2024春アニメ 5月22日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、5月21日深夜に録画して5月22日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。

 

 

忘却バッテリー

第7話を観ました

今回も相変わらず面白くて、そして感動エピソードでした。神回だったと言っていいでしょう。藤堂のイップスを治すために小手指の野球部員たちが協力していく話なんですが、藤堂も含めて全員がこれまでとは違ったキャラの魅力を示して、ちょっと予想出来ない感じに感動させてくれましたね。結果的に藤堂は小手指に入学して正解だったのであり、送球のイップスを克服することでようやく中学の時の先輩とちゃんと向き合うことが出来た藤堂が自分の本当のイップスを乗り越えるラストシーンは号泣モノの感動シーンでありました。

藤堂がイップスになった原因は明らかに中学2年生の夏の大会での送球ミスがきっかけとなった先輩たちへの負い目だったのですが、そこで先輩たちと話し合って和解することが出来ればイップスが治るかというと、そんな簡単にイップスが治れば誰もイップスで苦労なんかしない。原因が分かっているからといって、原因を除去して治るというような単純なものではないのです。まぁイップスに限らず病気というものはみんなそういうものなんですが。

むしろ先輩とマトモに向き合うことが出来なくなってしまったというのが藤堂にとってのイップスの核心なのであり、その表面的な症状が送球が出来ないということであったようですから、小手指の仲間たちとの練習で送球イップスを克服したことがきっかけになって、ようやく先輩ともマトモに向き合うことも出来るようになったみたいです。まぁ厳密にはまだ顔を合わせて喋ることが出来ていないので、こちらのイップスの方はまだまだ克服は出来ていないのですが、送球イップスというノイズが解消されたぶん、いずれは先輩たちとも顔を見て話せるようになることでしょう。

イップスというのはまだまだ分からないことは多いのですが、無意識に出来ていたような簡単な動作が出来なくなってしまうケースが多い。だから弊害も大きいし治し方が見当もつかないで壁にぶち当たってしまうことが多い。それで「イップスは簡単には治らない」と思ってしまう。もともと何も考えずに出来ていたことですから、どうすれば出来るようになるのか分からなくなってしまい袋小路に入ってしまう。

初心者の時はいちいち考えながら出来ていたことが、慣れてくるといちいち考えなくても身体が勝手に動いてくれるようになる。そのぶん思考のタイムラグが無くて素早く動けるし、いつも一定の安定した動きも出来るようになる。それが「上手になる」ということだと考えがちです。「身体が動きを覚えている」というのが一流の証だと思われたりする。

しかし「何も考えずに出来ていること」というのは言い換えれば「何かを考えると出来なくなる」というリスクと隣り合わせでもある。例えばストレッチなんかは毎日やっていると何も考えていなくても流れるように一連の動作が出来てしまうが、途中でテレビに気を取られたり電話の音に気を取られたりすると、次に何をやればいいのか分からなくなってしまう。あれも一種の一時的なイップスでしょう。そういう瞬間的なイップスというのは誰でも日常生活の中で経験しているが、予想外のノイズが入り込むことで余計なことを考えてしまい「何も考えずに出来ていること」だけが出来なくなるという現象と考えられる。

普通はそういう突発的ノイズが動作に悪影響を及ぼすのは一時的なものであり、すぐに普段の習慣的行動の「慣れ」や「クセ」の方が勝ってもノイズの効果はかき消される。しかしノイズが強力で持続的なものであった場合、例えば強いストレスであった場合などは「何も考えずに出来ていたことが出来なくなる」という状態が継続してしまい、それを解決するために「何かを考えなければいけない」という状態になってしまう。そうして解決法などをあれこれ考えながら動作をすると、もともと「何も考えずに出来ていたこと」なので、それが新たなノイズになってしまい、ますますその動作が出来なくなってしまう。

よく、上手くいかなくなると「考えすぎるのは良くない」「余計なことを考えず無心でやれ」ともよく言われる。本当に余計なことに気が散っていて集中出来ていない場合などはそういう指導も効果的ではあるでしょう。しかしイップスの場合は「無心でやろう」という思考自体がノイズになってしまい動作に悪影響を及ぼしてしまう。もともと何も考えずに出来ていたことなのですから、いちいち「何も考えないようにしよう」と思うこと自体がノイズなのです。まぁよほど高度な悟りの境地にでも達したら真の意味での「無心」になれるのかもしれませんが常人には不可能な領域でしょう。

