2024春アニメ 6月27日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、6月26日深夜に録画して6月27日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。

 

 

怪異と乙女と神隠し

最終話、第12話を観ました。

今回で最終話ですが、原作漫画の方は連載中ですので物語は完結はしていないはずです。だから中途半端な終わり方をするのかとも思っていたんですが、なんだか完結っぽい終わり方をして、どうやらラスト2話はアニメオリジナル展開だったようです。2期の告知などもありませんでしたので、これでアニメ版としては完結と考えてよさそうです。

今回も最後のクソみたいなオチも含めてしっかり面白かったんですけど、原作の展開の方がもっと面白かったらしいので、そっちも見たかった気がします。やっぱりどうしても難解な作品なので第一印象では「ん?」と思うんですけど、色々と思考を重ねていくにつれて他の作品では味わえない美味しさがある作品なんですよね。今回のアニオリの締めも含めて、最後までそのテイストを貫き通した作品で、あんまり考えずにアニメを楽しみたいという層には徹底して不評だったとは思いますが、個人的にはかなりお気に入りでした。比較的分かりやすい面白さの「忘却バッテリー」や「無職転生」と比べてどれを上位にするか最後の最後まで悩むことになりそうですね。

今回は蓮と乙の化野兄妹の正体が明らかとなり、蓮と乙が姿を消すという内容ですが、冒頭は以前のエピソードでも断片的に描写された蓮と乙の過去回想っぽい場面が再び描かれます。戦災の町みたいな風景の中で蓮と乙が放浪生活を送るという点では以前と同じなんですが、今回はその続きの場面で、蓮が乙を火葬する場面が描かれていて、乙は放浪生活の中で食べ物が足りなくて餓死してしまったようです。そして、その後しばらくして蓮もまた餓死してしまったようです。

ここで注目すべきは、蓮が乙を火葬する際、「たべるトンちゃん」というタイトルの本を籠の中に横たわる乙の遺体の上に置いて、乙と一緒に焼いていることです。おそらく生前の乙が気に入っていた本なのでしょうけど、死亡時の乙はまだ5歳ぐらいなので子供用の絵本だと思われる。だが、この「たべるトンちゃん」という絵本は実在の本であり、昭和12年に発刊された戦時中の日本の人気絵本なのだそうです。ちなみに話の内容は、食いしん坊の豚のトンちゃんが色んなものを食べまくるというものであり、生前の乙が食べることが大好きだったことを示唆している。そして現在の乙も食べることが大好きであるというここまでのエピソード内で随所に描かれた設定とも繋がってくる。

つまり、どうやらこの冒頭の回想シーンは何処かの異世界の出来事ではなく、この世界の第二次大戦中の日本の出来事みたいなのです。おそらく蓮と乙は空襲で家族や家を失った戦災孤児であり、子供2人で放浪して食べ物が手に入らずに餓死したようです。先に妹の乙が死んで、ほどなくして兄の蓮も死んだようです。以前のエピソードで描かれた戦時下みたいな回想シーンも同様で、異世界ではなくこの世界の80年前ぐらいの過去の出来事だったのです。しかし、蓮も乙も別の世界から来たと言っており、矛盾している。いや、というか蓮も乙も死んでこの世界にはもう居ないはずなのです。

ところがこの後、乙が死んで、次いで蓮が死んだ後で場面が変わって、第4話でも描かれたことがある賽の河原のような風景になり、そこを幼い乙が歩いていて、そこに黒いモヤッとしたものが現れる。第4話でこの類似の場面が描かれた時は、乙が董子の部屋に泊まった時に見た夢の場面であり、その黒いモヤッとしたものに乙が「レン兄」と呼びかけるとそのモヤが蓮の姿になったのだが、今回もその黒いモヤットとしたものに向かって乙が「レン兄?」と呼びかけるのが描かれて終わり、そこからOP曲が始まる。つまり、子供の頃に賽の河原を歩いていた乙が黒いモヤッとしたものに遭遇して、乙がそれに対して「レン兄?」と声をかけると、それは蓮の姿になったということになる。

