2024春アニメ 6月26日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、6月25日深夜に録画して6月26日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。

 

 

忘却バッテリー

第11話を観ました。

今回も含めて残り2話となりました。おそらく次回の最終話は氷河高校との練習試合の終了まで描いて、その後は2期に繋がっていくような話が描かれるのではないかと思います。まぁ2期があるのかどうか分からないんですが、MAPPAは続編は割とよく作るし、原作ストックは十分あるし、2期はあるんじゃないかと思ってます。まぁ人気面は微妙なのかもしれないですが。もし2期が無いのなら次回はなんか上手いことまとめて終わるのでしょう。何にしても氷河高校との試合は今回9回ツーアウトまで描かれてますから次回で決着まで描かれるのは間違いない。

今回はその氷河高校との練習試合に並行して、千早の過去が描かれたエピソードでした。これが感動的で非常に良かったです。別に感動系の話じゃないんですけど、とにかくストイックすぎる努力家の千早の辛い心情が胸を打つんですよね。その心情の描き方がとても上手で、試合の中での打席での千早の取り組みの描写と合わせて感動的に仕上がっている。

まず最初は千早のモノローグから始まって、「壁」の話が描かれる。シニア時代の監督が千早たちチームの選手たちにいつも言っていたそうです。各自それぞれ人生において立ちはだかる「壁」があり、それは逃れたと思っても結局何度も立ちはだかるのだという。つまりは各自の生まれ持った特性によって生じる宿命的な欠陥のようなものなのでしょう。だが監督は千早の「壁」が何なのかは教えてくれなかったのだそうです。まぁ別に監督は千早にだけ教えなかったわけではなく、1人1人に「お前の壁はコレだ」なんて親切に教えてもいなかったのでしょう。そういうのは自分で気付くべきものであり、監督だっていちいち分からなかったのかもしれない。

ただ、前回のラストの引きでも千早が「壁」を感じる描写があり、それは氷河の投手であり元シニアのチームメイトだった巻田が千早のフィジカルのパワー不足を見下すような態度をとった場面から繋がっていたので、千早自身はその自分にとっての「壁」を「フィジカルの不足」にあると思っているかのように見えます。実際、今回のこの後、千早のシニア時代の回想シーンが始まると、まず千早の自分のフィジカル不足に対処するための努力がひたすら描かれるので、やはり小柄な千早にとっての「壁」はフィジカル不足であるように見えます。

しかし今回はその千早の回想シーンに行く前にまずは氷河高校との練習試合の続きが描かれる。3回の表の小手指の攻撃中に要が再び記憶喪失のアホの要に戻ってしまい、それで気落ちした清峰が痛打されてしまい、打ち取った当たりではあったんですが強い打球であったのでサードの3年の先輩や、センターの土屋の拙い守備のエラーを誘発してしまい、小手指は2点を失点して逆転されてしまいます。

その後、小手指のベンチのムードは最悪となってしまう。清峰は怒った様子で黙り込み、土屋は自分のエラーを清峰が怒っているのだと思い委縮してしまう。しかし要が土屋は練習を頑張ってたのだからエラーなんてたまたま運が悪かっただけだと言い出す。それを聞いて、清峰が初めて土屋がエラーをしたということに気付く。つまり、清峰が怒っていたのは土屋のエラーの件ではなかったのです。清峰が怒っていたのは痛打された自分自身に対してだった。それで、清峰の言葉が足りないから土屋や皆が誤解してベンチのムードが悪くなったことを要が清峰に注意します。

だが同時に要は自分が帝徳戦の時に清峰の投球を捕れなくなって大量失点した時も清峰は言葉が足りなかったが、それでもそうして清峰がキレたり怒ったりせず黙々と投げ続けてくれたことで自分は清峰の優しさを感じたという話をして、要は清峰の無口なところは悪いことばかりじゃないのだと言い、今後は無理に言葉を尽くそうとしなくてもいいから、言葉足らずでもいいから優しさが伝わるように気をつけていこうと言って励まします。それで清峰も土屋のところに行って雰囲気を悪くしてしまったことを頭を下げて謝罪します。