そういう厄介なイップスですから、そもそもイップスにならないように予防する方がいい。そのためには「何も考えずに出来ていること」がそもそも無ければいいのです。「何をするにもいちいち考えてやること」がイップスの予防法といえます。そうすることで自分の動作の中で「何も考えずに出来ていることを」を無くしてしまえば、イップスにかかる確率は下がるといえます。イップスについては分からないことも多いので、それだけで確率がゼロになるとは言えないが、イップズになる確率は下がるとは思う。

ただ自分の全ての動作を「いちいち考えて行う」というのは現実的には不可能です。しかし、自分の動作の中で特に大事なものだけ「いちいち考えて行う」という習慣づけをすることでイップスになる確率を下げるということは出来ます。例えば大谷選手のような一流の野球選手がいちいち自分のバッティングフォームやピッチングフォームをタブレットで見ているのは、別に調子が悪いからフォームを気にしているわけではなく、常に自分の動作について考える習慣をつけることで「なんとなく自然に何も考えず出来ている状態」を常に潰してイップスの予防をしているのです。ピッチングでもあえて利き腕ではない左でも投球練習するのは、別に両手投げを志向しているわけではなく、不慣れな左投げを課すことで自分の投球動作に常にノイズを与え続けて、自分の脳を「何も考えず投球が出来る」という状態に陥ることが出来ないようにしているのです。まぁ身体バランスや全身の筋肉を偏りなく鍛えるという意味もあるんでしょうけど。

ただ、こうした一流選手の取り組みというのは、イップスの予防を一義的な目的としたものではない。要するに自分の基本スタイルに固執せずに、常に新しい自分に進化し続けようとする試みなのであり、それが結果的にイップス予防に繋がっているというだけのことです。自分の定番のスタイルにこだわって、そこで満足している選手は「何も考えず出来ている」という状態で満足してしまうが、常に進化を志向している選手にとっては「何も考えず出来ている」という状態はむしろ捨て去るべき過去の自分に過ぎない。だから真に一流の選手はイップスにはならない。いや厳密には日常的に軽いイップスになったことを意識しながら常にそれを進化によって克服し続けているといえます。おそらく大谷選手ぐらいになると、ちょっと空振りしただけで自分の異常を敏感に察知して、あえて自分に新たなノイズを与えて進化を促してイップスを乗り越えて貪欲に新たなスタイルを獲得し続けているのでしょう。それが結果的に完璧な選手のように他人には見えているのでしょうけど、実際は常に挫折を乗り越えていることが真に凄いのでしょう。そういう選手は藤堂みたいにイップスが発症するまで放置するということはないのでしょうね。そして、その逆に「新たな自分になろう」とせず「元の自分に戻そう」という思考がイップスをより悪化させるということになります。つまり「進化する意思無き者に未来は無い」ということなのでしょうけど、それはあくまで一流のプロの世界の話であって学生野球のレベルでそれを求めるのはなかなか酷なことでしょう。

そういうことを踏まえて、今回の藤堂のイップスへの対処ですが、藤堂は自分がイップスであることを清峰と要と千早と山田に告白し、だから本気で帝徳にリベンジするつもりならばショートから一塁への送球が出来ない自分ではなく別のショートを探すべきだと言う。山田たちも「イップスは治りにくい」ということを知っているから、藤堂がそう言うのも無理はないと思って、その言葉を受け止めます。しかし記憶喪失で野球に関する知識を失っている要は「イップスって何?」と能天気に問い返す。

それで千早が要にも分かるように説明しようとして、帝徳との練習試合の時に要が急に捕球は出来なくなったアレのことだと教えてくれる。あの時、要はファウルチップがマスクを直撃したことがきっかけになって、それまで清峰の投げた球を捕球出来ていたのが急に捕れなくなってしまいました。あれも軽度のイップスだったのです。ただ、それが軽症で済んだのは、おそらく要の捕球のレベルがまだ素人に毛が生えた程度であり、確かに身体が覚えているので清峰の球を捕れてはいたのですが、意識レベルではまだ「何も考えず捕れている」というレベルにやっと到達したかしていないかぐらいの微妙なところだったおかげでしょう。だから藤堂のように重症化しないうちに、清峰のショートバウンドの球を捕球したぐらいで再び捕球出来るように戻って、イップスを克服することが出来たのだと思います。