ちなみに、この「賽の河原」ですが、以前にこの場面が描かれた際には「死後の世界っぽい異界」とか「心霊世界っぽい異界」と考えていましたが、こうして冒頭で「既に80年前にこの世界で乙が死亡していた」ということが判明した以上、この「賽の河原」は普通に死んだ子供の霊が行くという三途の川のほとりの賽の河原なのだということがハッキリする。つまり、ここは「死後の世界」そのものなのです。そして、その「死後の世界」から蓮と乙はこの現代日本にやって来た。そう考えれば連と乙が自分たちのことを「異界から来た」ということと整合性がとれる。彼らは「死後の世界」という「異界」から来たのです。

そのように考えると、蓮がきさらぎ駅の係員や時空のおっさんに「神隠し」という名で呼ばれていることとも整合性がとれてくる。そもそも日本の民間伝承における「神隠し」というのは、人の生きる現実世界「現世」から死後の世界である「神域・幽世」へと「神」によって連れ去られてしまうことを指しており、その「神隠し」を行う「神」とは日本古来の神や妖怪の仕業だとされています。それが「神隠し」という名の妖怪であるならば、その「神隠し」は現世と死後の世界との間を移動できるということになる。また「神隠し」はよく子供を連れ去るともいう。ただ蓮は自分のことを「異界からの漂流者」だと言っており、自在に現世と死後の世界を行き来は出来ない。だから異界行きの電車の切符を手に入れようとしていた。ただ異界である死後の世界から来たのも事実であり、そのことを指して「神隠し」と呼ばれても別におかしくはない。

また、きさらぎ駅の係員は蓮がその身を捧げれば異界行き電車の終点である「暗泥」つまり死後の世界に行く切符は手に入るとも言っており、通常は「呪物」のみを切符に交換するはずのきさらぎ駅にしては異例の扱いといえる。前回はその矛盾を「蓮は生ける呪物なのだろう」という考え方で納得したが、今回やはり蓮は「怪異」であることが分かったので、特別な「怪異」であると考える方が良い。つまり、蓮が「自らを捧げることで現世と死後の世界を行き来できる」という能力を持った「神隠し」という怪異であったと考えることで、蓮が自分を捧げて切符を入手できるということが説明がつくのです。

ただ、そう考えると、蓮はもともと死後の世界に漂っていた「怪異」だったということになり、戦時中の日本で餓死したということと話の整合性がつかなくなってくる。あるいは戦時中の日本で餓死した蓮がその後で「神隠し」という怪異になったということも考えられるが、その理由が分からないし、乙を連れて現代日本に漂流してきた理由もよく分からない。まぁ漂流してきたことに関しては蓮自身が「世界は異物である怪異を排除しようとする」と言っているので、世界の意思によって排除されたということなのでしょうけど、戦時中に死んだ普通の少年であった蓮がそんな怪異にわざわざ変化する理由が分からない。

このように蓮に関してはまだよく分からないことが多いが、乙に関してはだいぶ正体が判明した。乙は80年前の戦時中に日本で5歳ぐらいで死んだ戦災孤児であり、兄の蓮も乙の死後にすぐ死んだ。そして乙は死後に、死後の世界の賽の河原で蓮と出会って、その後に現代日本に漂流してきて10年ぐらいきさらぎ駅で暮らしていたようです。乙が現代的な常識が無いのは昔の人間だからであり、自分の本来居るべき世界である死後の世界のことをあまりよく知らないのは、死後の世界に辿り着く前の三途の川のあたりで現代日本に飛ばされてしまったからなのでしょう。また乙が異常な食いしん坊なのは、もともと「たべるトンちゃん」みたいな絵本が好きな食いしん坊の子供が腹を空かせて餓死したから、その未練によるものなのでしょう。