こうして小手指のベンチのムードは改善しましたが、この場での要の言動を見て、妙に千早だけイラついた様子です。ここで要は土屋の努力を認めたり、自分の努力を認めてくれた清峰を褒めたりしている。土屋は結局はエラーをしているわけだし、帝徳戦の時の要もボロボロの結果でした。つまり結果の伴わない努力だったわけです。それを要は肯定している。そのことがどうも千早はムカついているようで、所詮はチームをまとめるための口先だけの言葉であるかのように嫌味を言う。

しかし要の方は本心からそういう「結果の伴わない努力」を肯定しているので、どうして千早がそんなイラついているのか理由が分からず困惑し、そういえばさっき千早が氷河の投手の巻田と何か喋っていたことを思い出して「あのピッチャーと何かあった?」と質問する。すると千早は一瞬黙り込み「これは俺の個人的な問題なので、お構いなく」と言って回答を拒みました。要に指摘されて、確かに自分は巻田と出会ってからイラついていることに千早は気づいたのです。それは千早が「結果の伴わない努力」に対して否定的な感情を抱くようになった出来事に巻田が関係していたからでした。だが、そのことを千早は要には言いたくなかった。そもそも他人に言いたくない話でもあったが、特に要には言いたくなかった。それは、その一件には要も無関係ではなかったからだった。但し、記憶を失う前の要だが。

その後、試合は2-1で氷河が1点リードのまま6回まで進み、7回表の小手指の攻撃はワンアウト1・2塁で千早の打席となる。ここで千早は次の打者がアホに戻ってしまった要なので期待出来ないと見て、自分がタイムリーを打ってランナーを返さなければいけないと気負って、巻田の剛速球に力負けしてピッチャーゴロを打ってしまいダブルプレーでチャンスは潰えてしまった。それで千早は、やはり自分の「壁」はフィジカルなのだと痛感する。

ここから千早のシニア時代の回想シーンとなる。子供の頃にプロ野球選手のスーパープレーを見て憧れて野球を始めた千早であったが、シニアに上がって成長期に入ると、自分だけ背があまり伸びず、親も背が低かったのでおそらく自分もずっと背が低いままであり、野球選手としては決定的にフィジカルが足りないという残酷な事実に気付いてしまった。だが、千早はそれでも野球を諦めたくなくて、せめて体重を増やそうとして毎日吐くほど暴食したり、フィジカルが足りなくても通用するプレーを追求したりして努力を重ねた。足の速さを活かしてバントや盗塁の技術を磨いたり、とにかく出塁するためにカットの技術を高めてファールで粘って四球を選んだり、守備の技術を磨いたり、とにかくスモールベースボールを極めて、気が付けばチームで一番上手くなり、打率も盗塁数も守備力も千早が一番だった。

同じチームにいた巻田などはそんな千早の王道ではないプレーに否定的なことを言って突っかかったりしてきたが、千早はそういう巻田のようなフィジカルに恵まれていて王道の野球をする相手に対して、自分が努力を重ねて身に着けたスタイルで上回ってみせることに楽しみを見出していた。そして、どうせこんな自分を理解出来る者は他に居ないのだろうと思い、チーム内で友人も作らず、「野球は個人競技だ」と割り切って、ひたすら孤独にストイックに努力を重ねていった。そうして、たとえフィジカルに恵まれていなくても「技術と理論」さえ磨けば自分でも一番になれるのだと千早は自信を深めていった。だから千早は決して自分よりもフィジカルで勝っている相手に対して「いいなぁ」と羨ましがったり妬んだりすることはなかった。そんな言葉を吐くということは自分の努力を否定することだと思い、そんなことを間違っても口にしないよう自分を戒めていた。

ところが、そうした千早の自信は木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。打ち砕いたのはシニア時代の対戦相手であった清峰と要のバッテリーだった。清峰と要は圧倒的なフィジカルに技術と理論を併せ持っており、フィジカル不足を技術と理論で補っているだけの千早の敵う相手ではなかった。それで千早は完敗してしまい、自分が思い上がっていたことに気付かされた。「努力しているのは自分だけなのだ」といつの間にか思い上がっていたのだ。自分はフィジカルに恵まれていないから努力している。だからフィジカルに恵まれたヤツは努力していないのだと、いつの間にか勘違いしていた。しかし実際はフィジカルに恵まれたヤツだって努力はしているのだ。清峰と要に完敗したことでそのことに気付いた千早は、そういう相手に勝つためには今までのレベルの努力では足りないのだと思い、努力のレベルを更に上げていった。