ただ千早の話を聞いて、山田は確かに要のアレもイップスだったのだと気付くが、どうして要のイップスは簡単に治ったのか、藤堂のイップスとどう違うのかはよく分からない。他の皆もそこまではよく分からない。だが要のイップスは治ったから軽症だったのであり、藤堂のイップスはずっと治っていないのだから重症なのだろうと考えただけだった。山田たちにとってイップスとは「原因不明でそれまで普通に出来ていたことが急に出来なくなるスポーツ選手にとって恐ろしい病気」というぐらいの認識しかない。しかし、要はそこまでの知識レベルも無く、全く難しい話は分からないので、自分のアレがイップスで練習したらすぐに治ったのだから、藤堂のイップスだって練習すればすぐに治るのだろうから大丈夫だとか気楽なことを言い出す。

しかし、さんざん練習してきた結果イップスが治らなかった藤堂に対してその言葉はあまりにも失礼で、藤堂はキレてもいいところだが自分で告白しておいてキレるのも無礼なので「俺のはそんな簡単じゃないんだよ」と怒りを呑みこんで言い返すと、今日はもう帰ってほしいと皆に言う。だが要は「イップスマウントですか?」と見当違いな解釈をして拗ね始める。イップス経験者の藤堂がイップス素人の自分を見下して差別してるとかワケの分からんイチャモンをつける要は、自分には「気持ちの問題だ」とか言ってさんざん練習をやらせていたクセに自分は練習から逃げるつもりなのかと藤堂にウザく絡み続けて、藤堂は根を挙げて仕方なく練習することにした。

そして翌日の放課後、練習開始となり、さっさと藤堂のイップスを治してラーメンを食いに行こうと張り切る要であったが、清峰はそんなことには全く興味は無い様子で、いつも通りに自分のピッチング練習のために要には捕球係をさせるので、とりあえず藤堂の練習相手は千早ということになる。それで千早が一塁手になってショートの位置からの藤堂の送球を受けてみることになったが、やはり悪送球になってしまう。

それで藤堂がやっぱりダメだと言うのですが、それを見て清峰が「努力が足りないんじゃないか?」ととんでもなくデリカシーの無い発言をする。藤堂が中学時代から死ぬほどの想いでイップスを克服するための練習を積み重ねてきたことは既に説明済みなのです。しかし清峰という人間はものすごい努力家であると同時にものすごい才能の持ち主なので、積み重ねた努力の120%が成果となって返ってくることが当たり前の人生を送ってきた。だから「努力したけどダメだった」という感覚がまず理解できないのだ。「成果が出てないということはちゃんと努力をしていないんじゃないか?」と疑ってしまう。

しかし普通の人間は「努力しても上手くいかない」のが当たり前の世界で悔しい想いを噛みしめて生きている。そんな普通の人間である藤堂に向かってのこの天才の暴言ですから、山田は藤堂がキレるんじゃないかと心配します。しかし藤堂は「清峰の言う通りだ」と言う。努力は成果が出るまでやるべきものだから、成果が出ないまま途中で努力を止めていた自分が間違っていたのだと藤堂は言う。清峰みたいに「努力すれば必ず成果が出る」なんて能天気なことは言わないが、それでも「努力は成果を出すためにやるものなのだ」という意識はしっかりある。それでも辛くて折れていたのだが、折れていたことが間違いだったことは認めることは出来るのです。だから清峰の心無い言葉が結果的には藤堂の心に再び火を点けることになった。

そうして練習再開しようということになるが、千早がショートは重要なポジションで一塁まで最も距離が遠くて肩が強くないと務まらないという説明を要にしたところ、要が千早が肩が弱いからと言って深い内野ゴロを一塁にワンバン送球していたことを思い出して、藤堂もワンバン送球で練習したらいいんじゃないかと言い出す。藤堂はワンバン送球なんてダサいし遅くなるしエラーの危険も増すから意味が無いと言ってやりたがらず、どうしてワンバン送球なんて言い出したのか要に聞くが、要は「何となく」と言うだけで深くも考えていないようだった。

しかし山田や千早は、ノーバン送球でどうせ悪送球してしまうのだから、いっそ目先を変えてワンバン送球の練習をしてみるのも面白いのではないかと思う。いや藤堂もそう思ったかもしれない。要が軽度のイップスを克服した時も、たまたま清峰が手元が狂ってショートバウンドを投げたのがきっかけだった。しかし、それはやはり難しいだろうとも山田は思う。イップスが進行すると「上手くいくかもしれない」と思うこと自体がプレッシャーになり失敗の可能性は高くなり、「上手くいくかもしれない」という期待があったぶん、上手くいかなかった時の落胆も大きい。もう藤堂は何度もそんな落胆を味わってきている。だから下手に期待してしまいそうな方法だからこそ、そこに踏み出す勇気を藤堂はもう出せないのではないかと山田は思った。