また、乙が前回のエピソードで旧友の麻里やのどか達との別れの際に皆にお菓子を贈っていたのも、葬式などの引き物は悲しみが残らないように「消え物」を渡すというのと同じ趣旨の行為だったのでしょう。麻里たちは乙という死者を死後の世界に送り出すわけですから、何か乙からの貰い物が残ることで悲しみを残してしまってはいけない。だから乙は麻里たちとの別れに際して、形が残らない品物であるお菓子を感謝の印に贈ったのです。前回は乙からお菓子を贈られた4人がちゃんとお菓子を食べ尽くすところまでしっかり描かれていましたが、それもそうした行為が完遂されたことを示す描写だったのです。

そのように儀礼的にしっかり原則を踏まえて綺麗に死後の世界に旅立とうとしているようにも見える乙ですが、それにしては、自分の正体を明かすこともなく「夏休みは兄と一緒に帰省するからしばらく会えない」と嘘を言って去ろうとしており、友人たちにちゃんとした別れの挨拶もせずに旅立とうとしているのはあまり感心しない。ちょっと不義理な気がする。バイトで世話になって色々と親切にしてもらったシズクにも嘘をついたままお別れする形になっており、ちょっと薄情な印象があります。蓮にしても董子の新作小説を読むという約束を果たそうとせず居なくなろうとしているように見える。どうにも蓮も乙もこの最後の最後になって急に薄情になっている印象です。引き止められることを恐れているようにも見えるが、少なくとも董子は事情を知っているのだから、董子に対してここまで蓮が薄情になる理由がよく分からない。乙にしても董子との別れはずいぶんあっさりしていて、ちょっと拍子抜けするものがありました。

そうしてOP曲が終わると、董子が新作小説「怪異と乙女と神隠し」が脱稿して約束通りに蓮に読ませてやろうとして連絡を取ろうとしているのに全く返信も来ずに困っている場面が描かれ、蓮はワザと董子の連絡を無視していることも描かれます。董子はそれで業を煮やして、翌日になって例の川崎駅前のオブジェのところに行き、その周囲を乙が唱えていた呪文を唱えながら回って、きさらぎ駅に行って蓮に会おうとする。しかしきさらぎ駅に行くことは出来ず、諦めて帰宅します。そして乙のスマホに電話してみるが、それも応答が無かった。

一方で真奈美の家に泊まっていた乙が朝食に次郎系ラーメンみたいな山盛りラーメンを完食して、真奈美に「頼みごとがあります」と言ってスマホを差し出す。昨日、級友たちとの別れを済ませてきさらぎ駅に戻ってきた乙に蓮が何かを言い、その後で乙は真奈美の家に行って泊まったわけだが、その目的はその「頼み事」であったようです。つまり、蓮が乙に何かを言った結果、乙は急に真奈美の家に行って頼みごとをする必要が生じたのだといえます。そして、乙のスマホはその際に真奈美に渡してしまったので、董子が電話した際にはもう乙の手元には既に無かったのです。

実は昨日に蓮が乙に言ったことは「明日の夕方の電車で帰ることになったが、乙だけ最初の電車に乗っていき、蓮は1本後の電車で追いかける」ということでした。蓮は残ってやらなくてはいけないことがあり、乙は切符の都合で最初の電車に乗らなければいけない。自分はすぐに追いつくから大丈夫だというのが蓮の言い分でしたが、それを聞いて乙は実際は蓮が帰るつもりがなくて、自分1人だけを帰そうとしているのだと察知したようです。そして、わざわざそんな嘘をつくということは、また蓮が何か自分のために無茶をしようとしているのではないかと考えた乙は、自分が電車に乗って帰ってしまった後に蓮の危機に対処できるような仕掛けをしておこうと思って、真奈美の家に行って頼み事をしたようです。

