロインが多すぎる!

第1話を観ました。

この作品はライトノベル原作のラブコメなんでしょうかね。ラブコメ展開になるかどうかはまだ分かりません。単に現状のまま負けヒロインの負けっぷりを描くだけなのかもしれないし、むしろここから主人公が負けヒロイン達にモテまくる展開になったりしたらありきたりでつまらなくなってしまいそうなので、それは止めてほしい気がする。しかし、かといって今のままで面白いのかというと、ちょっと分からない。いや、多分面白いんでしょうね。こういうラノベを愛読してる現役高校生あたりには、これぐらいライトな感覚で気楽なストーリーで、これだけ作画や演出が良ければ「神作品」なんだと思います。いや、別に高校生をバカにしてる気は無くて、そういう作品を面白いと思う感覚は理解出来る。私も見ててこの作品は面白いと思いましたよ。今回の負けヒロインの杏菜の見事なまでのクズっぷり、負けっぷりは素晴らしかったです。笑えました。会話劇としての完成度も高かったです。ただ、私みたいなオッサンはこの手の作品に現役高校生ほどは「共感」というものが出来ないので、さすがに「神作品」とまでは思えないし、特にコメントも思い浮かばない。話の内容を振り返る意味も別に無いでしょう。ホントに頭空っぽにして楽しめばいいんじゃないかと思うだけです。まぁそんな感じで現状は気楽に楽しもうと思います。とりあえず今期は後で出てくる「小市民シリーズ」なんかもそうですが、こういう類の「良質のラノベ」に神作画や神演出で色付けして若い視聴者層が気楽に楽しめる類の「神作品」が多めのクールであって、私みたいな重めの作品が好きな人間にはちょっと合わないけど、客観的に見ればこういう作品が多いクールはアニメファン的には良いクールだと思います。私はまぁこういう作品は適当に気楽に見ていきますが、もしかしたら次回以降ストーリーが動くのかもしれませんし、そうなったらなったでまた違う楽しみも生まれるかもしれませんね。

 

 

ばいばい、アース

第1話を観ました。

この作品はファンタジー小説を原作としたWOWOWアニメなんですが、BSでも放送してたのでレビュー対象としました。なんだか獣人みたいな人種ばかりの世界観で、そんな中でたった1人だけ人間として生まれたベルという少女が主人公の冒険物語みたいです。ベルはこの世界では身体能力が非常に優れているようで異形の存在として忌み嫌われているようです。ルンディングという大剣を所持しており、シアンという最強の剣士の弟子であり、師匠シアンの代わりにネグローニという怪物退治を請け負ったりしていましたが、自分のルーツを知るために旅に出たいと思うようになる。しかし国の外に出るためには「都市」に行き「旅の者」となるための試練を受けなければならない。幼い頃にルンディングと出会った時のことに想いを馳せて、旅に出るための試練を受ける決意をしたベルはシアンにそのことを告げる。するとシアンは試練を受けるために呪いを受けなければならないと言い、ベルと剣で立ち会う。するとベルの持つルンディングに「無何有郷」という文字が刻まれ、それがベルの呪いとなるという。そしてベルの中からシアンの記憶が薄れていき、シアンを斬ればベルはシアンを忘れるのだという。それが教示者としてのシアンの呪いなのだそうです。そういうわけでベルはシアンを忘れたくないがシアンに斬りかかるというところで今回は終わり次回に続きます。なんか世界観がやたら難解で今回はまだよく分からなかった。次回に期待しましょう。

 

 

「小市民」シリーズ

第2話を観ました。

今回は前回のラストの、常悟朗とゆきが自転車を盗まれた挙句にいちごタルトを捨てられて台無しにされてしまった出来事の続きの話なのかと思いきや、そうではなかったですね。冒頭でその事件の後の話として、盗まれたゆきの自転車がどうやら窃盗事件の現場で使用されたという連絡が警察からあったということが語られる。つまり、前回のラストでゆきの自転車を盗んでいったヤンキー集団の下っ端のヤツが窃盗事件に関わっているっぽい。その事件に常悟朗が関わることになるのかどうかは不明です。今回の話を見た限りでは関わり合いになりそうには見えないが、次回あたりで結局関わることになるのかもしれない。

今回はとりあえずその窃盗事件とは関係ない話で、常悟朗が健吾に家に来るようにと呼び出されて、それにゆきもついていくことになるが、健吾の家で2人はココアを出してもらう。ここで健吾が今回出した「美味しいココア」の作り方の手順を丁寧に説明してくれる。だが台所に残された痕跡と健吾の説明とがどうも矛盾している。しかし実際に「美味しいココア」が出てきているので、台所で常悟朗とゆきと、健吾の姉の3人で「一体どうやって健吾が美味しいココアを作ったのか」について推理することになります。そうして試行錯誤の末に常悟朗が謎を解く。

今回はこのココアの謎に関する推理が見せ場ということになるが、この作品の物語にあまり関係ない話なのでその推理の詳細について触れる気は無いです。まぁそこを楽しむのがこの作品の楽しみ方なのでしょうから、そこを楽しめないようでは私はこの作品を楽しむ資格が無いということになるが、別に楽しんでいなくはない。楽しかったです。ただ別にここでコメントするようなものではないと思っただけ。そういう点、上記の「負けヒロインが多すぎる」と同じで、深く考えず雰囲気を楽しむアニメだと思います。そういうアニメが多い方が若い人には良いクールだと思います。

今回、私が気になったのはココアよりも、健吾が常悟朗が小学校時代と全く違う印象になっているので中学の時に何があったのかと勘ぐっていたところ。小学校時代の常悟朗は全くいけすかない頭でっかちな少年だったようですが、現在はずいぶん丸くなって小市民を目指している。健吾は小学校時代の常悟朗は嫌なヤツではあったが、それが常悟朗の自然体なのだから、それを無理に隠している現在の常悟朗の方がウソっぽくてもっと不健全だと思って気に食わないようです。要するに常悟朗が無理をしているんじゃないかと心配してくれているんでしょうけど、常悟朗は別に中学時代に何かがあったわけではないと答えている。実際そうなのかもしれないし、常悟朗は何かを隠しているのかもしれない。そのあたりは今後触れられるのかもしれないし、触れられないのかもしれない。まぁ今後どうなるか見守りましょう。

 

 

魔導具師ダリヤはうつむかない

第2話を観ました。

今回はダリヤがまず父カルロから兄弟子のトビアスを紹介されます。トビアスはオルランド商会の会長の次男坊でありながらカルロのもとで魔導具師として働いていました。そしてダリヤはスライムでレインコートを作ることを思いつき、カルロやトビアスの協力も得てそれを完成させヒット商品になります。そんな中、オルランド商会の会長とカルロがお互いに病気で先が長くないことを秘かに告白し合い、後々のためにダリヤとトビアスを婚約させることを決めます。ダリヤもトビアスもその話を受け入れて2人は婚約者となりますが、トビアスは婚約者となった後、ダリヤに対して色々とケチをつけるようになる、だが、ダリヤは仕事のこと以外は無頓着なのでトビアスの変化に鈍感で、深く考えずトビアスの注文のままに髪の色を地味にしたり、外で酒を呑むのをやめたりする。そんな中、オルランド商会の会長が亡くなり、カルロも病気で死んでしまう。そうしてダリヤが悲しみに暮れたところで今回は終わり次回に続きます。