しかし藤堂は「1%でも可能性があるならやってみる」と言って、結局ワンバン送球練習をやってみる決断をした。山田はそんな藤堂の心の強さに感動し、自分も何とかして藤堂の力になりたいと思った。藤堂のワンバン送球はやはり悪送球になってしまい、一塁手の2年生の鈴木先輩は素人なので全く捕れない。これでは結局は藤堂はまた上手くいかなかったと思って終わってしまう。千早なら捕れるのではないかと要は言うが、千早は自分は二塁手から外れるわけにはいかないので、どうせ試合になれば自分が一塁で藤堂の送球を受けるわけではないので練習でだけ一塁手をやっても意味は無いのだと言う。

すると、いつもはセンターの山田が何とか藤堂の役に立ちたいと思い切って一塁手をやってみると言い出す。山田は本来は外野手だが、飛び抜けて上手い外野手というほどでもなく、そもそも現在の小手指の外野手のレベルは全体的に低すぎて、山田が多少は出来るというだけでそう状況が変わるというわけではない。今回一塁をやっている鈴木も本来は一塁手ではなく、帝徳との練習試合では3年のクソみたいな先輩が一塁手だったが、クソ先輩に頼むぐらいなら鈴木先輩に頼んだ方がマシということで今回やってもらっているに過ぎない。つまり山田が一塁手でも別にいいのです。

それで山田に一塁手をやってもらったところ、地道に真面目に野球をやってきたので基礎がしっかり出来ている山田は鈴木よりは藤堂のワンバンの送球に上手く対応して捕球できる割合が上がってきた。山田も藤堂のために死に物狂いでワンバン送球に食らいついていたからだが、千早の見立てでは、山田が相手にプレッシャーを与えない性格だから案外と一塁手向きらしい。確かに、一塁手が怖い先輩だったりしたら野手は投げにくいらしい。ちゃんと投げないと叱られたりするし、ちょっと送球が逸れるとワザと捕ってくれない人もいるという。学生野球だと関係ないことかもしれないが、プロの世界だとどっちにエラーがつくかというのも査定に響くからシビアな問題らしいので一塁送球は結構プレッシャーがかかるのだそうだ。その点、山田は藤堂の送球に献身的に食いついてくれるし、そもそも藤堂が普段から山田から全くプレッシャーを受けない関係性、つまりかなりナメてるので、やりやすいのでしょう。

ただ、山田の捕球率が上がってきているのはそれだけが原因ではない。ワンバンでも捕れているのは山田が上手いし頑張っているからなのであり、それにつられて藤堂のフォームの硬さも取れてきているのだが、それにしても明らかに藤堂の送球のコースがノーバン送球の時よりもコースのバラつきが減っていて、一塁ベース付近に集まってきているのです。まだバラつきがあるのは、単に藤堂がワンバン送球に慣れていないのと、イレギュラーバウンドが主な原因なのであって、ワンバン送球に切り替えてから藤堂はあまりイップスの影響は受けなくなっているのです。

それはどうしてなのかというと、藤堂はこれまであまりに強肩だったためにメリットの無いワンバン送球をやった経験がほとんど無く、ワンバン送球に関してはそのへんの普通のショートに比べてほぼ初心者だったため、「何も考えずに出来る」という状態に全くなっていなかったからです。イップスは「何も考えずに出来ていたことが突然出来なくなること」ですから、いちいち考えて試行錯誤しなければマトモにこなせない藤堂にとってのワンバン送球はイップスの影響外だったのです。

だから藤堂のワンバン送球が上手くいかないのはイップスのせいではなく、単に下手くそだからなのであり、動きがぎこちないのもイップスで身体が固くなっているのではなく、単にやり方がよく分かっていないからなのです。それは頑張って練習を積めば上手くなる余地がある。頑張れば頑張るほど袋小路に入っていくイップスとは違うのです。