そして、その頼み事を済ませて翌日、つまり夕方には出発する当日の午前中に乙がきさらぎ駅に戻ってくると、そこに猫の王が現れて絡んできて、そこにきさらぎ駅の中から蓮が現れて猫の王と押し問答になる。その中で蓮を邪魔だと言う猫の王に蓮は「僕も乙ももうすぐ居なくなる」と伝える。すぐには信じようとしない猫の王に蓮は「今日の夕方の電車に乗るから居なくなる」と言い、それを聞いて「嘘はつくなよ」と言う猫の王に対して蓮は「つくとしたら1つだけかな」と言い返す。それを聞いて乙は、蓮が自分と一緒に電車に乗らないことは知っていたから、「今日の夕方の電車に乗る」というのが蓮のついている嘘だと分かったが、そうなると「嘘をつくのは1つだけ」である以上、「2人とも居なくなる」というのは嘘ではないのだと気付く。つまり、蓮は電車には乗らないけど居なくなる。つまり消えるつもりなのだ。実際、蓮は重ねて「僕が今日いなくなるのは嘘じゃない」と強調し、それで猫の王はそれを信じて引き上げていきますが、乙はこの遣り取りを聞いて、蓮が自分を電車に乗せる代償に蓮自身の身を消そうとしているのだと確信する。しかし、乙はそのことに気付いても、蓮を止めようとはしなかった。それは、既に蓮の危機に備えて手は打ってきた後だからです。

そうして夕方に董子が帰宅すると、部屋の中にあった鉢植えの黒法師が散っていた。この黒法師は乙が育てたものだった。黒法師の花言葉は「良い予感」であり、なかなか花が咲かないことから、花が咲くのは良い予兆とされる。その花が咲いていたということは「乙の願いが叶う予兆」であったと見ていい。そして、その咲いていた花が散ったということは、乙の願いが成就したということを示している。乙の願いとはもちろん自分の本来の世界に帰ることだから、董子はその散った黒法師の花を見て、乙が言っていた通りに、乙が無事に元の世界に戻ったのだろうと思った。だが同時に蓮が約束を果たさないまま居なくなったことで胸騒ぎを覚えて、再び川崎駅前に向かう。

それに先立って、夕方になると乙を電車に乗せるために、蓮と乙はきさらぎ駅の改札を通ってホームに向かっていた。そうして駅の構内を歩きながら、乙は蓮に自分はずっと10年間、自分たち2人は実の兄妹だと信じていたが、最近そうではないことを思い出していたのだと打ち明ける。それは第4話で董子の家に泊まった時、寝ている時に「賽の河原で蓮に出会った記憶の夢」を見たからでした。あれで乙は自分が死んで賽の河原に居た時の記憶を思い出したのです。

実は、賽の河原に居た時に乙は、目の前に黒いモヤが現れた時に「兄が追いかけてきてくれた」と思ったのだそうです。それで「レン兄」と呼びかけたのだが、実際はその黒いモヤは乙の兄の蓮ではなかった。何らかの怪異だった。おそらくそれが「神隠し」だったのでしょう。現世から死後の世界に誰かを連れてきて、それによって消滅しかかっていた「神隠し」の残滓のようなものだったのかもしれない。だが、乙がその「神隠し」に強い想いを込めて「レン兄」と呼びかけたことによって、その「神隠し」は「化野蓮」という名の怪異に生まれ変わったのではないか。そういうふうに乙は考えたのでした。

そうした乙の推理を聞かされて、蓮は「そうかもしれないね」と言って否定はしなかった。それを肯定と受け取り、乙は「だから私はあなたに呪いをかけることも出来る」と言う。蓮が人間ではなく怪異だというのなら、呪いをかけることは出来るのです。その呪いとは「蓮が乙の幸せになった姿を見ることが出来ないことが未練となり、その未練を叶えるために蓮は再び乙と巡り合うことになる」というものでした。