しかし、なかなか千早の努力の成果は上がらなかった。それで、千早は巻田が背が伸びたとか球速が速くなったとかフィジカル自慢をしてくるのに対して、つい「いいなぁ」と言ってしまう。その瞬間、千早は自分が自分の努力を否定していることに気付いた。これまでの努力は結果の出ない時間の無駄でしかなかったと思っているのだと気付いた。本心では「努力しても結果なんか出ないのだ」と思って、ただ清峰や要や巻田のようなフィジカルに恵まれたヤツを羨んで嫉妬していることに気付いた。

千早はそんな自分が嫌になり、野球を辞めてしまった。野球をやっていた時の自分がとても醜悪なものに思えて、そんな自分のことは忘れて新しい人生を楽しもうと思って、新しい趣味を見つけて都立に行けばきっと新しい人生が始まるのだと思って小手指高校に入り、野球とは縁の無い生活を送るはずだった。ところが気が付けば野球部に入って清峰や要と一緒に野球をやっている。そのことを自然なことにようにいつしか受けいれてしまっていた千早であったが、今回こうして氷河高校と練習試合をして、巻田と再会したことによって、千早は「フィジカルという壁にぶち当たった自分は結果の出ない努力を否定して野球は諦めたはず」と思い、それなのにどうして今こうして自分は野球をしているのだろうかと不思議になった。

そうして氷河高校との練習試合の場面に戻り、9回表の小手指高校の攻撃はツーアウト1塁となり、千早に打順が回ってくる。氷河のピッチャーは巻田のままであり、依然としてスコアは2ー1で氷河が1点リードしており、あと1人アウトになればゲームセットで小手指の敗北となる。千早の次のバッターはアホに戻った要であり、全く期待できない。それで千早は自分が長打を打って1塁ランナーを返すしか勝つ道は無いと思い、どうにかして巻田の球を打ち返そうとして食い下がるのだが、巻田も千早との勝負に気負ってしまってコントロールが定まらず、下手したら千早がフォアボールでツーアウト1・2塁で要に打順が回ってしまう可能性も出てきて、千早は焦ります。

ここで氷河ベンチでエースの桐島がシニアで巻田と千早と同期だった栗田と会話しており、ここで栗田の言葉で、シニアのチームで一番上手かった千早のことをみんな憧れていて、実は巻田も千早と全力勝負がしたくて、それでよく突っかかっていたのだということが判明する。だが千早はチームメイトと距離を置いていたので巻田はあまり相手にしてもらえなかった。だから今こうして千早と全力勝負出来ることが嬉しくて巻田は気負ってしまっているのです。

それを聞いて桐島は、それならどうして千早は今回に限って巻田の全力勝負に応じてやっているのかと不思議がる。桐島は要が記憶喪失でアホになっていることは知らないので、この場面は制球の定まらない巻田を上手くあしらって四球を選んで強打者の要に打順を回すのが千早にとって最善の策のはずだと思っているのです。栗田も要がアホになっていることは知らないので、確かに客観的に見ればそれが最善の策だとは認めつつ、それでも千早は自分で決めようとするはずだと言う。シニア時代のチームメイトだった栗田の目から見た千早という男はそういうヤツだったのです。肝心なところではチームメイトを信じていない。自分しか信じていない。そういうヤツだったのです。栗田はシニアの監督がよく「壁」の話をしていたと言い、千早にとっての「壁」はおそらく「他人への信頼」なのだろうと言う。

要がアホになっているか強打者かの認識の違いはあるが、確かに千早はこの場面でも要のことを信頼していなかった。要が土屋の「結果の出ない努力」を信じたり、清峰が要の「結果の出ない努力」を信じたようには、他人を信頼することが出来ていなかった。それは千早自身が自分の「結果の出ない努力」を否定したからでした。「結果の出ない努力」は信じない千早は、この場面で要がどんなに頑張っても結果を出すことは無理だと決めつけていた。