これは要が清峰のショートバウンド投球を捕球出来たのも同じ理屈で、あれも清峰が普段はショートバウンドなど投げない投手なので、要にとって「何にも考えずに捕れるようになりかけていた」普段の捕球動作と全く違う行動を引き出すことになり、それがイップスの影響を受けない動作だったために捕球が出来て、もともとイップス自体が軽度だったのでそれで一気に治ってしまったのです。ただ藤堂の場合はイップスは重症だったので、さすがにワンバン送球が出来ただけでイップスが解消したわけではない。やっぱりノーバン送球はマトモに出来ない状態のままではある。現状は藤堂はイップスでノーバン送球が出来なくなったために下手くそなワンバン送球だけしか出来なくなっただけのショートに過ぎない。

それでもイップスの影響外でワンバン送球が出来るようになっただけでも大きな進歩です。藤堂ほどの優秀なショートならばワンバン送球の精度を上げていけば、並のショートのノーバン送球よりも一塁で走者を刺せるようになるかもしれない。藤堂はそれだけの可能性を持っている選手なのです。いっそ二塁や三塁への送球やバックホームも全てワンバン送球でやるようにして、ワンバン送球の名人を目指すぐらいでも良い。

それはもちろん簡単に成し遂げられることではなく、もともと強肩の名ショートで鳴らしていた藤堂にとってはダサくてバカバカしいことに感じられるかもしれない。しかし、例えば大谷選手が毎年バッティングフォームを根本的に変えてきたりするのはそれと同じことであり、例えば右投げ投手が右肩を壊して左投げで復活したりするようなことであり、そういうのを「進化」というのです。「新しい自分になろう」とする強靭な意志があってこそ「進化」は成し遂げられる。一方で「元の自分に戻ろう」とする後ろ向きな努力はイップスを悪化させる。藤堂がイップスを乗り越えるために最も必要なものはワンバン送球そのものなのではなく、「元の自分に戻ろう」という意志の対極にある「新しい自分になろう」という意志だったのです。その意識改革が必要だったのです。

そして、藤堂の意識を改革して「新しい自分になろう」と思わせるものがこの場所には確かに存在した。藤堂のためにワンバン送球のアイディアを出してくれた要、努力を諦めない気持ちを思い出させてくれた清峰、必死に藤堂の送球に食らいついて励ましてくれる山田、藤堂にワンバン送球の名人になる未来を示してくれてワンバン送球のフォームを全部動画に撮ってアドバイスをしてくれる千早がこの場所には居た。更に清峰は藤堂の守備力は捨て難いということから「ショートは藤堂だ」と、あくまで小手指のショートは藤堂だと決めて、ワンバン送球を極めるよう厳命する。イップスに罹ったノーバン送球ではプレッシャーにしかならなかったその言葉もワンバン送球ならばモチベーションになる。だが、それ以上に藤堂には清峰のこんな無様な自分への信頼感が嬉しかった。

そうして今度は千早がノックをしてくれて、藤堂がゴロを捕ってから様々な位置から一塁へ素早く精度の高いワンバン送球が出来るようになるようにしようとする。更に要がランナー役をやってバッターボックスから一塁へ走り、より実戦に近いシチュエーションでワンバン送球の精度を高めていこうということになる。それを何度も何度も繰り返すと要がヘバってきて、代わりに清峰が走ると空気を読まずに全力疾走して藤堂の送球は全く間に合わず、それがむしろ藤堂の負けん気に火をつける。そうして、むしろランナーは足が速い方が良いということになり、2年生の鈴木先輩や佐藤先輩が千早に代わってノッカーをやると志願してくれて、千早がランナーをやることになり、ますます藤堂の集中力は増していく。

こうして実戦に近い追い込まれたシチュエーションでの練習で藤堂は集中力を高めていき、その結果、藤堂のワンバン送球は無意識の動作に進化していき「何も考えずに出来る」境地に近づいていく。それは「新しい藤堂の送球スタイル」の出現が近づいてきたということです。そして同時に藤堂は自分のためにここまで協力してくれる小手指野球部の仲間たちのために「新しい自分」になってその気持ちに応えたいという強い意志が沸き上がってきた。イップスに苦しんだ「大泉シニアの藤堂」ではなく、「小手指高校野球部の藤堂」になりたいと思ったのです。その新しい「小手指の藤堂」はもうイップスの影響からは脱していた。