それを聞いて、蓮は「もちろん、すぐに出会うことになるさ」と、あくまで自分が次の電車で追いかけるという建前で返事をするのだが、乙はそれはもう嘘だということには気づいている。実際、乙の呪いが有効であり、乙の残した仕掛けが機能したとしても、自分がすぐに蓮と再会するのは難しいことは乙にも分かっている。そうして電車がやってきて、乙は寂しそうに「蓮兄、今までありがとう」と言って電車に乗り込み、背を向けたまま「忘れない」と言い残すと電車のドアは閉まり、ホームに蓮を1人残して電車は発車していく。そうして電車を見送る蓮の身体は黒い塵のようになって消えていきました。

その後、川崎駅前に到着した董子はそこで時空のおっさんと出会い、既に電車は発車していき、電車に乗ったのは乙だけであったことを告げられる。そして、蓮が実は乙の実の兄ではなく、乙の帰った世界には「本物の蓮」が居るのだということも教えられる。つまり、本物の蓮は80年前に死んで、とっくに死後の世界に行っており、乙の帰りを待ってくれていたのだ。だから乙は死後の世界に戻って本物の兄と再会して幸せに暮らすに違いない。では、あの自分の同僚であった蓮はどうなったのかと董子は気になったが、偽物の兄であったということは、やはり蓮は人間ではない何か、おそらく怪異のようなものだったのだろうと董子は思い、電車にも乗らず、自分との約束を果たすこともなく居なくなったということは、おそらく消えてしまったのであろうと思えた。時空のおっさんも「化野くんの未練は君と風呂に入ることだったらしいぜ」とニヤニヤして言っており、風呂云々は冗談としても、「未練」と言っている以上、蓮が死んだようなものだということは董子も察した。

しかし、せっかく蓮に読んでもらいたいと思って書き上げた小説を読むという約束を反故にされて董子はムシャクシャして夜には酒を呑み、部屋に戻って新作小説「怪異と乙女と神隠し」の結末部分にこの一連の出来事を加筆して完成させてから眠りにつき、翌朝部屋で寝ていると、そこに真奈美がやってくる。真奈美は董子に会うと、乙のスマホを取り出して、その中の動画を董子に見せました。それは真奈美の部屋で真奈美が乙に頼まれて撮影した動画であり、そこには乙が映っており、乙から董子への別れの挨拶が動画で撮影されていた。その動画の中で乙は、董子に会わずに帰ることを詫びて、董子との思い出を色々と挙げて、董子に感謝して涙に暮れていた。その動画を見た董子に真奈美は乙が董子に出会えてこちらの世界が楽しかったと言っていたとも伝えてくれる。それで董子も涙を流して乙との別れを惜しみます。

乙の真奈美への「頼み事」というのは要するにこの董子への別れの挨拶動画の撮影や、それを撮影したスマホを董子に届けてほしいということだったわけですが、どうも不可解な点が多い。確かにとても感動的な別れの挨拶動画でありますが、どうして直接董子の家に行って董子に言わなかったのかよく分からない。わざわざ真奈美の手を煩わせる必要性が分からないし、こんな程度の用事なら真奈美ではなく友人に頼んだ方がいいでしょう。どうして真奈美に頼むのかが分からない。それに、この真奈美への「頼み事」は、蓮が自分を犠牲にしようとしていることに気付いた後に、それに対して手を打つために起こした行動であるはずであり、それにしてはあまりにも他愛ない頼み事であるように思える。

ただ、これは乙が級友たちにはお菓子という「消え物」しか渡していないことと対比すると大きな意味があることが分かる。乙が級友たちに「消え物」しか渡さなかった理由は、死後の世界に行く自分が何か形に残るものを贈ってから去ってしまうと、その渡された相手の中に乙への未練が生じてしまい、乙の居る死後の世界に引き寄せられてしまう危険があるからなのです。だから死後の世界に行く前の「別れの挨拶の動画」なんて残すというのは一番やってはいけないことなのです。こんなことをしたら董子が死後の世界に引き寄せられてしまうかもしれない。