ところがネクストバッターズサークルから要が「俺に回してくれていいよ!」とか言ってくる。それで千早はイラつきます。さっきからずっと千早が要に対してイラついているのは、そうやって要が「結果の出ない努力」を肯定するようなことを言うからです。何故なら、そもそも千早の「結果の出ない努力」を否定したのは清峰と要なのです。その要が記憶喪失になってから言動が真逆になってしまい「結果の出ない努力」をやたら肯定してくるのが千早には腹立たしかった。そして「要はシニア時代と全く変わってしまった」と千早は嘆かわしく思う。

しかし、ふと千早は変わったのは自分も同じなのではないかと思う。自分の場合、もともと今の要のように「結果の出ない努力」を肯定していたのだが、清峰と要に負けたことをきっかけにして「結果の出ない努力」を否定するようになってしまったのだ。そうして千早は「いいなぁ」なんて言って自分の努力を否定して巻田を羨んでしまったのだが、それは実は巻田の努力も否定していたのだということに千早は気づいた。「いいなぁ」ということは「お前は努力せずに上手くいって羨ましい」という意味だからです。巻田だってあれだけの成果を出すために必死に努力していたはずだ。当時はそのことに気付けなかったが、今こうして巻田と全力で勝負したことによって千早はそのことに気付くことが出来たのです。

そして、巻田同様に、もちろん清峰だって要だって必死に努力していたはずだ。それが「結果の出る努力」だと確信していたはずはない。「結果の出ない努力」かもしれないと思いながら、それでも努力してきたのです。だからこそ、記憶を失って人格の変わった要は置いておいても、清峰は同じ清峰のままなのに、ちゃんと土屋や要の「結果の出ない努力」を肯定している。つまり、清峰の要も一貫して「結果の出ない努力」を肯定しているのです。それなのに勝手に千早だけが「結果の出ない努力」が否定されたのだと思い込んでいた。それは「嘘」だったのだ。自分は「嘘つき」だったのだと千早は自覚した。

「努力しても無駄だ」というのは「嘘」だったのです。千早は「努力して結果が出ないこと」が怖くて逃げだしただけだったのです。また、もともと「努力して結果が出ないこと」が怖かったから、自分の努力が特別なものだと思い込もうとして、自分の努力にプライドを抱き続けるために、他人の努力をひたすら否定してきた。だから巻田の努力にも気づくことがなく、巻田やチームメイトを何処かで見下して信頼しようとしなかった。そうしてその挙句に自分の努力も他人の努力も否定して、ただ努力が実らないことが怖くて野球から逃げだした。

しかし、そうやって野球から離れた後も千早はずっと苦しかった。もう無駄な努力は止めて、努力が実らない恐怖からも解放されて楽しく生きるはずだったのに、他のことをしていても全然楽しくなかった。自分の野球を否定して、他人の努力も否定して、チームメイトも信頼せず、そんな人間が野球をする資格なんて無いはずなのに、それでも野球から気持ちが離れることが出来なかった。それはどうしてなのかというと、やはり自分は野球がやりたかったのだと千早は気づいた。そもそもフィジカルが決定的に足りないと分かった時点で諦めるのが合理的なはずなのに、あんな必死に暴食したり技術と理論を極めたりして、あんなに必死にしがみついたのは、どうしても諦めきれないぐらい単純に野球が好きだったからなのだと千早は気づいたのでした。

そして、その気持ちに気付かされて再び野球を始めるきっかけとなった、小手指に入学して清峰と要に再会した時、要に「一緒にやる?」と言われた時のことを千早は思い出す。あの時、自分が自分自身が驚くほど素直に「やる!」と答えたのは、自分が野球を辞めていてずっと苦しんでいた時期、心の底で「今度もし野球をやるのなら、今度は自分の努力だけでなく他人の努力も信頼して、仲間を信頼して、皆で勝てる野球をやろう」と思っていたからなのだと気付いた千早は、フルカウントから巻田が投じた内角の球を無理に打ちに行かず見送った。きわどい球であったが判定はボールとなり、千早はフォアボールで出塁することになり、ツーアウト1・2塁で要に打順が回ることとなったのでした。無理に打とうと思えば打てる球であったが、千早はボール球だと判断して、自分で長打を打って試合を決める道を捨てて、要を信頼して託すことにしたのです。そうして千早は最後の最後で自分の努力のプライドだけにこだわるよりも、他人への信頼を選び、それによって千早は「壁」を超えることが出来たのでした。