そういう準備が整ったタイミングで、千早に代わってノッカーとなった佐藤先輩がノックをミスしてしまい、ボテボテのゴロが三遊間方向、ピッチャーマウンドの横にコロコロ転がってしまい、藤堂は猛ダッシュしてホーム方向に突っ込んできてその球を拾い上げ、俊足のランナー千早をそこからアウトにするのはワンバン投球では不可能だと瞬時に判断して、反射的にノーバン送球をしてしまう。だが、そのノーバン送球は山田の構えたミットにストライク送球となったのです。さすがに千早の足が勝ってセーフにはなったが、ノーバン送球なのに悪送球にならなかった。それは藤堂が既に「新しい小手指の藤堂」になろうという意志のもとでワンバン送球スタイルを進化させた全く新しい送球スタイルを完成させており、それはイップスの影響を脱していたからです。また、「新しい小手指の藤堂」はそもそも大泉シニア時代のトラウマを乗り越えていたからでもあります。

こうして藤堂はイップスを克服した。ただもちろんそれで完全復活というわけではない。こうして生まれた「新しい小手指の藤堂」は少なくとも一塁への送球に関しては、大泉シニア時代のイップス罹患前の完成された能力に比べてまだ格段に劣っているからです。ただ、それは努力で足し算していけばいい。イップスに罹っていた頃みたいに努力すればするほど袋小路に入っていくことはもうない。努力は裏切らないのです。そのことが藤堂には何より嬉しかった。

そうした嬉しさを噛みしめて藤堂が学校からの帰りに1人でバッティングセンターに行きゲージで打っていると、左隣のゲージにたまたま大泉シニア時代の1年上の先輩が入ってきて打ち始める。藤堂は右打席で先輩は左打席なので、2人は背中合わせに立つことになり、先輩から声をかけられた藤堂は振り向くことは出来ない。その先輩は藤堂が一塁へ悪送球をして負けた試合がシニアでの最後の試合となり、強豪校からの推薦も無かった先輩だった。その先輩だけでなく、全ての先輩たちが推薦を得られなかった。それは自分のせいだと藤堂は思っており、それがイップスの引き金だった。イップスは脱した藤堂であったが、先輩たちへの人生を狂わせてしまったという罪悪感が消えたわけではない。だから、藤堂は先輩とマトモに向き合って話をすることはまだ出来ないのです。

しかし先輩の方は藤堂に対して大したわだかまりは無い様子で話しかけてきて、高校は何処に行ったのかと聞いてくる。先輩も藤堂が帝徳から誘われていたのに行かなかったことは知っており、どうしているのか心配はしていたようです。それに対して藤堂が背を向けてバッティングをしたまま都立の小手指に進学したことを伝えると、先輩は驚く。しかしバッティングをやっているので藤堂は野球は続けているようだと見て安心する。それで藤堂は「はい、やります、野球」と答えて、小手指で野球を再開した理由として「面白い奴らに出会っちまったんス」と少し申し訳なさそうに言いながら特大ホームランをかっ飛ばす。それは「小手指の藤堂」として生まれ変わった自分を先輩に示すかのような打球であった。

その打球を見て、藤堂の言葉を聞いて、先輩も藤堂が再び良い仲間に巡り合って野球を始めたのだと悟って嬉しそうに「良かったじゃん!新しい仲間が出来てさ」と言ってくれる。しかし、その言葉はまだ藤堂の心には痛い。先輩たちの人生を狂わせた自分だけが良い仲間に巡り合って再び野球をやることへの罪悪感が心を刺すのです。だが先輩は、自分たちの代の仲間たちもそれぞれ色んな学校に行って野球をやっているのだと言う。そして、それぞれ新しい仲間と巡り合い、みんなで甲子園を賭けて戦おうと言いあっているのだと言う。それを聞いて、藤堂の心の中で罪悪感が少しずつ解消していった。それに代わって、先輩たちが野球を続けてくれていることに対する嬉しさがこみ上げてくる。そして、更に先輩が「みんな藤堂のことを心配してる」「誰も悪くないだろう」と言ってくれて、藤堂は先輩の優しさに感動したのと、自分がバカで勝手なことばかりして先輩たちに心配をかけてしまった申し訳なさから涙があふれだしてきて豪快に空振りしてしまう。それで先輩が大笑いして話しかけてくるのだが、藤堂は振り向くことは出来なかった。それはもはや罪悪感によってではなく、止まらなくなった涙でグシャグシャになった顔を見られるのが恥ずかしいというだけの理由によるものであった。

今回はそういう感じの内容であり、神回でありましたが、次回はここまでのエピソードの総集編であり、第8話は6月4日深夜放送みたいですね。ここから盛り上がってきそうなので残り5話も大いに期待しています。