しかし、実はそれこそが乙の狙いなのです。董子が死後の世界、つまり異界に引き寄せられるということは、乙が遠くの死後の世界に戻ってしまった後で、何らかの形で消えてしまった蓮の残滓に働きかけ蓮を救うことを董子に託せるということになるからです。董子ならば怪異にもともと触れているので怪異に耐性が出来ており、そうした危ない役目を託すことが出来る。真奈美に協力を頼んだのも同じ理由で、真奈美ならば怪異に耐性があるから大丈夫だと乙は思ったのです。それで、蓮が自分を犠牲にしようとしていることに気付いた乙は、急いで真奈美の家に行き、董子へのメッセージ動画を残すことにして、董子が蓮を救うことが出来る道を残したのです。ただ具体的にどうすればいいのか分からないので、特に具体的な指示を残しているわけではない。とにかく後は成り行き任せということなのでしょう。これもまた一種の「呪い」なのでしょう。さっき乙が蓮にかけた呪いと同じように、呪いというのは「未練」によってかけることが出来る。ここでは乙は級友たちには慎重に「呪い」をかけないように気をつける一方で、董子には大丈夫だと見越した上で積極的に「呪い」をかけて自分や蓮に未練を募らせて執着させるように仕向けて、董子の力で蓮が復活する余地を残しているのです。

しかし、それでもまだ不可解な点はある。どうしてわざわざ真奈美を巻き込んだのかが謎なのです。董子に乙に対する未練を残させるためだけならば、乙が直接董子に会いに行って動画も撮ってもらえば済んだ話です。ところが乙はあくまで董子に会わずに帰ることにこだわっている。級友たちがシズクとも、あえてちゃんと別れの挨拶はしないで別れようとしている。これは一体何なのかというと、おそらく乙自身がこの世界に未練を残すためなのでしょう。色々やり残したこと、心残りなことがあれば、それが未練となり「呪い」となる。そうすれば乙がこの世界に再び戻ってくる可能性が生じてくる。そういうことを意図して、乙はわざと周囲の人たちに不義理をして旅立っていったのでしょう。もちろん元の世界にも戻りたいが、この世界にも愛着を抱くようになった乙は再びこの世界にやってくるために、わざと「未練」を残すようにしていたのでしょう。

ただ、董子はそうした乙の意図を全て理解したわけではなく、ただ単に乙の別れの動画を見て涙を流し、乙や蓮への未練を募らせたまま、とある目的地を目指して出かけていきます。それは蓮とは別口の約束を果たしに行くためだった。「新作小説が出来たら見せにいく」と約束していたのは蓮だけではなく、あと2人の相手がいた。そのうちの1人は真奈美であり、これは真奈美が部屋に来たことで約束を果たすことが出来た。そして残る1人は、あの玉心堂書店の書籍姫でした。先日、近所の金網の穴をくぐって辿り着いた時は廃墟のようになっていたが、あの時は新作小説を持参していなかったから玉心堂書店が出迎えてくれなかったが、こうして新作小説が出来上がって持参していけば、今回はちゃんと玉心堂書店が出迎えてくれるかもしれないと思い、董子は先日金網の穴のあった場所に行ってみる。

すると、そこには先日と同じように金網に穴が開いていた。ただ、先日と異なっていたのは、その穴の前に黒法師の花が咲いていたことでした。黒法師は更に金網をくぐった先の進行方向にも、まるで経路を示すかのようにずっと咲いており、まるでその先に新たな「良い予感」が待ち構えていると乙が教えてくれているかのようだった。そうして黒法師の示す道を董子が進んでいくと、その先に玉心堂書店が今回はしっかりと、董子の子供の頃の記憶のままの姿で出迎えてくれた。

そうして董子が書店内に入ると、そこには昔と全く同じ姿でメガネの書店員、つまり書籍姫が座って本を読んでおり、董子の姿を見ると「お嬢ちゃん、久しぶりだね」と声をかけてくる。それで董子はご無沙汰を詫びて、新作の「怪異と乙女と神隠し」の原稿を取り出して机に置き「新しい本をお持ちしました。お納めください」と言って書籍姫に差し出す。それで書籍姫は喜んで原稿を読み始め、その間に書架を見て回った董子は、子供の頃からずっと再会したいと思って探していた、この書店で出会った本たちとの再会も果たすことが出来た。

そうしていると、書籍姫が董子を呼んで、「怪異と乙女の神隠し」の小説内の登場人物である「神隠し」はどうして女主人公の書き上げた小説を読まなかったのだろうかと質問してくる。それで董子が理由は分からないと答えると、作者なのに分からないとは変な話だと書籍姫は笑い、つまりこの女主人公が董子なのだろうと察して、書籍姫は自分の見解を董子に伝えてくれる。それは、おそらくこの「神隠し」つまり蓮は、わざと約束を果たさないことでこの世界に未練を残して、この世界に留まろうとしているのだろうという推理でした。

それを聞かされて、董子はちょっと焦った。もし蓮がそんなことを考えて元の世界に戻ろうとしていないのだとしたら申し訳ないと思い、ならばその部分は書き直したいと申し出るが、書籍姫はそれはダメだと言う。書き直したら「神隠し」の気持ちが終わってしまうのだというのです。書籍姫の言うには、「神隠し」にはそれだけこの世界の何かを愛していたのだという。それを聞いて、董子は蓮がそこまで強い気持ちをこの世界に向けていたのだと思い、同時に自分も蓮への強い未練を抱いていることを自覚する。そうしていると、董子の視界の中に黒いモヤのようなものが動き回るようになり、気がつけば董子は賽の河原に立っていた。やはり乙の残した「呪い」の効果で、蓮への未練が高まったこともあって、董子は死後の世界に引き寄せられたのです。だが怪異に耐性のある董子は平然としてその状況を受け入れ、そこに黒いモヤのようなものが現れる。かつて乙が賽の河原で遭遇した黒いモヤと同じものであり、これは蓮の怪異としての残滓のようなものであった。

その黒いモヤに向かって、董子は「化野くん」と呼びかける。そして、自分には蓮が必要なのだと訴える。すると黒いモヤは蓮に変わり、董子の前に降り立つ。10年前に乙の強い想いのこもった呼びかけで「神隠し」の残滓が「化野蓮」という怪異となって復活したのと同じように、今回も一旦消えかかっていた蓮が、董子の強い想いのこもった呼びかけで新たな「化野蓮」という怪異となって復活したのです。そうしてにこやかに笑う蓮と手を取り合った董子は「君が必要だったんだ」と言い、続けて「一緒に風呂には入れないけどな」と付け足す。すると蓮が「えええええ?」と愕然とするというクソみたいなオチでED曲に入り、こんな酷い終わり方なのかとビックリしかしたが、ちゃんとCパートはありました。

Cパートでは書店のバイトにも復帰した蓮と一緒に董子も働いている場面ですが、第1話のように店長がまた逆万引きの本があったと言って一冊の本を持ってくる。その本は「たべるトンちゃん」であり、その表紙の裏のページには「わたしはしあはせにくらしてゐます」と書いてあった。それを見て、蓮はそれが乙が異界から送ってきて自分たちの手に届くように逆万引きしたように思えてきて、クスッと笑う。そして、新刊の書架に置かれている董子の新作小説「怪異と乙女と神隠し」に視線を向けながら「いつか乙が董子さんの新刊を買いにこの店に来るような気がします」と言うのでした。乙がこの世界に遊びに来ることが出来るようになる日もそんなに遠くないのかもしれないと希望を残しつつ、こうして物語は終幕を迎えるのでした。